空翔けるうた~02~

「翼宿…お風呂あがったよ」
とあるホテルの部屋。曲を書いている翼宿の背中に、柳宿は声をかける。
返事をしない彼の横を通り、横浜の夜景を一望できる窓から景色を眺める。
「綺麗ね…こんな綺麗な景色を見るのは、久しぶり」
すると、翼宿は柳宿をそっと後ろから抱きしめた。
「翼宿…?」
「俺と同じ部屋…嫌やったか?」
その言葉に、思わず顔が真っ赤になる。
「し、仕方ないでしょ?ツアーの為に三部屋予約した筈なのに、ホテルのミスで二部屋しか取れなかったなんて言われたら…」
「わざと、そうして貰ったって言うたら…?」
「えっ…!?」
「最初は手のかかる妹みたいに思ってたのに…俺、変やな。気付けば、お前の事ばかり考えとった」
翼宿…?何言ってるの…?それって、どういう…
「ホンマに、あの1stシングルみたいになってもうたわ」
そこで、翼宿は柳宿をこちらに向かせる。
「好きやで…柳宿」
「翼宿………待って?嬉しいけど…まだツアー中だし、それに…」
「二人だけの秘密にすれば、ええやんか…な?」
翼宿の手がそっと柳宿の頬に触れ、唇が近付く。
「た…す…き…」




ドサッ
「つう―――」
PiPiPiPiPiPi―
頭に響いた衝撃音の後に聞こえてきたのは、目覚まし時計の音。
目を覚ますと、自分はベッドの上から哀れな姿で転げ落ちていた。
「………夢?」
寝惚けた目を擦りながら、柳宿は徐々に現実に戻ってくる。
「そ、そうよね…翼宿が、あんな血の吐くような台詞言う訳がないわよね…」
それでも、心はなぜかガッカリ。
そもそも、何であんな夢を見たのだろうか?これでは、まるで…

『翼宿さんへの気持ちに関してよ…?』
『えっ!?何だよ、デートなのかよ!?』
『だって~ホントは面白くないんでしょ?今の関係がー!』

この数日間、周りの人間から自分の気持ちの変化に気付いているかのような言葉を随分かけられてきた。
そして先日大阪で思わずデートのお誘いをしてしまった自分に、答えてくれた翼宿。

『ほな、たま抜きでな』

その答えを聞いた時に、なぜか自分はめちゃめちゃ嬉しくて。なぜ嬉しいかって、それは翼宿が自分と二人で出かけてもいいって思ってくれた事が嬉しくて…
そんな事が嬉しいって事は、つまり…?

核心に迫ろうとした時、柳宿はブンブンとその考えを振り切った。
カレンダーを見上げると、今日の日付と明日の日付に跨がって「横浜ファイナル♪」と書かれていた。

そう。3rdシングルまでリリースし終えた空翔宿星は関東圏を回るツアーを敢行しており、明日がそのファイナルだったのだ。
今日は会場で簡単なリハーサルをして、そのまま横浜に前泊する事になっている。あの夢の通りに。



『鬼宿さん!どうですかー?』
「ドラムの返し、強めでお願いします!」
『了解。翼宿さんはー?』
「照明の照り返しが強すぎるので、もう少し弱めでお願いします」
『はいよ~柳宿ちゃんは?』
「……………」
『柳宿ちゃん?』
「あっ、はい!!」
『何か、舞台装置に関して要望ある?』
「あ。いえ…あたしは、特に…」
「目開けて寝てるみたいなんで、興奮剤お願いしますわ」
「ちょっと、翼宿!!」
朝から上の空の柳宿に翼宿は非情な弄りを与え、リハーサルは進んでいく。


「はい!どうもお疲れさんでした!いよいよ、明日でファイナルだな!疲れてる奴もいるみたいなんで、今日は各自しっかり休養を取ってな!」
「どうも、すみません~」
「気にするなよ、柳宿!明日は、寝るなよ?」
「だから、寝てないって…」
リハーサルも無事に終わり、空翔宿星と夕城プロはホテルのロビーで最後の打ち合わせをしていた。
「んじゃ!部屋割りは、いつも通り。俺、鬼宿と翼宿、柳宿の三部屋でよろしくな!シングルの空きがなかったから、柳宿もツインの部屋だけど問題ないよな!」
いつも通りの部屋割りを発表され、柳宿は頷きながらもホッと胸を撫で下ろす。

―と、そこに。

「すみません!今夜、部屋は空いてますか?」
突然、子供連れの女性がホテルのロビーに飛び込んできた。
「申し訳ございません。本日は、満室でして…」
「では、ロビーの一角だけでもお借り出来ませんか?日帰り旅行中に子供が高熱を出して、今、病院から帰ってきたところなんです。もう新幹線も飛行機もないし、近場のホテルもこちらが最後の交渉なんです…」
「申し訳ありませんが、ロビーをお貸しする事は出来ませんで…」

「…おい、夕城プロ」
「何だ?翼宿」
「彼女に、一部屋やれや」
「えっ?でも、それだとどう割り振るんだ?」
「夕城プロとたまが、ベッドで寝ればええ。俺は、ソファで寝る」
「えっ!?」
翼宿の突然の提案に、柳宿が一番驚いた。
「でも、困ってるみたいだしな…分かった。とりあえず、声かけてくるよ!」
夕城プロは、女性にその旨を説明しに行く。
女性は何度も深々とお辞儀をし、カードキーを受け取ってエレベーターで上に上がっていった。

「ありがとな、翼宿!彼女、喜んでた。何者か話してきたら、今度CD買ってくれるって」
「夕城プロ…それは、蛇足です」
相変わらずのお調子ぶりに、鬼宿はため息をつく。
「で。本当にいいのか?翼宿。俺がソファで寝たって、いいんだぞ?体痛めたら、大変だ」
「大丈夫ですよ…家で楽器持ったまま何度もソファで寝てるんで。大体、プロデューサーをソファで寝かせる訳には、いかんじゃないですか」
翼宿は苦笑いすると煙草の火を消して、移動の準備を始める。

「ダメっ!!」

その時、柳宿がそんな翼宿を呼び止めた。
「は?」
「ダメよ!そんな寝方したら…あたしの部屋ベッド余ってるから、そこ使ってよ!」
その言葉に翼宿はおろか、男性陣全てが唖然とする。
「ぬ、柳宿…?大丈夫なのか…?」
「大丈夫よ!あたしが、放っておけないわ!」
「いやいや…お前がよくても、翼宿の男のプライドがな」
「~~~ほら!行くよ!翼宿!」
鬼宿と夕城プロの言葉の意味は顔から火が出るほど分かっていたが、一度誘ってしまった自分のプライドだってある。
振り切るように翼宿の手をがっしと掴むと、そのままズンズンとエレベーターを目指した。


ザーーー
シャワーを出しっぱなしにしたまま、柳宿はバスルームの壁に額をつける。
「あたし…何、正夢にしてるのよ」
一人になった途端、死ぬほど後悔した。
部屋に無理矢理連れ込み、扉を閉めた後の翼宿の呆れ顔が今も目に浮かぶ。
それでも「そんなに言うてくれるなら、有り難く甘えるけど」と観念したように荷物の整理を始めた時は、なぜかホッとしている自分がいた。
お風呂からあがったら―――部屋には翼宿がいる。

ガチャ…
「お風呂あがったよ」
彼は窓際の一人掛けソファに腰かけ、PC用のメガネをかけてタブレットを眺めていた。
その完全部屋モードな彼に、またドキッとする。
「…柳宿」
「なっ、何!?」
「ちょっと、明日のMCの流れで聞きたい事あんねん。そこ座れ」
「あ…うん」
相変わらずクールに指示された柳宿は指定されたソファに座り、翼宿の説明をただ黙って受ける。
「………ほな、そういう事にするわ。お前からは、何か変更ないか?」
「………………」
「柳宿?」
「あ。ごめん!」
翼宿は朝から相変わらずの柳宿にため息をつき、タブレットのケースを閉じる。
「いや…部屋に入ってからも、仕事の話悪かったな。疲れてるんやろ?先に寝てろや」
「ち、違うのよ。別に、疲れてる訳では…!」
「ん?」
「あ\"…えーっと、そうじゃなくて…」
自分で話をややこしくし、柳宿はますます混乱する。
翼宿は悪戯っぽく微笑み、こう質問する。


「何や…好きな男でも、出来たんか?」


翼宿から飛び出した意外な質問に、頭が真っ白になる。
「…………っ」
「図星か」
翼宿はそれ以上興味がなさそうに、煙草に火をつける。
彼が煙草を楽しむ時間は、沈黙を共有する時間。
「………いたって、あんたには教えないわよ」
柳宿がポツリとそう返すと、翼宿はちょっと驚き吹き出した。
「なっ、何よ!?何がおかしいの!?」
「すまんすまん…別に詮索せえへんわ。まあ、変な男には引っ掛かんなよ」
「…………大丈夫よ」
(こいつ…腹立つ…!だったら、あたしだって…!)

「そういうあんたは…いない訳?好きな子…」

彼のペースに巻き込まれているのが悔しくなり、この流れで思わず自分も実はずっと知りたかった疑問を切り出してしまった。
暫しの沈黙が流れた後、彼はため息をつき
「………女嫌いなのに、そんな奴おる訳ないやろ」
ちょっと身を乗り出して煙草の灰を灰皿に落としながら、そう答えた。
そんな姿に、もうひとつの疑問が浮かんでくる。

何よ…あたしに、そんな話するなんておかしいじゃない。
じゃあ…じゃあ、あたしはどうなの?
どうして、今、あたしと一緒にいてくれるの?


「あ…たしは…」
「ん?」
そこに、ひとつの考えが過る。
今はツアー中。夢の中の自分が、言っていた事。今は…聞いてはいけない。
「ごめん、何でもない!じゃあ、あたし…寝ようかな!」
柳宿が慌てて立ち上がった時、机の脚に足を取られた。
「あっ…」

柳宿のよろけた体を、翼宿が受け止める。
「………っっっ!!」
ドクンと、鼓動が鳴った。

「何しとんねん…顔に傷付いたら、どうする…」
「ご、ごめんね!ありがとう…」
身を離そうとし、翼宿と視線がぶつかる。
そこで、なぜか体が動かなくなる。
「翼宿…?」
「………柳宿」
二人の距離が、縮まっていく。


え…?どういう事…?もしかして、これって…



「なあ…鬼宿」
「何ですか?夕城プロ」
「その…柳宿って…」
「…一目惚れしてますよ。とっくの昔に」
「そうなのか!?」
鬼宿と夕城プロの部屋で、夕城プロは先程開けた缶ビールが零れんばかりに机を両手で叩き付ける。
「危ないっすよ、夕城プロ…俺も、本人から直接聞いた訳じゃないですけどね。でも、最近何だかおかしいんですよ。柳宿の奴…」
「ああ。今日のリハも、上の空だったもんな。そうか…そういう事か…」
「まあ、翼宿は\"絶対\"そんな事しないと思いますよ。残念ながら、今のところは柳宿に興味ないみたいなので」
「あっても困るよな。柳宿には悪いけど、今はみんな仕事に集中してほしい」
「………そうっすね」
鬼宿と夕城プロは苦笑いしながら、乾杯し直した。



ある程度顔が近付き、柳宿はきゅっと目を瞑る。
すると、翼宿が柳宿の耳元から何かを取り出した。
「え…?」
「糸くず」
柳宿は目の前に差し出されたそれに耳まで真っ赤になり、もう彼の顔を見る事はできなかった。
「あ、ありがとう…」
「まあそのどんくさいトコ直さないと、その男には振り向いてもらえんぞ~」
柳宿にとっての「その男」はそう言ってカラカラと笑うと、バスルームに向かっていく。
「んじゃ、おやすみ」
「お、おやすみ…」


パタン
バスルームの扉が閉まる音が聞こえ、柳宿は脱力したようにベッドに座り込む。

ダメだ…もう、否定できないよ…翼宿。

この世界に飛び込んだ時から彼を好きになってはいけないと、心のどこかで感じていた。
だが、翼宿の行動のひとつひとつが気になる自分、翼宿の発言ひとつひとつに一喜一憂する自分、翼宿に触れられて前よりも体が熱を帯びる自分がいる事が、今、はっきりと分かった。
まだ熱が引かない体を抱きしめ、柳宿は全身に流れる思いを認めざるをえない。


あたしは、翼宿の事が、好きなんだ



翼宿は上半身の服を脱ぎ、その状態でバスルームの扉に寄りかかる。
翼宿もまた、先程体を受け止めた彼女の顔を綺麗だと感じ、訳の分からない感情に駆られてその場を離れたのだ。

だけど、あいつには好きな奴がいる―――
いつか、あいつが遠くに行ってしまう日が来る。
自分の役目「柳宿のお守り係」も、いつか終わる日が来る。

その言葉の意味に気付いただけで心がざわついている自分が、翼宿には分からなかった。
「何やねん。俺…」
翼宿は、前髪をくしゃりと掴む。

シャワーから零れる滴の音が、バスルームに虚しく響いていた。


両思いに気付いた、二人きりの夜―――
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