空翔けるうた~02~

「………う~ん」
翌日、柳宿は両親に付き添われて早めに空翔宿星のスタジオに来ていた。
まだ鬼宿も翼宿も来ていないスタジオの窓際のソファに座り、医務室から貰ってきたアイスノンを額に当てる。
(あたし、何杯飲んだのかしら。頭、いた~い…)
昨夜はたった一杯ではあるがアルコール度数が高いチューハイを飲んだ為、柳宿にとっては生ビールを何杯も飲んだような二日酔いに見舞われていたのだ。
(早く、酔い覚まさなきゃ…翼宿に怒られちゃう…)
カタン
そこに誰かがドアを開ける音が聞こえ、柳宿は身を竦めた。
(たまだよね…?時間にルーズな翼宿が、こんなに早く来る訳ない…)
「あ。たま、おはよ~…昨日はごめん…」
振り向いて、その言葉は止まる。目の前に立っていたのは、呆れ顔の翼宿。
「たっ…」
「はよ」
それ以外は言葉を発さず、彼はベースバッグを開けて調弦を始める。その場に流れる沈黙。
昨日、翼宿を怒らせた事は今でもハッキリ覚えている。あれから散々後悔して祝い酒をやけ酒として流し込んだため、あのような有り様だったのだ。
いくら翼宿が女嫌いで女心が分からないとはいえ、何も伝えていない状況で彼を独占しようとした気持ちを分かってくれなかった事に腹を立てる自分が大人げなかったのだ。
「あのね、翼宿…」
「昨日、飲んだんか?たまから連絡来てたんや」
そこで翼宿の飲酒禁止令を無視したという新たな余罪が発生した事に気付き、柳宿は謝罪の言葉を飲み込む。
「それは、その…」
ますますしどろもどろになる柳宿の姿に、しかし翼宿は寂しそうに微笑んだ。
「翼宿…?」
「まあ、お前も飲みたい時くらいあるか」
普通なら怒られる筈なのに、今日は距離を取られている。
こいつは、女心が分からない。そう思っていたのにそのさりげない配慮が分かり、柳宿の胸は締め付けられた。
そして、分かる。翼宿は、傷付いている。
早く、謝らなければ。
「あのっ…」
Plllllllll
翼宿の携帯の着信音で、またも言葉の続きは遮られた。
「もしもし…おはようございます。今からですか?分かりました」
電話の相手と淡々と話すと、翼宿は電話を切る。
「制作から連絡入ったから、ちょっと行ってくるわ」
「あ…」
「ああ、柳宿」
彼はもう一度振り返ると、鞄から取り出した栄養ドリンクを柳宿に投げて渡した。
「えっ…?」
「もう少し、休んどけ。大変な作業は、とりあえずたまに回せ。ええな?」
そこで翼宿は自分の体調を案じて早めに来てくれたのだという事がやっと分かり、柳宿は受け取ったドリンクを握りしめた。
「あり…がと…」
そのお礼は聞こえていたか分からないが、翼宿は足早にスタジオを出ていった。

謝れなかった。次に顔合わせるまでは、落ち着いてちゃんと謝らなければ…

しばらく呆然としていた柳宿だったが、改めてソファに座り直しドリンクの栓を開けた。
この時、柳宿は気付いていなかった。翼宿の顔色が、いつもよりとても悪くなっていた事に―――



(………あかんな。相当、ガタ来とる)
昨夜の酒で身体に不調が起きているのは、柳宿だけではなかった。
翼宿も慣れない連日のアルバム関係の仕事に加えての先の柳宿との喧嘩の事で、珍しく心身共に疲れ果てていた。
そんな体調に構わずに昨夜は酒を無理に流し込んだものだから、当然、快方へ向かう筈がない。
今日だってときたま襲ってくる強烈な目眩に堪えながら、朝早く家を出てきたのだ。
制作との話が終わったら、自分も少し仮眠した方がよいだろうか…そんな事を考えていた時。
「翼宿!」
背中から聞こえてきた女の声に、翼宿は振り返る。
そこにいたのは、昨日、一緒に飲んだ女の姿だった。
「杏子…」
「昨日は、ごめん。あたし、あんたに謝りたくて…」
「別に、気にしてへんわ。俺こそ、悪かったな。みっともない姿、見せてしもて…」
「あの…」
いつになく緊張している杏子の姿に、翼宿は首を傾げる。
「すまん、ちょっと野暮用あるんや。用事なら、その後で…」

「あたし、翼宿が好きなのっ!!」

廊下に響いたのは、杏子の告白。
「昨日は、汚い真似して…あんたを誘おうとした…だけど、あたしそれくらいあんたに会いたかったんや…知らない間に、突然大学やめて上京してスターになってて…何度も諦めようかと思ったけど、諦められなくて…あんたと同じ世界に入りたくて、ベース始めた」
背中から投げかけられる言葉に、翼宿は振り返れない。
「あたしがyukimusicに入れたら、翼宿。あたしと…」
「杏子」
そして、返された翼宿の声色は冷たかった。
「そんなんで、音楽始めるもんやない」
「………っっ!」
「お前の気持ちは、受け取れん。はよ、大阪帰れや」
「翼宿…」
そのまま角を曲がろうとする翼宿の前に、杏子は先回りする。
「翼宿!待って!置いてかないで!あたし、やっとここまで来たのに…」
「おい、他のスタッフに聞こえるから…」
「そんなん関係ない!あたしはあんたを…」
「…………、…………!!」
強めに肩を掴まれた事で、グラリとした吐き気が襲ってきた。
何とか繋ごうとしたその意識はそこで途絶え、翼宿は杏子の傍ら体を傾けた。

「きゃあああっ!!」
スタジオの外から耳をつんざくような叫び声が聞こえ、柳宿はやっと思考が追いついてきた体で立ち上がる。
「なっ、何…」
「翼宿!しっかりして、翼宿!!」
続いて聞こえてきたのは、愛しき人の名を叫ぶ女の声。
スタジオから少し離れた、階段の踊り場から聞こえてくるようだ。
急いで角を曲がると、そこには倒れている翼宿を揺さぶる見知らぬ女の姿があった。
「翼宿!!」
柳宿はすぐさま彼女を突き飛ばし、完全に意識を失っている翼宿の体を抱きかかえた。
彼は自分の呼びかけにピクリとも反応せず、ただ青白い顔で固く目を閉じているだけ。
「どうして…!?まさか…具合悪かったのに、ずっと、無理して…!?」
「何だ?どうした!?」
「わっ!翼宿!?」
ちょうど出勤してきた夕城プロと鬼宿も、駆けつける。
「夕城プロ!翼宿の様子が、おかしいんです…!」
「おい、担架持ってこい!」
他のスタッフも駆けつけ、現場は騒然となった。

「あの…あたし…」
横でガタガタ震えている女を見ると、柳宿は唇を噛み締める。
「あなた…誰よ…」
「あたしは…」

「翼宿に……………何したのよっ!!!!!」

今にも掴みかかりそうな勢いで激昂する柳宿に、杏子は愚か夕城プロと鬼宿も腰を抜かしそうになった。
翼宿はすぐに医務室へ運ばれ、取り残された杏子の頬には敗北の涙が伝っていた。
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