空翔けるうた~02~

タコパの翌日から、空翔宿星全国ツアーのリハーサルがスタートした。
既にFCの先行枠は即日完売しており、事務所は相当張り切っていた。
「はい!おはようございます、おはようございま~す!はい、柳宿にも一本な!」
「へ?栄養ドリンク…」
「スタッフみんなに配ってるんだ!一人でも倒れたら、ツアーは成功しないからな!」
「ははは…まだ一ヶ月あるのに、張り切りすぎですよ~」
出勤してきた柳宿の表情を見て、夕城プロはホッとする。
「何か、スッキリした表情になってるな。よかった…」
「え?何の事ですか?」
「鬼宿が、心配してた事…俺だって、心配してたんだからな!」
「あ、はは…ありがとうございます。大丈夫です!ツアーは集中してやりますので」
「その後は、たくさん遊べよ?その代わり、撮られないように綿密な計算をしてな!」
「なっ、何言ってるんですか!」
「おはよう、柳宿!何か、上手くいきそうだな?ん?」
その後ろから、昨夜の事の経緯を聞いた鬼宿が柳宿の肩をがっしと掴む。
「もう…二人とも、やめてよ…」
まだ分からない。分からないけれど、夕城プロと鬼宿には何となく柳宿の思いが翼宿に伝わる、そんな気がしていたのだ。


『そろそろ、お返事をいただけませんでしょうか?』
一方、翼宿は喫煙室で煙草を吸いながら、携帯に受信したあるメールを眺めていた。
『あの話』それは、水面下で動いていた翼宿に関する計画。夕城プロにもメンバーにも、話していない事だった。
ため息をつきながら携帯をポケットにしまい、煙草の火を灰皿に押し付けた。
カチャ…
「………翼宿」
喫煙室の扉を開けると、制作室に向かう途中の柳宿と出会い頭になった。
「はよ」
「あ、昨日はありがとね?あたし、たこ焼きの素すっかり置き忘れてて…あの後、どうなった?」
「タマに、全部食わせた」
「ええっ!?」
「嘘や、嘘。まあ、その内一人で回すわ」
「………何か、それ悲しい」
いつも通りのやりとりにホッとした柳宿は、制作室への階段を降りる。
「あ、柳宿」
「何?」

「……………その、たまにメシ作りに来いや」

「……………へ!?」
「いや………美味かったから。お前のつまみ」
「………翼宿」
それは、昨日語られる事のなかった柳宿の料理の感想。
「タマも…喜ぶし。な」
そして向けられた翼宿の笑顔は、今までにないくらいに優しくて。
「うん…また、行くね」
何も変わらないのだけれど…そこには、いつもと違う空気が流れていた―――


「リハーサル入りまーす!よろしくお願いしまーす!」
(へへっ…何だか、奥さんになった気分♡
って!まだまだ!約束の日は、まだ先なのよ!)
リハーサルスタジオに入ってもしばらくニヤつきが止まらない柳宿はキーボードの前に立つと我に返り、自分の頬を叩いて気合いを入れ直す。
今日から通し稽古を行いながら全体のセットリストをまとめていく為、メンバーとスタッフはリハーサルスタジオに集合していた。
「んだよ、柳宿。一人でニヤニヤして…気持ちわりぃな」
「な、何よ。天文…失礼ね!」
ギターサイドから声をかけるのは、チューニングをしている天文だ。
「………いい事、あったのか?」
「え?」
「その…よかったな。幸せになれよ」
「天文…………ありがとう」
天文もまた柳宿を心配していた人物の一人。だが、柳宿の幸せそうな笑顔を見られるならもう何も文句はなかった。

「ここのシールドたるんでるな。きちんと、巻き直しておけ」
「は、はい!すみません…」
メンバーの横では、先輩に指示を受けた新人の女性スタッフが機材の整頓をしている。
すると、そのスタッフの頭上のライトが僅かに軋んだ。

「ん…?」
柳宿は気配を感じて振り返るが、特にスタジオ内に変化は見当たらない。
気のせいかと空を仰ぎ、ライトの異変に気付く。部品が弾けたライトの本体が、シールドを巻き直しているスタッフの頭上へ音もなく落ちてくる………

「危ない!!」

ガシャアアアン!!!

「ぬっ、柳宿!?」
「きゃあっ!!柳宿さん!!」

激しい衝撃音が響き渡り、後に広がったのは鮮血。
柳宿はそのスタッフを庇って、落下したライトの下敷きになっていた―――



「…………ん」
柳宿が次に目を開けると、そこは病院のベッドの上だった。
「柳宿!分かるか?」
枕元にいたのは、夕城プロだった。
「夕城プロ…あたし…?」
「よかった!よかった~!!
お前、何て無茶を…!ライトの下敷きになったんだよ!スタッフ庇って!」
「え…いたっ…」
思い出そうとすると、頭がズキリと痛む。
自分の頭と腕には何重にも包帯が巻かれており、体の自由がきかない。
「幸い大事に至らなかったけど、全治一ヶ月だってさ。
こりゃ、ツアーは無理だな…」
「えっ…!?」
それは、自分が怪我をした事よりも衝撃的な事実。


鬼宿と翼宿、そして天文は、関係者達と病院のロビーで話し合いをしていた。
「じゃあ、さっき夕城プロが話した通りで。ツアーは、見送り。先に、半年の休暇に入ろう。それで、いいな?」
「しょうがない…不慮の事故だ。柳宿が無事だっただけでも、幸運と思おう」
「すぐに、公式サイトにアップを…」
関係者同士が話をまとめ終わると、それぞれが仕事に戻っていく。
「ごめんなさい、ごめんなさい…わたしのせいで…」
「謝らないでください。あなたのせいじゃないです」
柳宿が庇ったスタッフは先程から泣き崩れており、鬼宿が横からそれを宥めている。
翼宿は険しい表情で腕を組み、ずっと黙ったまま。
「俺もマネージャーに報告しなきゃいけないから、事務所戻るわ。後…頼んだぜ?」
「ああ。天文も、ありがとう。
…翼宿。柳宿の様子、見に行くか?」
「………せやな」


二人が病室の前に着くと、中からは柳宿の叫び声が聞こえた。
「大丈夫です!夕城プロ!あたしなら、平気ですから!ツアーは中止しないで…いっ…!!」
「柳宿…」
「柳宿!」
鬼宿が扉を開けると、夕城プロが暴れる柳宿を宥めていた。
「たま…翼宿…」
柳宿の頬は、涙で濡れている。
「辛いけど…中止だよ。とてもじゃないけど、お前を暫くはステージに上がらせられない」
「そんな…そんな事ないよ…!あたし、スゴく楽しみにしてたし…だから…!」
翼宿はそんな柳宿の両肩を掴み、そっとベッドに寝かせる。
「…翼宿」
「…暴れるな。傷に響く」
「だって…だって、あたし…」
鬼宿と夕城プロは、黙ってその様子を見守っていた。


「柳宿は…?」
病室の前の長椅子に座っている鬼宿と翼宿に、夕城プロは珈琲を手渡しながら尋ねる。
「ずっと、泣いてます…」
「そうか…」
「人一倍頑張り屋ですから、相当答えたんだと思います…」
無理もないと、夕城プロは首を横に振る。
「………んで」
「え?」

「何で、あいつなんや…」

ポツリと呟き額を抱えた翼宿に、驚く二人。
「た、翼宿…?」
「俺が代わりに怪我してれば、こんなに泣かせる事もなかったのに…」
「…んな事、言うなよ。柳宿に叱られるぞ?」
悔しそうにギリと唇を噛んでいる翼宿の表情に、鬼宿は彼の彼女への愛を感じた。

「………傍にいてやれよ、翼宿」

「………………」
「…帰ろうか、鬼宿。翼宿、後は頼んだぞ」
「はい。お疲れさまでした…」
鬼宿と夕城プロは翼宿に後を任せ、先に帰っていった。


カラカラ
翼宿が病室の扉を開けると、防音壁の外では小さく聞こえていた柳宿の泣き声が大きくなった。
「………おい。もう、真夜中やぞ。トーン落とせや」
しかし、彼女は泣き止まない。
「………柳宿」
両手を覆って泣いている柳宿の肩にそっと手を置くと、その肩は異常に震えていた。
壊れてしまいそうな柳宿に触れて、翼宿の心も引き裂かれそうになる。
「っく…うっ…た…すき…、ごめん…ごめんね…」
「もう、ええて…お前が無事なら…ただ、それだけで…」
「でも…でもっ…」
翼宿は、顔をあげた柳宿を強くその胸に抱き寄せる。

「分かったから…気が済むまで、泣け。こうしてれば、外にもあんまり聞こえんやろ…」

そうして一晩中、翼宿は柳宿を片時も離さず、また、そんな腕の中で柳宿は存分に泣き続けた―――
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