空翔けるうた~02~
空翔宿星1stアルバム「孔雀」
オリコン初登場1位・初動売上130万枚
渋谷の空翔宿星のホームに程近い例のCDショップには、お祭り並の空翔宿星ディスプレイが飾られていた。
「初回と通常で、ボーナストラックが違うんでしょ!?もう、全部買っちゃう♡」
ディスプレイの前に挙って集まる女性達は口々に同じ台詞を叫びながら、積み上げられたCDの山に手を伸ばす。
「………こりゃあ、また二時間で完売か~」
いつもより十分多めに発注したので今度こそ問題はないと思っていた店長はどんどん高さを失っていくCDの山を目にして、売り場の後ろで思わず頭を抱えていた。
その頃、空翔宿星の三人はやっと訪れた暫しの休息を楽しんでいた。
とはいっても先日大雨で孤立した被災地支援の為に依頼された新曲を作る為、それぞれ「出勤」はしていたのだが。
今回の新曲の作詞担当は翼宿、作曲担当はいつも通り柳宿だ。
「うーん?バラードのレパートリーが少ないから、バラードで行った方がいいわよねえ」
「お前、それどっちにするか先に言えよ。歌詞と曲の雰囲気がバッティングすると、最悪や」
「分かってるわよ~急かさないでよ」
スタジオにいるのは、翼宿と柳宿。先日のトラブルメーカー二人組である。
血と汗と涙の努力でようやくアルバムを完成させた二人の仲はすっかり元通りになっており、柳宿の希望により翼宿の見送りの習慣も復活していた。
そう。二人きりになるのなんて、前と変わらず日常茶飯事なのだが…
曲を作りながら茶菓子をつまみ食いしていた二人の間に、最後の一つの茶菓子が残る。
特に気にも留めずお互いそれに手を伸ばし、指が触れ合った。
途端に手を引っ込めたのは、柳宿。翼宿も少し驚いた表情で、彼女を見る。
『せめて一緒にいる時は、もうこんな思いさせんでくれ』
『…………翼宿。あたしが…あたしが、好きな人はね…』
固く抱き合いもう少しで核心に触れそうになったあの日から、まだ一ヶ月足らず。
特に女の柳宿にとって、あれ以来の接触は自然と身が固くなる。
「あ、あの…」
「……………」
視線はそのままに茶菓子をゲットした翼宿は、それを静かに口に運ぶ。
「……………」
「何やねん?狐に摘ままれたような顔して」
「あんたさ、そういう時は女に譲るもんじゃないの?」
「そんな男女差別、俺はごめんや」
「………もう!翼宿のバカ!」
まあちょっと意識しても、こんな感じで翼宿に茶化され柳宿がむくれる。
柳宿はまた同じ手法かとため息をつき、仕事に戻る。
次にあんたに気持ちをちゃんと吐き出せる日は、いつになるんだろう―――?そんな事を考えながら。
「いらっしゃいませ~」
とある花屋を訪れたのは、とある人物の妹であり長いロングヘアーを二つに束ねた少女だ。
「すみません…花束ください!両手いっっっぱいの!」
「………はい。お待ちください」
両手を大きく広げて注文するその少女に店員は可愛いなと笑みを漏らすと、店内の花の選別を始めた。
そう。その人物の名は、夕城美朱。
「夕城プロ。これ、新曲です!詞と曲のイメージも擦り合わせ済です。お願いします」
「おお~ご苦労さん!悪いな、休暇前に…被災地の人達、喜ぶよ」
「いえいえ!こんな事でよければ、またいつでも協力しますよ」
「GOが出たら、休暇明けに編曲だな」
一方あれからものの一時間で曲を完成させた柳宿は夕城プロの部屋を訪れ、その新曲を提出した。
「柳宿。その…よかったな。翼宿と仲直り出来て…」
「はい。その節は…すみませんでした」
「いやいや!その節のその節は、俺こそすみませんでしたっていうか!」
「………へ?」
「い、いや!お前がいいなら、俺は別に…」
あれから二人の間に何ら変わったところはないと鬼宿から逐一報告は受けてはいたが、二人きりで仕事をしても特に関係に変化がないところを見て夕城プロもこっそり胸を撫で下ろす。
応援する気にはなったものの、まだまだ気が早いといえば気が早いので…
「ところで明日から休暇に入る訳だが…お前ら、少しはあいつの事も労ってやれよ?」
「あいつって?」
「鬼宿だよ」
そうだ。自分達がトラブルになっても誰も責めずにずっと成り行きを見守ってくれたのは、他でもない。我らがリーダーだ。
「俺も迷惑かけっぱなしだけど、あいつは本当にいい奴だよ。優しいし誠実だし気が利くし…俺は、たまちゃん自身も心配だよ」
「そうですね…あたしと翼宿で、今度、お酒ご馳走します!あ。あたしは、引き続き飲めないんですけどね…」
「そうしてくれ。そして、俺も混ぜてくれ」
そこに夕城プロが混ざっては労う会ではなくなりそうだが、柳宿は渋々頷いた。
「ああ!そうだそうだ、曲作りも一段落したしさ!妹と、昼飯にでも行ってあげてくれよ!」
「えっ…?美朱、来てるんですか?」
「そ!ちょっと調子悪くて入退院繰り返してたんだけど先月やっと退院出来て、真っ先に柳宿に会いたいって言ってたから連れてきてるんだ!用事があるって今は出てるみたいだけど、戻ったら呼ぶよ!」
「久々ですねv楽しみだなあ~」
バタン
少し遅れてスタジオの駐車場に到着した鬼宿は、車のドアを閉める。
今回の楽曲の制作段階では彼の出る幕はないが、休暇明けの予定の打ち合わせをする為彼もまた出勤していたのだ。
やっと嵐が去ったスタジオを見上げ、ふっと息をつくと玄関に向かっていく。
「………あのっ!」
そこに少女の声が聞こえ、鬼宿は振り向いた。
「鬼宿さん…ですよね?」
「あっ…」
彼女の顔には、見覚えがある。
確かデビュー前のライブで大変だったところを迎えに行き、そのライブを見てプロデューサーの兄に直談判して空翔宿星を芸能界に迎え入れてくれた恩人。
「美朱ちゃん?美朱ちゃんだよね?」
名前を呼ばれた美朱は両手いっぱいの花束を胸に、頬を染めて笑う。
「お久しぶりです!今日、お兄ちゃんに連れてきてもらってて…」
「そうだったんだ!元気してた?」
「実は、 結構入退院繰り返してたんです…」
「あっ…」
「でも!もうすっかり元気になって、退院しました!デビューしてから一度もお祝いに来られなくて、すみませんでした…」
「そんな事…俺からも、ちゃんとお礼を言いに行けずにここまで来ちゃって…ずっと、気にしてたんだ」
「そんなそんな…」
「美朱ちゃん、本当にありがとう。君のお陰で、俺達夢を見せてもらえてるよ」
鬼宿の優しい笑顔に、美朱はやっと落ち着いてきた心臓がまた別の意味で爆発しそうになる。
「わ、わたしこそ!ありがとうございます。いつでも空翔宿星が聴けるようになって、入院中もずっと聞いて励みにしてたんです」
「そうなんだ。あ、柳宿だよね?そろそ仕事も一段落する頃だろうから、俺呼びに行って…」
「あ、あの!」
「ったく…何が「さっき食ってもうたから、この金で何か買ってこい」よ!悪いと思ってるなら、自分で買いに行きなさいよ…あたしは、パシリか!」
あれからスタジオに戻った柳宿は翼宿から代わりの茶菓子の為のお駄賃を貰い、渋々近くのコンビニに出動していた。
駐車場を抜けた先のコンビニが一番近いのでビルの裏手に回ると、そこに見覚えのある二人の人影が見えて柳宿は側の壁に身を潜める。
「あらあらあら…?」
美朱は両手に持っていた花束を、鬼宿に差し出しているところだった。
会話が聞こえない柳宿からは、まるで求婚してるようにさえ思えたその状況。
「あの…アルバムミリオンおめでとうございます!ささやかですけど…お祝いです!」
「えっ…俺に?」
「はい!リーダーの鬼宿さんの、努力の賜物だと思ってます!」
本当は仲良しの柳宿に買ってきたものだ。
だけど本当は密かに会いたいと思っていた鬼宿に先に会えた事で、その贈り物を彼に渡したいという思いが衝動的に巡ってきたのだ。
鬼宿は暫くその花束を見つめていたが、そっと受け取る。
「ありがとう…ここのところ仕事三昧で疲れてたんだけど、美朱ちゃんに会えたらぶっ飛んだよ!これからも頑張るから、また聴いてね」
「はっ、はい!」
(何よ…あの羨ましいくらい、ラブラブな雰囲気は…)
柳宿はラブストーリーでも見ているかのような羨ましさを感じながら、邪魔をしてはいけないとこっそりその場を去ろうとして…
チャリーン
(っあ!翼宿に貰った100円が…!)
持ち主のデリカシー0を表現するが如く、柳宿の手から虚しく100円玉が滑り落ちた。
二人は音のした方向に目を向け、柳宿に気付く。
「柳宿?」
「柳宿先輩!」
「ははは…邪魔してごめん」
柳宿は苦笑いしながら、二人に手を振った。
コツコツコツ…
仕事を終えた翼宿は柳宿が帰るまでベースの練習をするため、ベースバッグを背負って自主練用の個室スタジオへ続く階段を下りていた。
すると向こう側から、空翔宿星の専属ギタリストが近付いてきた。
「……………」
「お疲れ。具合、よくなったのか?」
天文は、社交辞令的に翼宿に声をかけてくる。
「ああ。大した事なかったからな…」
「よかったな。メインが穴空けたら大変なんだから、気をつけろよ?」
そのまま天文は翼宿の横を通りすぎて階段を再び登り始めるが、その先でまた足を止める。
「そういえば、また再開したんだってな?柳宿の見送り」
「………………」
「仲良しで…羨ましいこった」
「…あいつの希望や。勘違いすんな」
「勘違い?そりゃあ、するだろ。だから、忠告しといてやったんだよ!」
半ば苛立ちをちらつかせる天文の負け惜しみに、しかし翼宿は振り返らずに続ける。
「お前こそ、柳宿に確認もせずに余計な事すんな」
「は?」
「あれから、グループの士気が乱れた。俺もお前をすっかり信用して身を引いたけどな、あいつは一人で苦しんでたんやで」
「………っ」
途端に天文の頭を過ったのは、眠る彼女に手を出そうとしたあの日の夜。彼女の頬を伝っていた、涙…
そう。全ては自分が仕組んだ事なのに、一枚上手になった翼宿に言われると途端に腹立たしくなる。
「…女心のひとつも分からない男に言われても、説得力ねえよ。あっさり身を引いたお前の行動だって、原因してんじゃねえか」
「それも、そうやな。けど…」
そこで翼宿はやっと振り返り、天文を睨む。
「今後、あいつを動揺させるような事するなら、例えお前でも許さん。柳宿の事よう思ってるんなら、尚更…あいつの好きにさせたるんがええんとちゃうんか?」
「っっ!!」
あの翼宿が自分の気持ちを見抜いていると気付き、天文は思わず顔を赤くする。
翼宿はそれ以上気にせず、階段を下りていった。
柳宿の行動を信じると決めた翼宿に対してこれ以上下手な事を言ってハメる事が出来なくなったと悟った天文は、彼の姿が見えなくなると壁に拳を叩きつけた。
「ちくしょお…」
まだ恋人でもない癖に柳宿の心を掴んで離さない力が、翼宿にはある。
絶対、諦めない。お前から…柳宿を奪ってやるからな。
「いただきまーす♡美味しそうですね、このオムライス!」
その後昼食に送り出された、美朱と柳宿。
鬼宿も…と誘ってみたのだが、打ち合わせがあるし女同士の方がゆっくり出来ていいだろと気を遣ってくれた。
本当に出来た男だと思うと同時に、柳宿にとっては目の前の彼女に対する申し訳なさも生まれてくる。
「あれ…?柳宿先輩、食べないんですか?」
「ううん。何か…ごめんね?美朱。あのまま、鬼宿とランチしたかったんじゃないの?」
その言葉に美朱は喉を詰まらせ、柳宿がその背中を摩る。
「なっ、何、言ってるんですか!?柳宿先輩!わたしは、最初から柳宿先輩とランチする予定でいて…本当はあの花束も、柳宿先輩に渡すものだったんです!」
「…そっか」
「でも、リーダーが目の前にいたから…こないだのお礼も兼ねて…って思って…」
「本当に、それだけ?」
いよいよ本音が見え隠れしてきた美朱は、くっと顔を近付ける柳宿に対してとうとう気持ちを誤魔化しきれなくなった。
「………好きです。助けてくれたあの日から」
俯きながらポソポソと話す美朱に、柳宿の胸はキュンとなる。
(可愛い…あたしも、こんくらい可愛ければ…)
「あ~よかった!美朱みたいな娘がたまを思ってくれるなら、あたしも安心…」
「え?」
「あたしらも、あいつの人の良さにはすっかり甘えちゃってさ。たま自身の事、心配してたのよ。これからも、あいつに会いに来てやってくれない?」
「それは、全然構いませんけど!でも、先輩。わたし…」
「あ…」
そう。忘れていたけれど、美朱には未だひとつのコンプレックスがある。
「病気…あんまり、よくなってないの?」
「はい…入退院を繰り返してて、今は落ち着いてるんですが…まだまだ闘いで…」
「そっか…」
「でも空翔宿星や鬼宿さんの存在が、いつもわたしを勇気付けてくれてました!だからわたしに出来る事なら、してあげたいです!」
「ありがとう、美朱。たまも、喜ぶよ。あたしからも、改めて言っておくからね?」
そう言いながらも、柳宿は脳裏で考えていた。
病気のせいで、積極的になれない美朱。ならばここは先輩の自分が、助け船を出してやるべきだと。
「ただいま~」
「おう、柳宿。お帰り」
スタジオに戻ると、打ち合わせを終えた鬼宿だけが残っていた。
「あれ?翼宿は?」
「さあ?荷物はあるし、個人練してんじゃね?」
翼宿がいない。今回だけは、絶好の機会!
柳宿はいそいそと鬼宿の向かいに腰掛け、瞳をらんらんと輝かせる。
「なっ、何だよ?」
「ねえ!たま!美朱の事さ、励ましてやってほしいんだけど!」
「へっ?美朱ちゃんを?」
それから柳宿は翼宿が戻ってくるまで、咄嗟に思い付いた鬼宿♡美朱急接近作戦を彼に持ちかけていた。
『美朱!今日は、ありがとね♪それで今度の日曜日に美朱に渡したいものがあるから、体調がよかったらまた事務所のスタジオに来てくれない?』
その日の夜に美朱の携帯に届いたのは、柳宿からのメッセージだった。
美朱は首を傾げたが、『分かりました(^^)』と返信をした。
オリコン初登場1位・初動売上130万枚
渋谷の空翔宿星のホームに程近い例のCDショップには、お祭り並の空翔宿星ディスプレイが飾られていた。
「初回と通常で、ボーナストラックが違うんでしょ!?もう、全部買っちゃう♡」
ディスプレイの前に挙って集まる女性達は口々に同じ台詞を叫びながら、積み上げられたCDの山に手を伸ばす。
「………こりゃあ、また二時間で完売か~」
いつもより十分多めに発注したので今度こそ問題はないと思っていた店長はどんどん高さを失っていくCDの山を目にして、売り場の後ろで思わず頭を抱えていた。
その頃、空翔宿星の三人はやっと訪れた暫しの休息を楽しんでいた。
とはいっても先日大雨で孤立した被災地支援の為に依頼された新曲を作る為、それぞれ「出勤」はしていたのだが。
今回の新曲の作詞担当は翼宿、作曲担当はいつも通り柳宿だ。
「うーん?バラードのレパートリーが少ないから、バラードで行った方がいいわよねえ」
「お前、それどっちにするか先に言えよ。歌詞と曲の雰囲気がバッティングすると、最悪や」
「分かってるわよ~急かさないでよ」
スタジオにいるのは、翼宿と柳宿。先日のトラブルメーカー二人組である。
血と汗と涙の努力でようやくアルバムを完成させた二人の仲はすっかり元通りになっており、柳宿の希望により翼宿の見送りの習慣も復活していた。
そう。二人きりになるのなんて、前と変わらず日常茶飯事なのだが…
曲を作りながら茶菓子をつまみ食いしていた二人の間に、最後の一つの茶菓子が残る。
特に気にも留めずお互いそれに手を伸ばし、指が触れ合った。
途端に手を引っ込めたのは、柳宿。翼宿も少し驚いた表情で、彼女を見る。
『せめて一緒にいる時は、もうこんな思いさせんでくれ』
『…………翼宿。あたしが…あたしが、好きな人はね…』
固く抱き合いもう少しで核心に触れそうになったあの日から、まだ一ヶ月足らず。
特に女の柳宿にとって、あれ以来の接触は自然と身が固くなる。
「あ、あの…」
「……………」
視線はそのままに茶菓子をゲットした翼宿は、それを静かに口に運ぶ。
「……………」
「何やねん?狐に摘ままれたような顔して」
「あんたさ、そういう時は女に譲るもんじゃないの?」
「そんな男女差別、俺はごめんや」
「………もう!翼宿のバカ!」
まあちょっと意識しても、こんな感じで翼宿に茶化され柳宿がむくれる。
柳宿はまた同じ手法かとため息をつき、仕事に戻る。
次にあんたに気持ちをちゃんと吐き出せる日は、いつになるんだろう―――?そんな事を考えながら。
「いらっしゃいませ~」
とある花屋を訪れたのは、とある人物の妹であり長いロングヘアーを二つに束ねた少女だ。
「すみません…花束ください!両手いっっっぱいの!」
「………はい。お待ちください」
両手を大きく広げて注文するその少女に店員は可愛いなと笑みを漏らすと、店内の花の選別を始めた。
そう。その人物の名は、夕城美朱。
「夕城プロ。これ、新曲です!詞と曲のイメージも擦り合わせ済です。お願いします」
「おお~ご苦労さん!悪いな、休暇前に…被災地の人達、喜ぶよ」
「いえいえ!こんな事でよければ、またいつでも協力しますよ」
「GOが出たら、休暇明けに編曲だな」
一方あれからものの一時間で曲を完成させた柳宿は夕城プロの部屋を訪れ、その新曲を提出した。
「柳宿。その…よかったな。翼宿と仲直り出来て…」
「はい。その節は…すみませんでした」
「いやいや!その節のその節は、俺こそすみませんでしたっていうか!」
「………へ?」
「い、いや!お前がいいなら、俺は別に…」
あれから二人の間に何ら変わったところはないと鬼宿から逐一報告は受けてはいたが、二人きりで仕事をしても特に関係に変化がないところを見て夕城プロもこっそり胸を撫で下ろす。
応援する気にはなったものの、まだまだ気が早いといえば気が早いので…
「ところで明日から休暇に入る訳だが…お前ら、少しはあいつの事も労ってやれよ?」
「あいつって?」
「鬼宿だよ」
そうだ。自分達がトラブルになっても誰も責めずにずっと成り行きを見守ってくれたのは、他でもない。我らがリーダーだ。
「俺も迷惑かけっぱなしだけど、あいつは本当にいい奴だよ。優しいし誠実だし気が利くし…俺は、たまちゃん自身も心配だよ」
「そうですね…あたしと翼宿で、今度、お酒ご馳走します!あ。あたしは、引き続き飲めないんですけどね…」
「そうしてくれ。そして、俺も混ぜてくれ」
そこに夕城プロが混ざっては労う会ではなくなりそうだが、柳宿は渋々頷いた。
「ああ!そうだそうだ、曲作りも一段落したしさ!妹と、昼飯にでも行ってあげてくれよ!」
「えっ…?美朱、来てるんですか?」
「そ!ちょっと調子悪くて入退院繰り返してたんだけど先月やっと退院出来て、真っ先に柳宿に会いたいって言ってたから連れてきてるんだ!用事があるって今は出てるみたいだけど、戻ったら呼ぶよ!」
「久々ですねv楽しみだなあ~」
バタン
少し遅れてスタジオの駐車場に到着した鬼宿は、車のドアを閉める。
今回の楽曲の制作段階では彼の出る幕はないが、休暇明けの予定の打ち合わせをする為彼もまた出勤していたのだ。
やっと嵐が去ったスタジオを見上げ、ふっと息をつくと玄関に向かっていく。
「………あのっ!」
そこに少女の声が聞こえ、鬼宿は振り向いた。
「鬼宿さん…ですよね?」
「あっ…」
彼女の顔には、見覚えがある。
確かデビュー前のライブで大変だったところを迎えに行き、そのライブを見てプロデューサーの兄に直談判して空翔宿星を芸能界に迎え入れてくれた恩人。
「美朱ちゃん?美朱ちゃんだよね?」
名前を呼ばれた美朱は両手いっぱいの花束を胸に、頬を染めて笑う。
「お久しぶりです!今日、お兄ちゃんに連れてきてもらってて…」
「そうだったんだ!元気してた?」
「実は、 結構入退院繰り返してたんです…」
「あっ…」
「でも!もうすっかり元気になって、退院しました!デビューしてから一度もお祝いに来られなくて、すみませんでした…」
「そんな事…俺からも、ちゃんとお礼を言いに行けずにここまで来ちゃって…ずっと、気にしてたんだ」
「そんなそんな…」
「美朱ちゃん、本当にありがとう。君のお陰で、俺達夢を見せてもらえてるよ」
鬼宿の優しい笑顔に、美朱はやっと落ち着いてきた心臓がまた別の意味で爆発しそうになる。
「わ、わたしこそ!ありがとうございます。いつでも空翔宿星が聴けるようになって、入院中もずっと聞いて励みにしてたんです」
「そうなんだ。あ、柳宿だよね?そろそ仕事も一段落する頃だろうから、俺呼びに行って…」
「あ、あの!」
「ったく…何が「さっき食ってもうたから、この金で何か買ってこい」よ!悪いと思ってるなら、自分で買いに行きなさいよ…あたしは、パシリか!」
あれからスタジオに戻った柳宿は翼宿から代わりの茶菓子の為のお駄賃を貰い、渋々近くのコンビニに出動していた。
駐車場を抜けた先のコンビニが一番近いのでビルの裏手に回ると、そこに見覚えのある二人の人影が見えて柳宿は側の壁に身を潜める。
「あらあらあら…?」
美朱は両手に持っていた花束を、鬼宿に差し出しているところだった。
会話が聞こえない柳宿からは、まるで求婚してるようにさえ思えたその状況。
「あの…アルバムミリオンおめでとうございます!ささやかですけど…お祝いです!」
「えっ…俺に?」
「はい!リーダーの鬼宿さんの、努力の賜物だと思ってます!」
本当は仲良しの柳宿に買ってきたものだ。
だけど本当は密かに会いたいと思っていた鬼宿に先に会えた事で、その贈り物を彼に渡したいという思いが衝動的に巡ってきたのだ。
鬼宿は暫くその花束を見つめていたが、そっと受け取る。
「ありがとう…ここのところ仕事三昧で疲れてたんだけど、美朱ちゃんに会えたらぶっ飛んだよ!これからも頑張るから、また聴いてね」
「はっ、はい!」
(何よ…あの羨ましいくらい、ラブラブな雰囲気は…)
柳宿はラブストーリーでも見ているかのような羨ましさを感じながら、邪魔をしてはいけないとこっそりその場を去ろうとして…
チャリーン
(っあ!翼宿に貰った100円が…!)
持ち主のデリカシー0を表現するが如く、柳宿の手から虚しく100円玉が滑り落ちた。
二人は音のした方向に目を向け、柳宿に気付く。
「柳宿?」
「柳宿先輩!」
「ははは…邪魔してごめん」
柳宿は苦笑いしながら、二人に手を振った。
コツコツコツ…
仕事を終えた翼宿は柳宿が帰るまでベースの練習をするため、ベースバッグを背負って自主練用の個室スタジオへ続く階段を下りていた。
すると向こう側から、空翔宿星の専属ギタリストが近付いてきた。
「……………」
「お疲れ。具合、よくなったのか?」
天文は、社交辞令的に翼宿に声をかけてくる。
「ああ。大した事なかったからな…」
「よかったな。メインが穴空けたら大変なんだから、気をつけろよ?」
そのまま天文は翼宿の横を通りすぎて階段を再び登り始めるが、その先でまた足を止める。
「そういえば、また再開したんだってな?柳宿の見送り」
「………………」
「仲良しで…羨ましいこった」
「…あいつの希望や。勘違いすんな」
「勘違い?そりゃあ、するだろ。だから、忠告しといてやったんだよ!」
半ば苛立ちをちらつかせる天文の負け惜しみに、しかし翼宿は振り返らずに続ける。
「お前こそ、柳宿に確認もせずに余計な事すんな」
「は?」
「あれから、グループの士気が乱れた。俺もお前をすっかり信用して身を引いたけどな、あいつは一人で苦しんでたんやで」
「………っ」
途端に天文の頭を過ったのは、眠る彼女に手を出そうとしたあの日の夜。彼女の頬を伝っていた、涙…
そう。全ては自分が仕組んだ事なのに、一枚上手になった翼宿に言われると途端に腹立たしくなる。
「…女心のひとつも分からない男に言われても、説得力ねえよ。あっさり身を引いたお前の行動だって、原因してんじゃねえか」
「それも、そうやな。けど…」
そこで翼宿はやっと振り返り、天文を睨む。
「今後、あいつを動揺させるような事するなら、例えお前でも許さん。柳宿の事よう思ってるんなら、尚更…あいつの好きにさせたるんがええんとちゃうんか?」
「っっ!!」
あの翼宿が自分の気持ちを見抜いていると気付き、天文は思わず顔を赤くする。
翼宿はそれ以上気にせず、階段を下りていった。
柳宿の行動を信じると決めた翼宿に対してこれ以上下手な事を言ってハメる事が出来なくなったと悟った天文は、彼の姿が見えなくなると壁に拳を叩きつけた。
「ちくしょお…」
まだ恋人でもない癖に柳宿の心を掴んで離さない力が、翼宿にはある。
絶対、諦めない。お前から…柳宿を奪ってやるからな。
「いただきまーす♡美味しそうですね、このオムライス!」
その後昼食に送り出された、美朱と柳宿。
鬼宿も…と誘ってみたのだが、打ち合わせがあるし女同士の方がゆっくり出来ていいだろと気を遣ってくれた。
本当に出来た男だと思うと同時に、柳宿にとっては目の前の彼女に対する申し訳なさも生まれてくる。
「あれ…?柳宿先輩、食べないんですか?」
「ううん。何か…ごめんね?美朱。あのまま、鬼宿とランチしたかったんじゃないの?」
その言葉に美朱は喉を詰まらせ、柳宿がその背中を摩る。
「なっ、何、言ってるんですか!?柳宿先輩!わたしは、最初から柳宿先輩とランチする予定でいて…本当はあの花束も、柳宿先輩に渡すものだったんです!」
「…そっか」
「でも、リーダーが目の前にいたから…こないだのお礼も兼ねて…って思って…」
「本当に、それだけ?」
いよいよ本音が見え隠れしてきた美朱は、くっと顔を近付ける柳宿に対してとうとう気持ちを誤魔化しきれなくなった。
「………好きです。助けてくれたあの日から」
俯きながらポソポソと話す美朱に、柳宿の胸はキュンとなる。
(可愛い…あたしも、こんくらい可愛ければ…)
「あ~よかった!美朱みたいな娘がたまを思ってくれるなら、あたしも安心…」
「え?」
「あたしらも、あいつの人の良さにはすっかり甘えちゃってさ。たま自身の事、心配してたのよ。これからも、あいつに会いに来てやってくれない?」
「それは、全然構いませんけど!でも、先輩。わたし…」
「あ…」
そう。忘れていたけれど、美朱には未だひとつのコンプレックスがある。
「病気…あんまり、よくなってないの?」
「はい…入退院を繰り返してて、今は落ち着いてるんですが…まだまだ闘いで…」
「そっか…」
「でも空翔宿星や鬼宿さんの存在が、いつもわたしを勇気付けてくれてました!だからわたしに出来る事なら、してあげたいです!」
「ありがとう、美朱。たまも、喜ぶよ。あたしからも、改めて言っておくからね?」
そう言いながらも、柳宿は脳裏で考えていた。
病気のせいで、積極的になれない美朱。ならばここは先輩の自分が、助け船を出してやるべきだと。
「ただいま~」
「おう、柳宿。お帰り」
スタジオに戻ると、打ち合わせを終えた鬼宿だけが残っていた。
「あれ?翼宿は?」
「さあ?荷物はあるし、個人練してんじゃね?」
翼宿がいない。今回だけは、絶好の機会!
柳宿はいそいそと鬼宿の向かいに腰掛け、瞳をらんらんと輝かせる。
「なっ、何だよ?」
「ねえ!たま!美朱の事さ、励ましてやってほしいんだけど!」
「へっ?美朱ちゃんを?」
それから柳宿は翼宿が戻ってくるまで、咄嗟に思い付いた鬼宿♡美朱急接近作戦を彼に持ちかけていた。
『美朱!今日は、ありがとね♪それで今度の日曜日に美朱に渡したいものがあるから、体調がよかったらまた事務所のスタジオに来てくれない?』
その日の夜に美朱の携帯に届いたのは、柳宿からのメッセージだった。
美朱は首を傾げたが、『分かりました(^^)』と返信をした。