空翔けるうた~03~

ガツン!
オリコンの結果は、もちろんポールの耳にも入っていた。
悔しさに机を叩き付けると、水槽の中の熱帯魚がビクリと動いた。
『柳宿…ナメた真似を…!!』
翼宿に先駆けたテレビ出演による柳宿のこの快挙は、ポールの予想外だった。
これでは新規ファンによる開拓で、彼女の方がロングヒットになる可能性がある。
コンコン
『誰だね?』
『社長…玲麗です』
訪問者の声を聞き、そこで彼の顔色は変わった。
先日、翼宿に持ち掛けた命令についてだろうか?
少しの期待を持って招き入れたが、彼女の面持ちは沈んでいた。
『玲麗…どうした?何か、いい事でもあったか?』
『…ポール。今日は、これを…』
手渡されたのは、英語で「退職届」と書かれた封筒だった。
ポールは、眉を持ち上げる。
『何の冗談だい?』
『突然、申し訳ありません。本日付で、辞めさせてください』
『なぜ!?なぜだ!?翼宿とは、上手く行ったんだろう!?』
突然、立ち上がりそう叫んだポールを、玲麗はキッと睨んだ。
『ポール。失礼を承知で言わせていただきますが、翼宿さんを支配するのはもうやめてください』
『何を…』
『今回のプロジェクトといい、翼宿さんのプライベートといい、あなたの思い通りに翼宿さんを動かさないでくださいと言っているんです!』
そこで、悟った。翼宿は、玲麗と一緒にはなっていない。
しかし目の前で怒りを露にしている彼女からは残念がっている様子は見られず、寧ろ矛先は自分に向いているようだ。
くっと笑みをこぼすと、椅子にどっかと座る。
『…女々しい男だな。お前に、泣きついてきたのか?』
『いいえ!わたしが、気付きました。彼は必死にあなたに従おうと、自分を曲げてわたしを求めてきました。だけど彼自身がそれを望んでいない事に、わたしが気付いたんです!』
『………………』
『わたしは、そんなあなたに着いていく事は出来ません。それゆえの結果です。そして、これがわたしからの最後のお願いです。お世話になりました』
そのまま一礼をし、玲麗はその場を去った。

彼女が立ち去ってからも、ポールは一点を見つめたまま暫く固まっていた。
「くっ…あははははっ…」
が、次にはその口から乾いた笑みが漏れた。
『そうか…翼宿。辛いか…ちょっと、いじめすぎたかな…』
バリン
次には、手元にあるNurikoのCDケースを拳で叩き割る。

『ならば…この女は、わたしが始末しよう。お前が、集中して仕事出来るようになあ…』



『翼宿さん。辛いなら、会社を辞めてもいいと思います。みんな、あなたの味方ですよ。少なくとも、彼女には相談してくださいね。今まで、お世話になりました』
今日から、マネージャー不在で翼宿は一人で仕事をしていた。
ラジオの収録を終えて駐車場の喫煙所で煙草を吸いながら、受信したメールを確認する。

柳宿に、今回の件を相談する…
しかしそんな事をすれば、玲麗同様、彼女すらも巻き込む事になりかねない。
この時、ポールが既に柳宿に目をつけている事に気付けないでいた彼には、柳宿だけは今回の件に関わらせてはいけないと決めていたのだ。

だけど、本当は心のどこかで感じていた。
これ以上の接触は無理だとしても、彼女に謝る事くらいは出来ないものかと。
ポールの命令に背いた今、自分の心は再び彼女に傾きかけているのだから…


「今日は、ありがとうございました!また、よろしくお願いいたします!」
「いやあ…呂候くん!話が出来て、よかったよ。また、後日にな」
ちょうどその頃、同じ駐車場内では営業を終えた呂候が、取締役が乗る車を見送っていた。
車が発進した後、ビル内にあるオフィスに戻ろうと踵を返した時。
「あれ…?」
エレベーターホールに隣接する喫煙所に、呂候は一際目立つオレンジ髪を見た。
間違いない。あの男は…

「翼宿くん…かい?」

声をかけられた男は、顔をあげる。
当然だが自分とは面識がないため、翼宿は首を傾げる。
「あの…」
「初めまして…柳宿の兄の呂候です」
「………あ」
まさか、ここで彼女の血縁者に会うとは。
一瞬、反応に困ったのだろう。
「初めまして。お世話になっています…」
だから、当たり障りのない言葉を返したのだろうが。

「どうして、妹を突き放したんだい?」

程なくして突き付けた質問に、彼の表情が一瞬強張った。
「それは…」
「先日の収録後、妹が大泣きしながら帰ってきたんだ。糸が切れたかのように…あんな妹は、初めて見たよ」
先日の収録後…翼宿と玲麗が、口付けをしているのを目撃された日だ。
しかし、呂候はそこまでの詳細は知らない。
「本当に、申し訳ありませんでした…お兄さんにも、ご心配おかけするような事を…」
「…翼宿くん」
「…はい」
「妹の件は、君の意思ではなかったんじゃないのか?」
呂候は、決して彼を責めようとはしていなかった。
妹と同じ垂れ目がちの優しい目で、探るような視線を向ける。
その雰囲気に懐かしさを感じたのか、翼宿の口は自然に開いていた。

「事情があって…故意にやった事です。彼女の気持ちを分かっていながら、俺はあいつを捨てたんです」

呂候にも、それは伝わっていた。
本当は、拳の一発でも入れてやりたかった。
しかし思ったよりも謙虚で素直でどこか疲れたような彼の態度に彼なりの事情があるのではないかと悟り、わざとこういう聞き方をしたのだ。
小さくため息をつくと、その肩にポンと手を置いた。

「僕のような一般人には、簡単に理解出来ない事情なのかもしれない。だけどその事情で起こした行動が自分の意思でないのなら、まだ間に合うのなら、あの子と話をしてあげてくれないかい?」

やはり、翼宿は答えられないようだった。
だから、深く頭を垂れて。
「本当に…申し訳ありませんでした」
また、一言謝罪をして、彼はその場を離れた。



「お疲れさまでした~」
「お疲れさま~っす」
その日の夜は、Nurikoの歌番組の収録があった。
午後9時。全ての工程を終えた撮影スタッフと出演アーティストが、徐々に持ち場を離れていく。
「柳宿さん?今日こそは、お兄さんのお迎えないんでしょうね?」
「大丈夫大丈夫!今日こそは、ゴハン行こうね!」
真夜は、柳宿に本日5回目の念押しをする。
その度に変わらぬ返事を返してくれる事を確認し、彼女はやっと安心しきったような笑みを見せる。
「じゃあ、スタッフの皆さんにご挨拶してきます!すぐ、戻りますので…」
「うん」
ロビーにアーティストを残して、マネージャーはいそいそとフロアに戻っていく。

これは、仕事だ。今、自分はグループではなく、個人で活動している。
マネージャーの真夜が着いてくれている事で仕事が出来ているのに、彼女との約束を突然キャンセルしたりしてはいけない。
あの日、ひとしきり泣いた後で、柳宿にはそんな後悔の念があったのだ。
これ以上、真夜を困らせてはいけない。
彼女の為にも、今後の自分の為にも、これを機会に自分の心に存在しているあの人の事は早く忘れなければ…

そう思い直して、彼女を待っていたところ…

「柳宿さん!お疲れさまです…」

背後から誰かに声をかけられ、振り向いた。
綺麗な長髪を後ろに束ねた男性が、微笑みながらこちらを見下ろしている。
その顔には、見覚えがあった。
「星宿さん!お疲れさまでした!」
彼の名は、星宿。今日の音楽番組で共演した、アーティストの一人。
歳は柳宿と同じくらいだが、その大人びた容姿でギターを弾きながら歌うバラードは中々の定評があった。
「今、帰り?俺も、今から帰るところなんだけど…」
「あ。わたし、今、ここでマネージャーが来るの待っていて…」
その返答を確認し、星宿は小声で柳宿に耳打ちをした。

「もし、よかったら…さ。この後、ゴハンでもどう?」

「え?」
「いや…君の新曲、聴いてさ!その…バラードを歌う者同士、機会があれば色々語りたいなって思ってて…」
誘われている。そう思った瞬間、なぜか焦った。
「ありがとうございます…でも、マネージャーと約束があるので…今夜は…ちょっと」
「じゃあさ!そこに、君のマネージャーも呼べばいいよ!俺は、全然構わないから。俺が知ってるイタリアンレストラン、結構人気ですぐに満席になっちゃうから…先に席取ってようよ!」
そこで、少し強引に手を掴まれる。
それでも、マネージャーも同席なら問題はない筈だ。
そう思い直した柳宿は特に抵抗せず、彼に着いていく事を決めた。
そう。この時は、まだ冷静な判断が出来ていたから…


カラン
「星宿さんのバラード…スゴく素敵ですよお…ギター弾けるのって渋くてカッコいいから…老若男女に受け入れられるのも…無理ないなあ…」
レストランに入って、まだ30分も経っていないのだが。
男女二人組で入った客の女性側は、赤ワイン一杯で既に酔いが回ってしまっていた。
何を隠そう、この女は相変わらず、酒に弱いのだから…
「柳宿さん…酔いやすいんだね」
「ごめんなさ~い…」
それでも、星宿は顔色ひとつ変えない。
微笑みながら、そっと柳宿の頭を撫でる。
「ねえ…君は、どうしてあんなに悲しい歌詞を書くの?」
「う…ん」
「君が悲しんでると、僕も悲しいな…」
「悲しくなんか…ないですよ。あたし…今、楽しいです…フワフワしてて…幸せな気分で…」
それは、酒が手伝った感情。
これは好機と、そっと男の手が女の手を取る。
「幸せか…嬉しいよ。柳宿さん…」
「星宿さん…マネージャー…は?」
「うん。さっき、電話したんだけどね。まだ…かかるみたいなんだ」
「うーん…おかしいなあ…今日こそは…って、約束したのに…」
そのまま、女は深い眠りについてしまった。
彼女の小さな寝息を聞くと、星宿は残ったワインをぐいと飲み干した。

「ごめんね?柳宿さん…今日は、誰も来ないよ。僕と君の…二人だけだ」


ブロロロロ…
日付も変わろうとする時間帯。
翼宿は、オフィスでの仕事を終えて帰路についていた。
マンションの駐輪場にバイクを止めて、ヘルメットから顔を出す。
「ふう…一服するか」
マンションは港と隣接しており、それと並ぶようにいくつかのホテルが立ち並んでいる。
ホテルのロビーの喫煙所は割と小綺麗で、自宅に入る前に何度か使わせてもらう事がある。
翼宿は、今日もいつものホテルのいつもの喫煙所に入った。
時間が時間なので、チェックインする客もまばらだ。
煙草の煙を吐きながら、ぼんやりとカウンター方向を眺める。
すると。

カクン

手前の柱の待ち合いブースに座っていた女性の体が、傾いた。
あまりにも大袈裟な動きに、自然と視線が向けられる。
それはよくよく見ると、紫のウェーブがかった髪の毛の女で。

「…柳宿!?」

そこにいたのは、柳宿だった。
背中しか見えないため、翼宿には彼女が寝ている事は分からない。
ただ少し不自然な動きをしているので、お酒が入っているのであろう事は分かる。
「あいつ…何してんねん。ったく…」
ついついいつもの癖で彼女に近寄ろうとしたが、そこではたと動きを止める。

これは、彼女と話せるチャンスなのだろうか?

今までは何かとポールの干渉が入っていた為に勝手な真似は許されないと身構えていたが、今日は彼に呼び出されなかったせいか頭にはついそんな思考が掠めていた。
意を決して、喫煙所の扉を開けようとして。
そこで、動きは止まった。

カウンターから、彼女に駆け寄る男性が見えたからだ。
彼は、彼女と二、三の言葉を交わし、次いでその体を支えるようにしてエレベーターホールへ歩き出した。
「ぬ…」
もしかしたら、無理矢理連れ去られているのかもしれない。
だが、隣にいる彼女も決して嫌がっているようには見えなかった。
そのため、一度、駆け寄ろうとした足をまた止める。

そうか。もしかしたら、彼女も、また、新しい恋を掴みかけているのかもしれない。
ならば、それでいいではないか。
だって、自分は彼女の目の前で最低な事をしたのだから…

前髪をくしゃりとかきあげて、そのまま壁に凭れた。

「近寄る権利がないのは…俺の方やな」

一言呟いた後、自嘲の笑みを浮かべて、翼宿はその場を去った。


バサバサ…
「ダメよ…星宿さん…ダメ…」
明かりもつけずに、二人の男女は体を絡めていた。
いや。体を絡めているのは、女を後ろから抱き抱えている男の方。
落ち着かない女の体から、少しずつ衣服が脱がされていく。

ドサリ…

すぐさま、二人は高級なベッドに倒れ込んだ。
「ダメって言ったって…脱がなきゃいけないだろう?」
「星宿さん…」

「大丈夫。怖くなんてないから…」

星宿の手が、柳宿のブラウスのボタンをひとつひとつ外していく…
もはや、抵抗の余地はなかった。
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