空翔けるうた~01~
鬼宿をはじめ、兄妹の忠栄、玉蘭、春敬、結蓮は、病院の処置室前の椅子に身を寄せている。
じっと、「手術中」のランプが消えるのを待っていた。
すると程なくしてそのランプが消え、中から医者が出てきた。
「せ、先生!親父は、どうなんですか!?」
「持病の発作が悪化したようです。今は処置して落ち着いているので、もう大丈夫ですよ。これから、病室に運びます」
「よかった…ありがとうございます!」
「ありがとうございます!」
鬼宿と兄妹は父親の無事を確認し、とりあえずは安堵した。
病室に移された父親の顔色は血色もよく、落ち着いて眠っている。
「父ちゃん…よかったね」
「一週間すれば、家にも帰れるって。俺らも、今日は帰ろうか…」
宿南家は早くに母を亡くし、父が男手一人で家計を切り盛りしていた。
しかし彼にも5年前に発作が見つかり、こうして体調を崩す事もしばしばであったのだ。
だが今回のように倒れて救急搬送される事は初めてだったので家族はそれはそれは動揺したのだが、何とか事なきは得たようである。
「鬼宿くん…」
帰り支度を始める鬼宿にかけられた声に振り向くと、父親の妹の叔母の姿があった。
「あ。おばさん…わざわざ、来てくれたんですか?」
「お父さんに何かあったらわたしにも連絡するように、主治医の先生に言っていたからね」
「すみません…もう、親父大丈夫みたいで!俺らも、そろそろ帰るところです!」
「その前に…ちょっと、いいかい?」
叔母に手招きされ、鬼宿は首を傾げながら病室を出た。
「親父が…もう、働けない…?」
「そうなんだよ。さっき、主治医の先生に言われてね。あの人、昼間の仕事の他に工事現場のバイトにも出ていただろう?その無理が祟ったってさ。年齢的にもそろそろ限界だろう…って。まあ、あたしも元々そう思っていたんだけどね」
「………確かに、そうですよね」
食事当番だけは鬼宿と父親のローテーションにしていたが、そのお陰で鬼宿はバイトを出来ずにいた。
その分、父親が掛け持ちで仕事をしている事を、鬼宿も気にはかけていたのだが…
「鬼宿くん…就職活動してるの…?」
次にかけられたこの言葉に、一瞬、ドキッとなる。
「いいえ…これから、始めるところなんです…」
「お父さんは、あなたの好きにしていいっていつも言ってたけどね?あたしは、これからはあなたが一家の大黒柱になるべきだと思う。お父さんへの恩返しの為にも…ね」
「そう………ですよね」
叔母に目の前に突きつけられた現実に、とてもこれからバンド活動にチャレンジするなんて言える状況ではなかった。
「…あ~~~どうすっかなあ?」
自宅に戻り、部屋のベッドの上で寝転がりながら鬼宿は考え込んでいた。
世間体など気にしていられなかったが、父親が倒れた今、自分だけ好きな事をするのはやはり気が退ける。
当然、この先の収入は減る訳だし、兄妹達だってまだまだ小さく動けるのは自分しかいない。
そこで携帯の電話帳を開き、翼宿の番号を表示させる。
「………相談するしか、ねえよなあ」
Plllllll
『もしもし』
「もしもし…翼宿か?ごめんな、こんな夜遅くに」
『いや。ええけど…どないしたん?』
「実は、親父が倒れた」
『えっ…!?大丈夫なんか!?』
「何とか…な。だけど日頃の無理が祟ったから、これからは下手に仕事させられない状態になっちまって…」
『そうなんか…』
「翼宿…俺、どうしたらいいかな…?」
電話の向こうの相手も昼間の約束の事を言っているのだと気付き、暫く黙っている。
その沈黙に、変に答えを求めてしまった事に気付き少し慌てた。
「ご、ごめん!自分で考えろって感じだよな!男なのに…情けねえ」
『たま…家族を大事にしろや』
「えっ…?」
しかし電話の向こうの答えは、あまりにも冷静で優しいものだった。
『俺は、家族の意思を無視してここまで来た。せやから、お前には家族を大事にしてほしい。みんな、お前を必要としてるやろ?』
「翼宿…」
家族思いの自分の性格を察したかのようにかけてくれるその言葉が、心に染み渡っていく。
『俺の事は、ええから。一緒にやりたいって言ってくれて、ありがとな』
「翼宿…ごめん。俺…」
『今度、飲みに行こうや。何かあれば、愚痴聞いたるさかい』
「………ありがとう」
出会えた縁は大切にしたいという翼宿の優しさが伝わり、鬼宿は彼に心から感謝した。
しかし電話を切った後も、鬼宿の中にはひとつの蟠りが残っていた。
普通なら、家族を選ぶ筈。当然と言えば、当然なのだが…
それでも取り残された翼宿の事が、なぜか妙に心配になったのであった。
次男の忠栄が、部屋の外でその電話のやりとりを聞いていたとも知らずに………
「親父!調子は、どうだ?」
鬼宿は花を持って、父親のお見舞いに来ていた。
父親の入院から一週間が経つが、その間も、大学帰りにこうして欠かさず父親の様子を見にくる毎日が続いていた。
「鬼宿…毎日、見舞いに来なくてもいいんだぞ。もうすぐ退院なんだから…」
「いや。今まで、親父に無理させてた詫びだよ。家の事も俺が見てるから、心配しないで。これ、飾っておくな?」
家から持ってきた花瓶の中にミネラルウォーターを注ぎ、花を綺麗に生ける。
「………鬼宿。何かやりたい事があるんじゃないのか?」
「えっ…?」
突然の質問に鬼宿は驚き振り返ると、父親は優しい瞳を自分に向けていた。
「この間、忠栄に聞いた。わたしの事で、友人に謝っている電話のやりとりを聞いてしまったと…」
「い、いや!違うんだよ!あれは………か、借りた金をすぐ返せないっていう電話で…いや。そんなデカい額じゃねえんだけど…」
咄嗟についた嘘が上手くまとまらず、鬼宿は大いに焦り出す。
それでも、長年、共に暮らしてきた父親の目は誤魔化せない。
「言ってごらんなさい…」
「………親父。俺、ホント親不孝だと思う。思うんだけど…
最近、知り合った奴がさ、バンドで飯が食えるようになりたいって言ってて…それ聞いてたら、俺もそいつにドラムで協力したくなったんだ。
そいつ、すげえんだよ。大3で転入してきてるだけでも厳しいのに、その現実に立ち向かおうとしてる。自立してていい奴で…そいつと音楽出来たら、俺も成長出来る気がしたんだ…」
父親は、依然、優しい顔で、頷きながら聞いてくれている。
「でっ…でも!俺、ちゃんと働くから!こないだ何社かエントリーしたし、少し時間かかるかもしれないけどちゃんとしたトコに就職…」
「鬼宿…やってみなさい」
「親父…!?」
突然、飛び出した父親の言葉に、思わず目を見開いた。
「素敵な友人と夢を目指せるのは、素敵な事だ。そんな機会、この先の人生滅多にないぞ。わたしも、お前がブラウン管でドラムを叩いている姿を見てみたい」
「でも、金が…」
「なあに。退職金もあるし、保険もある。こういう事態が来た時の為にちゃんと積み立てもしていたから、暫くは大丈夫だ」
「親父………俺、大学卒業してデビュー出来てなかったら、ちゃんとバイトして少しでも金入れるから。約束する」
「ありがとう…頑張れ、鬼宿」
父親の優しさに溢れそうになる涙を堪え、鬼宿は笑顔を見せた。
『留守番電話サービスセンターに…』
「あれ?出ないな。練習中かな」
早速、翼宿に朗報を…と電話をかけたが、留守電に繋がった。
「まあ、いいか!先にシフト予約してからでも、またかければ…」
目の前には、大きな鉄骨の建物。ここら近辺では有名な練習スタジオだった。
大学のサークル棟が使えない時、鬼宿もよく利用させて貰っていたのだ。
自主練も増えるだろうしと、ちょうどシフト予約に訪れていたところだった。
♪♪♪
重たい鉄の扉を開くと、廊下には楽器の重低音が響いている。
今日も、何組かのバンドがスタジオを利用しているようだ。
そのまま受付へ向かうと、向こう側から金髪の太り気味の男が缶ビールを片手にふらつきながら歩いてくる。
(酔ってるのかよ…あんなんで、練習出来るのか?)
その男は体ごともたれかかるようにとあるスタジオの扉を開け、中へ入った。
その扉は半透明になっており中が見えるようになっていたので、鬼宿はチラとそちらを見やる。
そこには、くわえ煙草をしながら椅子に座ってベースを弾いている翼宿の姿があった。
(たっ…翼宿!?)
鬼宿は、思わず扉に近付いた。
どうやら、「FIRE BLESS」の専属スタジオもここらしい。
しかし、中には翼宿と先程入っていった男の二人しかいない。
その男はドラムらしく、ドラムに気だるそうに座っている。
「なあ、翼宿~聞いてくれよ。昨日、オンナにフラれてさあ~…俺のドラム好きって言ってくれたから持ち帰ってやったら、あんたみたいな臭い奴、誰が本気にするかだってよ~」
「お前、それ何人目や。前も似たような話聞いたで」
スタジオの中では、そんな下らない会話が繰り広げられていた。
この二人は、仲は良くないらしい。
その言葉に男は頭に血が上り、缶ビールを床に投げつけた。
「てめえ…何なんだ?いつもいつも、その態度は…リーダーが声かけてくれたから、今、お前はここにいるんだぞ?」
その怒りは、ドアの外の鬼宿にも伝わるほどだった。
翼宿は特に驚きもせず、ベースを弾き続けている。
「そうだ…お前、ベースだけは一人前だもんな。どうだ?俺のドラムは、そんなお前をよく支えてるだろ?お前の評価を聞かせてくれよ…」
その言葉に、翼宿は初めて顔をあげて。
「お前のリズムは、日によってマチマチや。本番だけ、勢いでどうにか持ってるようなもんやで…もっと、基本から叩き直した方がええんやないか?」
………バンッ!
男は、翼宿の胸ぐらを掴んで壁に叩き付ける。
「てめえ!!もう一遍言ってみろ、こらあ!!」
「翼宿っ!!」
途端に鬼宿は扉を開け、その男を翼宿から引き離した。
「たっ…たま…!?」
「何だ、てめえは!!部外者は、引っ込んでろ!!」
「翼宿は、真面目に練習してんだろ!?パートナーなら、もっと支えてやれよ!!
ってゆーか…酒飲みながら、ドラムに座るなあああ!!」
「うーっす…あれ?サカキ。翼宿は?」
遅れて到着したギター二人組。
しかし中には、ドラムにぽつんと座るサカキのみ。
「帰ったよ。やたら興奮したガキ連れてな…」
「は?何でだよ?何があった?」
「あいつ…多分、もうすぐ抜けるぜ?」
「えっ…?」
すっかり酒が抜けたサカキは、悔しそうにそう呟いた。
地下駐車場。鬼宿は運転席に座り、深くため息をついていた。
「あ~…怖かった。俺、喧嘩弱い癖に…何やってんだか…」
「ホンマやで。背中ぶるぶる震えとったで」
缶コーヒーを2本持った翼宿が、助手席に乗ってくる。
「ごめんな。偶然だったんだよ…まさか、あそこにお前がいるなんて…」
「いや、助かったわ。おおきに」
翼宿は笑いながら、缶コーヒーを開けた。
「いつも…あんな感じで、練習してたのか?」
「んー…似たようなもんやな。自主練で、何とか持ってたようなもんや」
「そっか…大変だったな」
「お前こそ、親父さんの具合どうなんや?」
「明後日には退院。そんなに酷くはないみたいだよ…」
「なら、よかったな…」
安心したように珈琲を一口飲む翼宿の横顔を見つめていた鬼宿は、やがて口を開いた。
「翼宿。俺さ…バンド出来るようになったんだ」
「えっ…!?せやけど…」
「親父が、背中を押してくれた。金の事は心配するなって…せっかくお前みたいな優秀な奴に出会えたんだから、やってみろって…」
「それで、お前はええんか?」
「ああ…さっき、お前があいつに傷付けられそうになった時に分かったよ。俺は、お前をサポートしたいって…」
そう。翼宿のただ一人のパートナーとして…
暫く黙っていた翼宿は、悪戯っぽい笑顔を見せた。
「俺は、厳しいで?お前にも、さっきみたいなケチ飛ばすかも」
「構わねえよ、お前なら!」
それほどまでに、信頼し合っている。知り合えてまだそんなに経っていなくとも、二人の間には確かな絆がある。
「ほな、早速、進めるか…計画」
翼宿と鬼宿は、持っていた缶コーヒーをかち合わせた。
二人目のメンバーで、ドラム担当。
家族思いで器の広い、優しさのかたまり。
後に誰よりもバンドを愛するリーダーとなる鬼宿。
じっと、「手術中」のランプが消えるのを待っていた。
すると程なくしてそのランプが消え、中から医者が出てきた。
「せ、先生!親父は、どうなんですか!?」
「持病の発作が悪化したようです。今は処置して落ち着いているので、もう大丈夫ですよ。これから、病室に運びます」
「よかった…ありがとうございます!」
「ありがとうございます!」
鬼宿と兄妹は父親の無事を確認し、とりあえずは安堵した。
病室に移された父親の顔色は血色もよく、落ち着いて眠っている。
「父ちゃん…よかったね」
「一週間すれば、家にも帰れるって。俺らも、今日は帰ろうか…」
宿南家は早くに母を亡くし、父が男手一人で家計を切り盛りしていた。
しかし彼にも5年前に発作が見つかり、こうして体調を崩す事もしばしばであったのだ。
だが今回のように倒れて救急搬送される事は初めてだったので家族はそれはそれは動揺したのだが、何とか事なきは得たようである。
「鬼宿くん…」
帰り支度を始める鬼宿にかけられた声に振り向くと、父親の妹の叔母の姿があった。
「あ。おばさん…わざわざ、来てくれたんですか?」
「お父さんに何かあったらわたしにも連絡するように、主治医の先生に言っていたからね」
「すみません…もう、親父大丈夫みたいで!俺らも、そろそろ帰るところです!」
「その前に…ちょっと、いいかい?」
叔母に手招きされ、鬼宿は首を傾げながら病室を出た。
「親父が…もう、働けない…?」
「そうなんだよ。さっき、主治医の先生に言われてね。あの人、昼間の仕事の他に工事現場のバイトにも出ていただろう?その無理が祟ったってさ。年齢的にもそろそろ限界だろう…って。まあ、あたしも元々そう思っていたんだけどね」
「………確かに、そうですよね」
食事当番だけは鬼宿と父親のローテーションにしていたが、そのお陰で鬼宿はバイトを出来ずにいた。
その分、父親が掛け持ちで仕事をしている事を、鬼宿も気にはかけていたのだが…
「鬼宿くん…就職活動してるの…?」
次にかけられたこの言葉に、一瞬、ドキッとなる。
「いいえ…これから、始めるところなんです…」
「お父さんは、あなたの好きにしていいっていつも言ってたけどね?あたしは、これからはあなたが一家の大黒柱になるべきだと思う。お父さんへの恩返しの為にも…ね」
「そう………ですよね」
叔母に目の前に突きつけられた現実に、とてもこれからバンド活動にチャレンジするなんて言える状況ではなかった。
「…あ~~~どうすっかなあ?」
自宅に戻り、部屋のベッドの上で寝転がりながら鬼宿は考え込んでいた。
世間体など気にしていられなかったが、父親が倒れた今、自分だけ好きな事をするのはやはり気が退ける。
当然、この先の収入は減る訳だし、兄妹達だってまだまだ小さく動けるのは自分しかいない。
そこで携帯の電話帳を開き、翼宿の番号を表示させる。
「………相談するしか、ねえよなあ」
Plllllll
『もしもし』
「もしもし…翼宿か?ごめんな、こんな夜遅くに」
『いや。ええけど…どないしたん?』
「実は、親父が倒れた」
『えっ…!?大丈夫なんか!?』
「何とか…な。だけど日頃の無理が祟ったから、これからは下手に仕事させられない状態になっちまって…」
『そうなんか…』
「翼宿…俺、どうしたらいいかな…?」
電話の向こうの相手も昼間の約束の事を言っているのだと気付き、暫く黙っている。
その沈黙に、変に答えを求めてしまった事に気付き少し慌てた。
「ご、ごめん!自分で考えろって感じだよな!男なのに…情けねえ」
『たま…家族を大事にしろや』
「えっ…?」
しかし電話の向こうの答えは、あまりにも冷静で優しいものだった。
『俺は、家族の意思を無視してここまで来た。せやから、お前には家族を大事にしてほしい。みんな、お前を必要としてるやろ?』
「翼宿…」
家族思いの自分の性格を察したかのようにかけてくれるその言葉が、心に染み渡っていく。
『俺の事は、ええから。一緒にやりたいって言ってくれて、ありがとな』
「翼宿…ごめん。俺…」
『今度、飲みに行こうや。何かあれば、愚痴聞いたるさかい』
「………ありがとう」
出会えた縁は大切にしたいという翼宿の優しさが伝わり、鬼宿は彼に心から感謝した。
しかし電話を切った後も、鬼宿の中にはひとつの蟠りが残っていた。
普通なら、家族を選ぶ筈。当然と言えば、当然なのだが…
それでも取り残された翼宿の事が、なぜか妙に心配になったのであった。
次男の忠栄が、部屋の外でその電話のやりとりを聞いていたとも知らずに………
「親父!調子は、どうだ?」
鬼宿は花を持って、父親のお見舞いに来ていた。
父親の入院から一週間が経つが、その間も、大学帰りにこうして欠かさず父親の様子を見にくる毎日が続いていた。
「鬼宿…毎日、見舞いに来なくてもいいんだぞ。もうすぐ退院なんだから…」
「いや。今まで、親父に無理させてた詫びだよ。家の事も俺が見てるから、心配しないで。これ、飾っておくな?」
家から持ってきた花瓶の中にミネラルウォーターを注ぎ、花を綺麗に生ける。
「………鬼宿。何かやりたい事があるんじゃないのか?」
「えっ…?」
突然の質問に鬼宿は驚き振り返ると、父親は優しい瞳を自分に向けていた。
「この間、忠栄に聞いた。わたしの事で、友人に謝っている電話のやりとりを聞いてしまったと…」
「い、いや!違うんだよ!あれは………か、借りた金をすぐ返せないっていう電話で…いや。そんなデカい額じゃねえんだけど…」
咄嗟についた嘘が上手くまとまらず、鬼宿は大いに焦り出す。
それでも、長年、共に暮らしてきた父親の目は誤魔化せない。
「言ってごらんなさい…」
「………親父。俺、ホント親不孝だと思う。思うんだけど…
最近、知り合った奴がさ、バンドで飯が食えるようになりたいって言ってて…それ聞いてたら、俺もそいつにドラムで協力したくなったんだ。
そいつ、すげえんだよ。大3で転入してきてるだけでも厳しいのに、その現実に立ち向かおうとしてる。自立してていい奴で…そいつと音楽出来たら、俺も成長出来る気がしたんだ…」
父親は、依然、優しい顔で、頷きながら聞いてくれている。
「でっ…でも!俺、ちゃんと働くから!こないだ何社かエントリーしたし、少し時間かかるかもしれないけどちゃんとしたトコに就職…」
「鬼宿…やってみなさい」
「親父…!?」
突然、飛び出した父親の言葉に、思わず目を見開いた。
「素敵な友人と夢を目指せるのは、素敵な事だ。そんな機会、この先の人生滅多にないぞ。わたしも、お前がブラウン管でドラムを叩いている姿を見てみたい」
「でも、金が…」
「なあに。退職金もあるし、保険もある。こういう事態が来た時の為にちゃんと積み立てもしていたから、暫くは大丈夫だ」
「親父………俺、大学卒業してデビュー出来てなかったら、ちゃんとバイトして少しでも金入れるから。約束する」
「ありがとう…頑張れ、鬼宿」
父親の優しさに溢れそうになる涙を堪え、鬼宿は笑顔を見せた。
『留守番電話サービスセンターに…』
「あれ?出ないな。練習中かな」
早速、翼宿に朗報を…と電話をかけたが、留守電に繋がった。
「まあ、いいか!先にシフト予約してからでも、またかければ…」
目の前には、大きな鉄骨の建物。ここら近辺では有名な練習スタジオだった。
大学のサークル棟が使えない時、鬼宿もよく利用させて貰っていたのだ。
自主練も増えるだろうしと、ちょうどシフト予約に訪れていたところだった。
♪♪♪
重たい鉄の扉を開くと、廊下には楽器の重低音が響いている。
今日も、何組かのバンドがスタジオを利用しているようだ。
そのまま受付へ向かうと、向こう側から金髪の太り気味の男が缶ビールを片手にふらつきながら歩いてくる。
(酔ってるのかよ…あんなんで、練習出来るのか?)
その男は体ごともたれかかるようにとあるスタジオの扉を開け、中へ入った。
その扉は半透明になっており中が見えるようになっていたので、鬼宿はチラとそちらを見やる。
そこには、くわえ煙草をしながら椅子に座ってベースを弾いている翼宿の姿があった。
(たっ…翼宿!?)
鬼宿は、思わず扉に近付いた。
どうやら、「FIRE BLESS」の専属スタジオもここらしい。
しかし、中には翼宿と先程入っていった男の二人しかいない。
その男はドラムらしく、ドラムに気だるそうに座っている。
「なあ、翼宿~聞いてくれよ。昨日、オンナにフラれてさあ~…俺のドラム好きって言ってくれたから持ち帰ってやったら、あんたみたいな臭い奴、誰が本気にするかだってよ~」
「お前、それ何人目や。前も似たような話聞いたで」
スタジオの中では、そんな下らない会話が繰り広げられていた。
この二人は、仲は良くないらしい。
その言葉に男は頭に血が上り、缶ビールを床に投げつけた。
「てめえ…何なんだ?いつもいつも、その態度は…リーダーが声かけてくれたから、今、お前はここにいるんだぞ?」
その怒りは、ドアの外の鬼宿にも伝わるほどだった。
翼宿は特に驚きもせず、ベースを弾き続けている。
「そうだ…お前、ベースだけは一人前だもんな。どうだ?俺のドラムは、そんなお前をよく支えてるだろ?お前の評価を聞かせてくれよ…」
その言葉に、翼宿は初めて顔をあげて。
「お前のリズムは、日によってマチマチや。本番だけ、勢いでどうにか持ってるようなもんやで…もっと、基本から叩き直した方がええんやないか?」
………バンッ!
男は、翼宿の胸ぐらを掴んで壁に叩き付ける。
「てめえ!!もう一遍言ってみろ、こらあ!!」
「翼宿っ!!」
途端に鬼宿は扉を開け、その男を翼宿から引き離した。
「たっ…たま…!?」
「何だ、てめえは!!部外者は、引っ込んでろ!!」
「翼宿は、真面目に練習してんだろ!?パートナーなら、もっと支えてやれよ!!
ってゆーか…酒飲みながら、ドラムに座るなあああ!!」
「うーっす…あれ?サカキ。翼宿は?」
遅れて到着したギター二人組。
しかし中には、ドラムにぽつんと座るサカキのみ。
「帰ったよ。やたら興奮したガキ連れてな…」
「は?何でだよ?何があった?」
「あいつ…多分、もうすぐ抜けるぜ?」
「えっ…?」
すっかり酒が抜けたサカキは、悔しそうにそう呟いた。
地下駐車場。鬼宿は運転席に座り、深くため息をついていた。
「あ~…怖かった。俺、喧嘩弱い癖に…何やってんだか…」
「ホンマやで。背中ぶるぶる震えとったで」
缶コーヒーを2本持った翼宿が、助手席に乗ってくる。
「ごめんな。偶然だったんだよ…まさか、あそこにお前がいるなんて…」
「いや、助かったわ。おおきに」
翼宿は笑いながら、缶コーヒーを開けた。
「いつも…あんな感じで、練習してたのか?」
「んー…似たようなもんやな。自主練で、何とか持ってたようなもんや」
「そっか…大変だったな」
「お前こそ、親父さんの具合どうなんや?」
「明後日には退院。そんなに酷くはないみたいだよ…」
「なら、よかったな…」
安心したように珈琲を一口飲む翼宿の横顔を見つめていた鬼宿は、やがて口を開いた。
「翼宿。俺さ…バンド出来るようになったんだ」
「えっ…!?せやけど…」
「親父が、背中を押してくれた。金の事は心配するなって…せっかくお前みたいな優秀な奴に出会えたんだから、やってみろって…」
「それで、お前はええんか?」
「ああ…さっき、お前があいつに傷付けられそうになった時に分かったよ。俺は、お前をサポートしたいって…」
そう。翼宿のただ一人のパートナーとして…
暫く黙っていた翼宿は、悪戯っぽい笑顔を見せた。
「俺は、厳しいで?お前にも、さっきみたいなケチ飛ばすかも」
「構わねえよ、お前なら!」
それほどまでに、信頼し合っている。知り合えてまだそんなに経っていなくとも、二人の間には確かな絆がある。
「ほな、早速、進めるか…計画」
翼宿と鬼宿は、持っていた缶コーヒーをかち合わせた。
二人目のメンバーで、ドラム担当。
家族思いで器の広い、優しさのかたまり。
後に誰よりもバンドを愛するリーダーとなる鬼宿。