空翔けるうた~03~
「除籍届」
鬼宿と柳宿は、社長室で信じがたい書類を目にした。
それは、yukimusicの敏腕アーティスト・翼宿の除籍届だった。
「どう…して」
「俺も、何も言えなかったよ。あいつの様子、明らかに違っていたから」
社長は眉を潜めながら、先程の出来事を二人に話し始めた。
『翼宿…どういう事だ?除籍って…』
『ええから。早く、ここにハンコいただけませんか?』
ソファにふんぞり返った翼宿は、そう言って書類の受理欄をトントンと指した。
『マイケルが亡くなってから連絡のひとつもよこさなくなったけど、向こうで何かあったんじゃないのか?』
『……………』
『なあ?翼宿。お前は、軽い気持ちでこんな事する奴じゃない。困ってる事があるなら、俺に…』
『ああーホンマ、ウザったいなあ!』
今まで聞いた事がないような暴言に、社長は身を竦める。
『そういう家族精神、もうやめましょうよ
。そんなに肩入れするから、業績も振るわなかったんやないんですか?』
『それは…』
『これは、向こうの水が口に合った結果です。もう日本に帰る事はありませんから、変な未練残したくないんですわ』
『…………そうか』
数刻後、社長は「除籍届」にハンコを押していた。
今の自分に、このビッグアーティストを止める権利は毛頭ない。
礼も言わずに除籍届の一部を持って立ち上がった翼宿は、ドアの手前で立ち止まる。
『明日、帰国会見するんです』
『え?』
『そこで、グローバルミュージックのあるプロジェクトを発表します。それに俺は全力で協力するつもりだし、活動の一貫として暫くは日本に居座るつもりです』
『翼宿!それは…』
もう一度、彼は冷たい瞳で社長を睨み、最後にこう付け加えた。
『まあ、yukimusicは今回のプロジェクトからは除外してますので。せいぜい、頑張ってください。\"新人アーティスト\"も、デビューする事ですし』
『……………っ!!』
全身に鳥肌が立ったと思った瞬間、翼宿はもうそこにはいなかった…
「夢じゃ…ねえのかよ」
自分の父親である社長に暴言を吐いていった事を聞き、思い出されるのは自分達にも冷たい態度をとった翼宿の姿。
鬼宿は、髪をかきむしりながら項垂れる。
「絶対に、何かあったんだと思うんだが…あそこまであいつを豹変させる事って…何があったんだ?」
「とりあえず、明日の会見見れば何かが分かるんじゃないですかね?」
「ああ…除籍はしたが、あいつの事は変わらず心配だ。引き続き、動向を見守ろうと思う」
ここでジタバタしていても、仕方がない。社長と鬼宿は、顔を見合わせて頷いた。
すると、それまで黙っていた柳宿が立ち上がった。
「柳宿。大丈夫か?お前…」
「…社長。今日は、もう帰っていいですか?」
「…そうだな。それが、いい。ごめんな…柳宿。動きづらくなっちゃったな…」
「何、言ってるんですか!社長が、謝る事じゃないですよ!」
今回の件について、何も言わず何も聞かず…まるで、翼宿がLAに残る事を決めた時のように。
柳宿は笑顔の仮面を被り、その場を後にした。
翌日。yukimusicの食堂の大型テレビの前には社長をはじめ、社員全員が揃っていた。
もちろん、目的は午後1時からの翼宿の緊急帰国会見を見るため。
しかし、そこには柳宿の姿はない。
「柳宿が、休み?」
「ああ…具合が悪いんだってよ。まあ、多分、一人で会見見たいのもあるんだろうけど…」
「今日くらいは、仕方ないですかね…」
「うん…お!始まるぞ!」
社長と鬼宿がこんな会話をかわす中、テレビ画面の金屏風の会見席に翼宿が姿を現した。
会社の顔を意識しているのかスーツを着て身なりを整えたその姿は、昨日とは別人のように見えた。
彼はお辞儀をして、その場に座った。
「それではお時間となりましたので、翼宿さんの緊急帰国会見を始めたいと思います。本日は翼宿さんからのお話のみとし、記者からの質問は一切受け付けませんのでご了承ください」
司会が開始の挨拶をし、そして翼宿に合図が出された。
「本日はお忙しい中、わたくしの会見に足をお運びいただきありがとうございます。この度の帰国にあたり、わたくしは2つのご報告を皆さまにしなければいけないので、このような場を設けさせていただきました」
静かに紡がれる言葉に、yukimusic社員全員は息を呑む。
「まず、1つ目。わたくしは、この度、正式にyukimusicを除籍し、グローバルミュージックに完全移籍した事をご報告いたします」
1つ目はyukimusicの予想通り、今回の移籍の件だった。
その場にいる記者陣から、ざわつきが聞こえる。
「この1年間、グローバルミュージックにはたくさんの経験をさせて貰いました。英語が出来なかったわたくしを米国でやっていけるように育ててくれたのも、会社のお陰です。いつかは日本でまた活動を…と思っていましたが、このような快適な空間を与えてくれた会社の存在がわたくしにとってとても大きな存在となり、向こうで活動を継続していきたい気持ちが生まれました。日本の皆さんには残念な思いをさせますが、ご理解いただければと思います」
会社側が用意したかのような社交辞令が並べられた言葉に、社長は悔しそうに唇を噛む。
「そして、2つ目。そんなグローバルミュージックの新たなプロジェクトの発表をさせていただきます」
そして次の言葉に、また社員の、記者の注目が集まる。
「グローバルミュージックは、日本の音楽会社を傘下に入れるホールディングスプロジェクトを始動いたします」
「んな………!!」
「これから徐々に日本の音楽会社にグローバルミュージックの子会社になるよう交渉を進めていき、来春にはグローバルホールディングスとしてLA本社を更に大きくするプロジェクトを進めていきます。拠点は東京ではなくLAになりますが、わたくしが経験している待遇をより多くのアーティストに感じて貰えるようになります」
語られている事はとても汚く身勝手な事の筈なのに、笑顔で淡々と話す翼宿の雰囲気から不思議とそれは感じられない。
これが、ポールの狙い。
「今後、わたくしはここで少しのプロモーション活動をした後、再びLAへ戻るつもりです。皆さまのご支援ご鞭撻を何卒よろしくお願い申し上げます」
そして、ここで会見は終了。
ざわつきを残したまま、翼宿はその場を後にした。
テレビ前では、沈黙を守るyukimusic社員。
「社長…昨日、あいつ、プロジェクトにはうちは入ってないって言いましたよね?」
「ああ…だが、これもグローバルミュージックの企みだ。つまり上手くいけば、日本に残留するのはうちの会社のみになる訳だ」
「そんな事になったら…やってけないですよ!」
「そうですよ!取引先も、全て海外に移転なんですよね!?」
社長と鬼宿の会話に、後ろに控えている社員が口々に不安の声をあげる。
すると子供達を不安にさせてしまった事に気付き、社長は慌てて後ろを振り返る。
「みんな、ごめんごめん!まだ、心配は時期尚早だよ!このプロジェクトに賛同する会社がいくつあるか分からないし、俺らはいつも通り行こう!さあ!仕事に戻った戻った!」
号令で、社員は渋々仕事に戻っていく。
「だが…ますます、分からん。なぜ、翼宿はこんな非合理なプロジェクトに賛同したんだ?そして、なぜ俺達を突き放すんだ?」
会見を見ても、やはり翼宿の心中は分からない。
頭を抱える社長を横目に、鬼宿はふと壁のポスターに視線を移した。
そこには、例の新人アーティストの広告ポスターがある。
柳宿…見たのかな。
ちょうどその頃、会見会場のホテルの駐車場には、一人の人影があった。
彼女も先程まで携帯で会見の様子を見ていたらしく、そっとディスプレイの明かりを落とす。
ニャー………
すると手元でその様子を共に見守っていたタマが、悲しそうな声をあげる。
「タマ…大丈夫。今から、ご主人様に会わせてあげるからね」
そう。それは、会社を休んでこっそり翼宿に会いに来た柳宿の姿だった。
「お疲れさまでした!この後、弊社が借りきっている渋谷のオフィスで打ち合わせがあります…」
すると、女性の声が聞こえた。
パッと立ち上がると、ホテルから駐車場に続くエレベーターから翼宿とマネージャーらしき女性が降りてきた。
息を呑んで、彼らの姿を凝視する。
「それにしても…翼宿さん。とても、冷静で淡々とした会見でしたよ」
「そうですかね…」
「きっと、メディアも弊社の方針に納得…」
そこで、玲麗は突然立ち止まった翼宿に続いて立ち止まる。
視線の先には、空翔宿星の元メンバー・柳宿の姿があった。
二人は、そこで硬直したようにお互いを見つめ合っている。
「わたし…車、回してきますね」
空気を読んだ玲麗は、足早にその場を後にした。
「こんなトコで、何してんねん」
相変わらず冷たい一言が、柳宿に浴びせられる。
それでも、彼女の瞳はまっすぐに彼に注がれている。
「ねえ…翼宿。何か訳があるなら、話して…」
「は?何もあらんわ。会見、見てたやろ?あれが、全てや」
そう吐き捨てた翼宿の足が、再び進んだ時。
ニャンニャン!
「………っ」
柳宿の腕の中から、一匹の猫が顔を出した。
それは、以前、彼がとても可愛がっていた…
「ねえ。あたし、次に会った時はあんたにこの子を返す時だって思ってたの。だから、連れてきたんだよ」
「………………」
「それだけじゃない。昨日は何も言ってくれなかったけど…あたし達は?あたし達の関係は…」
「………見て、分からんのかいな!」
そして突然荒げられた言葉に、柳宿はびくつく。
「今の俺を見て、何も感じないんか?向こうの世界で、また夢を取ったんや。俺には、恋愛なんてもう必要ない…お前とは、とっくの昔に終わっとんねん」
足元の感覚が消えてしまったように、柳宿にはここに立っている感覚が感じられない。
彼の言葉が、彼の表情が、信じられない。
「大体、この一年、連絡のひとつも取らなかったやろ。それが、証拠や」
ニャ…ニャー…
タマも主人の変化に気付き、怯えたように柳宿にしがみついている。
「…分かったな?分かったら、もう、俺の前には…」
しかしそこで、翼宿の言葉は止まる。
柳宿の大きな瞳に、大粒の涙が溢れている…
「…………っ」
「あたし…信じてたんだよ。確かに…連絡取れなかったけど、あんたはいつか…約束守って帰ってきてくれるから…それまでに、あたしも…自分の夢見つけて頑張ろうって…だから」
「……………」
「ねえ。ホントに…あたしの事も空翔宿星の事もyukimusicの事も…嫌いになっちゃったの…?」
このままこの空気を一蹴してしまえばいいのに、猫を抱きしめて大泣きする元恋人の姿から翼宿の目が離れない。
それどころか、そんな彼女の肩に自然と彼の手が伸びていて―――
ブロロロロ…
すると向こうから、玲麗の車が減速して近付いてきた。
運転席から彼女がこの光景を見ている事に気付き、翼宿は慌てて手を引っ込める。
「…………悪いな。もう、行くから」
だからそれだけを言い残して、今度こそ彼はその場から離れた。
背後に響く、柳宿の泣き声も無視して…
バタン
「翼宿さん…いいんですか?」
「すみません。待たせてしまって…大丈夫です」
「でも…」
玲麗は、分かっていた。
柳宿の気持ちも、翼宿の気持ちも。
「ええから。出してください」
しかしアーティストの命令に従うのが、マネージャーの役目。
指示を出され、渋々車をUターンさせた。
だけど、本当は気付いていた。
サイドミラー越しに映った、彼の苦痛に満ちた表情に…
背後で車のエンジン音が遠くなったのを見送り、柳宿は地に膝をついた。
ニャー…
「タマ…ごめんね?取り返せなかったよ…」
米国に彼を手放したのは、自分だ。
いつかまた、あの笑顔に会えると信じていたから。
でも。
あの人は、予想以上に大きなものを掴んで帰ってきてしまったんだ。
自分に与えられた恋人という権利すらも剥奪されてしまうような、大きなものを。
再び大声で泣く彼女には、この時、気付きもしなかった。
彼を取り巻いている大きな渦や、彼を苦しめている苦悩が存在している事を―――
鬼宿と柳宿は、社長室で信じがたい書類を目にした。
それは、yukimusicの敏腕アーティスト・翼宿の除籍届だった。
「どう…して」
「俺も、何も言えなかったよ。あいつの様子、明らかに違っていたから」
社長は眉を潜めながら、先程の出来事を二人に話し始めた。
『翼宿…どういう事だ?除籍って…』
『ええから。早く、ここにハンコいただけませんか?』
ソファにふんぞり返った翼宿は、そう言って書類の受理欄をトントンと指した。
『マイケルが亡くなってから連絡のひとつもよこさなくなったけど、向こうで何かあったんじゃないのか?』
『……………』
『なあ?翼宿。お前は、軽い気持ちでこんな事する奴じゃない。困ってる事があるなら、俺に…』
『ああーホンマ、ウザったいなあ!』
今まで聞いた事がないような暴言に、社長は身を竦める。
『そういう家族精神、もうやめましょうよ
。そんなに肩入れするから、業績も振るわなかったんやないんですか?』
『それは…』
『これは、向こうの水が口に合った結果です。もう日本に帰る事はありませんから、変な未練残したくないんですわ』
『…………そうか』
数刻後、社長は「除籍届」にハンコを押していた。
今の自分に、このビッグアーティストを止める権利は毛頭ない。
礼も言わずに除籍届の一部を持って立ち上がった翼宿は、ドアの手前で立ち止まる。
『明日、帰国会見するんです』
『え?』
『そこで、グローバルミュージックのあるプロジェクトを発表します。それに俺は全力で協力するつもりだし、活動の一貫として暫くは日本に居座るつもりです』
『翼宿!それは…』
もう一度、彼は冷たい瞳で社長を睨み、最後にこう付け加えた。
『まあ、yukimusicは今回のプロジェクトからは除外してますので。せいぜい、頑張ってください。\"新人アーティスト\"も、デビューする事ですし』
『……………っ!!』
全身に鳥肌が立ったと思った瞬間、翼宿はもうそこにはいなかった…
「夢じゃ…ねえのかよ」
自分の父親である社長に暴言を吐いていった事を聞き、思い出されるのは自分達にも冷たい態度をとった翼宿の姿。
鬼宿は、髪をかきむしりながら項垂れる。
「絶対に、何かあったんだと思うんだが…あそこまであいつを豹変させる事って…何があったんだ?」
「とりあえず、明日の会見見れば何かが分かるんじゃないですかね?」
「ああ…除籍はしたが、あいつの事は変わらず心配だ。引き続き、動向を見守ろうと思う」
ここでジタバタしていても、仕方がない。社長と鬼宿は、顔を見合わせて頷いた。
すると、それまで黙っていた柳宿が立ち上がった。
「柳宿。大丈夫か?お前…」
「…社長。今日は、もう帰っていいですか?」
「…そうだな。それが、いい。ごめんな…柳宿。動きづらくなっちゃったな…」
「何、言ってるんですか!社長が、謝る事じゃないですよ!」
今回の件について、何も言わず何も聞かず…まるで、翼宿がLAに残る事を決めた時のように。
柳宿は笑顔の仮面を被り、その場を後にした。
翌日。yukimusicの食堂の大型テレビの前には社長をはじめ、社員全員が揃っていた。
もちろん、目的は午後1時からの翼宿の緊急帰国会見を見るため。
しかし、そこには柳宿の姿はない。
「柳宿が、休み?」
「ああ…具合が悪いんだってよ。まあ、多分、一人で会見見たいのもあるんだろうけど…」
「今日くらいは、仕方ないですかね…」
「うん…お!始まるぞ!」
社長と鬼宿がこんな会話をかわす中、テレビ画面の金屏風の会見席に翼宿が姿を現した。
会社の顔を意識しているのかスーツを着て身なりを整えたその姿は、昨日とは別人のように見えた。
彼はお辞儀をして、その場に座った。
「それではお時間となりましたので、翼宿さんの緊急帰国会見を始めたいと思います。本日は翼宿さんからのお話のみとし、記者からの質問は一切受け付けませんのでご了承ください」
司会が開始の挨拶をし、そして翼宿に合図が出された。
「本日はお忙しい中、わたくしの会見に足をお運びいただきありがとうございます。この度の帰国にあたり、わたくしは2つのご報告を皆さまにしなければいけないので、このような場を設けさせていただきました」
静かに紡がれる言葉に、yukimusic社員全員は息を呑む。
「まず、1つ目。わたくしは、この度、正式にyukimusicを除籍し、グローバルミュージックに完全移籍した事をご報告いたします」
1つ目はyukimusicの予想通り、今回の移籍の件だった。
その場にいる記者陣から、ざわつきが聞こえる。
「この1年間、グローバルミュージックにはたくさんの経験をさせて貰いました。英語が出来なかったわたくしを米国でやっていけるように育ててくれたのも、会社のお陰です。いつかは日本でまた活動を…と思っていましたが、このような快適な空間を与えてくれた会社の存在がわたくしにとってとても大きな存在となり、向こうで活動を継続していきたい気持ちが生まれました。日本の皆さんには残念な思いをさせますが、ご理解いただければと思います」
会社側が用意したかのような社交辞令が並べられた言葉に、社長は悔しそうに唇を噛む。
「そして、2つ目。そんなグローバルミュージックの新たなプロジェクトの発表をさせていただきます」
そして次の言葉に、また社員の、記者の注目が集まる。
「グローバルミュージックは、日本の音楽会社を傘下に入れるホールディングスプロジェクトを始動いたします」
「んな………!!」
「これから徐々に日本の音楽会社にグローバルミュージックの子会社になるよう交渉を進めていき、来春にはグローバルホールディングスとしてLA本社を更に大きくするプロジェクトを進めていきます。拠点は東京ではなくLAになりますが、わたくしが経験している待遇をより多くのアーティストに感じて貰えるようになります」
語られている事はとても汚く身勝手な事の筈なのに、笑顔で淡々と話す翼宿の雰囲気から不思議とそれは感じられない。
これが、ポールの狙い。
「今後、わたくしはここで少しのプロモーション活動をした後、再びLAへ戻るつもりです。皆さまのご支援ご鞭撻を何卒よろしくお願い申し上げます」
そして、ここで会見は終了。
ざわつきを残したまま、翼宿はその場を後にした。
テレビ前では、沈黙を守るyukimusic社員。
「社長…昨日、あいつ、プロジェクトにはうちは入ってないって言いましたよね?」
「ああ…だが、これもグローバルミュージックの企みだ。つまり上手くいけば、日本に残留するのはうちの会社のみになる訳だ」
「そんな事になったら…やってけないですよ!」
「そうですよ!取引先も、全て海外に移転なんですよね!?」
社長と鬼宿の会話に、後ろに控えている社員が口々に不安の声をあげる。
すると子供達を不安にさせてしまった事に気付き、社長は慌てて後ろを振り返る。
「みんな、ごめんごめん!まだ、心配は時期尚早だよ!このプロジェクトに賛同する会社がいくつあるか分からないし、俺らはいつも通り行こう!さあ!仕事に戻った戻った!」
号令で、社員は渋々仕事に戻っていく。
「だが…ますます、分からん。なぜ、翼宿はこんな非合理なプロジェクトに賛同したんだ?そして、なぜ俺達を突き放すんだ?」
会見を見ても、やはり翼宿の心中は分からない。
頭を抱える社長を横目に、鬼宿はふと壁のポスターに視線を移した。
そこには、例の新人アーティストの広告ポスターがある。
柳宿…見たのかな。
ちょうどその頃、会見会場のホテルの駐車場には、一人の人影があった。
彼女も先程まで携帯で会見の様子を見ていたらしく、そっとディスプレイの明かりを落とす。
ニャー………
すると手元でその様子を共に見守っていたタマが、悲しそうな声をあげる。
「タマ…大丈夫。今から、ご主人様に会わせてあげるからね」
そう。それは、会社を休んでこっそり翼宿に会いに来た柳宿の姿だった。
「お疲れさまでした!この後、弊社が借りきっている渋谷のオフィスで打ち合わせがあります…」
すると、女性の声が聞こえた。
パッと立ち上がると、ホテルから駐車場に続くエレベーターから翼宿とマネージャーらしき女性が降りてきた。
息を呑んで、彼らの姿を凝視する。
「それにしても…翼宿さん。とても、冷静で淡々とした会見でしたよ」
「そうですかね…」
「きっと、メディアも弊社の方針に納得…」
そこで、玲麗は突然立ち止まった翼宿に続いて立ち止まる。
視線の先には、空翔宿星の元メンバー・柳宿の姿があった。
二人は、そこで硬直したようにお互いを見つめ合っている。
「わたし…車、回してきますね」
空気を読んだ玲麗は、足早にその場を後にした。
「こんなトコで、何してんねん」
相変わらず冷たい一言が、柳宿に浴びせられる。
それでも、彼女の瞳はまっすぐに彼に注がれている。
「ねえ…翼宿。何か訳があるなら、話して…」
「は?何もあらんわ。会見、見てたやろ?あれが、全てや」
そう吐き捨てた翼宿の足が、再び進んだ時。
ニャンニャン!
「………っ」
柳宿の腕の中から、一匹の猫が顔を出した。
それは、以前、彼がとても可愛がっていた…
「ねえ。あたし、次に会った時はあんたにこの子を返す時だって思ってたの。だから、連れてきたんだよ」
「………………」
「それだけじゃない。昨日は何も言ってくれなかったけど…あたし達は?あたし達の関係は…」
「………見て、分からんのかいな!」
そして突然荒げられた言葉に、柳宿はびくつく。
「今の俺を見て、何も感じないんか?向こうの世界で、また夢を取ったんや。俺には、恋愛なんてもう必要ない…お前とは、とっくの昔に終わっとんねん」
足元の感覚が消えてしまったように、柳宿にはここに立っている感覚が感じられない。
彼の言葉が、彼の表情が、信じられない。
「大体、この一年、連絡のひとつも取らなかったやろ。それが、証拠や」
ニャ…ニャー…
タマも主人の変化に気付き、怯えたように柳宿にしがみついている。
「…分かったな?分かったら、もう、俺の前には…」
しかしそこで、翼宿の言葉は止まる。
柳宿の大きな瞳に、大粒の涙が溢れている…
「…………っ」
「あたし…信じてたんだよ。確かに…連絡取れなかったけど、あんたはいつか…約束守って帰ってきてくれるから…それまでに、あたしも…自分の夢見つけて頑張ろうって…だから」
「……………」
「ねえ。ホントに…あたしの事も空翔宿星の事もyukimusicの事も…嫌いになっちゃったの…?」
このままこの空気を一蹴してしまえばいいのに、猫を抱きしめて大泣きする元恋人の姿から翼宿の目が離れない。
それどころか、そんな彼女の肩に自然と彼の手が伸びていて―――
ブロロロロ…
すると向こうから、玲麗の車が減速して近付いてきた。
運転席から彼女がこの光景を見ている事に気付き、翼宿は慌てて手を引っ込める。
「…………悪いな。もう、行くから」
だからそれだけを言い残して、今度こそ彼はその場から離れた。
背後に響く、柳宿の泣き声も無視して…
バタン
「翼宿さん…いいんですか?」
「すみません。待たせてしまって…大丈夫です」
「でも…」
玲麗は、分かっていた。
柳宿の気持ちも、翼宿の気持ちも。
「ええから。出してください」
しかしアーティストの命令に従うのが、マネージャーの役目。
指示を出され、渋々車をUターンさせた。
だけど、本当は気付いていた。
サイドミラー越しに映った、彼の苦痛に満ちた表情に…
背後で車のエンジン音が遠くなったのを見送り、柳宿は地に膝をついた。
ニャー…
「タマ…ごめんね?取り返せなかったよ…」
米国に彼を手放したのは、自分だ。
いつかまた、あの笑顔に会えると信じていたから。
でも。
あの人は、予想以上に大きなものを掴んで帰ってきてしまったんだ。
自分に与えられた恋人という権利すらも剥奪されてしまうような、大きなものを。
再び大声で泣く彼女には、この時、気付きもしなかった。
彼を取り巻いている大きな渦や、彼を苦しめている苦悩が存在している事を―――