空翔けるうた~02~

応接室に通された翼宿は、夕城プロと向かい合って座っていた。
「ごめんな?いきなり…だけどこんな機会でもなけりゃ、君とも話せないと思ってね」
「いえ。先日はわざわざお越しいただいたのに、お礼のひとつも言わずに…俺…」
「いいんだよ~僕が、勝手に行ったんだから!」
へらへらと笑う夕城プロの姿は、高飛車さは感じられず寧ろ親しみやすい。
他人と打ち解けるのに時間がかかる翼宿でも、この人は嫌いじゃないと素直に思えた。
「でも、ずっと気になってたんだ。メジャーデビューの話をした時に、浮かない顔をした君の事…」
「…………………」
「あれから、メンバーと何か話したかい?」
黙って首を振ると、夕城プロは小さくため息をついてソファに寄り掛かった。
「そうなのか。君には、興味がない世界だったのかな…?」
「いや…お声掛けいただいた事は、とても嬉しかったです。元々、俺は音楽で飯食っていきたいって思ってました。まさかこんなに早く…って、俺もあいつらと同じ気持ちでした。ただ…」
「ただ?」

「もう少しだけ、あいつらと夢を追い続けられたらって…思ってたんです」

自分でも意外に感じられるその気持ちを聞いて、相手も意外な顔をする。
「こんな機会もう二度とないかもしれないって、分かってるんです。だけどやっとバンドも波に乗ってきてあいつらとも信頼関係築けてきて…って思ってたところだったんで、ここからデビューってなると…」
「ちょっと、早すぎると…?」
翼宿は、黙って頷く。
「俺個人としてはまずはインディーズで何枚か音源を出して、それで手応えがあれば応募を…って、思ってました」
それから暫く沈黙が続き、翼宿はまずかったかと夕城プロの表情を伺う。
こんな有難い機会に芸能界から背を向けるような発言をしてしまっては、夢がますます遠ざかってしまうかもしれない。
しかし、彼の表情は感嘆に満ちていて…
「………あの?」

「君は…未来を見据えて、ちゃんと考えていたんだね」

「えっ…?」
「確かに、メジャーデビューは華々しい事ばかりではない。一気に業界人や一般人の目が集まり、今まで当たり前に出来ていた事が出来なくなる。個々の実力の差も浮き彫りになって仲がよかったメンバーが突然仲間割れして、すぐに解散…といった事も珍しくない。君は、そこまで考えていたんだな…」
「………俺、今まで仲間との関係とかそんなん気にせず、好きな音楽続けられればそれでいいって思ってたんですけど…」
「それだけ、素敵な仲間なんだよ。君達の演奏を見ていれば、分かる」

何に対しても前向きでパワフルな鬼宿と、何かと面倒をかけるが一生懸命に音楽と向き合う柳宿。
翼宿はいつしかこの二人なしでは音楽を続けられないと、そう、思い始めていたのだった。

夕城プロは、翼宿にそっと名刺を差し出す。
「奎介さん…?」
「君から、連絡をくれ。君の声で、今回の件を進めるか否か聞きたいんだ」
それを受け取ると、夕城プロは穏やかな笑みを向けた。
「今日は、ありがとう。話せて、よかった。今回の件が白紙になったとしても、今の君にとって一番大事なものは何かその答えを見つけてくれさえすれば俺はそれでいいからね」
その優しすぎる言葉を受けて、翼宿は黙って頭を下げた。


♪~♪~♪
翼宿がスタジオに戻ると、聞き覚えのあるピアノがとある部屋から聞こえてきた。
それは、柳宿のピアノだった。彼女は、一人自主練をしていたのだ。
「毎週土曜日の夕方は、あいつ個人のシフト予約なんだ」
後ろから声をかけられ振り向くと、店長が立っていた。
「店長…」

喫煙室で、二人は互いに煙草に火をつけあう。
「悪かったな、お使いまで頼んで。ほら、忘れもん」
「ありがとうございます………さっき、奎介さんに会いました」
「えっ…?そうなのか?」
翼宿は、話した。メジャーデビューを受け入れられなかった理由と、夕城プロにそれを話してきた事を。
店長は黙ってそれを聞いていたが、笑みを溢しながら口を開く。
「それは、取り越し苦労だなあ。翼宿…」
「え?」
「あいつらは、お前が思うよりよっぽどお前を応援して力になりたいと思ってるんだぞ?
お前がよく練習に遅刻してくる度に、あの二人は休憩所でお前の事を熱弁してたもんだ」


『俺なんかさ~あいつがスタジオで前のバンドのドラムに手あげられそうになった時に、勢いで飛び込んでいっちまって…めちゃめちゃ怖かったんだぜ?だけど、許せなかったんだ。翼宿をバカにする奴が…』
『あたし、翼宿の歌声大好きなんだ…今でも、同じステージで聞いててドキドキする。あんな才能ある奴が認めてくれたんだもん…もっともっと、頑張らないとね』


翼宿はそれを聞くと、照れからか黙って髪をかきむしる。
「大丈夫…お前らは、やれるよ。こんなにもお互いを大事に思ってるんだから、何があっても三人で乗り越えていける…」
「………店長」
「たまには、顔出してくれよ?お前らに会えなくなるの、俺だって寂しいんだからよ!」
「すみませ~ん」
「あいよ!じゃあな」
受付から聞こえた声に店長は煙草の火を消し、喫煙室を出ていった。
(店長…ありがとうございます)
偉大な父親の背中を見送りながら、翼宿は心でそう呟いた。

♪~♪~♪
ひとつの曲を演奏し終えると、冷たいボトルが柳宿の頬にあたった。
「………!翼宿!」
「お疲れ。自主練してたんやて?知らんかったわ」
いつのまに入ってきたのか。翼宿は、柳宿に飲料水を手渡した。
「あ…ありがとう。ここの方が、集中出来るからさ」
「…そっか」
いつもより優しい表情の彼に、柳宿はなぜかドキリとする。
ピアノの椅子に柳宿と反対向きに寄り掛かり、翼宿も買ってきた飲料水を飲む。
「あ…あのさ。翼宿…」
「何や」
「まだ、迷ってる?デビューの事…」
「…………」
「どうして?何かあったの?それとも、あたしの力不足…とか?」
「はあ?」
意外な質問に翼宿は含み笑いしながら、柳宿の顔を覗きこむ。
「だって!あんなにデビューしたがってたのにいきなり渋るなんて…って、たまも言ってたし。翼宿の気持ちに変化があったんだとしたら、あたしがキーボード下手くそなせいなのかとか、それともそれ以外でも翼宿に迷惑かけてたからそのせいなのかとか…色々、考えちゃって…」
「それで、今日も時間延長して練習してた…とか?」
翼宿は、知っていた。柳宿のイニシャルで書かれていた練習予定表の時間が、一時間延長されていた事を。
黙って頷いた柳宿の頭を、翼宿はくしゃりと撫でた。
やはり音楽に関しては、純粋すぎるほど真面目で努力家。そんな彼女の愛らしい努力を称えるように。
「翼宿…?」
「すまんな、余計な心配かけて。そんなんやないから…」
「でもっ…」
「明日には結論出すから、待っとけ」
翼宿は立ち上がると、ドアへ向かって歩き出す。
「ああ。それと…」
「ん…?」

「俺はお前以外の女と演奏したいなんて、一瞬でも思った事あらんからな」

柳宿が耳を疑った頃には、彼はスタジオを出ていった後だった。
残された柳宿の胸は、なぜかドキドキしていて。
「何…言ってんのよ」
そう吐き捨てると、その心臓の鼓動をかき消すように鍵盤の蓋を閉じた。
だけど、翼宿にとって自分は特別。与えられたその称号は、柳宿の心に確かに自信を与えた―――



翌日。翼宿は、鬼宿と柳宿をスタジオに呼び出した。
「それで…どうするんだ?翼宿」
二人は例の話の結論だと分かっていたので、身を固くして彼の返事を待つ。
「お前ら。覚悟は、あるんか?」
手を組んで交互に二人の顔を見て、翼宿は問いかける。
「そ…そりゃあ、もちろん!!俺は、あの日からお前をサポートするって決めたんだよ!!」
「あたしだって…!!翼宿に迷惑かけないように、もっともっと頑張る!だから…」
その返事を聞き安堵したように微笑むと、翼宿は携帯を取り出して耳に当てた。
「えっ…翼宿?どこに電話…」
「ああ、奎介さん?翼宿です」
その名前に、二人はあっ!と顔を見合わせる。


「ええ…デビューの件。………やってみます。よろしくお願いします…」


「「翼宿!!!!」」
顔を輝かせた二人に、翼宿はニヤリと笑いながら電話を切る。
「期待しとるで、たま。柳宿は…あんまりしとらん」
「なっ、何よ、それぇ!!」
そんな光景を見て、スタジオの店長はまたひとつのバンドがここを巣立つ事を悟った。


空翔宿星結成5ヶ月目。
メジャーデビューにして、三人はこれから起こるたくさんの出来事にその絆を試される事になる。
そして翼宿と柳宿がお互いの気持ちに気付く時に、そこには様々な障害が待ち構えているという事に二人はまだ気付かずにいた―――
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