空翔けるうた~01~

「翼宿!昨日は、悪かったな!結蓮の奴、40度近く熱が出ててさ…」
「いや。大変やったな、お疲れ」
ライブの翌日、大学のキャンパスで鬼宿は翼宿に声をかけた。
「そういえば…柳宿さんだっけ?結局、来たのか?」
「―――…ああ~」

『あたし…もうすぐ、親に夢を奪われちゃうの』
そこでふいに頭を過ったのは、彼女のあの言葉だった。

「いや、見当たらんかった。昨日も、バイトやったんちゃうか?」
「そっかあ~…まあ、都合も聞かずに渡しちゃったもんな。ご縁がなかった…って事か。んじゃ、俺は引き続きサークルに目ぼしいキーボードがいないか、当たってくるよ!」
「ああ…頼んだ」
鬼宿は片手をあげると、サークル棟への廊下を走っていった。
時計を見ると、午後6時半。バーの開店時間まで、後30分。
翼宿はため息をつくと、鞄を持って立ち上がった。


カランカラン
「いらっしゃい…あれ?お客さん。今日は、たまちゃんは一緒じゃないのかい?」
「ああ…あいつは、色々忙しくてな。今日は、一人酒したい気分やし。水割り頼むわ」
「あいよ」
数刻後、翼宿はこっそりとあのバーに来ていた。
柳宿が普段通りピアノを弾けているかなぜかそれだけが気になり、気がつけばバーの扉を叩いていたのだ。
辺りを見渡すと自分の他にいるのは中年の客の集団のみで、中央のピアノに彼女の姿は見えない。
「あいよ、水割り…」
「おおきに…マスター。今日、彼女は…」

「おお~柳宿ちゃん!いい飲みっぷりだねえ~v」

すると、背後に座っていたその中年の客の集団の中から彼女の名を呼ぶ声が聞こえてきた。
驚いて振り向き彼らを凝視すると、集団の中心にピンクのドレスを着た柳宿の姿がある。
お酒のグラスを一気に飲み干していたところだった。
「あ、あいつ…!」
「あの子…今日で、辞めるんだよ」
そこに、マスターの残念そうな声が聞こえる。
「何で…?」
「ご両親に内緒で働いていたのが、バレたらしい。今日を最後に辞めさせるようにと、さっき電話がかかってきてね。出勤してきたばかりの時は頬を腫らしていて…喧嘩してきたんだろう」
気の優しいマスターは、禁止されている業務中の飲酒をしている彼女の姿さえも止められないでいた。
本当は実の娘のように可愛がっていた筈なのに、弱小のこのバーを訪れてくれる客から彼女を引き離す訳にもいかず彼はただ唇を噛む事しか出来ない。
翼宿は、一瞬、ためらったが、財布から勘定を払う。
「…マスター。釣りはいらんわ」
「え?お客さん…?」
「それと…彼女、ちょっとだけ借ります」

「おじさん…もっと、強いお酒…持ってきてえ~…」
既に呂律が回っていない柳宿。実は、お酒に弱いのだ。
それを知ってか知らずかそんな柳宿を誰も止めず、浴びるように飲む彼女の姿に親父達は終止にやついている。
「………柳宿ちゃん。君、意外と大胆だねえ。この後もさ…たくさん飲もうよ。おじさん達と一緒に…さ」
柳宿の肩に、親父の手が触れようとすると。
………ガシッ
途端に、その手を翼宿が掴んだ。
「な、何だ?お前…」
「汚い手で、触るな。この変態が」
「たっ…翼宿さん…!?」
突然、割って入ってきた若者に、客も柳宿も唖然とする。
「今日は、俺らが彼女を予約したんだぞ?他所者のお前に、どうこう言われる筋合いなんて…」
突っ掛かる親父に構わず、翼宿は柳宿の手を引く。
「おい!お前、彼女の何なんだよ!?」
声を荒げる親父を睨み、彼は低い声でこう返した。


「…彼氏や」


「………………っっ!!??」
確かに聞こえたその言葉に、柳宿の酔いはそこでぶっ飛んだ。
「か、彼氏って…」
「ほら。帰るで…柳宿」
翼宿は呆然とする柳宿を連れて、そのまま店を出た。
「ま、待てよっ!!」


柳宿の手を引いて逃げた場所は、街の外れの公園だった。
ジャングルジムに彼女の体を預け、ため息をつく。
「とりあえず、ここまで来れば大丈夫やろ…」
「翼宿さん…あの…」
酔いが抜けきっていないのか目をくるくるさせながら自分を見つめてくる相手に気付き、顔を反らす。
「勘違いすんなや…あの場を切り抜けるには、ああするしかなかったんや…」
そう。「彼氏だ」発言は、早々に修正しなければいけない。
「ったく…!何を荒れてんねん、お前は!」
「…だって…!!」
「あのまんま飲み続けたらどうなったかくらい、分かってたやろ!?」
女を叱咤するのは初めてで自分でも驚いたが、従順に生きてきたのであろう柳宿が醜い素行をするのがなぜか許せなかった。
自分の怒号に彼女は涙を浮かべるが、その姿にまた腹が立つ。
「これやから、女ってのは…!何があったか知らんけど、現実から逃げて自分滅茶苦茶にしたらそれこそホンマにお前の人生お先真っ暗なんやで…」

「………あんたに、何が分かるっていうのよ!?」

しかし次に飛んできた言葉は、とんでもない言葉だった。
その気迫に、思わず説教の言葉を止める。
「唯一の居場所まで取り上げられて…どう過ごせって言うの!?あたしは、女優になんかなりたくない!でもいくら叫んでも、あの人達は聞く耳持たないの!!あたしは、これから一生あの人達の夢に支配されて生きていくのよ!?」
お嬢様の仮面を被ってきた少女は、自分の言葉で本音を露にする。
このままめそめそ泣き続けるだけかと思っていた翼宿は、心底驚いた。
そして、同時に、彼女の夢に対する熱い思いを感じる。
そうか。この女は、それほどまでにピアノを…

「おい!今、柳宿ちゃんの声、聞こえなかったか!?」
「こっちからじゃねえか!?」

すると遠くから、さっきの親父達が柳宿を追いかけてきている声が聞こえた。
このまま柳宿が声を荒げれば、見つかってしまう。
「………っっ!くそっ…!ここで見つかったら、逃げきれんな」
「だから、最後くらい、優しいおじさんと一緒に過ごしたって…!!」
ボソッと呟く翼宿に構いもせず、柳宿は興奮を抑えられない。
親父達の足音が、近付いてきて…
グイッ
翼宿は、突然、柳宿の肩を引いた。
「えっ…!?」


「いたか?」
「いや…猫かなんかの声だったみたいだな」
「ちきしょ~…追いかければ、間に合うと思ったのに…柳宿ちゃん。彼氏出来たから、店辞めるんだな~」
「仕方ねえ…他の店で、またいい女探すか」
親父達は諦めて、また夜の街へ戻っていった。


トクントクン…
柳宿の心臓の音が、翼宿を通して伝わる。
翼宿は柳宿を咄嗟に抱きしめ、止まらない彼女の口を押さえたのだ。
「………行ったか」
安堵したように息を吐くと、彼女の身を離そうとする。
しかし、柳宿は翼宿の袖を掴んで離そうとしない。
それどころか、自分の胸で泣き出したのだ。
「~~~っ」
「………参ったな」
翼宿は、頭をがしがしとかきむしる。
「彼氏だ」発言に続いての、この展開。
翼宿からすれば、女性とそんな事になるつもりは微塵もなかったのだが…
「あたしは…あたしは…天国のお父さんと約束したの…!絶対に、ピアニストになるって…!その目で見てもらう事は叶わなくても…天国のお父さんにもいつか聴こえるように…あたしは、ピアノを弾き続けたいの………!」
しかし聞こえてきた自分の腕の中で続けられる彼女の言葉に、翼宿はまた耳を傾けていた。
その体の震えから誰にも受け止めて貰えずに、寂しくて悔しかったのだろう事が伝わってくる。
今、気持ちをぶつけられる相手は自分しかいないと思うと、邪険にも出来ない。
その状態のまま、翼宿は柳宿が落ち着くまで胸を貸してやる事しか出来なかった。


「…おい」
彼女の泣き声が次第におさまってきた頃、翼宿は声をかける。
「…何?」
「何?やないやろ。もう、そろそろ俺を解放しろ」
気が済んだのか、柳宿はそっとその身を離した。
「………色々、ごめん」
「ホンマやで…泣き叫ぶのはいいけど、もう少し良識弁えろや」
翼宿は大きくため息をつくと、煙草を取り出して火をつけた。
柳宿も再びジャングルジムに寄りかかると、その場に沈黙が流れる。
目は兎のように赤いが、柳宿はまっすぐに翼宿を見据えた。
「…翼宿、ありがとう。あたし、あんたが来なかったら、もっと後悔するトコだった」
先程の勢いのまま自分の名を呼び捨てにした彼女の語調は、敬語に戻っていなかった。
だが、この方が彼女らしい。翼宿は、直感的にそう思った。
「………いや。俺こそ、すまんかったな。何も知らんのに、頭から怒鳴りつけてもうて…」
「ううん。あたしが、間違ってたんだよ。それに親以外に叱ってくれる人なんて、初めてだったから…ありがとう」
「………そか」
また沈黙が訪れ、柳宿は気が済んだように立ち上がる。
「余計な愚痴まで吐いちゃって、ごめんね。もうあんたとは会う事もないと思うから…今の事は、忘れて」
「………」
「…あたしの分まで、音楽頑張ってね」
柳宿は無理に笑顔を作ると、よろける体を支えながら公園の出口へ向かって歩き出す。

「…………おい!」

翼宿は、柳宿を呼び止めた。
「何…?」
「キーボード…」
「は?」
「キーボード出来るよな?」
「翼宿…?」


今でも、女なんか苦手だけど


「来月から…たまとバンド組む」


それでも、この女は放っておけない。


「お前の力も…貸してくれや」


だから、今日から、俺がこいつを護る…


「俺らと一緒にやればええ」


新しい居場所を見つけ、柳宿の涙がまた彼女の頬を伝った。


三人目のメンバーにして、キーボード担当。
本当は意思が強くて、負けず嫌い。
だけど反面寂しがり屋で、泣き虫な柳宿。
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