1・脱獄注意
「あー、今日もいい天気だなー、ピクニック日よりってやつ。
そういや、ミハエル先輩が撃たれた日も、こんないい天気の日だったっけ。」
コプチェフが山道を走る車のハンドルを操作しながら、のんびりと口にする。
「縁起でもないこと言うなよ。
あの日は、本当に大変だったんだから。」
助手席のボリスはそうたしなめるが、窓からの風が心地いいな、などとのどかな事を考えていた。
「今日は交通違反も発見できないし、このまま何事もなく終わりそうだ。
ちと退屈だな。
ここんとこ、銃をかまえることすら無いし、腕がさび付いちまうよ。」
ニヤニヤしながら言うコプチェフに
「うーん、確かにここんとこ物足りないかな…」
ボリスも思案顔で相槌を打つが
「って、俺達の出番がない平和が一番だろ。」
ハッとした顔で、慌てて言葉を付け加えた。
「まあ、そうなんだけどさ。
っと、喉乾いちまったな、飲み物取ってくれ。」
コプチェフに促され後部席の鞄を持ち上げたボリスが
「あれ、軽い…?
しまった、入れ忘れた!
何か忘れてると思ったら、飲み物か!
新しい銃を積むことばかり考えてた。」
そう舌打ちをする。
「はは、お前らしいな。」
微笑むコプチェフに
「悪い、俺のミスだ、荷物積むときに気がつかなかった。」
ボリスがションボリと謝った。
「いいって、そうだ、今日は何も起こりそうにないし、ちっと早いけどカフェに行くか。
雑貨屋で飲み物補充して、ランチにしちまおう!」
コプチェフが笑顔で言うと、ボリスは少しためらった顔をするものの
「そうだな、そうするか。」
苦笑気味にそう答える。
「よっしゃ、そうと決まれば善は急げだ!」
コプチェフはハンドルを切り、ラーダカスタムをカフェに向け走り始めた。
そのまま何事もなくカフェにたどり着くかと思われたが、暫くすると前方からクラクションが響いてくる。
「?」
コプチェフが注意を向けると、何かを避け損ねた乗用車が山の斜面に乗り上げている光景が目に入った。
1台ではない。
何台もの車が、何かを避け損ねてあらぬ方向に停車していた。
「おい、何やってんだあの車?」
気づいたボリスも訝しい顔になる。
その原因はすぐに判明した。
山道のど真ん中を、1台のモスクビッチが悠々と走っていたのだ。
スピードは出ていないものの、対向車を全く避けようとしないため周りを走っている車がそれを避けきれず、ハンドルを切り損ねている。
そのモスクビッチは、警察車両であるコプチェフ達のラーダカスタムを前にしても臆するところなく突っ込んで来た。
「くそっ!」
コプチェフは一端山の斜面に移動しそのモスクビッチを避け、華麗に車道に戻る。
「とんでもねー乱暴運転だ!」
毒付くコプチェフに
「あんな奴ら野放しにしといたら、俺達サーシャ先輩に撃たれるな!」
ボリスも顔を歪めて頷いた。
「ランチは後回しだ。」
コプチェフが二ヤッと笑うと
「だな!いっちょ揉んでやるか。」
ボリスも二ヤッっと笑う。
モスクビッチを追って走りながらコプチェフがスイッチを入れると、辺りに警察車両を示すサイレンが響き渡った。
マイクを取ったボリスが
「前方の車両、路肩に寄せて止まりなさい。」
そう警告をする。
しかし当然のように、モスクビッチはそのまま走り続けていた。
「どうする?」
ボリスがどこか不適な笑顔で問いかける。
「止まりたくないなら、強制的に止めるまでだ!」
コプチェフも不敵な笑いを浮かべると、ラーダカスタムのスピードを上げた。
「ちょいと揺れるぜ!」
コプチェフはそう言うと、ラーダカスタムを前方のモスクビッチにぶつけ始めた。
隊長車両ほどではないが装甲を強化しているコプチェフ達のラーダカスタムが、何度も何度もモスクビッチの後部に接触する。
その衝撃でモスクビッチは激しく揺れ、後部に乗っている者が焦った顔を見せながら窓から顔を出してきた。
しかし運転手の焦りのようなものが伝わってこず、車は止まる気配を見せない。
「いいかげん、止まれよっ、と!」
コプチェフは、一際大きく前方の車に揺さぶりをかけてやった。
と、モスクビッチの運転席から何かが飛び出してきた。
あろうことか、今までモスクビッチを運転していた者がコプチェフやボリスに対峙する形でトランクの上で仁王立ちになっているのだ。
「ん?何やってんだ、あいつ?」
コプチェフは相手の顔を見ようとするものの、追い風にあおられた髪に邪魔されてその表情は伺い知れなかった。
「あの髪…、ピンク?
若そうな奴だし、ズルゾロフんとこのゴロツキじゃないか?」
ボリスの言葉に
「かもな、バカな奴!あんなとこに出てきて、何しようってんだ?
ちょいと怖い目、見てもらうぜ。」
コプチェフが二ヤッっと笑う。
意図を察したボリスも二ヤッと笑った。
「行くぜ!」
コプチェフがアクセルを強く踏み込むと、ラーダカスタムはモスクビッチに乗り上げる勢いで近づいていく。
その時、モスクビッチのトランクに立っている男の瞳が強い意志をもって光を放ち、あり得ない事が起こった。
接触しようとしているラーダカスタムのボンネットを、そのまま素手でむんずと掴んだのだ。
そしてその男は、もの凄いパワーでそのままラーダカスタムを揺さぶり始めた。
上下に激しく揺さぶられるラーダカスタムの中で、コプチェフとボリスは為す術もなく転がされている。
「あ?え?ちょ?あの?」
2人の口からは、意味のない悲鳴とも呟きともとれる声がもれていた。
完全に体の自由がきかず、揺れる車に合わせゴロゴロと車内を転がるしかなかった。
一際大きな衝撃と浮遊感、どうやら2人の乗ったラーダカスタムはそのまま投げ飛ばされたようだ。
路肩の樹木に激突し、やっと車が停止する。
2人は頭を振りながら起きあがった。
「くっそー、舐めやがって、あの野郎。」
怒りを露わにしたコプチェフの言葉に
「車放り投げるって、どんな化け物だ?
銃使わなきゃダメだな。
連続首位者の腕、甘くみんなよ!」
ボリスも気勢を上げる。
「かっ飛ばして追いつくから、かまわず撃ち込んでやれ!」
コプチェフがエンジンをかけると、最初は渋っていたがすぐに車体が震えだした。
「おしっ、行くぜ!」
思いっきりアクセルを踏むコプチェフの熱気を受け、ラーダカスタムは弾丸のように走り出すのであった。
山道をもの凄いスピードで走り抜けながら、コプチェフが
「しかし、あいつら何者なんだ?
ズルゾロフの部下であんなピンクの髪の奴がいるなんて報告、受けたことないぞ?
腕が立ちそうな奴だし、こりゃ、ランチはお預けかな。」
そう口にする。
しかしその顔は、久しぶりに歯ごたえのある相手に遭遇した興奮で紅潮していた。
「だな、ここは俺たちで食い止めないと。」
ボリスも興奮した顔を見せる。
しかし心に引っかかるものを感じていた。
『ピンクの髪…何だろう?最近、ピンクの髪の話を聞いたような気がする…
誰からだったっけ…?』
そんなボリスの思考は
「おっと、追いついたぜ!」
コプチェフの言葉で現実に引き戻された。
ラーダカスタムの遙か前方に、先ほどのモスクビッチが見えている。
「とりあえず2人で威嚇だ。
それで止まんなきゃ、タイヤ狙うぞ。」
コプチェフはそう言いながら銃を用意する。
2人が乗ったラーダカスタムはスピードを上げていく。
モスクビッチを追い越したタイミングで、2人は銃を構えた。
「終わらせるぜ!」
二ヤッと笑って言うコプチェフに
「ああ!連続首位者の腕、見せてやる!」
ボリスが力強く返事を返す。
久しぶりの緊張感で自然と笑みがこぼれていた。
『か、可愛い…!』
その笑顔に、コプチェフはほんの一瞬みとれてしまう。
しかし、その一瞬が命取りだった。
「ブギャッ!!」
コプチェフの一瞬の脇見運転により、ラーダカスタムは前方のトンネルの外壁に激突した。
件のモスクビッチはその間にトンネルを抜けて走り去ってしまう。
「コ プ チェ フ…」
打った鼻を押さえ、怒りのにじむ声で呼びかけられ
「ごめん!今のは俺が悪かった!
ほんと、ごめん!ごめん!ごめん!」
自らも打った頭をさすりながらコプチェフは焦って謝り倒した。
「いや、でも、あいつらバカだな。
この先は崖になってて迂回しないと進めないんだ。
先回りできるって!
ここは一端ミリツィアに戻って、先回り用のトラップとか用意しようぜ!
場合によっちゃ、ソコシャコフやタンクコフを出動させるから準備もしねーと。
銃器も足しといた方が良いだろ?」
機嫌をとるように一気にまくしたてるコプチェフに
「う、まあ、確かに銃器の補充は欲しいかも。」
ボリスも同意する。
「よし、んじゃ、一端戻るぞ。」
コプチェフの言葉とともに、ラーダカスタムはミリツィアへの道を走り始めるのであった。
今度はスピードを出しつつも、前方に注意を払いながらコプチェフはハンドルを操作する。
「あっ!!」
そんな中、ふいにボリスが大声を上げた。
「えっ?どうした?」
焦るコプチェフに
「ピンクの髪!思い出した、レオニードだ!
04号囚人の髪、いつまで経ってもピンクのプラチナブロンドだ、あれは染めてるんじゃなく地毛なんだってレオニードが言ってたんだよ。
あのオッサン、バケモンだって。
オッサンって言ってるこっちの方が、よっぽどオッサンっぽく見えるのが、また腹立たしいとも言ってた。」
珍しく興奮したボリスがまくしたてた。
「レオニードがオッサンってことないだろ。
イリヤ先輩ほどじゃないけど、あいつもそーとー若作りだぜ?
さっきの若造、成人したてって感じに見えたけど…」
コプチェフが訝しい顔になる。
「でも、04号囚人はイリヤ先輩より若く見えるってレオニードが言ってたんだ。
ズルゾロフの情報を聞き出そうと、レオニードとイリヤ先輩は定期的に04号囚人に会いに行ってたから。
ピンクの髪の話を聞いたのは、先月のことだったよ。」
ボリスは思案顔でそう付け加えた。
「確かにイリヤ先輩より若く見えたけど、04号囚人って、もう50越えてんだろ?
それに04号囚人は監房の中だ。
おおかた、伝説的なマフィアを模倣しようとした若いゴロツキだろうぜ。」
コプチェフは苦笑顔で答えた。
「確かに04号囚人は監房に居る。
でも、04号囚人は双子なんだよ!
その双子の兄だか弟だかは、未だ行方知れず。
そして、そいつは04号囚人にそっくりなんだ!」
真剣な顔のボリスの言葉で、ようやくコプチェフの顔にも緊張が戻ってくる。
「まさか…その兄弟が戻ってきたってのか?
だとしたら、ズルゾロフファミリーとの抗争は避けられないな…
おい、ヤバいぞ!
下手すりゃ04号囚人を脱獄させようと、ミリツィアを襲う可能性だってあるじゃないか!!
早く戻って警戒の連絡回さねーと!」
コプチェフはさらにアクセルを踏み込み、ミリツィアに向けラーダカスタムのスピードを上げるのであった。
ほどなくミリツィアに戻った2人は、建物内部が騒然としていることに気が付いた。
内勤の者達が右往左往している。
そんな中、帰還したラーダカスタムにロウドフが駆け寄ってきた。
「お前等、良いときに帰ってきてくれた!
まだ混乱しきっててヤンにしか連絡してないが、04号囚人が脱獄したんだよ!
監房の壁を叩き壊したらしい。
内側から破壊した跡が残ってた。
おまけに、同房だった541号囚人も一緒に脱獄してくる。
2人が奪ったモスクビッチで逃亡するのを、カンシュコフ達が目撃したんだ!」
ロウドフの報告に
「まさか、さっきの2人…?!」
コプチェフとボリスは顔を見合わせた。
「すまない、真っ先にイリヤに報告しなけりゃいけないんだが移動中で連絡がつかない。
そして何より、イリヤに報告するのが恐ろしいんだ…」
厳めしい顔、岩のような筋肉質のガッシリとした体型のロウドフが、青い顔をしてコプチェフとボリスに訴えかける。
04号囚人を確保したのがイリヤとミハエルであることは、ミリツィアにいる者なら誰もが知っていた。
そして、そのことが2人の誇りであることも知っている。
04号囚人に遭遇しながら取り逃がしてしまったコプチェフとボリスは
「イリヤ先輩が戻ってくる前に確保しないと…
俺たち、医務室送りじゃ済まされない!」
ロウドフと同じように顔を青ざめさせた。
「とにかく、ヤン先輩と連絡を密にして、検問の準備してください!
俺たちは別働隊として奴らを追います!
内勤で俺たちの補佐してくれる奴を用意してください。
今から先回りしてトラップしかけます!」
コプチェフの言葉に
「あいつら、自由に使ってくれ。」
ロウドフは後方を指さした。
そこには、青い顔をして涙目になっているカンシュコフ達がブルブルと震えている。
壮大な捕り物劇の幕開けであった。
そういや、ミハエル先輩が撃たれた日も、こんないい天気の日だったっけ。」
コプチェフが山道を走る車のハンドルを操作しながら、のんびりと口にする。
「縁起でもないこと言うなよ。
あの日は、本当に大変だったんだから。」
助手席のボリスはそうたしなめるが、窓からの風が心地いいな、などとのどかな事を考えていた。
「今日は交通違反も発見できないし、このまま何事もなく終わりそうだ。
ちと退屈だな。
ここんとこ、銃をかまえることすら無いし、腕がさび付いちまうよ。」
ニヤニヤしながら言うコプチェフに
「うーん、確かにここんとこ物足りないかな…」
ボリスも思案顔で相槌を打つが
「って、俺達の出番がない平和が一番だろ。」
ハッとした顔で、慌てて言葉を付け加えた。
「まあ、そうなんだけどさ。
っと、喉乾いちまったな、飲み物取ってくれ。」
コプチェフに促され後部席の鞄を持ち上げたボリスが
「あれ、軽い…?
しまった、入れ忘れた!
何か忘れてると思ったら、飲み物か!
新しい銃を積むことばかり考えてた。」
そう舌打ちをする。
「はは、お前らしいな。」
微笑むコプチェフに
「悪い、俺のミスだ、荷物積むときに気がつかなかった。」
ボリスがションボリと謝った。
「いいって、そうだ、今日は何も起こりそうにないし、ちっと早いけどカフェに行くか。
雑貨屋で飲み物補充して、ランチにしちまおう!」
コプチェフが笑顔で言うと、ボリスは少しためらった顔をするものの
「そうだな、そうするか。」
苦笑気味にそう答える。
「よっしゃ、そうと決まれば善は急げだ!」
コプチェフはハンドルを切り、ラーダカスタムをカフェに向け走り始めた。
そのまま何事もなくカフェにたどり着くかと思われたが、暫くすると前方からクラクションが響いてくる。
「?」
コプチェフが注意を向けると、何かを避け損ねた乗用車が山の斜面に乗り上げている光景が目に入った。
1台ではない。
何台もの車が、何かを避け損ねてあらぬ方向に停車していた。
「おい、何やってんだあの車?」
気づいたボリスも訝しい顔になる。
その原因はすぐに判明した。
山道のど真ん中を、1台のモスクビッチが悠々と走っていたのだ。
スピードは出ていないものの、対向車を全く避けようとしないため周りを走っている車がそれを避けきれず、ハンドルを切り損ねている。
そのモスクビッチは、警察車両であるコプチェフ達のラーダカスタムを前にしても臆するところなく突っ込んで来た。
「くそっ!」
コプチェフは一端山の斜面に移動しそのモスクビッチを避け、華麗に車道に戻る。
「とんでもねー乱暴運転だ!」
毒付くコプチェフに
「あんな奴ら野放しにしといたら、俺達サーシャ先輩に撃たれるな!」
ボリスも顔を歪めて頷いた。
「ランチは後回しだ。」
コプチェフが二ヤッと笑うと
「だな!いっちょ揉んでやるか。」
ボリスも二ヤッっと笑う。
モスクビッチを追って走りながらコプチェフがスイッチを入れると、辺りに警察車両を示すサイレンが響き渡った。
マイクを取ったボリスが
「前方の車両、路肩に寄せて止まりなさい。」
そう警告をする。
しかし当然のように、モスクビッチはそのまま走り続けていた。
「どうする?」
ボリスがどこか不適な笑顔で問いかける。
「止まりたくないなら、強制的に止めるまでだ!」
コプチェフも不敵な笑いを浮かべると、ラーダカスタムのスピードを上げた。
「ちょいと揺れるぜ!」
コプチェフはそう言うと、ラーダカスタムを前方のモスクビッチにぶつけ始めた。
隊長車両ほどではないが装甲を強化しているコプチェフ達のラーダカスタムが、何度も何度もモスクビッチの後部に接触する。
その衝撃でモスクビッチは激しく揺れ、後部に乗っている者が焦った顔を見せながら窓から顔を出してきた。
しかし運転手の焦りのようなものが伝わってこず、車は止まる気配を見せない。
「いいかげん、止まれよっ、と!」
コプチェフは、一際大きく前方の車に揺さぶりをかけてやった。
と、モスクビッチの運転席から何かが飛び出してきた。
あろうことか、今までモスクビッチを運転していた者がコプチェフやボリスに対峙する形でトランクの上で仁王立ちになっているのだ。
「ん?何やってんだ、あいつ?」
コプチェフは相手の顔を見ようとするものの、追い風にあおられた髪に邪魔されてその表情は伺い知れなかった。
「あの髪…、ピンク?
若そうな奴だし、ズルゾロフんとこのゴロツキじゃないか?」
ボリスの言葉に
「かもな、バカな奴!あんなとこに出てきて、何しようってんだ?
ちょいと怖い目、見てもらうぜ。」
コプチェフが二ヤッっと笑う。
意図を察したボリスも二ヤッと笑った。
「行くぜ!」
コプチェフがアクセルを強く踏み込むと、ラーダカスタムはモスクビッチに乗り上げる勢いで近づいていく。
その時、モスクビッチのトランクに立っている男の瞳が強い意志をもって光を放ち、あり得ない事が起こった。
接触しようとしているラーダカスタムのボンネットを、そのまま素手でむんずと掴んだのだ。
そしてその男は、もの凄いパワーでそのままラーダカスタムを揺さぶり始めた。
上下に激しく揺さぶられるラーダカスタムの中で、コプチェフとボリスは為す術もなく転がされている。
「あ?え?ちょ?あの?」
2人の口からは、意味のない悲鳴とも呟きともとれる声がもれていた。
完全に体の自由がきかず、揺れる車に合わせゴロゴロと車内を転がるしかなかった。
一際大きな衝撃と浮遊感、どうやら2人の乗ったラーダカスタムはそのまま投げ飛ばされたようだ。
路肩の樹木に激突し、やっと車が停止する。
2人は頭を振りながら起きあがった。
「くっそー、舐めやがって、あの野郎。」
怒りを露わにしたコプチェフの言葉に
「車放り投げるって、どんな化け物だ?
銃使わなきゃダメだな。
連続首位者の腕、甘くみんなよ!」
ボリスも気勢を上げる。
「かっ飛ばして追いつくから、かまわず撃ち込んでやれ!」
コプチェフがエンジンをかけると、最初は渋っていたがすぐに車体が震えだした。
「おしっ、行くぜ!」
思いっきりアクセルを踏むコプチェフの熱気を受け、ラーダカスタムは弾丸のように走り出すのであった。
山道をもの凄いスピードで走り抜けながら、コプチェフが
「しかし、あいつら何者なんだ?
ズルゾロフの部下であんなピンクの髪の奴がいるなんて報告、受けたことないぞ?
腕が立ちそうな奴だし、こりゃ、ランチはお預けかな。」
そう口にする。
しかしその顔は、久しぶりに歯ごたえのある相手に遭遇した興奮で紅潮していた。
「だな、ここは俺たちで食い止めないと。」
ボリスも興奮した顔を見せる。
しかし心に引っかかるものを感じていた。
『ピンクの髪…何だろう?最近、ピンクの髪の話を聞いたような気がする…
誰からだったっけ…?』
そんなボリスの思考は
「おっと、追いついたぜ!」
コプチェフの言葉で現実に引き戻された。
ラーダカスタムの遙か前方に、先ほどのモスクビッチが見えている。
「とりあえず2人で威嚇だ。
それで止まんなきゃ、タイヤ狙うぞ。」
コプチェフはそう言いながら銃を用意する。
2人が乗ったラーダカスタムはスピードを上げていく。
モスクビッチを追い越したタイミングで、2人は銃を構えた。
「終わらせるぜ!」
二ヤッと笑って言うコプチェフに
「ああ!連続首位者の腕、見せてやる!」
ボリスが力強く返事を返す。
久しぶりの緊張感で自然と笑みがこぼれていた。
『か、可愛い…!』
その笑顔に、コプチェフはほんの一瞬みとれてしまう。
しかし、その一瞬が命取りだった。
「ブギャッ!!」
コプチェフの一瞬の脇見運転により、ラーダカスタムは前方のトンネルの外壁に激突した。
件のモスクビッチはその間にトンネルを抜けて走り去ってしまう。
「コ プ チェ フ…」
打った鼻を押さえ、怒りのにじむ声で呼びかけられ
「ごめん!今のは俺が悪かった!
ほんと、ごめん!ごめん!ごめん!」
自らも打った頭をさすりながらコプチェフは焦って謝り倒した。
「いや、でも、あいつらバカだな。
この先は崖になってて迂回しないと進めないんだ。
先回りできるって!
ここは一端ミリツィアに戻って、先回り用のトラップとか用意しようぜ!
場合によっちゃ、ソコシャコフやタンクコフを出動させるから準備もしねーと。
銃器も足しといた方が良いだろ?」
機嫌をとるように一気にまくしたてるコプチェフに
「う、まあ、確かに銃器の補充は欲しいかも。」
ボリスも同意する。
「よし、んじゃ、一端戻るぞ。」
コプチェフの言葉とともに、ラーダカスタムはミリツィアへの道を走り始めるのであった。
今度はスピードを出しつつも、前方に注意を払いながらコプチェフはハンドルを操作する。
「あっ!!」
そんな中、ふいにボリスが大声を上げた。
「えっ?どうした?」
焦るコプチェフに
「ピンクの髪!思い出した、レオニードだ!
04号囚人の髪、いつまで経ってもピンクのプラチナブロンドだ、あれは染めてるんじゃなく地毛なんだってレオニードが言ってたんだよ。
あのオッサン、バケモンだって。
オッサンって言ってるこっちの方が、よっぽどオッサンっぽく見えるのが、また腹立たしいとも言ってた。」
珍しく興奮したボリスがまくしたてた。
「レオニードがオッサンってことないだろ。
イリヤ先輩ほどじゃないけど、あいつもそーとー若作りだぜ?
さっきの若造、成人したてって感じに見えたけど…」
コプチェフが訝しい顔になる。
「でも、04号囚人はイリヤ先輩より若く見えるってレオニードが言ってたんだ。
ズルゾロフの情報を聞き出そうと、レオニードとイリヤ先輩は定期的に04号囚人に会いに行ってたから。
ピンクの髪の話を聞いたのは、先月のことだったよ。」
ボリスは思案顔でそう付け加えた。
「確かにイリヤ先輩より若く見えたけど、04号囚人って、もう50越えてんだろ?
それに04号囚人は監房の中だ。
おおかた、伝説的なマフィアを模倣しようとした若いゴロツキだろうぜ。」
コプチェフは苦笑顔で答えた。
「確かに04号囚人は監房に居る。
でも、04号囚人は双子なんだよ!
その双子の兄だか弟だかは、未だ行方知れず。
そして、そいつは04号囚人にそっくりなんだ!」
真剣な顔のボリスの言葉で、ようやくコプチェフの顔にも緊張が戻ってくる。
「まさか…その兄弟が戻ってきたってのか?
だとしたら、ズルゾロフファミリーとの抗争は避けられないな…
おい、ヤバいぞ!
下手すりゃ04号囚人を脱獄させようと、ミリツィアを襲う可能性だってあるじゃないか!!
早く戻って警戒の連絡回さねーと!」
コプチェフはさらにアクセルを踏み込み、ミリツィアに向けラーダカスタムのスピードを上げるのであった。
ほどなくミリツィアに戻った2人は、建物内部が騒然としていることに気が付いた。
内勤の者達が右往左往している。
そんな中、帰還したラーダカスタムにロウドフが駆け寄ってきた。
「お前等、良いときに帰ってきてくれた!
まだ混乱しきっててヤンにしか連絡してないが、04号囚人が脱獄したんだよ!
監房の壁を叩き壊したらしい。
内側から破壊した跡が残ってた。
おまけに、同房だった541号囚人も一緒に脱獄してくる。
2人が奪ったモスクビッチで逃亡するのを、カンシュコフ達が目撃したんだ!」
ロウドフの報告に
「まさか、さっきの2人…?!」
コプチェフとボリスは顔を見合わせた。
「すまない、真っ先にイリヤに報告しなけりゃいけないんだが移動中で連絡がつかない。
そして何より、イリヤに報告するのが恐ろしいんだ…」
厳めしい顔、岩のような筋肉質のガッシリとした体型のロウドフが、青い顔をしてコプチェフとボリスに訴えかける。
04号囚人を確保したのがイリヤとミハエルであることは、ミリツィアにいる者なら誰もが知っていた。
そして、そのことが2人の誇りであることも知っている。
04号囚人に遭遇しながら取り逃がしてしまったコプチェフとボリスは
「イリヤ先輩が戻ってくる前に確保しないと…
俺たち、医務室送りじゃ済まされない!」
ロウドフと同じように顔を青ざめさせた。
「とにかく、ヤン先輩と連絡を密にして、検問の準備してください!
俺たちは別働隊として奴らを追います!
内勤で俺たちの補佐してくれる奴を用意してください。
今から先回りしてトラップしかけます!」
コプチェフの言葉に
「あいつら、自由に使ってくれ。」
ロウドフは後方を指さした。
そこには、青い顔をして涙目になっているカンシュコフ達がブルブルと震えている。
壮大な捕り物劇の幕開けであった。