空翔けるうた~01~

空翔宿星の初ライブから、三ヶ月ー
空翔宿星専属のスタジオの外には、東京では滅多に降らない雪がちらついている。
休憩所にて、翼宿は煙草を吸いながら譜面を読み、鬼宿はタブレットで今後の予定をチェックしている。
各々が各々の仕事を、ただ黙々とこなしていたそんな時。


「はいはーい!来月のシフト予約済んだよ!この日程!ね!」


机の上に人数分の日程表を置いたのは、キーボードの柳宿だった。
「気が早いなあ…お前は。もう少し、のんびりさせろや」
「何、言ってんのよ!このスタジオ、割と人気ですぐ埋まっちゃうじゃない!毎月毎月、スケジュール調整するの大変なんだから~」
「はいはい。柳宿…感謝してるよ」


空翔宿星の初ライブの日。柳宿は、無事に家族からバンド存続の許可を得たのだ。
ライブ前はあんなに震えていた柳宿だったが、ステージに立った彼女は見違える程に生き生きとキーボードを弾いていた。
その姿は、呂候をはじめ母親と父親すらも虜にした。
何よりもピアノと真剣に向き合っている姿を初めて見た父親は、その柳宿の夢見る瞳に負けたのだ。
ブラウン管に出られればいつかは女優のお声もかかるかもという嫌味を残しながらではあるが、彼は柳宿の夢を応援する事を約束したのだった…


「たま!来週のライブの打ち合わせ、するぞ!」
「はーい!店長!」
正式にバンドの形が決まると自ずとそれぞれの役割分担も決まり、鬼宿は活動全般を取りしきる役割に、柳宿は毎月のスタジオ日程の予約の役割になっていた。
しかし、当の翼宿はというと…
「ねえ…今日も、仕事ないの?」
「ああ。特にない」
「あんた、初ライブから特に動いてないじゃないの…具合でも悪いの?」
「……………お前のお守り任されてるからや」
「何か言った?」
「何でもあらへん」

そう。初ライブの後、翼宿は鬼宿から「柳宿のお守り係」という役割を任命されていたのだ…


『柳宿のサポートやてえ?』
『そう!リーダーの命令だ♪』
ライブ終了後。柳宿は家族との仲直り食事会に出かけた為、鬼宿と翼宿は二人で打ち上げする事になった。
まあ酒癖が悪い柳宿は抜きの方が、翼宿的には安心なのでよかったのだが。
そしてたった今出されたこの命令に、翼宿はプイと顔を背ける。
『冗談やない!何で俺が…』
『何、言ってんだよ!もとはと言えば、今回の件はお前が忙しすぎて柳宿が悩みを打ち明けられなかったのが原因だろ?だから今後の打ち合わせ云々は、このリーダーに任せなさい!』
『別に俺やなくても…』
照れを隠すように頭をかきむしりながら、煙草に火をつける。

『…お前のお陰なんだぜ?柳宿が、今日、逞しく演奏出来たのは…』

その言葉には反応しない代わりに、翼宿は立ちのぼる煙草の煙を見つめている。
『それに?女嫌いの翼宿くんが、柳宿には妙に触りやすいみたいだしな?』
『んなっ…!見てたんかい!悪趣味やで!あれは、あいつの動揺を落ち着かせる為にやなあ…』
『でも、嫌じゃないんだろ?』
そこで黙るのは、翼宿の肯定の合図。すっかり掌で転がされている、普段からは考えられない翼宿の姿が鬼宿はすっかり面白くなっていた。
『それにまたあいつがキーボード続けられなくなったら、お前だって困るだろ?』
『あー!わーったわーった!見たるわい、女一人の面倒くらい!その代わり、たまにはヤケ酒付き合えよ?』
『お安い御用だよ♪』

しかし、その後「ヤケ酒」と称した飲みは行われていない。
もちろん、その後も幾度となく凹む柳宿を翼宿は励ましたり叱ったりしてきた。
何だかんだ言って、翼宿にはこの役割は適任なのかもしれない。


「ねえ…ホントに貰っていいの?このキーボード」
そんなやりとりを思い出していると、隣の柳宿が例のキーボードバッグを触りながら尋ねてきた。
「ああ…構わん。後から請求するなんて、カッコ悪いやろ」
「そうだけど…結構、いいキーボードよ?いくらして…」
「そんなん気にするな。もう、壊されるんやないで」
「………うんっ!」
贈り物をぎゅっと抱きしめる柳宿のそんな笑顔が可愛くて翼宿もつい無理をしてしまうのだが、本人はまだその事には気付いていない。
(まだ、分割終わらん…)
それよりも毎月のライブの収入が柳宿のキーボードの分割払いで消えていく事の方が、彼には深刻な問題だった…

「ほい!来週のライブのチケット!今回も一般販売は完売してるらしいけど、俺らでも何人か集めていいってさ♪」
「空翔宿星、毎回ソールドアウトで感謝感激だよv」
戻ってきた鬼宿と店長は、翼宿と柳宿にもチケットを配る。
空翔宿星は、今や初ライブをしたライブハウスをワンマンで満員にする程の超人気バンドへと成長していた。
今回が3回目のワンマンとなるが、前回と前々回は一般販売優先でメンバーの関係者らは誰も参加する事が出来なかったので…と、店長の気遣いで今回はチケットを何枚か取り置きしていてくれたのだ。
仲良しこよしが嫌いな翼宿は、自分のチケットは黙って柳宿に分け与える。
(もちろん、兄貴と鳳綺は呼ぶとして…後は、誰にしようかな?)
柳宿は考え、そこに一人の人物が思い浮かんだ。



翌日、柳宿は大学のカフェにその人物を呼び出していた。
五時限目を終えていそいそとカフェに入ると、姿を探す。
すると窓際にある日当たりのいい席に、彼女はいた 。
「…美朱!」
「柳宿先輩!」
美朱と呼ばれた少女は柳宿の姿を確認すると、嬉しそうに手を振る。
「ごめんね、待たせちゃって…そっち、今日は四時限で終わりだったんでしょ?」
「いいんです!久々に先輩に会えると思ったら、嬉しくて♡」
彼女の名は、夕城美朱。
一、二年次の合同授業の時に、たまたま授業が一緒になった柳宿の後輩だった。
バイオリンが得意で将来はプロのバイオリニストになる為にこの大学に入った、柳宿と同じく音楽を志す同志でもある。
「それでね。今日は、もし興味があったら…なんだけど」
柳宿が差し出したチケットの券面を見て、美朱は目を見開いた。
「空翔宿星…!また、ライブやるんですね!」
「そう!今回はメンバーの関係者も呼んでいいって、主催者に言われてね♪もしよければ、美朱に来てほしいなって思ってさ」
「本当に、いいんですか!?こんなわたしが…!」
「もちろん♡美朱は、あたしの可愛い妹みたいなもんだからさ!」
「嬉しいです!すっごく嬉しいです!でも…」
「あっ…」
そこで美朱の表情が曇り、柳宿は声のトーンを落とす。
「まだ…体調よくない?」
「はい。相変わらず、外出制限されてて…」
美朱には、生まれつきの持病の発作がある。
急に彼女が授業を休んだ事をきっかけに柳宿はその事情を知り、よく休んだ日のノートを貸してあげたりしていたのだ。
「でも!せっかくなので、いただきます!空翔宿星のチケットなんて、滅多に手に入らないプレミアものですし!友達も中々手に入らないって、嘆いてたんですよ!」
「無理しなくていいからね?もし体調悪かったら、その友達に譲ってもいいし…」
「ありがとうございます!柳宿先輩…頑張ってくださいね!」
「ありがとう…美朱」
もちろん、親から許可が出る訳がない。
本当は早々に友人に譲るのが、一番だったのだが…


ライブ当日、そのチケットは未だ美朱の手にあった。
「美朱~じゃあ、母さん出かけるから。父さんが帰ってくるまで、留守番頼んだわよ?」
「はーい…」
階下から聞こえる母親の声に、適当に返事をする。
本当は家族でお出かけなどあれば諦めもついたのだが、生憎その日の予定は空白…退屈なお留守番だった。
美朱は部屋のベッドに寝転がり、例のライブチケットをひらひらさせる。
(結局、誰にも譲れなかったなあ…)
本当は、見てみたくてたまらなかった。キラキラしている柳宿も、他のメンバーの人達も…
時刻は、開場一時間前。体調は少しも悪くなく、寧ろ快調な程だった。
「無理しなければ…きっと、大丈夫…だよね?」
美朱はそう独りごちると、ダウンコートを羽織った。

美朱のこの決死のおでかけが、空翔宿星の運命を変えるきっかけとなる事になる―――
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