空翔けるうた~02~
朝が、やってきた。
そっと瞼を持ち上げると、白く温かなベッドの上で朝の光を浴びていた。
隣には、愛しきオレンジ髪の寝顔。そして、ふと胸元を見ると…
「………っ!」
自分の白い素肌が、顔を覗かせていた。
そうだ…仕事で来てるのに、昨日、あたし…
「何を動揺しくさっとんねん。お前は」
そんな自分に気付いたのか、隣からいつもの呆れた声が聞こえる。
目を覚ました翼宿に、柳宿は詫びの言葉を言おうとするが。
突然、彼が自分の頭を引き寄せた事で、その言葉は遮られた。
「…翼宿」
「ええんや」
その語調は、涙が出る程に優しくて。
「お前が荒れた時にそれを落ち着かせるのが…俺の昔からの役目やから」
理由は、聞かない。
ただただ、翼宿は自分を抱いてくれただけ。
「…たまには、怒られるやろうけどな」
「…うん」
そんな冗談もものともせず、柳宿の溢れた涙は静かに頬を伝った。
聞かなければ、いけない。
彼の本音を。
「たま…ごめんね。昨日、あたし…」
「気にするなよ!その代わり、今日は万全なんだろうな?」
「…うん!もちろんよ」
ライブ会場である国際フォーラムの控室前でやっと鬼宿と少し言葉をかわせるようになった時、柳宿は彼に昨夜の詫びをした。
しかし彼女が無理して笑顔を作るその理由に、鬼宿もまた気付いていた。
『鬼宿。翼宿は…恐らく、マイケルに声をかけられたんだよ。こっちに残らないかって…』
「…あのさ。柳宿」
「鬼宿さん!柳宿さん!そろそろ、スタンバイお願いします!」
そこに割って入ったのは、スタッフの声。
二人の会話は、そこで途絶えた。
ライブは、大成功。
日本からわざわざ駆け付けてくれたファンと現地のファンと…
様々な人種が入り交じり会場はひとつとなり、空翔宿星の演奏に更なる拍車をかけていた。
その中で、翼宿は笑っていた。いつも通りの太陽のような笑顔で―――
「スゴかった…スゴかったよ!お前らの演奏!確実にレベルアップしている子供達を目の当たりにして、俺は…俺は…」
「夕城プロ…後一日ありますから」
「そうだったな…じゃあ、明日も今日と同じこの場所で!」
「…夕城プロ」
いつも通りの賑やかな打ち合わせを遮ったのは、柳宿の静かな声。
「な、何だ?柳宿…」
「帰国は、明後日…で、いいんですよね?」
その言葉に、その場が静まり返った。
誰もがその理由を知っていたが、誰一人として声を出さない。
「…そ、そうだぞ?柳宿。いきなり…どうした?」
その沈黙を、夕城プロは恐る恐る破る。
しかし、顔をあげた柳宿は笑っていた。
「…いえ!楽しかったなあって!こんなに自由になれる国なら、もう少しいたかったなあって…そう思っただけです!」
「そ、そっか!だけど、そうも言ってられないだろ?向こうでも、お前らを待つ仕事はたくさん…」
安心しきり思わず夕城プロが発した言葉に慌て、鬼宿はそっと肘で彼をごつく。
「明日も…頑張ろうね!じゃあ、お疲れさまです!」
皆の反応を確認したところで、柳宿はその場を後にした。
翼宿は、そんな彼女をじっと見つめ続けていた。
ガコン
自販機から、一本の飲料水を取り出す。
柳宿は、そこで深くため息をついた。
みんな、翼宿がマイケルに声をかけられた事を知っている。
そして、翼宿はまだマイケルに返事をしていないという事も分かった。
そこで、思い出されるのは昨夜の出来事―――
ハアハアハア…
「あ………ん」
うすぼんやりとした照明に照らされるベッドで、二人の男女は愛し合っていた。
シーツが乱れるほど、今までにないくらいに熱く優しく激しく…
女の頚部に男が何度も深めに接吻ると、女の身体が跳ねる。
「………ダメっ」
「何がダメやねん…お前が誘ってきたんやろうが」
そしてまた達する女の反応が可愛らしくて、何度もその行為を繰り返していく。
「お前のここ、いつもより緩いやん。ホラ…分かるやろ?」
確認するように二本指を立てれば、彼女は目を閉じて引き付けを起こす。
「―――翼宿」
女が潤んだ瞳で名前を呼ぶと、男は一つになる準備を始めた。
いつもならば、幸せな瞬間。
なのに、この時、封印されていた寂しさが柳宿を襲ってくる。
「…………っ」
「柳宿?」
柳宿の頬を伝う涙に気付き、翼宿は動きを止める。
「ごめん…あたし…」
堪えきれずに、口許を手で覆う柳宿。そんな彼女の頭を翼宿はひとしきり撫でて…
「俺は…どこにも行かへんで」
消えそうな声で、確かにそう呟いていた。
あの言葉は…真実なのだろうか?
昨日と同じように、ロビーのソファで翼宿は一人考え事をする。
昨日マイケルが座っていたソファには、相棒であるベースが立て掛けてある。
煙草も吹かさずに、翼宿は長年共に夢を追い続けてきたその相棒をただただ眺めていた。
昨日のマイケルとの会話を反芻しながら…
「光栄です…グループでこの国に呼ばれた事すらも夢のようなのに…そんな言葉をかけていただけて」
『今の仲間と離れるのは君には酷だと思ったのだが、君は昔からプロの世界で音楽を極めたがっていたようだからね。その気持ちがまだ残っているなら、ここで是非挑戦してほしいと思ったんだ』
「せやけど…二つ返事ではとても」
『すぐにとは、言わないよ。帰国前に、返事をくれたまえ』
そして、今日、空翔宿星の夢の初日は終わった。
今でも、音楽は大好きだ。
プロの世界でもっともっと挑戦していきたい気持ちも、嘘ではない。
だけど…
ここまで来られたのは、紛れもなく日本の仲間のお陰。
翼宿は、もう裏切りたくなかった。
大切な日本のカンパニーを。
そして…
自分を愛し抜いてくれる、優しい天使を。
「…翼宿」
そんな翼宿の意識を呼び戻したのは、その女が彼の名を呼ぶ声だった。
「…まだ、いたんか」
何事もなく声をかけてくる翼宿に、柳宿の心は酷く痛んだ。
黙って、手元の飲料水を彼に渡す。
「おおきに」
「…あの。翼宿」
「何やねん?さっきまで笑ってた癖に、いきなりシケた面しよって…」
陽気に笑う翼宿の手前、しかし、自分は気楽に彼の隣に座る事は出来ない。
その理由は…翼宿の次の一言で、分かる。
「マイケルとの会話…聞いてたんやろ?」
「……………っ」
足元が震えるのが分かるが、柳宿は必死で堪える。
昨夜は、何も聞かずに動揺する自分を抱いてくれた。
ここで、また、彼を困らせてはダメだ。
自分は、もう彼の妹ではない。彼女なのだから。
しかし、翼宿の穏やかな表情は変わらなかった。
「俺は…残らんで」
「え…!?」
そこで、彼は飲料水を一口飲み干す。
「あん時から、お前の傍にいるって…決めたから」
あの時。それは、翼宿がインターンシップから帰ってきた日。初めて、唇を重ねた日。
やはり昨夜から、翼宿の決断は変わっていなかったのだ。
「翼宿…」
瞳の奥に、涙が溜まる。
そんな表情を知ってか知らずか、翼宿は立ち上がると柳宿の頭をポンと撫でて。
「おやすみ…また、明日な」
その場を後にした。
足音が遠ざかると、柳宿はその場に膝をついた。
我慢していた涙が、零れ落ちる。
だけど、その涙は喜びの涙ではない。
決して、翼宿は自分のために無理をしていた訳ではない。
先程の笑顔には嘘偽りはないと、長年、彼を見てきた自分だからこそハッキリと言える。
本当に、彼は自分を愛してくれているのだ。
だけど、この時、柳宿は気付いたのだ。
そんな彼の背中を押してやる事は、自分にしか出来ないという事を…
その涙は、その事実を認めざるを得なくなった悔し涙なのであった―――
そっと瞼を持ち上げると、白く温かなベッドの上で朝の光を浴びていた。
隣には、愛しきオレンジ髪の寝顔。そして、ふと胸元を見ると…
「………っ!」
自分の白い素肌が、顔を覗かせていた。
そうだ…仕事で来てるのに、昨日、あたし…
「何を動揺しくさっとんねん。お前は」
そんな自分に気付いたのか、隣からいつもの呆れた声が聞こえる。
目を覚ました翼宿に、柳宿は詫びの言葉を言おうとするが。
突然、彼が自分の頭を引き寄せた事で、その言葉は遮られた。
「…翼宿」
「ええんや」
その語調は、涙が出る程に優しくて。
「お前が荒れた時にそれを落ち着かせるのが…俺の昔からの役目やから」
理由は、聞かない。
ただただ、翼宿は自分を抱いてくれただけ。
「…たまには、怒られるやろうけどな」
「…うん」
そんな冗談もものともせず、柳宿の溢れた涙は静かに頬を伝った。
聞かなければ、いけない。
彼の本音を。
「たま…ごめんね。昨日、あたし…」
「気にするなよ!その代わり、今日は万全なんだろうな?」
「…うん!もちろんよ」
ライブ会場である国際フォーラムの控室前でやっと鬼宿と少し言葉をかわせるようになった時、柳宿は彼に昨夜の詫びをした。
しかし彼女が無理して笑顔を作るその理由に、鬼宿もまた気付いていた。
『鬼宿。翼宿は…恐らく、マイケルに声をかけられたんだよ。こっちに残らないかって…』
「…あのさ。柳宿」
「鬼宿さん!柳宿さん!そろそろ、スタンバイお願いします!」
そこに割って入ったのは、スタッフの声。
二人の会話は、そこで途絶えた。
ライブは、大成功。
日本からわざわざ駆け付けてくれたファンと現地のファンと…
様々な人種が入り交じり会場はひとつとなり、空翔宿星の演奏に更なる拍車をかけていた。
その中で、翼宿は笑っていた。いつも通りの太陽のような笑顔で―――
「スゴかった…スゴかったよ!お前らの演奏!確実にレベルアップしている子供達を目の当たりにして、俺は…俺は…」
「夕城プロ…後一日ありますから」
「そうだったな…じゃあ、明日も今日と同じこの場所で!」
「…夕城プロ」
いつも通りの賑やかな打ち合わせを遮ったのは、柳宿の静かな声。
「な、何だ?柳宿…」
「帰国は、明後日…で、いいんですよね?」
その言葉に、その場が静まり返った。
誰もがその理由を知っていたが、誰一人として声を出さない。
「…そ、そうだぞ?柳宿。いきなり…どうした?」
その沈黙を、夕城プロは恐る恐る破る。
しかし、顔をあげた柳宿は笑っていた。
「…いえ!楽しかったなあって!こんなに自由になれる国なら、もう少しいたかったなあって…そう思っただけです!」
「そ、そっか!だけど、そうも言ってられないだろ?向こうでも、お前らを待つ仕事はたくさん…」
安心しきり思わず夕城プロが発した言葉に慌て、鬼宿はそっと肘で彼をごつく。
「明日も…頑張ろうね!じゃあ、お疲れさまです!」
皆の反応を確認したところで、柳宿はその場を後にした。
翼宿は、そんな彼女をじっと見つめ続けていた。
ガコン
自販機から、一本の飲料水を取り出す。
柳宿は、そこで深くため息をついた。
みんな、翼宿がマイケルに声をかけられた事を知っている。
そして、翼宿はまだマイケルに返事をしていないという事も分かった。
そこで、思い出されるのは昨夜の出来事―――
ハアハアハア…
「あ………ん」
うすぼんやりとした照明に照らされるベッドで、二人の男女は愛し合っていた。
シーツが乱れるほど、今までにないくらいに熱く優しく激しく…
女の頚部に男が何度も深めに接吻ると、女の身体が跳ねる。
「………ダメっ」
「何がダメやねん…お前が誘ってきたんやろうが」
そしてまた達する女の反応が可愛らしくて、何度もその行為を繰り返していく。
「お前のここ、いつもより緩いやん。ホラ…分かるやろ?」
確認するように二本指を立てれば、彼女は目を閉じて引き付けを起こす。
「―――翼宿」
女が潤んだ瞳で名前を呼ぶと、男は一つになる準備を始めた。
いつもならば、幸せな瞬間。
なのに、この時、封印されていた寂しさが柳宿を襲ってくる。
「…………っ」
「柳宿?」
柳宿の頬を伝う涙に気付き、翼宿は動きを止める。
「ごめん…あたし…」
堪えきれずに、口許を手で覆う柳宿。そんな彼女の頭を翼宿はひとしきり撫でて…
「俺は…どこにも行かへんで」
消えそうな声で、確かにそう呟いていた。
あの言葉は…真実なのだろうか?
昨日と同じように、ロビーのソファで翼宿は一人考え事をする。
昨日マイケルが座っていたソファには、相棒であるベースが立て掛けてある。
煙草も吹かさずに、翼宿は長年共に夢を追い続けてきたその相棒をただただ眺めていた。
昨日のマイケルとの会話を反芻しながら…
「光栄です…グループでこの国に呼ばれた事すらも夢のようなのに…そんな言葉をかけていただけて」
『今の仲間と離れるのは君には酷だと思ったのだが、君は昔からプロの世界で音楽を極めたがっていたようだからね。その気持ちがまだ残っているなら、ここで是非挑戦してほしいと思ったんだ』
「せやけど…二つ返事ではとても」
『すぐにとは、言わないよ。帰国前に、返事をくれたまえ』
そして、今日、空翔宿星の夢の初日は終わった。
今でも、音楽は大好きだ。
プロの世界でもっともっと挑戦していきたい気持ちも、嘘ではない。
だけど…
ここまで来られたのは、紛れもなく日本の仲間のお陰。
翼宿は、もう裏切りたくなかった。
大切な日本のカンパニーを。
そして…
自分を愛し抜いてくれる、優しい天使を。
「…翼宿」
そんな翼宿の意識を呼び戻したのは、その女が彼の名を呼ぶ声だった。
「…まだ、いたんか」
何事もなく声をかけてくる翼宿に、柳宿の心は酷く痛んだ。
黙って、手元の飲料水を彼に渡す。
「おおきに」
「…あの。翼宿」
「何やねん?さっきまで笑ってた癖に、いきなりシケた面しよって…」
陽気に笑う翼宿の手前、しかし、自分は気楽に彼の隣に座る事は出来ない。
その理由は…翼宿の次の一言で、分かる。
「マイケルとの会話…聞いてたんやろ?」
「……………っ」
足元が震えるのが分かるが、柳宿は必死で堪える。
昨夜は、何も聞かずに動揺する自分を抱いてくれた。
ここで、また、彼を困らせてはダメだ。
自分は、もう彼の妹ではない。彼女なのだから。
しかし、翼宿の穏やかな表情は変わらなかった。
「俺は…残らんで」
「え…!?」
そこで、彼は飲料水を一口飲み干す。
「あん時から、お前の傍にいるって…決めたから」
あの時。それは、翼宿がインターンシップから帰ってきた日。初めて、唇を重ねた日。
やはり昨夜から、翼宿の決断は変わっていなかったのだ。
「翼宿…」
瞳の奥に、涙が溜まる。
そんな表情を知ってか知らずか、翼宿は立ち上がると柳宿の頭をポンと撫でて。
「おやすみ…また、明日な」
その場を後にした。
足音が遠ざかると、柳宿はその場に膝をついた。
我慢していた涙が、零れ落ちる。
だけど、その涙は喜びの涙ではない。
決して、翼宿は自分のために無理をしていた訳ではない。
先程の笑顔には嘘偽りはないと、長年、彼を見てきた自分だからこそハッキリと言える。
本当に、彼は自分を愛してくれているのだ。
だけど、この時、柳宿は気付いたのだ。
そんな彼の背中を押してやる事は、自分にしか出来ないという事を…
その涙は、その事実を認めざるを得なくなった悔し涙なのであった―――