空翔けるうた~02~

『皆さん!今日も、ありがとうございました~気をつけて帰ってくださいね!』
4月。空翔宿星のワンマンライブが、今月も大盛況の内に終了した。
今回はMC副担当の柳宿が締め、会場は男性陣の興奮の雄叫びが溢れていた。


空翔宿星。
それは、ドラマー・鬼宿、ベースボーカル・翼宿、キーボード・柳宿の三人で構成されたバンドグループ。
ベースの翼宿のメジャーデビューの夢を応援するため集まった三人は、この5ヶ月間でみるみる実力をつけ今やライブハウスを満員にする程の超人気グループにまで成長していた。


コンコン
「は~い。どちら様で…」
ライブ終了の時を同じくして、ライブハウスの事務所の扉が叩かれた。
店長が間延びした返事をしながら扉を開けると、そこにはスーツに身を包んだビジネスマン風の男性が立っていた。
「あっ!夕城プロ!お疲れ様です!」
「お疲れ。ここに来るのは、久々ですね」
「ええ!確か、一年前にうちのイベントに出てたバンドスカウトして以来でしたよね!その後、あいつらどうです?」
「え…ははは。それが~…中々、馴染めなかったみたいで」
今や伝説となっている過去のスカウトバンドの話を持ち出され、奎介…いや。夕城プロは、頭をかきながら苦笑いする。
「で?今日は、また何で?」
「実は、今日の出演バンド。引き抜けないかな~って」
「空翔宿星を…ですか?」
「そう…見させてもらったんだけどさ。ハートに、ズギューンと来たんだよ!久々に…」

「お疲れ様でした~」
「いや~柳宿のファンも、段々増えてきたんじゃねえか?最近は、客層もだいぶ変わってきたよな♪」
「まあね~でも、翼宿ファンの最前列の女子集団にはまだまだ敵わないよ~」
ライブを終えたメンバーが過ごす控え室には、愉快な笑い声が響いていた。
相変わらずキャイキャイしながら語り合う鬼宿と柳宿の横には、相変わらず一服を楽しむ翼宿が座っている。
「翼宿。次は、お前のMCショーで行くからな」
「そうだよ~あんたのMC待ってるお客さんが、あの中に五万といる筈なんだから…」
「アホ抜かせ。そんなん、生き地獄や」
コンコン
そんな三人のやりとりを遮ったのは、ノック音だった。
「お疲れさん。ちょっと、いいかな?三人に来客だ」
店長が顔を出しそう告げると、三人は首を傾げる。
その後ろには、スーツに身を包んだ男性が見えた。
「空翔宿星の皆さん。初めまして。yukimusicプロデューサーの夕城奎介です」
進み出た男性が発した言葉に、鬼宿と柳宿は口をあんぐりと開けた。

「ごゆっくり…」
四人分の珈琲を入れ終えた店長は、控え室を出ていく。
ソファには夕城プロ、そして彼に向かい合うようにメンバーの三人が座っている。
「あ…あの。奎介さん…今日は、俺らに何か…」
「実は、僕の妹から君達の事を聞いてね。突然で悪いとは思ったんだが、今日のライブを見させてもらった」
「夕城さん…って、もしかして美朱さんのお兄さんですか?」
「そうだよ、柳宿さん。妹がいつもお世話になってるようで…」
「そんな!あの日は、あたし無理矢理妹さんをライブに誘ったりしちゃって…その節は、すみませんでした!」
「いや…妹は、とても喜んでいたよ。それに、お陰でこうして君達に会えた…」
いよいよ切り出されるのだろう本題に、翼宿の両脇で鬼宿と柳宿が喉を鳴らす。

「単刀直入に言おう。僕の会社で、デビューしてみないかい?」


夕城プロは両手を組んで身を乗り出しながら、その提案を持ち出す。その場に、暫しの沈黙が流れた。
「そ、それって…メジャーデビューって事…ですか?」
鬼宿によって反復された言葉に、相手は力強く頷く。
「そうだ。それ以降も、会社で全面的に君達をバックアップする」
「や、やったじゃない!あたし達、夢だったんです!三人でデビューするの!」
「俺も!今年、お声がかからなかったら、バイトと掛け持ちしながら活動しようと思ってたところで…」
乗り気の鬼宿と柳宿の笑顔は、まさに快諾の合図。
「じゃあ…契約成立という事で…」
安堵した夕城プロが、この話を締めようとした時だった。

「………すみません」

今までずっと黙っていたセンターの人物が、静かに口を開いた。
驚いてそちらを見れば、橙頭の青年が眉間にシワを寄せて俯いている。
「少し、考えさせてくれませんか?」
その声にも、やはり少しも弾んだ様子はなかった。
「え。翼宿くん?それは…」
「すみません。今すぐに、返事は出せません」
「何、言ってるんだよ、翼宿!お前が、一番ここまで頑張ってきて…」
鬼宿が慌てて翼宿を説得しようとするが、彼は依然俯いたままでいる。
そんな彼の思い詰めた表情に、夕城プロは何かを感じた。
「………分かった。君が、このバンドの顔だもんな。君が乗り気でなければ、契約する事は出来ない」
「奎介さん…」
「リーダーは…鬼宿くんかな?君の連絡先を教えてほしい。メンバーの意思が固まったら、連絡して?」
今まで黙っていた柳宿は、隣の翼宿を心配そうに見つめる。
(翼宿…?)


夜更けが近づく頃、翼宿はまだ床に就かず自宅のベランダで煙草を吸っていた。
ゆっくりと、先程のお誘いの返事を考えながら…
♪♪♪
メールの着信音が鳴り、翼宿は画面のロックを外す。

『From:店長

昨夜は、お疲れさん。遅くに、ごめんな。
お前、控え室にピックケース忘れていったろ?いつでもいいから、スタジオに取りに来いよ。
それとその時にもしよければ、Phoenixビルにお使い頼みたいんだ。うちのバイトが風邪引いてしばらく休んでるんだけど、そいつが取りに行く予定だった、スタジオに置くフリーペーパーを貰ってきてくれないか?連絡待ってる』

翼宿はそれを読むと、『了解しました』と短く返信した。



「はあ~………」
「どうしたの?柳宿。ため息ばっかり」
週末。柳宿は鳳綺とオープンしたてのカフェに来ていたのだが、さっきからため息が止まらない。
「うん…実はね。メジャーデビューの話が来たの」
「えっ!?そうなの?よかったじゃない!そんなに早く、いい話が舞い込んできて♪」
「そう、思うでしょ?」
「えっ…?何か、問題…?」
そこで、翼宿がなぜかデビューを迷ってる事を鳳綺に打ち明ける。
「そうだったの…彼が、一番飛びつきそうな話なのにね」
「何か、事情があるのかな?まさか、ここまで来てあたしがクビって事は…」
「なっ、何言ってるの?ここまで、一生懸命頑張ってきたじゃない!」
珍しく弱気な柳宿の口からは、その根拠が発せられる。
「だって!あたし、翼宿にたくさん迷惑かけてるのよ!?キーボードぶち壊された時に遠くの楽器屋に行かせて代わりのキーボード買わせちゃうし、風邪引いて連続して練習休んじゃった時にネガティブなメール送ったら電話でめちゃめちゃ叱られたし、曲が書けなくてやけ酒したくなった時は遅くまで愚痴聞かせたりしちゃった事もあるし…お酒だけは、飲ませてくれないんだけど」
翼宿のデビューにとってそんな自分の存在が邪魔になっているのではないかと、柳宿は思ったのだ。
一方で次々と語られる翼宿エピソードに鳳綺は唖然とするが、次の瞬間、彼女は笑い出す。
「なっ、何よ?鳳綺!笑い事じゃないわよ~」
「ごめんなさい…でも安心しなさいよ、柳宿。それが、原因じゃないわ」
「えっ…?どうして…?」
鳳綺は何となくではあるが、翼宿の気持ちを察した。
恐らく、翼宿は楽しいのだ。そんな柳宿や鬼宿と過ごしている、今の平凡な時間が。
だけど、そんな事、他人の鳳綺が言える口ではない。
しかしそれ以前に、鳳綺はある事を心配する。
「だけど、柳宿?あなた、本当にデビューして大丈夫なの?」
「そ、そりゃあ…あたしのキーボードの腕だって、まだまだよ?だけど、翼宿の夢を支えたいって気持ちだけは十分に…」
「そうじゃなくて!」
そこで、柳宿は目を丸くして鳳綺を見た。
「翼宿さんへの気持ちに関してよ…?」
「えっ…?翼宿への…?」
「そうよ?これから、業界人や一般人含む何万人もの目に彼の姿が触れる事になるの。あなた、その意味分かってる?」
暫し首を捻って考え込んだ柳宿が出したその答えは、あまりにも単純だった。
「いいんじゃないの?その方が、翼宿の可能性も広がるし…」
「………そっか。あなたがそう思うなら、いいんだけど…」
「変な鳳綺」

そう。柳宿が翼宿に淡い恋心を抱いている事に、鳳綺は気付いていた。
本人がそれに気付く頃、翼宿を取り巻く渦はもっと大きくなっているかもしれない。
その時に苦しむ親友の姿を見たくなかったため彼女はこう問うたのだが、全く自覚がない本人にそれを気付かせるだけの力量は鳳綺には持ち合わせていなかった―――


ドルンドルン
翼宿は店長に言われた通り、Phoenixビルにお使いに来ていた。
「すんません。Studio Reikakuの者ですが、フリーペーパーの件でお伺いしました」
「ああ。店長さんから、連絡貰ってます!こちらですね…」
声をかけられた受付の女性は、フリーペーパーの束を翼宿に渡す。
「ありがとうございます」
女性にお礼を告げて、玄関へ戻ろうとしたところ…

「あーーーーーーー!!!!」

突然、耳をつんざくような声が聞こえ、翼宿は驚いて振り返る。
「あっ…」
そこには、瞳を輝かせながらこちらを見ているyukimusicプロデューサーの姿があった。
夕城プロはスタスタと駆け寄り、翼宿の手を握りブンブン上下に振る。
「翼宿くん…だよね!?その橙の頭で、すぐ分かったよ!」
「はあ…どうも」
「いや~偶然だな!ここ、うちの本社が入ってるビルなんだよ!」
「あ…そうだったんすか」
翼宿には、何ともタイミングが悪い偶然だった。
無理に笑う翼宿の表情を見て、夕城プロは提案する。
「ちょっと、時間ある?君とだけ、話がしたいんだ」
「えっ…?」
奎介は、知りたかった。彼が迷っている本当の理由を…
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