空翔けるうた~02~

慌てて部屋に入りソファに腰掛け、柳宿は先程聞いてしまった会話を思い返す。
『君だけを、我が音楽会社で引き抜きたいんだ』
マイケルは、日本語で確かにそう言っていた。
インターンシップの時とは、違う。先程、自分は、翼宿の夢の分岐点を実際に目撃してしまった。
あの後、翼宿は何と返した?
その先を考えようとすると吐き気がし、胸を押さえた。

翼宿…あんたは、どうするつもりなの…?

そして一人で考えているのが辛くなり、柳宿はよろよろと立ち上がった。


「どうしたんだよ?翼宿。さっきから、ボーッとして!シャワー、空いたぞ?」
部屋に戻ってきた翼宿の様子がおかしい事に気付き、鬼宿は声をかける。
「いや。ちょっと、疲れただけや。お前、先に寝てろや」
「って、おいおい?大丈夫か?お前こそ早く休まないと、明日に響くぞ…」
ピンポーン
そこに、部屋のインターホンが響いた。
「誰だ?こんな遅くに…夕城プロかな?」
鬼宿が扉を開けると、そこには俯く柳宿が立っていた。
「柳宿。どうした!?顔、真っ青だぞ?」
「ごめん。ちょっと、眠れなくて…来ちゃった」
聞こえてきた鬼宿の絶叫に、翼宿は吸っていた煙草の火を消す。
「何だ何だ?お前ら二人とも…もしかして、明日の公演緊張してるのか?お気楽なのって、俺だけかよ?」
二人の間で慌てふためく鬼宿だったが、そこでようやく二人の間の空気が深刻な事に気付く。
「…俺、夕城プロのトコ行ってくるよ。翼宿。落ち着いたら、連絡くれ」
「………ああ。すまんな」
パタン
鬼宿が出ていき、翼宿は立ったままの柳宿の前に歩み寄る。
「柳宿。突っ立ってないで、座れ…」
そこで柳宿は突然翼宿の両手を手に取り、ぎゅっと握った。
彼女の掌は、汗でびっしょりだった。
「……………っ……………」
「おい、どうした…熱でもあるんか?」
「ううん…………そう。緊張してるの。一人でいるのが、辛くて」
「………そっか。ほな、そこで横になって少し休んどけ。俺、シャワー浴びてくるから、それから話そか?」
「………うん」
翼宿は未だ自分の目を見てくれない柳宿が心配になったが一旦落ち着かせた方がいいと、そのままバスルームへと入っていった。

柳宿は、ベッドに寝転がる。

落ち着け。落ち着くんだ。
鬼宿もまだ知らないようだったし、まだ何も結論は出ていない。
これからゆっくり話し合えば、二人にとっていい答えが出る筈…

気持ちを落ち着かせようと、そのまま目を閉じた。
目が覚めたら、少しはスッキリした顔で彼を出迎えられるように…


『柳宿?気分よくなったんか?』
『うん…ごめんね。翼宿…もう、だいぶ楽になったから』
『そっか…そんなお前に聞かせるんは酷かもしれんのやけど、俺…ここに残ろうと思うんや』
『えっ………!?』
『せっかくのチャンスやからな…今まで、ありがとな?お前も、日本で頑張れよ』
『翼宿?翼宿!待ってよ!待って!!』
翼宿は部屋の扉を開け、出ていった―――


「っっ…!!」
柳宿は、目を覚ました。夢だった。
バスルームからは、シャワー音が聞こえる。
しかし翼宿はまだ側にいると分かっても、柳宿の体は異常に震えていた。
「翼宿っ…!!」
彼の名を叫び柳宿はベッドから降りるが、足がもつれて地に膝をついた。
その瞬間、瞳に溜まっていた涙がすべり落ちる。
「行かないで…!翼宿………!!」
せっかく気持ちが繋がったのに、見えない何かが再び二人を遠ざけているのが分かる。

………怖い。

「柳宿………!?」
柳宿の叫び声を聞いてズボンだけを履いた翼宿が、バスルームから顔を出す。
「翼宿…」
「お前、何しとんねん…!寝てたんとちゃうんか………」
慌てて駆け寄った翼宿に、柳宿は抱きついた。
「…行かないで…行かないでよ、翼宿…!」
「えっ…?」
「あたしを置いて行かないでよ…」
「柳宿…とりあえず、ベッド戻れ。体調悪いんやから…風邪引いてまうやろ?」
引き離そうとするが、彼女はぶんぶんと首を横に振る。
裸の胸に柳宿の柔かな体がしっかりと密着し、さすがの翼宿の体も熱を帯びる。
「ぬっ…」
「離れたくない…お願い。離さないで…翼宿」
「分かった…傍にいるから…な?柳宿」
翼宿がそっと柳宿の肩に手を回すと、彼女は濡れた瞳で彼を仰ぎ見た。
そのあまりにもか弱い表情に翼宿は堪えかね、思わず柳宿の頬に手を添え自身の唇を彼女の唇に重ねた。
「翼宿…んっ…」
名前を呼んだ薔薇色の唇は、角度を変えた唇にまた塞がれる。
しばらく接吻が続き柳宿が苦しさに翼宿の肩を掴んだ手に力をこめた時、今度は翼宿は「妹」としてではない「女性」としての柳宿の体をきつく抱きしめた。
「………ンマに、お前は。魔性の目で誘惑しよってからに…契約違反やで。俺だって…男やぞ」
「ごめん…でも…翼宿が、どこか遠くに行っちゃう夢を見て…」
その言葉に、翼宿はギクリとなる。
まさか、先程のマイケルとの会話を聞かれていたのか?
「あたし、怖いの。翼宿に…安心させてほしい」
翼宿は暫く黙っていたが、そんな柳宿を抱き上げて元いたベッドにそっとおろす。
そして静かに自分もその上に覆い被さり、柳宿の髪を撫でた。
本当は、ツアー中に男女の関係になるのはタブー。
だけど今の彼女を安心させてやるにはこうするしかないと、翼宿も理解した。
いや。本当は何かと理由をつけているだけで、自分もただ衝動的に彼女をこのまま抱いてしまいたいと思っているのだが―――
「今夜だけ………やからな」
翼宿は柳宿の唇に今度は深く口付け、彼女のバスローブを静かに引き下ろす。
首筋、鎖骨、そして胸元へと翼宿の慰めが舞い降り、柳宿はこれまで感じた事がない翼宿の優しさを全身で感じ、強く強く彼の手を握り締めた。
翼宿が遠くに行ってしまっても後悔しないように、強く強く―――


「連絡…来ないなあ。今日は、泊まらせて貰っていいですかね?夕城プロ」
「そ、それは構わないが…どうしたんだ?柳宿の奴」
「さあ…緊張してるにしては、妙に青い顔してたんですよね」
鬼宿のその言葉に、夕城プロは考える。
「まさか…聞いてたのか?あいつ…」
「へっ?何がですか?」

「鬼宿。翼宿は…恐らく、マイケルに声をかけられたんだよ。こっちに残らないかって…」

鬼宿は、絶句する。
「そして…多分、あいつは…」
夕城プロは、翼宿が出す答えすらも分かっているようだった。
30/33ページ
スキ