空翔けるうた~02~

久々に外野から見る翼宿は、FIRE BLESS時代よりもお洒落で逞しくなっていて。
空翔宿星とは違うパンクロックの曲の中、ボーカルを他者に預けてベースだけに身を委ねる彼の姿はまるで別人のようにさえ見えた。
しかし、確実に彼のベースのレベルは上がっている。しやなかな指が走る度に、複雑なベースラインが音楽を彩る。集中して音楽活動が出来た証拠だ。

そしてそんな彼を眺めている自分の胸もまた、″外野として″正直に早鐘を打っている。

どこにいても…あんたは、輝くんだね。

それは、翼宿ファンとしての嬉しさと寂しさ。



「―――宿!柳宿!」
「えっ…?」
「もう、演奏終わったぞ?」
そうこうしている間にも10曲のセットリストが終わり、天文に呼び止められるまでそれに気がつかなかった。
それは、あの日と同じ。翼宿の演奏を初めて見た、あの感覚と…
「行くよな?柳宿。あいつに会いに…」
外野で始まり、外野で終わる。そんな事も、あってもいいのかもしれない。
「………いいよ」
「えっ…?」

「ねえ。天文…遠くから好きでいるだけなら…構わないよね?」

「っ!!」
それは、柳宿が彼と決別を決めた瞬間。
「………んなの…」
「え…?」
「んなの、許さねえよ!」
「天文?」
「待ってろ、柳宿!俺が、あのバカここに連れてくるから!そんな、簡単に身引いてんじゃねえよ!だったら、俺は…俺は何のために…!!」
「あ…」
そのまま、天文は痺れを切らしてバルコニーを出ていった。
その姿を見送ると柳宿は寂しく微笑み、携帯を取り出した。


「お疲れさまでした~」
「こんな大きな箱で歌えるなんて、前のバンドじゃ想像つかなかったぜ!」
「俺も俺も!ドラムの響き方が、全然違うよな~」
控え室に戻った、THTC。元々前のバンドの動向が気に入らずにインターンシップに参加したボーカルとドラムは、興奮冷めやらない状態でいる。
「翼宿、お疲れ。お前との久々の掛け合い、最高だったぞ」
「ホンマやな…昔に戻ったみたいや」
その横で、物静かな翼宿とタクヤもお互い満足そうな笑みを浮かべている。
「…なあ?これからも、俺ら、やってけるんじゃねえか?この後の契約会、お前も出るだろ?」
そして、尋ねられた質問。この後、改めてのレーベルとの契約会があるのだ。
「………ちょっと頭冷やしてから、考えるわ」
しかしその場は片手をあげると、翼宿は喫煙室へと向かっていった。

控え室から少し離れた喫煙室に入り、翼宿は大きく息を吐きながら椅子に腰掛けた。
そして、改めて今後の事を考える。
ここまで来たら、もう後には引けないのも分かっている。
今日のライブは、純粋に楽しかった。もっともっと、この世界で自分を磨いていきたい。
前のバンドにあった人の温かさはここにはないが、全てが決まったら彼らにはきちんと土下座して新しいステップに進めばいいんだ。
ここは、元々自分が望んで進んだプロの道。男の世界。女と関わらなくて済む。彼女と関わらなくて済む…だから。
そこまで考えて懐から煙草を取り出そうとすると、携帯の着信ランプが点滅している事に気付いた。
ウインドウに表示されたのは、「不在着信:柳宿」。
「……………っ……………」
このタイミングで舞い込んできた通知に、翼宿は思わず息を呑んだ。
ライブ終了後の着信だったようだ。意を決して、留守録ボタンに手を伸ばす。


Piーーーーーーーーーー

『翼宿。突然、連絡してごめんね。これで、連絡するのは最後にします。

あんたのライブ、見させてもらいました。天文が気遣って、販売に掛け合ってくれたの。
スゴくかっこいいバンドで翼宿も輝いてて、とってもよかったよ。あんたには無限の可能性があるって、あたしも存分に感じた。

だから、今度こそ夢を叶えてね?空翔宿星の事は、心配しないで。あたしは、翼宿ならどこに行ってもやっていけると思ってる。メンバーもスタッフも、その気持ちは同じだと思うよ。

あの時、あたしを拾ってくれてありがとう。夢を見させてくれて、ありがとう。たくさんたくさん、迷惑をかけてごめんね?ずっと、あなたを応援しています。

ーーーーーさようなら』


「…………っ!!」
その最後の掠れるような言葉に、途端に封印していた気持ちが呼び起こされるような感覚がした。
そして本当は誰よりも聞きたかった愛らしいその声を鼓膜に受けた翼宿の鼓動は、彼らしからぬ早鐘を打っている。
彼女は見ていたのだ。新しい世界に、勝手に踏み込んだ自分を。

そこで、ようやく気付く。
ここまで来たら、もう後には引けないのも分かっている。
だけど…だけど、今、自分が本当にやるべき事は。やりたい事は。


廊下に出ると、見覚えのある青年の姿があった。
彼は凍てつくような瞳で、自分を睨みあげている。
「…天文」
「よう。お疲れ…」
「来てたんやな…」
「ああ」
ドカッ
天文は突然翼宿の胸ぐらを掴み、壁に叩き付けた。
「お前…!今回の事、柳宿にどう説明するつもりなんだよ!?いきなり空翔宿星から逃げやがって…!卑怯だぞ!!
柳宿は自分が怪我してツアー台無しにしたせいだって、今でも自分を責めてる!!だけどそう言いながらも、あいつはあれからもずっとスタジオに一人で来てピアノを弾いてお前の帰りを待ってたんだぞ!!」
「……………」
「お前がこれからもあのバンドに居座るつもりなら…………柳宿は俺のものにする!!お前の事なんて俺が忘れさせてやる…!それで………いいんだな!?」
翼宿はそこで火がついたように、カッと目を見開いた。
「………許さん」
「えっ…?」
「それだけは…許さん」
「翼宿………!」
そこで天文を乱暴に引き離して、襟を整える。
「これからの事は、俺からあいつに直接言う。お前は、余計な事すんな」
呆気に取られる天文を残し、翼宿はその場を去った。
しばらくすると彼は嘲笑しながら髪をくしゃりと掴み、壁に凭れた。
「………んだよ。俺にはもう…勝ち目ないじゃねえかよ」


『留守番電話サービスセンターに…』
電話をかけても、彼女は出ない。
関係者入口にあるバイクに飛び乗り、エンジンをかける。

自分は、間違っていた。
自分が壊れるのが怖いから?そんな理不尽な理由で、自分は彼女を捨てた。
だけど彼女はそんな自分を責めずに、最後まで「応援する」と言ってくれたのだ。本当は、もっと他に言いたい事がある癖に…
今でも愛してくれている彼女がいて、今の自分がある。そんな事ずっと分かりきっていた筈なのに、それに何も返さずに逃げるのは違う。
愛しかたなんて分からないけれど、自分も本当は彼女を愛したかった。いや。今でも、愛してあげたい。
早く行かなければ。彼女の気持ちが離れない内に。だけど―――どこに、いる?

『あいつはあれからもずっとスタジオに一人で来てピアノを弾いてお前の帰りを待ってたんだぞ!!』

もしかして、スタジオ…?

翼宿はバイクのアクセルを全開にし、スタジオ方面へ向かった。



案の定、柳宿は一人スタジオに戻っていた。
ソファに腰掛け、缶ビールを一気に飲み干している。それは、別れのメールを送った自分に対する慰労の深酒。
「翼宿…」
相変わらず酒に弱い柳宿の視界は、既にぼやけている。目の前には、まだまだたくさんの缶ビール。彼女が何も食べずに一気に飲み干せば、中毒になる可能性もある。
しかし翼宿がいない今、自分の体を大事にしようと思う理性は柳宿には働かない。
「もう…どうにでもなればいいのよ」
そんな事を独りごちながら、二本目の缶ビールに手を伸ばす。

「………何が、どうにでもなれや?」

聞き覚えのある声が入口から聞こえ、柳宿は振り返る。
そこには、ベースを背負った翼宿の姿があった。
酷く酔ったのだろうかと、両目を擦る。
「本物や。ボケ」
翼宿は柳宿の前に立ち、彼女の額をごついた。
「な、何よ…今更、何を言いに来たの…?あんたの旅立ちを見届けて余韻に浸りながら一杯やってたトコなんだから、邪魔しないでよね?」
先程まで泣いていたのか、腫れた目を隠すように俯いて柳宿はわざと憎々しく話す。
「あんただって、これから契約の祝い酒なんじゃないの?男は付き合いが大事じゃない。早く行かないと…」
「契約はせん」
柳宿は、その言葉に初めて腫れた目をあげる。彼は、真剣な顔で自分を見つめている。
そんな彼に鼓動が鳴り、また顔を背けた。
「………何でよ?あたしが迷惑だったから、逃げたんでしょ?女と関わるのはもう限界だって…そう思ったんでしょ?今のところは快適で、いいじゃない…」
「…………柳宿」
「あんたも、バカだよね。女嫌いなのに、無理してあたしに合わせちゃって。あたしも…すっかり、いい気分になっちゃってたじゃない…」

「………んな事やないやろ?お前がホンマに言いたい事は…」

その言葉に、柳宿の頬を大粒の涙が伝う。
翼宿はしゃがみこみ、柳宿の両手にそっと手を添える。
「ちゃんと…聞かせろ」
「あ…たし、あたしは………」
捨てられなかった気持ち。彼が待ってる。

「………そんなあんたと過ごしていく内に、いつの間にかあんたを……………好きに………なってた…」

重ねられていた翼宿の両手に、涙が零れ落ちる。
「だけど、あんたが黙ってインターンシップに行った時にあんたには夢があるって今更気付いた…だから、これ以上邪魔しちゃいけないって思ったの。きちんとお別れのメール送って…ちゃんとあんたを諦めて…それが翼宿にとって一番いい事だと思った。だから…」
その言葉の続きを塞ぐように、翼宿の唇が柳宿の唇を塞いだ。
「た………!!」
「その言葉…今度こそ、ホンマやな?」
唇を離した翼宿の表情は、優しかった。
柳宿は何も言い返さず、その大きな瞳で翼宿の行為の真意を問う。
「俺はな…お前から逃げたんや…」
「翼宿…?」


「………好きな女とバンド続けてく事が、辛くなったから」


「えっ…!?」
「せやけど…俺、戻るわ、柳宿。いくら音楽の腕があがってもあそこにはない、大事なもんがここにはあるから…」
翼宿は、まだ彼の言葉が信じられない柳宿の体を力の限り抱きしめる。

「それで…これからは、俺の傍におれ」

「た…すき…」

やっとその言葉の意味が分かり、柳宿は翼宿を抱きしめ返す。


「翼宿…!!大好き…大好きだよっ…!!」


もう、二度と離さない―――
夢より愛を選んだ翼宿は、愛する人を抱きしめながらそう誓った。
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