空翔けるうた~02~

『彼氏や』
そう言った後、翼宿は自分を空翔宿星に入れてくれた。
だけど、同じ声で先日に言われた言葉は。
『せやかて、"彼氏"やないやん…?』
全ては分かっていた事で、何ともない事。
だけど、どこかでずっとあいつの「特別」になれていた気がしたんだ。
叶うなら、ずっと夢を見ていたかったよ―――


「たま…これ、翼宿の詞と合わせる曲、三曲目ね」
「はいはい…」
三度目の呼び出しに鬼宿は呆れ顔で柳宿の席へ行き、また翼宿へのお使いを貰っていく。
「ほい、翼宿。三曲目…」
お使いを届けるのは、僅か数メートル先の翼宿の席。
そう。今日から、空翔宿星は三人での活動が再開したのだ。
今は柳宿が作曲した曲と翼宿と鬼宿が作詞した歌詞を合わせて微調整する、その打ち合わせなのだが…
あれから、一言も会話していない翼宿と柳宿。柳宿は彼と顔を合わせる事も出来ずに、鬼宿伝に用件を済ませているのだ。
もちろんこの状況では翼宿から柳宿に意見を言う事も出来ず、中々仕事が進まない。
「………たま。ちょっと」
四度目の呼び出しに鬼宿がため息をつきながらまた応じようとすると、耐えかねた翼宿の手が彼の肩を止めた。
「たま…もう、いい」
「えっ…おい!翼宿…」
バンッ!
翼宿は凄みをきかせた形相で、柳宿が座っている机に手を叩きつける。
「………何よ」
「何よじゃないやろ…お前、遊びに来てるんか?」
「遊んでないわよ。曲は、きちんと渡して…」
「………ざけんな」
鬼宿は二人がなぜこの状況になっているのか未だ分からずに、おろおろしているばかりだ。

「お前が俺を嫌うのは構わんけどなあ、公私混同するんやない!たまは、関係ないやろが!ただでさえ、納期遅れてんねんで?」

そう。あれから柳宿の覇気はすっかりなくなり、曲の納期が遅れたのだ。
天文のフォローでどうにか曲自体は出来たものの、後半は柳宿はほぼノータッチだった。
当然の事を言われているのに、柳宿の肩は震えている。
「まっ、まあまあ…翼宿。何があったか分からないけど、まずは三人で一回話し合って…」
「もう、いい!!勝手にやってよ!ここに、全部曲あるんだから!」
柳宿はそう叫ぶと、零れた涙も拭わぬまま部屋を出ていった。
「おい、柳宿!………翼宿。お前ら、どうしたんだよ…?喧嘩したのか…?」
翼宿も苛立ちを隠せず、元いたソファにどっかと座る。
「翼宿…?」
「これやから、女って奴は…!!」
もちろん柳宿にはこれまでも面倒をかけられてきたしその度にそう思ってきたが、今回は温度も程度も違う。
しかし、一方で翼宿は気付いていた。
柳宿が仕事をしてくれないのは苛つくけれど、それだけではない。
それ以上に彼女が自分を拒絶している事に苛立ちと共に寂しさに似た感情がこみあげているのが翼宿自身訳が分からず、ますます怒りの沸点を上げているのだ。
なぜ彼女が自分を受け入れてくれなくなったのかが、どうしても分からない―――

バタバタ!バタン!
柳宿が駆け込んだのは、天文がいる隣の部屋だった。
「柳宿?」
ヘッドホンで音の確認をしていた天文は、鏡越しに後ろにいる柳宿の姿を確認するまで少し時間がかかった。
その頬が濡れているのに気付き、思わずヘッドホンを投げ出して彼女に駆け寄る。
「えっ?どうしたんだよ?何か、あったのか?」
「~~~~っ」
声をあげて、子供のように泣き出す柳宿。その姿に何があったか悟り、天文はごく自然に彼女の肩に手を回した。
「………こんなに、一生懸命頑張ったのにな。分かってるよ、柳宿。俺だけは、お前の頑張りを見てきた…あんな女心分からない奴の言う事に、一喜一憂してんじゃねえよ」
何があったかも特に聞かずに、フォローをし続けてきた天文。
だけど予想通り、柳宿に悲しい顔をさせていたのはあの恋敵。
自分の口車にまんまと乗せられた翼宿が柳宿を傷付けたのだという事を、この日身をもって確信した。
勝てないだろうと思っていた相手から逃げてきた柳宿を自分の胸に収め、彼女を手に入れられた優越感に天文は思わず唇の端を持ち上げた。


『今日は、もう終わりにしよう。ただ、今後の事は夕城プロと相談させてもらう。俺が何とか仲取り持つから、今日は頭冷やせよ』
世話好きなリーダーの指示で、翼宿は今日の仕事を早引きさせられた。
夕刻に帰るなんて、何年ぶりだろうか。ズルをして早退したようなそんな罰の悪い気持ちになり、それを打ち消すかのように翼宿は事務所前の路地に寄り掛かり煙草に火をつける。

「あのお…yukimusicの事務所って、ここですか?」

その時、自分がいた地方と同じイントネーションで話しかけてくる女の声が聞こえた。
顔をあげると、目の前にはベースを背負った女性が立っていて。
化粧はしているが、その顔立ちに翼宿は何となく見覚えがある。
「あっ…!」
「翼宿!翼宿やないのお!」
「杏子…」
それは大阪に住んでいた時に、近所に住んでいた大学の同級生・杏子だった。
「何やあ!意外と表に立てるもんなんやねえ!今日は?もう、仕事終わりなん?」
「今日は、たまたま早上がりやねん…お前こそ、こんなトコで何しとんねん」
ぶっきらぼうに答えてくる翼宿に首を傾げながらも、杏子は瞳を輝かせる。
「あたし、yukimusicに志願に来たねん!」
「は?志願て、何で?」
「んもう!見て分からん?あたしも、ベース始めたんや!あんたと一緒に仕事したいからって、大阪から飛び出してきたねん!」
「んなっ…!小娘が、何考えとんねん!」
「まあまあ♪せやけど、今日はやめた!あんたと、せっかく会えてんねん!こないだあんたが大阪来てたのあんたの母ちゃんから聞いて、あたしめっちゃ悔しかったんやで!な。暇やったら、あんたのお薦めの飲み屋連れてってーな♡」
「暇て…別に、暇やない…」
「あんたも、飲みたそうな顔してるやん!なあ!行こう行こう!芸能界の話も、色々聞かせてや~!」
そのまま人目も気にせず、杏子は翼宿を強引に連れ出していく。
やっと会えた突然の家出人は、どこか疲れたような顔をしていて。この状況は、昔から硬派な彼をデートに連れ出すのには格好のチャンスだと彼女は思ったのだ…


「柳宿♪今日は、どんどん飲もうぜ!俺の奢りだからな!」
夜もすっかり深くなってきた頃、天文と柳宿は渋谷の飲み屋街をふらついていた。
あれから天文の部屋でずっと仕事をしていた柳宿を、天文は「遅れたけれど納品祝い」と称した飲みに誘ったのだ。
案外素直に頷いてくれた事ですっかり彼氏気分になった天文は、柳宿の肩を引きながらある店を探している。
「お?ここか?柳宿!お前が、バイトしてたバーって」
「そう…何だかんだで、デビューから来てなかったからさ」
「そっか!マスターにも、一緒に話聞いてもらおうぜ!」
カランカラン
「いらっしゃいませ~」
店の中には、何組かのカップルがカウンターに座っている。
「あ、すみません!二名で…」
天文がウェイターに話しかけている時、ふと柳宿は見覚えがある後ろ姿に気付く。
橙色の髪の毛。どこからでも、目立つその容姿。その人物は、栗色のパーマの女性と肩を並べてカウンターに座っている…
「―――っっ!」
「ど、どうした?柳宿」
柳宿は後ずさりをし、天文がその異変に気付く。
こんなところでマスターに見つかりでもしたら、否が応でも席を並べられる。その前に…
「てっ、天文!ここ違った!もう一軒先のバー!行こう…」
今度は柳宿から天文の腕を引き、二人はその場を離れた。


カラン
「へえ~今、アルバム作ってるんだあ?そういえば、そんなニュース、テレビで流れとったかも~」
一方、そのカウンターにいた「カップル」は、業界の話で盛り上がっていた。いや。勝手に盛り上がっているのは、女の方だけだが。
翼宿は途切れ途切れに彼女の質問に答えながら、どんどん酒を流し込むだけ。
「………あんた。随分、飲むねえ?仕事、行き詰まってるん?」
今までは無邪気にまとわりついていた杏子も、いつまでもふてくされてスキが見えている彼の姿に好機を感じ、酔ったフリをして声に艶をちらつかせる。しかし、杏子はこう見えてお酒に強いのだ。
流れで、彼女はそっと翼宿の右手に手を添える。
「………やめろ」
「なーに?また、女嫌い?あんた、昔から変わっとらんのやねえ?」
「………………」
「あんたを手に入れられなくて泣いた女、何人いたか。まさか、また泣かせてきたん?………あのキーボードの子やったりしてねぇ?」
「―――――――っっ!!」
酒のせいか動揺で反射的に顔が赤くなった翼宿に、杏子はニヤリと微笑む。
「………お前には、関係あらん」
「関係あるよお…ね?何があったん?女心についての相談なら、あたしが一晩聞いてあげるから…」

杏子も、かねてから翼宿を手に入れたかった女の一人。
だが彼が女嫌いと銘打っているのを知っていたため、無邪気キャラで近付き、翼宿が弱味を見せる日が来るのを狙っていたのだ。
そうこうしている間に彼は夢を追いかけて東京へ行き、諦めきれなかった自分も必死にベースをかじってようやく上京。
同じ会社に所属して翼宿と接触する機会を伺う予定だったのだが、早くも訪れた今日のこの状況は杏子にとって最高の状況なのである。

明らかに絡まれている翼宿を、マスターが陰から心配そうに見守る。
「…帰るわ。お前も、はよホテルに戻れ。明日、yukimusicに出直すんやろが」
席を立とうとする翼宿の手を掴み、杏子が自分の胸元にその手を持っていく。
「……っっ!おい」

「あたし…いい女になったやろ?ええねんで?あたしが…女を教えてあげても」

耳元でそう囁く杏子の香水の匂いが鼻につき、翼宿は吐き気を堪えた。
パン…ッ!
そして、振り払った手で軽めに杏子の頬を叩く。
「翼宿…?」
少し酔いが冷め、杏子はポカンとする。
「ええ加減にせえ。いくらお前やからって、許される事やない。俺も節操なかったけど、お前もやりすぎや。ホテルどこや。送ってくから」
杏子に誘われている。そう悟った翼宿もまた酔いが冷めていつものスキがない自分に戻り、会計の合図を出した。
その傍ら、翼宿は柳宿以外の女性と久々に接して、「女の恐怖」というものを改めて感じていたのだった―――

一方、こちらは…
「天文…もう、飲めないよ~」
「お前…チューハイ一杯だけだったろうが~」
別の店で祝い酒を終わらせた、柳宿と天文。
翼宿も鬼宿もいない中で久々に手を出したお酒のせいで、案の定柳宿の呂律はもう回っていない。
こんなに酒に弱いとは思っていなかった天文も最初は驚いていたが、介抱と称して彼女から離れられないこの状況はもう思うがままだった。
「柳宿…あそこのベンチで、休もうぜ?な?」
二人が辿り着いたそのベンチは、不運にもあの公園のベンチ…だがその判別すらもかなわず、柳宿は天文の肩にもたれながらそのベンチに座り込む。
「おい、柳宿?寝るなよ?風邪ひくから…」
「う~ん…」
忠告も虚しく眠りに入る柳宿の綺麗な寝顔に、天文は思わず喉を鳴らす。

今日は、全て思惑通りに事が上手く進みすぎている。
このまま、自分の家に彼女を持ち帰ってしまってもいいのではないだろうか?
今の状態なら、確実に彼女を自分のものにしてしまえる…

天文はそっと柳宿の肩を引き寄せ、そして眠る柳宿の唇に自分の唇を近付けた―――

「たすき…」

しかし彼女の唇が呟いたその名前に、天文は目を見開く。
その頬は、また涙に濡れていて…
「ごめんね…翼宿…」
「…っ…!」
無理矢理その唇を塞いでしまえばその言葉の続きを遮れるのに、天文にはそれ以上続ける事が出来ない。
その状態で、暫し硬直が続く。

「っあーーー!鬼宿くん!飲もう!もう一軒行こう!」
「すみません、夕城プロ。俺、運転席です。免停で、芸能界引退したくないです」
「何を、固い事を言ってるんだ!そして、納期が遅れて、どうして俺だけが社長に怒られてるんだ!」
ちょうどその頃、こちらも夕城プロのやけ酒に付き合っていた鬼宿が、ベロベロの彼を乗せた車を走らせている。
もちろんあの二人の相談もしたが、夕城プロはいつのまにか自分の愚痴にすり替えて、本題が全く別物になって話が終わってしまっていた。
「納期が遅れたのは、俺の責任でもあります。もう少し気を配っておけば、こんな事には…」
「お前は、どうしてそんなにいい奴なんだ!もう、恋しちゃうよ~ん♡♡」
「わっ!危ない、夕城プロ!………あれ?」
抱きついてくる夕城プロを避けようと路肩に車を寄せた鬼宿は、公園のベンチに見覚えのある人影を見つける。
「あ、あれって…」
「何だ!?どこぞのスキャンダルか!?」
「…になりそうな、柳宿と天文」
「……………ぬぁにぃーーー!?」
その一言で、夕城プロの酔いは瞬時にぶっ飛んだ。

バタン!
「天文!」
鬼宿の呼びかけに、天文はハッと柳宿から体を離す。
「鬼宿………げっ!夕城プロ!」
鬼宿の後ろからは、夕城プロが血相を変えて駆けてくる。
「天文!!貴様あ!!こんな目のつくところで、何をしてる!!撮られたら、どうすんだあ!!」
「夕城プロ!声、でかい!とりあえず、落ち着いて」
「す、すみません…納品祝いって事で軽く一杯してたんですけど、予想以上にこいつがのびちゃって…」
「の、飲ませたのか!?」
唯一事情を知っている鬼宿は、柳宿が爆睡する姿にああと頭を抱える。
「とにかく、俺の車で送るよ!天文も乗って…」
「あ、ああ…」
「大丈夫だよな…今、撮られても、俺の力で金を握らせれば…」
「夕城プロ!行きますよ!」
「あっ、は~い」
柳宿を抱きかかえた鬼宿と天文、そして落ち着かない夕城プロは鬼宿の車へと戻っていく。
その中で、天文は、一人、やりきれない思いを抱えていた…


それぞれの蟠りはまだ解けず、空翔宿星の周りを暗雲だけが取り囲んでいる―――
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