空翔けるうた~02~

「ふう…過労による貧血に加えて、軽い熱中症だってよ。よかったよ、救急車呼ばなくてもいい程度で。これからプロモーションもあるのに、メインがいなきゃ修正もきかねぇ…」
医務室から医者が診察を終えて出ていき、夕城プロは額の汗を拭う。
少し顔色がよくなった翼宿はベッドに横たわっており、まだ目を覚まさない。
「夕城プロ。あの子って…」
「ああ。大阪から志願してきた子だ。翼宿に憧れて、ベース始めてこの世界に…って言ってたけど、あれは違うな。さっき、志願取り消しますって頭下げて帰ってったよ」
「そっか…とりあえず、よかったな?柳宿」
翼宿の無事を確認して安堵したものの、柳宿は相変わらず俯いたまま。
「あたし、昨日見たんだ…あの子と、翼宿が飲んでたの…」
「そうなのか。昨日も、何かあったんだな…」
「あたしが、あの時、打ち合わせを中断しなければ、仕事継続出来て…翼宿があの子に連れ出される事もなかったんだよね。なのにスゴく疲れてた時に余計なストレス増やして、そんな体で飲みにまで行かせて…全部、あたしのせいだ………」
「違うよ、柳宿。今回は、不運に不運が重なっただけだ」
「今日だってしっかり休んで来ればよかったのに、あたしの事心配して無理して来てくれて。なのに、あたし…まだ、ちゃんと謝れてなくて…」
「………柳宿」
鬼宿が柳宿の背中を摩るが、彼女の肩は震えていた。
「鬼宿。一旦、出よう」
「夕城プロ…」
「柳宿。確かにお前の今回の行動は、プロとしての自覚が欠けてたし翼宿を傷付けたのも事実だ。だから目が覚めたら、ちゃんと翼宿と話せ。言いたい事があるなら………全部言え」
柳宿はその言葉に、黙って頷いた。

パタン
「夕城プロ…」
意外な言葉をかけた夕城プロを、鬼宿は意外な顔で見つめる。
「なっ、何だよ?鬼宿。俺だって、慈悲の心くらいある!…さっきの柳宿の鬼みたいな顔見たら、ビジネス口実にあいつの気持ちを潰しちゃいけないって思ったんだよ…」
「そうですね…大丈夫ですよ。あいつらも大人だし、俺もその時は協力します」
心優しい鬼宿は、二人の進展を今でも心から応援していたのだ。


翼宿は、夢を見ていた―――
『もう、いい!!あたしの事なんか、放っといて!!』
自分が語った正論に反して受話器から聞こえてきた彼女の泣きそうな声が、暗闇にこだましている。
あの日から、柳宿を突然失った気がしていた。案の定、彼女はそれから自分と目を合わせてくれなくなった。
女なんて、所詮面倒な生き物。そう思っていたから、自分には痛くも痒くもない筈なのに。
そんな彼女に、苛々する。そして、なぜか寂しい。他の女で埋めようとしてみたって、そこには吐き気が残るだけだった。
最初は嫌々引き受けたお守り役だったが彼女の笑顔や泣き顔を見る度に、面倒に思うと同時になぜか居心地がいいと感じていたのも事実だ。
だけど、あいつが好きな奴は天文なのかもしれない。これから隣でそんな彼女を見ていくのは、天文なのかもしれない。
でも彼女が振り向いてくれない事にこんなに苛々するんだったら、そこで正論言って馬鹿正直に手を引かずに一度だけでも彼女を抱きしめて「行くな」って言ってみれば、この気持ちの正体が分かったのかもしれない。

アホやな…俺。そんなんも試せずに死ぬなんて、男失格や。


「………き!翼宿!!」
柳宿の涙声が聞こえ、翼宿は目を開ける。
枕元には、涙で頬を濡らしながら自分に呼びかける柳宿の姿があった。
「柳宿…?」
「よかった…気がついて。急に魘されたから、びっくりして…」
「俺、どうして…」
「倒れたのよ。貧血と熱中症…ずっと、調子悪かったんでしょ…?」
「………ああ。そうやったんか…こんくらいで体壊すなんて、ダサいなあ」
「ホントよかった…よかったあ…」
今まで見た事がない顔でわんわん泣く柳宿に、翼宿は驚く。
「………何で」
「えっ?」
「何で、そこまで泣いてくれんねん…
俺、お前怒らせる事したんちゃうんか…」
「違うよ。あたしが悪いの…いつまでも翼宿に甘えてたから、あんたに急に突き放されて…寂しくて、だから…………ごめんなさい」
その言葉の意味が分かり、翼宿の顔が赤くなった。
「ばっ…!別に、そういう意味やあらへん!何、誤解しとんねん!たかだか、見送り他の奴に頼んだからって…」
「うん。だから…ごめんねって…」
しかしそれが理由と分かった事で、ホッとする。
やはり、あれは自分と彼女を引き離す為の天文の口車だったのだ。

そして、泣き続ける柳宿を見て先程の夢を思い返す。
正論言って、彼女を「他の奴」に渡して酷く後悔していた。
彼女が好きな相手はまだ分からないけれど、それでももう後悔はしたくない。
自分の素直な気持ちを伝えなければ…と。

「あ…夕城プロと、たまも心配してたのよ…今、呼んできて…」
「………っ」
しかし翼宿のそんな気持ちとは裏腹に、柳宿は外にいる二人を呼びに行こうとする。
だから気付けば立ち上がろうとする彼女の手を強めに引き、傾いた身体を自分の胸元で受け止めて。
「え…っ?」
次の瞬間、柳宿は翼宿の腕の中にいた。片手で強く肩を抱き、もう片手は柳宿の艶のある髪を撫でている。
それは仲間とかわす軽い抱擁などではなく、愛する者を慈しむようなそんな優しい抱擁。
「た、翼宿っ…!」
「柳宿。少しだけ、このままで聞いてくれんか…?」
「えっ…?」
「何でか、分からんけどな…目開けてお前が傍にいたら、ごっつ安心したんや」
「翼宿…」
彼女の身体から、小さな心音が響き伝わってくる。
いや。それは、もしかしたら自分の中の心音なのかもしれないけれど。
「俺、ホンマに女心分からんからお前の気持ち全然分からん時もあるし、その癖余計な事ばっか言うし…男としてあかんのかもしれん。せやけどな、お前が俺の目を見てくれなくなった時………ごっつ耐えられなくなった」
「…っ…」
「せめて一緒にいる時は、もうこんな思いさせんでくれ」
女々しいと思われるかもしれないし、逆に上手く気持ちを伝えられていないかもしれない。
どんな風に彼女の心に届くかも分からないけれど、それでも今の正直な気持ちを精一杯ぶつける。
自分が心を開ける存在でもあり、何事にもひたむきなその姿勢を支えてやりたいと初めて思えたこの天使に…
しかし、柳宿は何も言葉を返してこない。
やはりこんな事をいきなり言われても、迷惑であろう。
第一、この女には…
「………すまんな。好きな男がいるて分かってるのに、こんな重たい事聞かせて」
引き寄せた身体を離して、目を潤ませている柳宿に詫びを入れる。
「………まあ、たまにも迷惑かけるしな。せめて三人でおる時は、仲ようしようやって意味や。混乱させて、すまん…」
しかし先程の主張を訂正しようとした翼宿の胸元に、また暖かな重みが加わった。
それは自分から抱きついてきた、柳宿の小さな身体だ。
「………ねえ。あたしの話も、聞いてよ」
「………え?」

「…………翼宿。あたしが…あたしが、好きな人はね…」

艶のあるその声に、思わず喉の奥が熱くなった。その時だった。

「ちょっ…鬼宿!よく聞こえないから、もう少し下がれ…」
「わっ!夕城プロ…開いちゃいますよ…」

「へ??」

バターーーン

突然ドアが勢いよく開きそこに飛び込んできたのは、外で聞き耳を立てていた夕城プロと鬼宿だった。
反動で、離れる二人。見事に、この雰囲気をぶち壊された…
「あ…あははっ…翼宿。目覚ましたのか…?」
「いや~よかったよかった…また、社長に大目玉食らうトコだったよ…」

…………………………

「ふっ…」
そのやりとりに翼宿が笑い、続けて柳宿も笑った。
「どうも、すみませんでした…お騒がせして」
「ホントよねえ…そういえば、制作に呼ばれてたんじゃなかったの?翼宿」
「せやったな…すんません、夕城プロ。すぐに仕事戻りますわ」
「あ…ああ」
すぐに持ち場に戻る準備を始めた二人に夕城プロと鬼宿はポカンとするが、最後には二人同時にふうとため息を吐いた。

翼宿が自分のこの気持ちが「恋」であると認めるのは、まだ早い。
柳宿が溢れている思いを口に出して伝えるのは、まだ早い。
お互いの気持ちを確かめるのは、まだ早いけれど、きっと―――結ばれる日も近い。


そんな光景を少し離れたところで見ていた天文は、一人拳を握り締めていた。
「渡さねえぞ、翼宿…お前にだけは」
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