空翔けるうた~03~
「か、火事だーーー!すぐに、避難しろーーー!」
警備員の叫び声に、鬼宿含む打ち合わせをしていたスタッフが反応する。
2階の階段の踊り場からは、確かに黒煙が立ち込めていた。
「お、おい!アーティストは、避難させているのか!?」
「そ、それが…火元が、柳宿さんの楽屋らしいんです!」
「何だって!?」
鬼宿は、耳を疑う。
しかし次には助けに行こうとする体を周りのスタッフに固められ、彼は彼女を助けに行く事が出来なくなった。
「TBRテレビ局から、出火!?」
「早く、消防車を…救急車を呼べーーー!!」
テレビ局の外も、たくさんの通行人が群がって騒然となっていた。
そこに駆け付けたのは、先程までビル内にいた一人の青年。
彼はすぐさま裏口に回り込み、止める警備員を振り切ってビルの中へと飛び込んだ。
「ゲホ…ゲホッ…」
柳宿は、楽屋の隅でただじっと部屋の中に炎が回るのを眺めていた。
いや。正確には、そこから一歩も動く事が出来ずにいた。
煙を大量に吸った体はピクリとも動かす事が出来ず、意識もままならない状態だ。
窓際に設置されていたロッカーの中にある時限爆弾が爆発したようで壁伝いに廊下まで炎が延びており、幸い楽屋の半分にはまだ火は回っていなかった。
それでも、入口は既に火の海。部屋全体が全焼するのも時間の問題だ。
あたし…ここで、死ぬのか。
いつしか、ボンヤリとそんな事を考え始めていた。
そして、首元にそっと手をやる。
実はずっと御守り代わりに隠し持っていた、LAで翼宿に貰った指輪がチェーンに通されてそこにある。
翼宿…せめて、あんたの笑顔…もう一度、傍で見たかったよ。
涙で視界がぼやけたと思った次の瞬間、遂にそこで柳宿の意識は途絶えた。
暫くすると、少しだけ呼吸が楽になったような気がした。
誰かが、口許にマスクのようなものを当ててくれている。
それに気付いた時、柳宿は重くなった瞼を静かに持ち上げる事が出来た。
目の前に誰かがいるのは分かるが、誰なのかは分からない。
「柳宿」
その誰かは、自分の頭を抱えて酸素マスクを当てた状態で自分の名前を呼んでいる…
夕城社長だろうか?たまだろうか?
しかし、その思考は次の言葉で確信に変わる。
「柳宿。行けるか?」
その方言やイントネーションは、関東のものではない。
そう。その声は、自分がずっと求めていた…
「翼宿…?」
ほんの少し、意識が引き戻された。
目に映ったのは背後の炎の色と同化している、オレンジ色の髪の毛。
乾いた瞳が、涙で濡れていくのが分かる。
「翼宿…翼宿!」
朦朧とした意識の中で、でも、必死にその肩にすがりつく。
目の前の彼は、それを拒もうとはしなかった。
「帰るで…柳宿」
力強く抱きしめられたその腕に安心したのか、柳宿の意識はまたそこで途絶えた。
ウーーーン…
表には、たくさんの消防車が来ているのが分かる。
翼宿は、そっと柳宿の体を裏口のベンチに下ろした。
表には、出ていけない。たくさんの通行人に目撃されるし、下手をすればポールの耳に今回の救出の事が伝わりかねない。
ここで、彼女とは別れなければならない。
本当は…目が覚めるまで、傍にいてやりたい。だけど。
完全に意識を失っている柳宿の頭を撫でて。
「柳宿…すまんな。許してくれ」
そして彼女の唇に一年ぶりの接吻をそっと落とし…そして、その場を去ろうとした。
「…翼宿!?」
しかし、背後からかけられた声に足を止める。
それは、かつての親友の声。翼宿は、唇を噛み締める。
鬼宿は、気絶している柳宿に駆け寄った。
「よかった…生きてる」
安堵のため息を漏らし、そしてまた目の前にいるオレンジ髪を見た。
「お前が、助けてくれたんだな?」
「…はよ、病院に連れてけ。だいぶ、煙は吸うとる」
「お前も!」
そして、また、彼の声によって会話は遮られる。
「お前も…来いよ。この事、知ったら…柳宿。喜ぶから」
「何、言うとんねん。そんな事は、できん」
そして、今度こそ、その場を去ろうとする彼に。
「お前、まだ、柳宿が好きなんだろ!?」
遂に、核心をついた言葉が浴びせられた。
「お前がグローバルミュージックに本当に加担したんなら、こんな事しない筈だよ」
翼宿は、答えない。答えられない。
「なあ…何か事情があって俺らに近付けないんだとしても、もしお前がこいつをまだ好きなら…」
「せやったら、何やって言うんや?」
とうとう、翼宿が言葉を挟む。
穏やかでもなく、かといって、怒りが込められている訳でもない声で。
「…お前の言う通りや。俺は、まだ、こいつの事だけは断ち切れんでいる」
「翼宿…」
「今も、体が勝手に動いてたんや…こいつに死なれるのが、死ぬほど嫌やったから」
いつも以上に素直に言葉を吐く翼宿だったが、次にはその語調が変わる。
「せやけど、俺とお前らはもう違う会社の人間なんや。しかも、うちは、今、大きなプロジェクト抱えとる。そんな状況で、こいつと関わる訳にはいかん」
「……………っ」
「今回の件は、柳宿には言うな。お前も、会社を失いたくはないやろ?」
「………分かった。だけど」
そこで言葉を続けようとする鬼宿に、チラと視線が送られる。
「お前が色々踏ん切りついて、うちに戻りたいってなった時は…その時は歓迎するからな」
それは、空翔宿星のリーダーが翼宿に与える最後の居場所。
「yukimusicが、なくなっても…か?」
「…ああ。お前が戻ってくる事が、何より大切だから」
その言葉に、翼宿はふっと微笑んだ。
「ホンマに…相変わらずのお人好しやな。お前は…」
そっと呟かれたその言葉は、鬼宿の耳にはハッキリと聞こえていなかった。
その間に救急隊員が到着し、彼女を運ぶ間に翼宿の姿は消えていた。
『柳宿…すまんな。許してくれ』
頭の奥で、こんな声が聞こえてくる。
翼宿?どうして、そんな事言うの?
ねえ。何が、あったの?
何が、あなたをそんなに苦しめてるの?
護るから…あたしが、翼宿を護るから。
だから、そんな悲しい顔しないでよ…
翼宿…
「…………ん」
「柳宿!」
枕元から名前を呼ばれ、柳宿はやっと目を開ける。
そこは、病院の大きなベッドの上。横には、鬼宿の姿がある。
「たま…」
「よかった…体、何ともないか!?」
「あ…そっか。楽屋が爆発して…」
なぜここに自分がいるのか、段々と理解してくる。
「大変だったな…時限爆弾、仕掛けられてたんだよ。今、警察が総力あげて、捜査してくれてる。今日は、絶対安静だ!」
「そう…ごめんね、たま。また、迷惑かけちゃったんだね」
「お前のせいじゃないよ!まあ…今回の犯人の手掛かりは…まだ、何も掴めてないんだけどさ」
それでも、二人には何となく分かる。
やはり、彼女は狙われている。あの悪しき大型音楽会社に…
そこで、柳宿はある事を口にする。
「ねえ…あたしの事、誰が助けてくれたの?」
「え…っ。それは…」
「何となく、名前を呼ばれたのは覚えてるの。呼び捨てで…柳宿って」
その先の事は、パニックになっていたからか思い出せない。
ただ、自分の名前を呼び捨てにする人物は限られている筈。
「………け、警備員さんだよ!俺、その人からお前を預かったから…間違いない。声が小さい人だったから…呼び捨てと間違えたんじゃねえか?」
「あ…そっか。そうなんだ…悪い事、しちゃったな」
「いいんだよ!後は、俺らと警察に任せて!余計な事考えないで、今日は休め!な?」
「…うん」
その後、鬼宿は報告のためにと会社に戻っていった。
残された柳宿は、ベッドに横になりながら考える。
首元に下げられたままの、そのチェーンを手に取った。
翼宿は…ちゃんと、帰れたのかな?
どこも、怪我してないのかな?
『柳宿!』
聞き間違い?ううん。
やっぱり、あの時、名前を呼び捨てにされたよ。
鬼宿が、助けてくれてないんだとしたら…
あの人は…
そこで再び睡魔が襲い、柳宿の意識は沈んだ。
警備員の叫び声に、鬼宿含む打ち合わせをしていたスタッフが反応する。
2階の階段の踊り場からは、確かに黒煙が立ち込めていた。
「お、おい!アーティストは、避難させているのか!?」
「そ、それが…火元が、柳宿さんの楽屋らしいんです!」
「何だって!?」
鬼宿は、耳を疑う。
しかし次には助けに行こうとする体を周りのスタッフに固められ、彼は彼女を助けに行く事が出来なくなった。
「TBRテレビ局から、出火!?」
「早く、消防車を…救急車を呼べーーー!!」
テレビ局の外も、たくさんの通行人が群がって騒然となっていた。
そこに駆け付けたのは、先程までビル内にいた一人の青年。
彼はすぐさま裏口に回り込み、止める警備員を振り切ってビルの中へと飛び込んだ。
「ゲホ…ゲホッ…」
柳宿は、楽屋の隅でただじっと部屋の中に炎が回るのを眺めていた。
いや。正確には、そこから一歩も動く事が出来ずにいた。
煙を大量に吸った体はピクリとも動かす事が出来ず、意識もままならない状態だ。
窓際に設置されていたロッカーの中にある時限爆弾が爆発したようで壁伝いに廊下まで炎が延びており、幸い楽屋の半分にはまだ火は回っていなかった。
それでも、入口は既に火の海。部屋全体が全焼するのも時間の問題だ。
あたし…ここで、死ぬのか。
いつしか、ボンヤリとそんな事を考え始めていた。
そして、首元にそっと手をやる。
実はずっと御守り代わりに隠し持っていた、LAで翼宿に貰った指輪がチェーンに通されてそこにある。
翼宿…せめて、あんたの笑顔…もう一度、傍で見たかったよ。
涙で視界がぼやけたと思った次の瞬間、遂にそこで柳宿の意識は途絶えた。
暫くすると、少しだけ呼吸が楽になったような気がした。
誰かが、口許にマスクのようなものを当ててくれている。
それに気付いた時、柳宿は重くなった瞼を静かに持ち上げる事が出来た。
目の前に誰かがいるのは分かるが、誰なのかは分からない。
「柳宿」
その誰かは、自分の頭を抱えて酸素マスクを当てた状態で自分の名前を呼んでいる…
夕城社長だろうか?たまだろうか?
しかし、その思考は次の言葉で確信に変わる。
「柳宿。行けるか?」
その方言やイントネーションは、関東のものではない。
そう。その声は、自分がずっと求めていた…
「翼宿…?」
ほんの少し、意識が引き戻された。
目に映ったのは背後の炎の色と同化している、オレンジ色の髪の毛。
乾いた瞳が、涙で濡れていくのが分かる。
「翼宿…翼宿!」
朦朧とした意識の中で、でも、必死にその肩にすがりつく。
目の前の彼は、それを拒もうとはしなかった。
「帰るで…柳宿」
力強く抱きしめられたその腕に安心したのか、柳宿の意識はまたそこで途絶えた。
ウーーーン…
表には、たくさんの消防車が来ているのが分かる。
翼宿は、そっと柳宿の体を裏口のベンチに下ろした。
表には、出ていけない。たくさんの通行人に目撃されるし、下手をすればポールの耳に今回の救出の事が伝わりかねない。
ここで、彼女とは別れなければならない。
本当は…目が覚めるまで、傍にいてやりたい。だけど。
完全に意識を失っている柳宿の頭を撫でて。
「柳宿…すまんな。許してくれ」
そして彼女の唇に一年ぶりの接吻をそっと落とし…そして、その場を去ろうとした。
「…翼宿!?」
しかし、背後からかけられた声に足を止める。
それは、かつての親友の声。翼宿は、唇を噛み締める。
鬼宿は、気絶している柳宿に駆け寄った。
「よかった…生きてる」
安堵のため息を漏らし、そしてまた目の前にいるオレンジ髪を見た。
「お前が、助けてくれたんだな?」
「…はよ、病院に連れてけ。だいぶ、煙は吸うとる」
「お前も!」
そして、また、彼の声によって会話は遮られる。
「お前も…来いよ。この事、知ったら…柳宿。喜ぶから」
「何、言うとんねん。そんな事は、できん」
そして、今度こそ、その場を去ろうとする彼に。
「お前、まだ、柳宿が好きなんだろ!?」
遂に、核心をついた言葉が浴びせられた。
「お前がグローバルミュージックに本当に加担したんなら、こんな事しない筈だよ」
翼宿は、答えない。答えられない。
「なあ…何か事情があって俺らに近付けないんだとしても、もしお前がこいつをまだ好きなら…」
「せやったら、何やって言うんや?」
とうとう、翼宿が言葉を挟む。
穏やかでもなく、かといって、怒りが込められている訳でもない声で。
「…お前の言う通りや。俺は、まだ、こいつの事だけは断ち切れんでいる」
「翼宿…」
「今も、体が勝手に動いてたんや…こいつに死なれるのが、死ぬほど嫌やったから」
いつも以上に素直に言葉を吐く翼宿だったが、次にはその語調が変わる。
「せやけど、俺とお前らはもう違う会社の人間なんや。しかも、うちは、今、大きなプロジェクト抱えとる。そんな状況で、こいつと関わる訳にはいかん」
「……………っ」
「今回の件は、柳宿には言うな。お前も、会社を失いたくはないやろ?」
「………分かった。だけど」
そこで言葉を続けようとする鬼宿に、チラと視線が送られる。
「お前が色々踏ん切りついて、うちに戻りたいってなった時は…その時は歓迎するからな」
それは、空翔宿星のリーダーが翼宿に与える最後の居場所。
「yukimusicが、なくなっても…か?」
「…ああ。お前が戻ってくる事が、何より大切だから」
その言葉に、翼宿はふっと微笑んだ。
「ホンマに…相変わらずのお人好しやな。お前は…」
そっと呟かれたその言葉は、鬼宿の耳にはハッキリと聞こえていなかった。
その間に救急隊員が到着し、彼女を運ぶ間に翼宿の姿は消えていた。
『柳宿…すまんな。許してくれ』
頭の奥で、こんな声が聞こえてくる。
翼宿?どうして、そんな事言うの?
ねえ。何が、あったの?
何が、あなたをそんなに苦しめてるの?
護るから…あたしが、翼宿を護るから。
だから、そんな悲しい顔しないでよ…
翼宿…
「…………ん」
「柳宿!」
枕元から名前を呼ばれ、柳宿はやっと目を開ける。
そこは、病院の大きなベッドの上。横には、鬼宿の姿がある。
「たま…」
「よかった…体、何ともないか!?」
「あ…そっか。楽屋が爆発して…」
なぜここに自分がいるのか、段々と理解してくる。
「大変だったな…時限爆弾、仕掛けられてたんだよ。今、警察が総力あげて、捜査してくれてる。今日は、絶対安静だ!」
「そう…ごめんね、たま。また、迷惑かけちゃったんだね」
「お前のせいじゃないよ!まあ…今回の犯人の手掛かりは…まだ、何も掴めてないんだけどさ」
それでも、二人には何となく分かる。
やはり、彼女は狙われている。あの悪しき大型音楽会社に…
そこで、柳宿はある事を口にする。
「ねえ…あたしの事、誰が助けてくれたの?」
「え…っ。それは…」
「何となく、名前を呼ばれたのは覚えてるの。呼び捨てで…柳宿って」
その先の事は、パニックになっていたからか思い出せない。
ただ、自分の名前を呼び捨てにする人物は限られている筈。
「………け、警備員さんだよ!俺、その人からお前を預かったから…間違いない。声が小さい人だったから…呼び捨てと間違えたんじゃねえか?」
「あ…そっか。そうなんだ…悪い事、しちゃったな」
「いいんだよ!後は、俺らと警察に任せて!余計な事考えないで、今日は休め!な?」
「…うん」
その後、鬼宿は報告のためにと会社に戻っていった。
残された柳宿は、ベッドに横になりながら考える。
首元に下げられたままの、そのチェーンを手に取った。
翼宿は…ちゃんと、帰れたのかな?
どこも、怪我してないのかな?
『柳宿!』
聞き間違い?ううん。
やっぱり、あの時、名前を呼び捨てにされたよ。
鬼宿が、助けてくれてないんだとしたら…
あの人は…
そこで再び睡魔が襲い、柳宿の意識は沈んだ。