空翔けるうた~01~

「いらっしゃいませ~」
週末。バンドの件ですっかり意気投合した翼宿と鬼宿は、鬼宿行きつけのバーに来ていた。
「そっか~…今度のライブで、引退か。もしかして…俺のせいで追い出された?」
「ちゃうちゃう!俺が断ったんや。あんな感じでソリも合わんし、ビジュアル系の曲歌わされるのも結構しんどいんや」
「FIRE BLESS」から、いよいよ翼宿が抜ける事になった。
ボーカルが抜けるともなれば穴埋めを探すのも大変だし、元々異色でバンド活動をする男性からは敬遠されがちだったバンド。
よって、メンバーは翼宿の脱退と共に解散を決意したという事である。
鬼宿はそんな事実に、一瞬、申し訳なさを感じるが、翼宿はそれを笑いながら否定した。
「お前の声色なら何でも合う気はするけど、お前の気持ちが一番大事だもんな。俺が翼宿の望む音楽性を持ってるかも、自信ないけどさ」
「何、言ってんねん。俺の意見聞いてくれるだけで、十分や。メンバーで話し合っていいものが出来れば、俺はそれでええ」
脱退を決意した理由は違うけれど、決意するきっかけを与えてくれたのは隣にいる鬼宿だ。
純粋で努力家で気配りが出来ていて…一緒にいると、自分も自然と優しくなれる。
自分でも気付かない程に、いつのまにか翼宿はこの新しい相棒を信頼しきるようになっていた。
「お前の声色に合う曲…そうだな。キーボードでメロ付けたら、すげえ印象的になりそうだけどな!」
「キーボード…か」
「あ、ごめんごめん!適当に言ってみただけだから!あ、マスター!お代わり♪」
酒が大得意の鬼宿は、カウンター越しに立つマスターに3杯目の酒のお代わりを頼む。
「いや…ええかもしれんな。キーボードは今まで打ち込みやったから関わった事ないけど、曲作りも頼めるし色々と融通が効きそうや」
「おっ!中々、いい線行ってる?でもさ。うちのサークル、あんまりキーボードいねえんだよな~どこから持ってくるか…」
「せやなあ…」
翼宿が、椅子に寄りかかって考え込んだ。その時。

♪♪♪

バーの中に、美しいピアノのメロディーが流れてきた。
翼宿と鬼宿が振り返ると、そこには紫色の美しい髪の毛を束ねてバーのピアノを演奏する少女の姿があった。
「あれ…?マスター。あんな子いたっけ?」
「ああ…最近、入ったんだよ。長年勤めてくれてたうちのピアニストの後任でね…中々の腕前で、彼女が入ってから客入りもよくって」
歳は自分達より一つ程下に見えるが、確かに、その技術は、一瞬、プロと見間違う程だ。
周りの客も会話をやめて、彼女が奏でるメロディに聴き入っている。
「へえ~………キーボードといえば、ピアニストからも入れるよな」
鬼宿が耳許で囁きかけてきた事で、翼宿はぐいと顔を背けた。
「アホ…キャラが違いすぎるわ」
残念ながら、彼女はどこから見てもお嬢様風。
翼宿には、自分達とは生きる世界自体が違うように思えた。

パチパチパチ…
演奏が終わり、少女はピアノの前でお辞儀をする。
「柳宿ちゃん!いつも素敵な演奏だね~その流れで、おじさん達の晩酌にも付き合ってよ~v」
「すみません…勤務中に、お酒は禁止なので…」
その誘いをやんわりと断ると、柳宿と呼ばれた少女は控え室へ向かう。
「柳宿さん?」
カウンター前を通りかかったところで、突然、鬼宿が彼女に声をかける。
「………はい」
「ホント素敵な演奏だったね!俺、常連だったのに、君が入ってきたの全然気付かなかったよ♪」
「おい、たま…」
お酒が入って上機嫌だった鬼宿は、ノリで会話を持ちかけた。これには、隣の翼宿も慌てる。
「あ、ありがとうございます…二週間前に、雇っていただいたばかりなんです。まだまだ駆け出しで…」
「俺らも、音楽やってるんだ!俺がドラムで、こいつがベース!翼宿は、今度がラストライブでね~…」
「たま、あんまりベラベラ喋んな!…すまんな、仕事中に…。俺ら、もうすぐ出るから…」
なおも距離を詰めようとする鬼宿を制しながら、詫びを入れようと翼宿は柳宿に目を合わせたのだが。
「………………っ…!」
「………?」
目が合った瞬間、彼女は特に返答せずにぼっと翼宿の姿を見ている。
暗がりでよく見えなかったが、その頬がほんのりピンク色に染まっているようにも見えた。
それに気付かれる前に、柳宿はふと翼宿の席に立て掛けられているベースに視線を移して。
「ベース………弾いてるんですか…?」
「あ、ああ…」
「スゴいですね…バンドの世界なんて、あたし…考えた事もない」
途切れ途切れに会話を続けようとするが、そのやりとりを見ていた鬼宿の目は誤魔化せなかった。
鬼宿はニヤリと微笑み、翼宿のポケットからライブのチケットを取り出す。
「お、おい!」
「じゃあ、柳宿さんも是非来て?こいつ、ベース弾きながら歌うの♪俺のイチオシ!」
「い、いいんですか…?」
「うん!素敵な演奏、聴かせてくれたお礼に!な?いいよな!?翼宿…」
鬼宿が振り返ると、勝手に目の前で繰り広げられている取引に呆れてものも言えなくなってしまった翼宿が鬼宿の分も一緒に勘定を払ってしまっていた。
「おいおい…もう、帰るのかよ?」
「今日は、終了!帰るで、酔っ払い!」
まだまだ話し足りないといった様子の鬼宿を無理矢理引っ張り、そのまま店を出ていこうとすると…
「………あ、あのっ!」
少女の声が聞こえ、二人は振り向いた。
「ありがとうございました。が…頑張ってください。ライブ…」
彼女の視線は今まで話していた鬼宿ではなく翼宿にまっすぐに注がれていて、その言葉もまた翼宿に向けられているものだった。
「………ああ」
少しの戸惑いを感じながらも翼宿はそれに答えて、足早に店を出た。


「翼宿。お前に、初めて意見する。あれはないぞ!!」
「………は?何、言うとるん」
駅のホームで最終列車を待つ間、鬼宿は翼宿を叱咤しはじめた。
「せっかくあんな可愛い子に興味持って貰えたのに、その好意を無にしやがって!あんな目で見送られたら、俺なら二次会へ連れ出すぞ!」
「はあ…もう、よせや。その話」
翼宿は照れ隠しなのか何なのか、煙草を一本取り出して火をつけた。
人気バンドの中心メンバーを張っているのだから、女に見初められる事など日常茶飯事の筈。
この女慣れしてない感は何なのだろうと鬼宿は首を捻ったが、とりあえずはあの話題に話を切り替える。
「…にしても、あの柳宿って子。いい子そうだしピアノ上手かったし、まさかって事ねえかなあ?」
「何、言うてんねん。バンドの世界なんて考えた事ないって、言うとったやないか」
「でも、あの場に居合わせただろ?運命みたいな気もするんだけどな~?」
ここでも、案の定、翼宿は否定の姿勢を崩さない。
確かに、鬼宿だって彼女がバンド向きの出でたちではない事くらいは分かっている。
けれど、やはりもったいない。彼女のピアノの腕前も、そして恐らく一目惚れしてしまったのであろう翼宿への気持ちも…
「それに…女は、あかん。苦手や…」
「へっ!?お前、女嫌いなのかよ!?」
そしてここで翼宿の短所が明かされ、ぐいと顔をそちらへ向ける。
「色々と気遣うのが、面倒でなあ。大体、女にバンドの世界はきつすぎるやろ。練習で帰りも遅くなるし、目つけられたら色々面倒やし…」
「やっぱり、そうかあ…」
最後は正論で返されてしまい、もう詰め寄る事が出来なくなってしまった。
しかし、鬼宿の中では暫く燻りが残っていた。
とにかく………本当に、もったいない。と。



『それでは、来週までに三年次の選択科目をきちんと考えてくるように…』
週明けの月曜日。とある女子大のオリエンテーションが、終わる。
ピアニストの卵…柳宿は、その大学の二年生だった。
溢れんばかりの選択科目の資料を鞄にしまい、そこでひとつため息をつく。
「柳宿?どうしたの?ため息なんか、ついちゃって」
隣に座っていた親友の鳳綺が、声をかけてきた。
「うん…まだまだ選択科目なんて先の話だと思ってたのに、もうそんな時期なのか~って思って」
「そうね。あなた、ずっと迷ってたものね?自分の将来について…」
「うん…」
「ご両親は、今でもあなたに女優になる事を望んでいるの?」
「いくらあたしが否定したところで、ダメみたい。こないだも、こっそりプロダクションに履歴書送られちゃった…」
「それは、大変ね…本当は柳宿はピアノを続けたいって事も、わたしは分かってるわ。わたしはあなたを応援してるから…何かあったら、いつでも相談してね?」
「ありがとう、鳳綺。またね」

将来の選択を迫られている時期にある柳宿は、ここのところ自分の将来について両親と喧嘩ばかりしていた。
自分は幼少期からずっと続けてきたピアノを活かせる職業に…と思ってきたのだが、母親が再婚した時からその再婚相手が自分に女優になる事を強く薦めているのだ。
今の大学に進んだのも女優養成コースがあるからと、両親に決められたものだった。
この大学には音楽コースもあり柳宿はずっとその選択科目を選ぶ事を目論んでいるのだが、両親にこのまま何も言い返せないと女優養成コースを選ばざるをえなくなる。
まさに、人生の岐路に立たされている状況だ。

その反骨心から両親に内緒で始めたのが、あのバイトでもあった。
いつか自分がピアノから離れなければならなくなる日が来た時の為にも、出来るだけ多くピアノに触れていたいと考えたから…


「………ん?」
鞄の内ポケットに手触りを感じ、柳宿はそれを取り出した。
昨夜、バーで声をかけてくれた青年がくれたライブチケットだった。

あのお店で自分を褒めてくれる人は、大抵下心のある親父だけ。
そんな冷めた心でピアノを弾いていた柳宿にとって、同年代の親しみやすそうな青年に自分のピアノを褒められた事は本当はとても嬉しかった。
そして。

「明日の夜なんだ…」
手渡されたチケットの日程を見て、呟く。
明日の夜は、バイトは入っていなかった。


『…すまんな、仕事中に…。俺ら、もうすぐ出るから…』


あの橙色の髪の毛の人。
一目見て、いいなって思った。
あの人が演奏する姿、見てみたいな… もう一度、会いたいな。

そこまで考えると、なぜか思わず胸が熱くなった―――
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