空翔けるうた~03~
ドルンドルン
「翼宿…」
柳宿が車から降りてきた事に気付き、彼はバイクのエンジンを止めた。
ヘルメットをバイクに置き、二、三歩、歩を進める。
「火事に…遭ったんやてな」
「う…うん」
「大変やったな」
彼は、何ともない風にあの日の話題を口にする。
やはり、自分を助けに来てくれたのは翼宿ではなかったのだろうか?
「まあ、今日はよろしくな。これ以上は、騒ぎ起こさんようにしろよ」
「あ…」
咄嗟に何かを言おうとした柳宿に構わずに相変わらず冷たい態度のまま、翼宿は柳宿の横を通りすぎる。
が、ふと、彼の方が立ち止まった。
「そういえば…あんまり、よくないんやないか?あんな人目つくホテルで、男と二人でおるんは…」
「え…っ!?」
その言葉に、柳宿はぐるりと振り向く。
「見てたの…?」
「たまたまな」
「………………」
「どうせ、お前の事や。また酒に飲まれて、世話になったんやろ?」
「う…うん」
まさか、こんな場所でそんな話題を持ち掛けられるなんて。
唖然としているその姿に相変わらず無防備さを感じ、かつての兄はため息をひとつつく。
「まあ、付き合うならマスコミにバレんようにな」
「……つ、付き合ってなんかないわよ!」
「あ?」
「正確には…告白されたけど、断った…何もされてないわよ?すぐに、ホテル出たし…
そういうあんただって!今日は?マネージャーさんは、一緒じゃない訳?」
「……………っ」
「何よ…あんなに劇的なキス…するんじゃない。そっちこそ、見せつけてくれちゃってさ」
「あ、あれはあ…ちゃうねん!」
そこで、翼宿は初めて柳宿を振り向いた。
「…違うって?」
「せやから…俺も色々あんねん。それに、マネージャーはもう会社やめたんや」
「どうして?」
「俺とおるのが…嫌になったんちゃうか?」
「…じゃあ、そっちも付き合ってないの?」
「…ああ」
この言葉には、柳宿は素直に安心した。
これで、二人の間の蟠りは解けた事になる。
しかしながら、お互いを案じてお互いが否定するこんな会話。これでは、まるで…
相手が顔を赤くしながら俯いているのに気付き、自分の頬も自然と熱くなってくるのが分かる。
今まで硬直していた二人の関係からは、考えられないような空気だった。
しかし、これ以上はタブーだ。
例え、今の二人が互いに惹かれ合っていたとしても。
再び、彼は背を向ける。
「これ以上の接触は、なしや。上に止められるからな」
「…翼宿!」
だが、こちらもこれで引く気はない。
今度こそ、もう一度、名を呼ぶ。
「…何や。せやから、もうなしやて…」
「今日のあたしの歌…聴いてくれる?」
「え…?」
「別に、何も求めてないけどさ…あたしの気持ちを込めた歌だから…あんたに聴いてもらわなきゃ、報われないのよね」
「…………っ」
今、彼に一番伝えたかった言葉を投げかけた。
そう。あの曲は、翼宿に突き放された日に書き直した曲。
今の自分の気持ちを、リアルに表現した曲なのだ。
彼と多くを語れない以上、この曲をもって彼を励ます以外方法はない。
「…多分、まだ聴いてくれてないよね?それは、いいの。あたしも、同じだから。だけど…あんたが何かに悩んでるみたいだって…たまに聞いたから」
「……………」
「もしあたしの気持ち少しでも分かってくれたら、その時は話してよ。あたし…今でもあんたの力になりたいって思ってるから」
Plllllllllll
そこで、柳宿の携帯に鬼宿からの着信が入る。
「じゃあ…行くね」
そして、自分から彼の横を通りすぎてビルの中へと入った。
「柳宿さん、入りまーす!」
『おお…柳宿。今日は、ありがとう!』
スタジオ入りすると、すぐにポールが握手を求めてきた。
青色の髪を靡かせて笑う彼の言葉は、横にいる日本人の通訳によって翻訳される。
柳宿も、おずおずと握手に応じた。
『いやいや…今回の君の活躍には、驚かされているよ!翼宿の件は申し訳なく思っていたが、君がyukimusicを背負っていくなら大丈夫だろう。色々と大変だっただろうが、今日は楽しくやろうじゃないか!』
社交辞令なのか何なのか、想像していたポールらしからぬ親切な言葉が並べられる。
『はい…ありがとうございます…』
だから多くは語らず、当たり障りのない返答をした。
「じゃあ、柳宿さん!先に歌の収録をするので、スタンバイお願いします!」
「はい…よろしくお願いします!」
軽く会釈をしてその場を去った柳宿を見送ると、ポールの口許が歪んだ。
『やはり…綺麗ですね。彼女は…』
『ああ。今日のショータイムは、いい画が撮れそうだ』
通訳の男性と、嫌らしい笑い声をあげる。
彼の目論見は、既に始まっていた。
楽屋では、翼宿が、一人、煙草を吹かしていた。
チラと横を見やると、そこには収録風景が見られるテレビがある。
本当は、聴きたくなんかない。これ以上、揺れたくなんかない。だけど。
手元にあるリモコンを手に取り、電源を入れる。
『それじゃあ、5秒前!4、3…』
スタッフのカウント後、それは始まる。
このドアを開ければ、いつものように
変わらず君がそこに居てくれてる気がするんだ
その歌詞から始まる曲は、一瞬で翼宿の耳を釘付けにした。
溢れる想いは止まらないのに、意気地なしがまた君を傷つけ
頑張って来なって笑って送るつもりが
ただうつむいたまま手を握りしめただけ…
溢れる想いはこれからの為に、逢えた喜びは言葉に余る
何処に居てたって変わりはしないから
君はそのままで歩いて行けばいい…
「…………っ」
yukimusicが、ポールが、玲麗が、そして日本国民が、この歌詞の意味を理解していた。
自分が旅立った時の彼女の寂しさ、自分が突き放した時の彼女の辛さ、それでも自分を応援しようとしてくれる彼女の優しさが、この歌詞からは十分に伝わってきた。
そして、今、会社に自分をねじ曲げられているこの状況で、「君のままでいい」と訴えかけてくれているのだ。
モニターの中の柳宿は、曲を歌い終えると最後に優しい微笑みを浮かべる。
まるで自分に向けられているかのようで、鼓動が高鳴った。
曲が終わっても、暫く、手元のタバコに手をつけられないでいた。
灰皿に溜まっていく灰を、ただボンヤリと眺めている。
それほどまでに、頭に、心に、彼女の歌声が響いてきていたから…
コンコン
その静寂を破ったのは、ノック音。
「翼宿さん!トーク収録です!お願いします!」
「…はい」
ほんの少し意識は戻されるが、前のような冷たい瞳には戻れなかった。
今、彼女に会ったら、全てが壊れてしまいそうだ。
Plllllllllll
「もしもし」
『もしもし!鬼宿!収録の方は、どうだ?』
「社長…今のところは問題はないです。柳宿の歌の収録が終わって、これからトーク収録に入ります」
モニタールームの隅を拝借して、鬼宿もスタジオの様子をずっと伺っていた。
『そっか…なら、もう少しで終わりだな』
「ただ…」
『ん?』
「今日のスタッフの段取りが、少し悪いような気がするんですよね…大体、打ち合わせがなかったんですよ。いくら会社がスポンサーでも、外部の人間には趣旨を説明しますよね?それに、カメラ割りも何だか不自然というか…」
鬼宿はここに来てから関係者に挨拶をしたきりでその後は特に柳宿をマネージメントする事もほとんどなく、こうしてモニタールームの隅に追いやられていたのだ。
そして、彼は感じていた。
いつもの現場とは違う、この現場の独特の雰囲気を…
『むむ…でも、不審な人物や不審なものはないんだろう?外国の会社が仕切る番組だから、スタッフも色々と不慣れなだけなんじゃないのか?』
「…そうですよね。何かおかしな事があれば、すぐに連絡します」
電話を切ると、不安そうにモニタールームのディスプレイに映る柳宿の姿を見つめた。
どうか自分の杞憂で終わるよう、祈りながら―――
スタッフ達が準備をしている中、トーク収録の席で柳宿はスタンバイを待っている。
すると程なくして、隣に共演者が腰掛けてきた。
「翼宿…」
「……………」
固く腕組みをしているその態度に、やはり聴いてくれていなかったのだと肩を落とす。
すると。
「お前は…私情を挟みすぎなんや」
その言葉に、バッと彼を見上げる。
「前、向いてろ」
目を合わせてくれない事に、慌ててそれに倣う。
「聴いて…くれたの?」
「ああ。デビューシングルから、ネガティブ感たっぷりやったな」
「ごめん…」
「けど」
「?」
「ありがと…な」
彼の口から聞けるとは思っていなかった礼が飛び出し、柳宿は、突然、耳まで真っ赤になった。
固く閉ざされた彼の心に自分の気持ちが少しでも届いたのだと分かり、涙が溢れそうになるのをぐっと堪える。
「…………柳宿」
低い声で、名前を呼ばれる。
相手の方を向かないままで続きを待つが、その先は少しためらっているようだ。
「…………俺」
「はい!それじゃあ、収録入ります!よろしくお願いします!」
そこに割って入ったのは、スタッフの声。
「よろしくお願いします…」
そして、そのまま二人の会話は途切れた。
ボキ…
ポールは、手元のシャーペンの芯を力を込めて折った。
彼の視線は、目の前のディスプレイに映し出されている二人の共演者に注がれている。
彼らが少しの会話を交わしていた事くらい、この男には全てお見通しだった。
『翼宿…僕との約束を破るなんて、いけない子だなあ』
『ポール!スタンバイ入りますが、例のシナリオでよいんでしょうか?』
そんな彼に、そっとスタッフが耳打ちをする。
『ああ…よろしく頼むよ。だが、男の方にも少し罰を与えなければいけないようだ。段取りを変更するよ』
『は…』
『規則を破れば、罰が与えられる。ビジネスとは、そういうものだろう?』
柳宿への、翼宿への罰の収録が、今、スタートする。
「翼宿…」
柳宿が車から降りてきた事に気付き、彼はバイクのエンジンを止めた。
ヘルメットをバイクに置き、二、三歩、歩を進める。
「火事に…遭ったんやてな」
「う…うん」
「大変やったな」
彼は、何ともない風にあの日の話題を口にする。
やはり、自分を助けに来てくれたのは翼宿ではなかったのだろうか?
「まあ、今日はよろしくな。これ以上は、騒ぎ起こさんようにしろよ」
「あ…」
咄嗟に何かを言おうとした柳宿に構わずに相変わらず冷たい態度のまま、翼宿は柳宿の横を通りすぎる。
が、ふと、彼の方が立ち止まった。
「そういえば…あんまり、よくないんやないか?あんな人目つくホテルで、男と二人でおるんは…」
「え…っ!?」
その言葉に、柳宿はぐるりと振り向く。
「見てたの…?」
「たまたまな」
「………………」
「どうせ、お前の事や。また酒に飲まれて、世話になったんやろ?」
「う…うん」
まさか、こんな場所でそんな話題を持ち掛けられるなんて。
唖然としているその姿に相変わらず無防備さを感じ、かつての兄はため息をひとつつく。
「まあ、付き合うならマスコミにバレんようにな」
「……つ、付き合ってなんかないわよ!」
「あ?」
「正確には…告白されたけど、断った…何もされてないわよ?すぐに、ホテル出たし…
そういうあんただって!今日は?マネージャーさんは、一緒じゃない訳?」
「……………っ」
「何よ…あんなに劇的なキス…するんじゃない。そっちこそ、見せつけてくれちゃってさ」
「あ、あれはあ…ちゃうねん!」
そこで、翼宿は初めて柳宿を振り向いた。
「…違うって?」
「せやから…俺も色々あんねん。それに、マネージャーはもう会社やめたんや」
「どうして?」
「俺とおるのが…嫌になったんちゃうか?」
「…じゃあ、そっちも付き合ってないの?」
「…ああ」
この言葉には、柳宿は素直に安心した。
これで、二人の間の蟠りは解けた事になる。
しかしながら、お互いを案じてお互いが否定するこんな会話。これでは、まるで…
相手が顔を赤くしながら俯いているのに気付き、自分の頬も自然と熱くなってくるのが分かる。
今まで硬直していた二人の関係からは、考えられないような空気だった。
しかし、これ以上はタブーだ。
例え、今の二人が互いに惹かれ合っていたとしても。
再び、彼は背を向ける。
「これ以上の接触は、なしや。上に止められるからな」
「…翼宿!」
だが、こちらもこれで引く気はない。
今度こそ、もう一度、名を呼ぶ。
「…何や。せやから、もうなしやて…」
「今日のあたしの歌…聴いてくれる?」
「え…?」
「別に、何も求めてないけどさ…あたしの気持ちを込めた歌だから…あんたに聴いてもらわなきゃ、報われないのよね」
「…………っ」
今、彼に一番伝えたかった言葉を投げかけた。
そう。あの曲は、翼宿に突き放された日に書き直した曲。
今の自分の気持ちを、リアルに表現した曲なのだ。
彼と多くを語れない以上、この曲をもって彼を励ます以外方法はない。
「…多分、まだ聴いてくれてないよね?それは、いいの。あたしも、同じだから。だけど…あんたが何かに悩んでるみたいだって…たまに聞いたから」
「……………」
「もしあたしの気持ち少しでも分かってくれたら、その時は話してよ。あたし…今でもあんたの力になりたいって思ってるから」
Plllllllllll
そこで、柳宿の携帯に鬼宿からの着信が入る。
「じゃあ…行くね」
そして、自分から彼の横を通りすぎてビルの中へと入った。
「柳宿さん、入りまーす!」
『おお…柳宿。今日は、ありがとう!』
スタジオ入りすると、すぐにポールが握手を求めてきた。
青色の髪を靡かせて笑う彼の言葉は、横にいる日本人の通訳によって翻訳される。
柳宿も、おずおずと握手に応じた。
『いやいや…今回の君の活躍には、驚かされているよ!翼宿の件は申し訳なく思っていたが、君がyukimusicを背負っていくなら大丈夫だろう。色々と大変だっただろうが、今日は楽しくやろうじゃないか!』
社交辞令なのか何なのか、想像していたポールらしからぬ親切な言葉が並べられる。
『はい…ありがとうございます…』
だから多くは語らず、当たり障りのない返答をした。
「じゃあ、柳宿さん!先に歌の収録をするので、スタンバイお願いします!」
「はい…よろしくお願いします!」
軽く会釈をしてその場を去った柳宿を見送ると、ポールの口許が歪んだ。
『やはり…綺麗ですね。彼女は…』
『ああ。今日のショータイムは、いい画が撮れそうだ』
通訳の男性と、嫌らしい笑い声をあげる。
彼の目論見は、既に始まっていた。
楽屋では、翼宿が、一人、煙草を吹かしていた。
チラと横を見やると、そこには収録風景が見られるテレビがある。
本当は、聴きたくなんかない。これ以上、揺れたくなんかない。だけど。
手元にあるリモコンを手に取り、電源を入れる。
『それじゃあ、5秒前!4、3…』
スタッフのカウント後、それは始まる。
このドアを開ければ、いつものように
変わらず君がそこに居てくれてる気がするんだ
その歌詞から始まる曲は、一瞬で翼宿の耳を釘付けにした。
溢れる想いは止まらないのに、意気地なしがまた君を傷つけ
頑張って来なって笑って送るつもりが
ただうつむいたまま手を握りしめただけ…
溢れる想いはこれからの為に、逢えた喜びは言葉に余る
何処に居てたって変わりはしないから
君はそのままで歩いて行けばいい…
「…………っ」
yukimusicが、ポールが、玲麗が、そして日本国民が、この歌詞の意味を理解していた。
自分が旅立った時の彼女の寂しさ、自分が突き放した時の彼女の辛さ、それでも自分を応援しようとしてくれる彼女の優しさが、この歌詞からは十分に伝わってきた。
そして、今、会社に自分をねじ曲げられているこの状況で、「君のままでいい」と訴えかけてくれているのだ。
モニターの中の柳宿は、曲を歌い終えると最後に優しい微笑みを浮かべる。
まるで自分に向けられているかのようで、鼓動が高鳴った。
曲が終わっても、暫く、手元のタバコに手をつけられないでいた。
灰皿に溜まっていく灰を、ただボンヤリと眺めている。
それほどまでに、頭に、心に、彼女の歌声が響いてきていたから…
コンコン
その静寂を破ったのは、ノック音。
「翼宿さん!トーク収録です!お願いします!」
「…はい」
ほんの少し意識は戻されるが、前のような冷たい瞳には戻れなかった。
今、彼女に会ったら、全てが壊れてしまいそうだ。
Plllllllllll
「もしもし」
『もしもし!鬼宿!収録の方は、どうだ?』
「社長…今のところは問題はないです。柳宿の歌の収録が終わって、これからトーク収録に入ります」
モニタールームの隅を拝借して、鬼宿もスタジオの様子をずっと伺っていた。
『そっか…なら、もう少しで終わりだな』
「ただ…」
『ん?』
「今日のスタッフの段取りが、少し悪いような気がするんですよね…大体、打ち合わせがなかったんですよ。いくら会社がスポンサーでも、外部の人間には趣旨を説明しますよね?それに、カメラ割りも何だか不自然というか…」
鬼宿はここに来てから関係者に挨拶をしたきりでその後は特に柳宿をマネージメントする事もほとんどなく、こうしてモニタールームの隅に追いやられていたのだ。
そして、彼は感じていた。
いつもの現場とは違う、この現場の独特の雰囲気を…
『むむ…でも、不審な人物や不審なものはないんだろう?外国の会社が仕切る番組だから、スタッフも色々と不慣れなだけなんじゃないのか?』
「…そうですよね。何かおかしな事があれば、すぐに連絡します」
電話を切ると、不安そうにモニタールームのディスプレイに映る柳宿の姿を見つめた。
どうか自分の杞憂で終わるよう、祈りながら―――
スタッフ達が準備をしている中、トーク収録の席で柳宿はスタンバイを待っている。
すると程なくして、隣に共演者が腰掛けてきた。
「翼宿…」
「……………」
固く腕組みをしているその態度に、やはり聴いてくれていなかったのだと肩を落とす。
すると。
「お前は…私情を挟みすぎなんや」
その言葉に、バッと彼を見上げる。
「前、向いてろ」
目を合わせてくれない事に、慌ててそれに倣う。
「聴いて…くれたの?」
「ああ。デビューシングルから、ネガティブ感たっぷりやったな」
「ごめん…」
「けど」
「?」
「ありがと…な」
彼の口から聞けるとは思っていなかった礼が飛び出し、柳宿は、突然、耳まで真っ赤になった。
固く閉ざされた彼の心に自分の気持ちが少しでも届いたのだと分かり、涙が溢れそうになるのをぐっと堪える。
「…………柳宿」
低い声で、名前を呼ばれる。
相手の方を向かないままで続きを待つが、その先は少しためらっているようだ。
「…………俺」
「はい!それじゃあ、収録入ります!よろしくお願いします!」
そこに割って入ったのは、スタッフの声。
「よろしくお願いします…」
そして、そのまま二人の会話は途切れた。
ボキ…
ポールは、手元のシャーペンの芯を力を込めて折った。
彼の視線は、目の前のディスプレイに映し出されている二人の共演者に注がれている。
彼らが少しの会話を交わしていた事くらい、この男には全てお見通しだった。
『翼宿…僕との約束を破るなんて、いけない子だなあ』
『ポール!スタンバイ入りますが、例のシナリオでよいんでしょうか?』
そんな彼に、そっとスタッフが耳打ちをする。
『ああ…よろしく頼むよ。だが、男の方にも少し罰を与えなければいけないようだ。段取りを変更するよ』
『は…』
『規則を破れば、罰が与えられる。ビジネスとは、そういうものだろう?』
柳宿への、翼宿への罰の収録が、今、スタートする。