空翔けるうた~02~
公式サイトで発表された、柳宿の怪我とツアーの中止。
ファンは皆残念がってはいたが、ダウンロードシングルの件もあって世間に受け入れられ始めていた柳宿の人望は厚く、彼女を励ますファンレターが事務所にたくさん届けられていた。
「………やっぱり、振替公演やりたいよなあ」
「そうですよね。全国をもう一度回りきるのは無理でも、柳宿が元気になったら何かの形でやりたいです。あいつも、それを一番に望んでるだろうし」
夕城プロと鬼宿は、事務所のロビーの椅子でそのファンレターを広げながら話し合っていた。
Plllllll
すると夕城プロの携帯が鳴り確認すると、ディスプレイには「SUZAKU HOUSE 店長」の文字が映し出されていた。
それは、空翔宿星のホームの父からだった。
「はい、もしもし」
『ご無沙汰してます。夕城プロ…柳宿の具合、どうなんですか?』
「ああ…店長さん。わざわざ、ありがとうございます。順調に回復はしてるみたいですけど、まだ元気はないです…」
『昔から、メンバーの中で責任感が強かったからですね…あいつは。うちの客も、嘆いてましたよ。柳宿が怪我してツアーが中止になって、残念だって…』
「……………………」
『夕城プロ?』
「あっ!!!!」
いきなり閃いた夕城プロに、電話の向こうの店長とそれを見守っていた鬼宿が同時に驚く。
「店長!!折り入って、ご相談が…!!」
顔を輝かせ息急ききりながら、電話の向こうに向かってまくしたて始める夕城プロ。それは、空翔宿星の夢の続きの提案だった。
今日の柳宿の病室には、美朱と鳳綺がお見舞いに来ていた。
「翼宿さんが…来ない?」
「そうなの。あれから、ずっと…」
「あれからって…柳宿先輩が怪我した日からですか?もう、二週間になりますよね…?」
あれから、二週間。徐々に落ち着きを取り戻し始めていた柳宿だが、今、彼女を悩ませている問題がもうひとつ増えていた。
それは、あの夜以来、翼宿が一度も病院を訪れていない事だ。
「………うん。たまや夕城プロは代わる代わるお見舞いに来てくれるんだけど、あの二人もずっと連絡取れてないみたいで…」
「…どうしたんでしょうね?何か、あったのかしら?」
「やっぱり…怒ってるのかな」
「そんな!翼宿さんは、そんな理不尽な事で怒る人じゃないですよ!」
一晩中抱きしめてくれていた日、確かに彼の怒りは微塵も感じられなかった…だとしたら、他にも原因はあるのだろうか?
「まあ…また、大学に呼び出されたりしてるんじゃないの?彼、20個もレポート貯めてたんでしょ?きっと、その内連絡が来るわよ…」
「うん…」
「柳宿―――柳宿!!」
その時、夕城プロが鬼宿を引き連れ息を切らしながら病室に駆け込んできた。
「夕城プロ…だから、声がでかいですよ!」
「お兄ちゃん!鬼宿も?」
「何だ、美朱!来てたのか!
それより!柳宿に、朗報だ!お前が退院して落ち着いたら、ツアーの振替公演が出来る事になったぞ!!」
「えっ…?」
「全国ツアーじゃないけどな、お前らのホームの「SUZAKU HOUSE」を一週間貸し切って7daysのホームツアーをやる事になったんだ!7日間もあれば地方の人間も集められるし、何よりホームに帰ってのライブなら話題性も抜群だろ!?」
「えっ!それ、スゴーーーい!!お兄ちゃん♡♡」
「よかったじゃない、柳宿!」
呆気にとられる柳宿は、鬼宿の顔を見る。
「………たま。翼宿は…」
「ちゃんと、俺から連絡しといたよ。きっと、大丈夫だ。よかったな!柳宿」
その言葉に、柳宿に久々の笑顔が見えた。
夢の続きを奏でられる。
また………三人で。
カチッ…カチカチ
夕焼けが差し込むマンションの一室。翼宿は、自宅のパソコンのメールを開いた。
スクロールしていき、20件のレポート催促メールに紛れていたその「計画」のメールを開く。
『空翔宿星 翼宿様
ご無沙汰しております。「青龍レコード」プロデューサーの、心宿です。
先日は突然のお誘いにも関わらず、取締役の接待にお付き合いいただきまして、ありがとうございました。
あれから社長もすっかりあなたの事を気に入り、その活躍を見守ってまいりました。
あなたの何にも流されないその人柄と飛び抜けたパフォーマンスには、大変感服いたしました。
さて、ここからが本題です。
今年、弊社にて水面下で計画を進めていた、有望なバンドグループから才能あるパートを一人ずつ引き抜くプロジェクトを始動いたします。
是非、あなたをベース担当として迎え入れたい。
収入は現在の倍になり、売上も見込まれているためスタートから武道館でのデビューライブも決定しています。
一度活動をしてみて意気投合したら正式に契約していただく、インターンシップのようなものです。
翼宿さんからの、よいお返事をお待ちしております。
「青龍レコード」プロデューサー 心宿』
そう。それは、他社からの引き抜きの誘いのメール。
柳宿の見送りが中断されていた期間、帰り際に翼宿を待ち伏せていたこの心宿という男に声をかけられ接待に付き合った事があるのだ。
当然饒舌に喋らされる事もなく淡々と質問に答えていくだけの、ビジネスライクな飲みの場だったのであるが。
すっかり目をつけられ流れで連絡先を交換したところ、このような連絡が舞い込んできたのだ。
そこまで読んで、翼宿は両手を組みながら考える。
以前までの自分なら、間違いなくこの誘いを断っていた。
このインターンシップに参加するという事は、今の仲間を裏切る事。今の仲間を大切に思っていた時期からは、到底考えられない事だった。だけど…
『た…すき…、ごめん…ごめんね…』
あの夜、翼宿は今まで味わった事のない辛さを感じていた。
見たことがないような柳宿の泣き顔を見た瞬間に理性で抑えていた欲望が暴走しそうになり、気付けば自分から彼女を抱きしめていたのだ。
それは兄心ではなく、一人の男としての心からの行為。
柳宿があんなに感情的にならなければ、もしかしたらその先も求めていたかもしれない。
それを考えるだけで、自分の事が恐ろしく感じるのだ。
きっと、自分も柳宿が好きなのだ。
だけど恋すらマトモにしてこず音楽だけを誰よりも愛して続けてきた自分が突然女を愛してしまったら、何かが変わってしまう気がする。自分が、自分じゃなくなってしまう気がする。
このまま彼女と一緒に活動をしていくと、いつか彼女を自分を壊しそうで怖い。
この二週間、その事ばかりを考えてベースにも手をつけない日々が続いていたのだ。
♪♪♪
手元の携帯から、メッセージ着信を知らせるメロディが鳴った。
先程届いていたメッセージもまだ確認しておらず、未読は2件になっていた。
開封すると、メンバー二人からの連絡。
『翼宿!空翔宿星のホームツアーが決まったぞ!一度、連絡くれないか?鬼宿』
『たまから聞いたと思うけど、どうにかリベンジ出来そうだね。最近、忙しいの?落ち着いたら、また連絡ちょうだいね。柳宿』
大好きな「空翔宿星」を続けられるのに、そのメッセージに笑みすら零れない。
離れたい。「空翔宿星」から、彼女から、離れたい。
「俺………どうなってまうんやろか………」
ニャ~?
先程から心配そうにご主人を見上げていたタマは、悲しそうに鳴き声をあげた。
「柳宿さん!よく頑張りましたね。明日で、退院です。退院後も無理はなさらず、傷の経過を見ながら活動していってくださいね?」
「はい…ありがとうございます」
最後の検査を終え、柳宿は病院の検査室を出た。
結局、あれから翼宿の返事は来ていない。だけど、明日スタジオに行けば彼に会える。その時にたくさん話して、また関係を取り戻せばいいんだ。
何よりも退院してまた活動出来るという希望がある為、翼宿と連絡がとれずとも柳宿の足取りは軽かった。
すると、病院の中庭のベンチに見覚えのある男性の姿が見えた。
彼の橙色の髪の毛は西日に照らされて、その色と同化しているようだ。
「翼宿!?」
それは、柳宿が返事を待ち焦がれ続けていた相手。
声をかけると、翼宿は別人のような笑顔を見せた。とても寂しげで消えてしまいそうな笑顔を―――
柳宿は首を傾げながらも、彼に駆け寄る。
「翼宿!どうしたの?連絡もよこさないで…みんな、心配してたんだから!」
「すまんかったな。追加でレポート増やされてて…一段落したから、病院寄ってみたんや」
「そうだったんだ…明日で、退院だから!ごめんね、心配かけて…」
「いや…よかったやん」
しかし、隣に座ってもなぜか距離をとられているような違和感を感じた。どこがどうとは、上手く言えないのだけれど…
「ね!そういえば、ホームツアーの話聞いたよね?打ち合わせ、始まってる?」
「…いや。まだや。お前が帰ってから、始めるんとちゃうか?」
「そっか…ホントよかったよね。これで、ファンの子達に恩返しが出来る!あたし…今度こそ、頑張るからね!」
「………ああ」
翼宿は微笑むと、中庭の噴水に視線を移した。やはり、その瞳はとても悲しそうに見えて…
翼宿…どうしたの…?何か、あったの…?
「ねえ…どうして、そんなに元気ないの?何か…あった?」
「いや…寝不足でな。あんまり、頭回ってなくて」
「そうだったんだ。じゃあ、今日は早く帰って休んでよ!明日、また会えるんだからさ!」
「せやな。すまん…何か、お前の方が元気になったみたいやな」
「翼宿とたまのお陰だよ!また、明日からよろしくね!」
「じゃ…」
翼宿は立ち上がり、その場を離れようとする。
「翼宿!」
そんな彼の背中を、呼び止める柳宿。
「………辛い事があるなら、言ってね?今度は、あたしが翼宿を助けるから………」
その言葉に、翼宿の鼓動がほんの少し揺れる。
それでも、柳宿に視線は移さずに。
「…………ありがとな、柳宿」
それだけを答え、翼宿は歩き出した。
翼宿が病院に来た本当の理由は、「別離」の前に、自分が初めて本気で愛した女の笑顔を見届ける事。
病院を出ると、翼宿はある車に乗り込む。
「わざわざ迎えに来てもらって、すみません。すぐに…練習戻ります」
それは、「青龍レコード」の車。
そのまま、彼は二週間前から配属になった\"インターンシップの現場\"へと戻っていく。
恋に揺れながら音楽と向き合うのは嫌だから…だから、あいつを裏切ってあいつに嫌われればいい。それが、翼宿が出した答え。
さよなら。柳宿―――
翌日の退院後、柳宿は今後のスケジュールの確認のために事務所を訪れた。
きっと、スタジオには鬼宿と翼宿もいる筈。
しかしその前に夕城プロに挨拶をと、まっすぐに夕城プロの部屋へ向かった。
「お疲れさまです!」
扉を開けると、険しい表情で向かい合っている夕城プロと鬼宿がいた。
「柳宿!退院したのか…」
「はい!お陰さまで!どうしたんですか?そんな深刻な顔して…」
「…………………………」
明らかに、二人の様子がおかしい。それに、翼宿の姿もない。
「翼宿は…」
「翼宿は、もういない」
夕城プロの口から、真実が告げられる。
「えっ…?」
「青龍レコードのインターンシップに、引き抜かれたんだ。二週間前からずっと、翼宿はそっちに行ってる」
「インターンシップ…?」
未だにその言葉の意味が分からず、柳宿はますます首を捻る。
「でも、帰ってくるんですよね?その、インターンシップが終わったら」
「それは、分からない」
次に口を開いたのは、鬼宿だ。
「今度の武道館デビューライブが成功して馬が合えば、翼宿は移籍するかもしれない。
そしたら…空翔宿星からは、脱退だ」
移籍…脱退…信じられない言葉が並べられ、目眩に柳宿はゆらりと体を傾ける
「………っと!」
傾いた肩を受け止めたのは、空翔宿星のギタリストの天文。彼も話を聞きつけて、出勤したところだった。
「天文…」
「柳宿。退院したんだな…」
しかし、相変わらず重苦しい空気が流れるその部屋。
「みんなは…知ってたの?」
「いや。今朝、夕城プロだけに連絡があったんだ。練習再開ギリギリまで、言えなかったんだと思う」
「夕城プロ…翼宿の奴、無理矢理連れてかれたなんて事は…」
天文の問いかけに、夕城プロは首を横に振る。
「インターンシップ参加は、あいつの意思だ。ハッキリそう言っていた」
「何で…どうして…?」
「なあ?最近、あいつに変わったトコなかったか?」
「さ、さあ…俺はレポートがまた貯まってるんじゃないかと思って、そっとしてたんですけど…」
昨日、病院に来てくれた時点で翼宿はインターンシップに行っていた。
じゃあ、どうして会いに来てくれたの?
最後の罪滅ぼしの為に?だから、あんなに悲しい顔して笑ってたの?
「………帰ります」
「柳宿…」
柳宿はそれ以上詰め寄る事なく、魂が抜けたような表情で部屋を後にする。
「柳宿!また、連絡するからな!」
背中から聞こえた、鬼宿の声も無視して。
天文はそんな柳宿の後ろ姿を、唇を噛み締めながら見つめていた。
『…………ありがとな、柳宿』
翼宿の…嘘つき………
ファンは皆残念がってはいたが、ダウンロードシングルの件もあって世間に受け入れられ始めていた柳宿の人望は厚く、彼女を励ますファンレターが事務所にたくさん届けられていた。
「………やっぱり、振替公演やりたいよなあ」
「そうですよね。全国をもう一度回りきるのは無理でも、柳宿が元気になったら何かの形でやりたいです。あいつも、それを一番に望んでるだろうし」
夕城プロと鬼宿は、事務所のロビーの椅子でそのファンレターを広げながら話し合っていた。
Plllllll
すると夕城プロの携帯が鳴り確認すると、ディスプレイには「SUZAKU HOUSE 店長」の文字が映し出されていた。
それは、空翔宿星のホームの父からだった。
「はい、もしもし」
『ご無沙汰してます。夕城プロ…柳宿の具合、どうなんですか?』
「ああ…店長さん。わざわざ、ありがとうございます。順調に回復はしてるみたいですけど、まだ元気はないです…」
『昔から、メンバーの中で責任感が強かったからですね…あいつは。うちの客も、嘆いてましたよ。柳宿が怪我してツアーが中止になって、残念だって…』
「……………………」
『夕城プロ?』
「あっ!!!!」
いきなり閃いた夕城プロに、電話の向こうの店長とそれを見守っていた鬼宿が同時に驚く。
「店長!!折り入って、ご相談が…!!」
顔を輝かせ息急ききりながら、電話の向こうに向かってまくしたて始める夕城プロ。それは、空翔宿星の夢の続きの提案だった。
今日の柳宿の病室には、美朱と鳳綺がお見舞いに来ていた。
「翼宿さんが…来ない?」
「そうなの。あれから、ずっと…」
「あれからって…柳宿先輩が怪我した日からですか?もう、二週間になりますよね…?」
あれから、二週間。徐々に落ち着きを取り戻し始めていた柳宿だが、今、彼女を悩ませている問題がもうひとつ増えていた。
それは、あの夜以来、翼宿が一度も病院を訪れていない事だ。
「………うん。たまや夕城プロは代わる代わるお見舞いに来てくれるんだけど、あの二人もずっと連絡取れてないみたいで…」
「…どうしたんでしょうね?何か、あったのかしら?」
「やっぱり…怒ってるのかな」
「そんな!翼宿さんは、そんな理不尽な事で怒る人じゃないですよ!」
一晩中抱きしめてくれていた日、確かに彼の怒りは微塵も感じられなかった…だとしたら、他にも原因はあるのだろうか?
「まあ…また、大学に呼び出されたりしてるんじゃないの?彼、20個もレポート貯めてたんでしょ?きっと、その内連絡が来るわよ…」
「うん…」
「柳宿―――柳宿!!」
その時、夕城プロが鬼宿を引き連れ息を切らしながら病室に駆け込んできた。
「夕城プロ…だから、声がでかいですよ!」
「お兄ちゃん!鬼宿も?」
「何だ、美朱!来てたのか!
それより!柳宿に、朗報だ!お前が退院して落ち着いたら、ツアーの振替公演が出来る事になったぞ!!」
「えっ…?」
「全国ツアーじゃないけどな、お前らのホームの「SUZAKU HOUSE」を一週間貸し切って7daysのホームツアーをやる事になったんだ!7日間もあれば地方の人間も集められるし、何よりホームに帰ってのライブなら話題性も抜群だろ!?」
「えっ!それ、スゴーーーい!!お兄ちゃん♡♡」
「よかったじゃない、柳宿!」
呆気にとられる柳宿は、鬼宿の顔を見る。
「………たま。翼宿は…」
「ちゃんと、俺から連絡しといたよ。きっと、大丈夫だ。よかったな!柳宿」
その言葉に、柳宿に久々の笑顔が見えた。
夢の続きを奏でられる。
また………三人で。
カチッ…カチカチ
夕焼けが差し込むマンションの一室。翼宿は、自宅のパソコンのメールを開いた。
スクロールしていき、20件のレポート催促メールに紛れていたその「計画」のメールを開く。
『空翔宿星 翼宿様
ご無沙汰しております。「青龍レコード」プロデューサーの、心宿です。
先日は突然のお誘いにも関わらず、取締役の接待にお付き合いいただきまして、ありがとうございました。
あれから社長もすっかりあなたの事を気に入り、その活躍を見守ってまいりました。
あなたの何にも流されないその人柄と飛び抜けたパフォーマンスには、大変感服いたしました。
さて、ここからが本題です。
今年、弊社にて水面下で計画を進めていた、有望なバンドグループから才能あるパートを一人ずつ引き抜くプロジェクトを始動いたします。
是非、あなたをベース担当として迎え入れたい。
収入は現在の倍になり、売上も見込まれているためスタートから武道館でのデビューライブも決定しています。
一度活動をしてみて意気投合したら正式に契約していただく、インターンシップのようなものです。
翼宿さんからの、よいお返事をお待ちしております。
「青龍レコード」プロデューサー 心宿』
そう。それは、他社からの引き抜きの誘いのメール。
柳宿の見送りが中断されていた期間、帰り際に翼宿を待ち伏せていたこの心宿という男に声をかけられ接待に付き合った事があるのだ。
当然饒舌に喋らされる事もなく淡々と質問に答えていくだけの、ビジネスライクな飲みの場だったのであるが。
すっかり目をつけられ流れで連絡先を交換したところ、このような連絡が舞い込んできたのだ。
そこまで読んで、翼宿は両手を組みながら考える。
以前までの自分なら、間違いなくこの誘いを断っていた。
このインターンシップに参加するという事は、今の仲間を裏切る事。今の仲間を大切に思っていた時期からは、到底考えられない事だった。だけど…
『た…すき…、ごめん…ごめんね…』
あの夜、翼宿は今まで味わった事のない辛さを感じていた。
見たことがないような柳宿の泣き顔を見た瞬間に理性で抑えていた欲望が暴走しそうになり、気付けば自分から彼女を抱きしめていたのだ。
それは兄心ではなく、一人の男としての心からの行為。
柳宿があんなに感情的にならなければ、もしかしたらその先も求めていたかもしれない。
それを考えるだけで、自分の事が恐ろしく感じるのだ。
きっと、自分も柳宿が好きなのだ。
だけど恋すらマトモにしてこず音楽だけを誰よりも愛して続けてきた自分が突然女を愛してしまったら、何かが変わってしまう気がする。自分が、自分じゃなくなってしまう気がする。
このまま彼女と一緒に活動をしていくと、いつか彼女を自分を壊しそうで怖い。
この二週間、その事ばかりを考えてベースにも手をつけない日々が続いていたのだ。
♪♪♪
手元の携帯から、メッセージ着信を知らせるメロディが鳴った。
先程届いていたメッセージもまだ確認しておらず、未読は2件になっていた。
開封すると、メンバー二人からの連絡。
『翼宿!空翔宿星のホームツアーが決まったぞ!一度、連絡くれないか?鬼宿』
『たまから聞いたと思うけど、どうにかリベンジ出来そうだね。最近、忙しいの?落ち着いたら、また連絡ちょうだいね。柳宿』
大好きな「空翔宿星」を続けられるのに、そのメッセージに笑みすら零れない。
離れたい。「空翔宿星」から、彼女から、離れたい。
「俺………どうなってまうんやろか………」
ニャ~?
先程から心配そうにご主人を見上げていたタマは、悲しそうに鳴き声をあげた。
「柳宿さん!よく頑張りましたね。明日で、退院です。退院後も無理はなさらず、傷の経過を見ながら活動していってくださいね?」
「はい…ありがとうございます」
最後の検査を終え、柳宿は病院の検査室を出た。
結局、あれから翼宿の返事は来ていない。だけど、明日スタジオに行けば彼に会える。その時にたくさん話して、また関係を取り戻せばいいんだ。
何よりも退院してまた活動出来るという希望がある為、翼宿と連絡がとれずとも柳宿の足取りは軽かった。
すると、病院の中庭のベンチに見覚えのある男性の姿が見えた。
彼の橙色の髪の毛は西日に照らされて、その色と同化しているようだ。
「翼宿!?」
それは、柳宿が返事を待ち焦がれ続けていた相手。
声をかけると、翼宿は別人のような笑顔を見せた。とても寂しげで消えてしまいそうな笑顔を―――
柳宿は首を傾げながらも、彼に駆け寄る。
「翼宿!どうしたの?連絡もよこさないで…みんな、心配してたんだから!」
「すまんかったな。追加でレポート増やされてて…一段落したから、病院寄ってみたんや」
「そうだったんだ…明日で、退院だから!ごめんね、心配かけて…」
「いや…よかったやん」
しかし、隣に座ってもなぜか距離をとられているような違和感を感じた。どこがどうとは、上手く言えないのだけれど…
「ね!そういえば、ホームツアーの話聞いたよね?打ち合わせ、始まってる?」
「…いや。まだや。お前が帰ってから、始めるんとちゃうか?」
「そっか…ホントよかったよね。これで、ファンの子達に恩返しが出来る!あたし…今度こそ、頑張るからね!」
「………ああ」
翼宿は微笑むと、中庭の噴水に視線を移した。やはり、その瞳はとても悲しそうに見えて…
翼宿…どうしたの…?何か、あったの…?
「ねえ…どうして、そんなに元気ないの?何か…あった?」
「いや…寝不足でな。あんまり、頭回ってなくて」
「そうだったんだ。じゃあ、今日は早く帰って休んでよ!明日、また会えるんだからさ!」
「せやな。すまん…何か、お前の方が元気になったみたいやな」
「翼宿とたまのお陰だよ!また、明日からよろしくね!」
「じゃ…」
翼宿は立ち上がり、その場を離れようとする。
「翼宿!」
そんな彼の背中を、呼び止める柳宿。
「………辛い事があるなら、言ってね?今度は、あたしが翼宿を助けるから………」
その言葉に、翼宿の鼓動がほんの少し揺れる。
それでも、柳宿に視線は移さずに。
「…………ありがとな、柳宿」
それだけを答え、翼宿は歩き出した。
翼宿が病院に来た本当の理由は、「別離」の前に、自分が初めて本気で愛した女の笑顔を見届ける事。
病院を出ると、翼宿はある車に乗り込む。
「わざわざ迎えに来てもらって、すみません。すぐに…練習戻ります」
それは、「青龍レコード」の車。
そのまま、彼は二週間前から配属になった\"インターンシップの現場\"へと戻っていく。
恋に揺れながら音楽と向き合うのは嫌だから…だから、あいつを裏切ってあいつに嫌われればいい。それが、翼宿が出した答え。
さよなら。柳宿―――
翌日の退院後、柳宿は今後のスケジュールの確認のために事務所を訪れた。
きっと、スタジオには鬼宿と翼宿もいる筈。
しかしその前に夕城プロに挨拶をと、まっすぐに夕城プロの部屋へ向かった。
「お疲れさまです!」
扉を開けると、険しい表情で向かい合っている夕城プロと鬼宿がいた。
「柳宿!退院したのか…」
「はい!お陰さまで!どうしたんですか?そんな深刻な顔して…」
「…………………………」
明らかに、二人の様子がおかしい。それに、翼宿の姿もない。
「翼宿は…」
「翼宿は、もういない」
夕城プロの口から、真実が告げられる。
「えっ…?」
「青龍レコードのインターンシップに、引き抜かれたんだ。二週間前からずっと、翼宿はそっちに行ってる」
「インターンシップ…?」
未だにその言葉の意味が分からず、柳宿はますます首を捻る。
「でも、帰ってくるんですよね?その、インターンシップが終わったら」
「それは、分からない」
次に口を開いたのは、鬼宿だ。
「今度の武道館デビューライブが成功して馬が合えば、翼宿は移籍するかもしれない。
そしたら…空翔宿星からは、脱退だ」
移籍…脱退…信じられない言葉が並べられ、目眩に柳宿はゆらりと体を傾ける
「………っと!」
傾いた肩を受け止めたのは、空翔宿星のギタリストの天文。彼も話を聞きつけて、出勤したところだった。
「天文…」
「柳宿。退院したんだな…」
しかし、相変わらず重苦しい空気が流れるその部屋。
「みんなは…知ってたの?」
「いや。今朝、夕城プロだけに連絡があったんだ。練習再開ギリギリまで、言えなかったんだと思う」
「夕城プロ…翼宿の奴、無理矢理連れてかれたなんて事は…」
天文の問いかけに、夕城プロは首を横に振る。
「インターンシップ参加は、あいつの意思だ。ハッキリそう言っていた」
「何で…どうして…?」
「なあ?最近、あいつに変わったトコなかったか?」
「さ、さあ…俺はレポートがまた貯まってるんじゃないかと思って、そっとしてたんですけど…」
昨日、病院に来てくれた時点で翼宿はインターンシップに行っていた。
じゃあ、どうして会いに来てくれたの?
最後の罪滅ぼしの為に?だから、あんなに悲しい顔して笑ってたの?
「………帰ります」
「柳宿…」
柳宿はそれ以上詰め寄る事なく、魂が抜けたような表情で部屋を後にする。
「柳宿!また、連絡するからな!」
背中から聞こえた、鬼宿の声も無視して。
天文はそんな柳宿の後ろ姿を、唇を噛み締めながら見つめていた。
『…………ありがとな、柳宿』
翼宿の…嘘つき………