空翔けるうた~02~

翌日。翼宿は喫煙室で煙草を吸いながら、一人作詞作業の詰めをしていた。
ガタン
すると同じく喫煙者の天文が少々乱暴に喫煙室の扉を開け、中に入ってきた。
「おう。お疲れ」
特にその仕草を気にもせず、いつも通り声をかけてくる翼宿に天文は眉を持ち上げる。

「………おい、翼宿。お前、柳宿の事、変にたぶらかすなよな」

相手が放つどす黒い雰囲気に翼宿はやっと気付き、タブレットから顔をあげる。
「は…?何の事やねん?」
「とぼけんなよ。毎日毎日、親でも彼氏でもねえのに見送りしてるみたいだけどよ。付き合ってもいねえのに、そんなの柳宿にも迷惑なんじゃねえのか?」
「………………」

『当然、その間はこういう風に一緒に帰れない、よね…?』

天文の言葉に、翼宿は考える。
あの時自分にそう問いかけてきた柳宿の表情からはそれを読み取る事は出来なかったが、女心になど興味がない手前そういう風に思われていた可能性はなくもない。
「………まあ、確かにお前の言う通りやな。すまん、気つかんかったわ」
「お前が待ってると俺も何かと気遣うからさ、これからあいつの見送り俺がやるわ。そうすれば、多少遅くなっても安心だろ?」
「………せやな。なら、頼むわ」
「じゃあ」
天文は煙草も何も吸わず、そのまま喫煙室を出ていった。
まるで、宣戦布告をしに来たかのように。
取り残された翼宿の頭には、ある考えが過る。

それも、そうかもしれない。
今回だけでなく、これからも色んなスタッフと関わっていく方が柳宿にとっても肥やしになる筈だ。
その時その場にいる人物に見送りを頼んだっていいのだし、自分の見送りにこだわる必要はないのかもしれない。
それに、あいつの好きな奴。それが、天文なのだとしたら?
それなら尚更、二人の邪魔をしてはいけない。
そこまで考えた時、横浜公演の前夜に感じた痛みがまた少し胸を締めつける。
柳宿を、手放さなければいけない日が来た―――そう、呼び掛けられてでもいるのかのように。


柳宿と天文はその日はメインの作曲活動の詰めに入っており、いつもより時間をかけて作業していたせいで終わる頃には22時を回っていた。
時計を気にしながら片付けを始めている柳宿を横目に、天文はある提案を持ちかけた。
「柳宿。今日から暫くは、俺が見送りするから」
「えっ…?」
その言葉に、柳宿は驚いて天文を見上げる。
「時間、気になるだろ?そう思って、俺が翼宿から許可もらった」
「あっ………そうなんだ」
瞳を伏せる柳宿の表情から天文は彼女の気持ちを瞬時に悟ったが…こちらも当然引く気はない。
「まあ!これから、三人バラバラに活動する機会が増えるかもしんねえしさ!その時の為に、お前も少しは翼宿から卒業しろよ、な!俺、車回してくるわ」
「天文…」
天文の魂胆など分かる訳もなく、柳宿は彼が出ていった後のドアをただ呆然と見つめていた。


翼宿が…許可した?



「んじゃ、柳宿!また、明日な?後二曲!頑張ろうぜ!」
「うん…ありがとう。おやすみ…」
天文は柳宿を無事に自宅まで送り届け、その先で車をUターンさせて帰っていった。
天文の車が見えなくなると、柳宿の手は鞄の中の携帯にのび「翼宿」の電話帳を開く。
Plllllllll
『もしもし』
「もしもし…翼宿。帰った?」
『………ああ。そっちもか?』
「う…ん…今、天文に送ってもらった…」
『そっか。遅くまで、ご苦労さん』
「翼宿…」
今回の電話の意味を分かっているだろうに、彼は弁解をする気配がない。
だから、自分から切り出してみるしかない。
「翼宿…天文に、見送りお願いしたって…?」
『………ああ』
「何で…?しかも、あたしに何も言わずに…」
『その方がええやろ。時間気にせず仕事出来るし、天文みたいに役を買って出てくれる奴がいるなら俺も安心や』

何で…?どうして…本気で言ってるの…?

普通に考えれば、翼宿が言っている事は確かに正論だ。
仕事が終わる時間がバラバラなら、その時一緒にいる人に見送りしてもらうのは自然な事。
だけど、翼宿との間には声に出さずともその「普通」を覆す何かがあると信じていた。
だから、先日に「待ってるから」と言ってくれたのではないのか?

「あんたは…それで、いいんだね?三人に戻っても天文が見送りしてくれるって言ってきても…それでも、いいんだね?」
最後の希望を胸に、柳宿はわざとカマをかける。しかし。
『おい…?お前、何を怒っとんねん?』
相手はそれには答えてくれず、唇が震える。
「あたし…あたしは、あんたじゃなきゃ…」


『せやかて、"彼氏"やないやん…?』


「っっ―――!」
核心に最も迫る言葉に、心臓が止まりそうになった。
『考えたら…こんな中途半端な状態で一緒におって、もし撮られたら…お前かて嫌やろ』
撮られる。そんな事、考えてもみなかった。
しかしそれほどまでに自分達の存在が音楽界で大きくなっているのも、また否定できない事実なのだ。
現実を突き付けられ、柳宿はもう彼に詰め寄る事が出来なかった。
「やっぱり…辛いよね。この世界で、あんたを…」
『は…?すまん、よう聞こえんで…』

「もう、いい!!あたしの事なんか、放っといて!!」

『おい、ぬり…』
相手の制止も聞かずに、柳宿は乱暴に電話を切った。


もう、いいよ。こんなに辛いのに、気付いてくれないくらいなら…もう、あんたの顔なんて見たくない。
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