空翔けるうた~01~

『整理番号順に並んで~押さないでくださ~い!』
空翔宿星のホームとなったSUZAKU HOUSE前には、開場前から既に長蛇の列が出来ていた。
会場に到着した美朱は、そんな光景を前にして唖然とする。
(嘘…こんなに、人がいるなんて…)
人混みは、発作の大敵。紛れれば、発症する可能性は十分にある。
こんなところで発症して病院に運ばれでもしたら、両親や主治医に大目玉を食らう。
しかし列の外れにチケット譲渡希望の札を掲げている人物がいるところを目にした美朱は、今、自分の財布に入っているこのチケットがどれだけ価値のあるものかを実感する。
(大丈夫…今日は、体調がいいから…)
そう自分に言い聞かせ、意を決して列の最後尾に歩を進めた。


柳宿は、控え室で心配そうに時計を見上げる。
「どうした?柳宿。さっきから、時計ばっか気にして…」
「あ。たま…あたしの後輩の夕城美朱って子を、今日のライヴに誘ってみたんだけどさ。やっぱ、駄目だったかなって…
その子持病の発作抱えてて、人混み嫌ってたからもし来てたらって心配になってね…」
「そう…なんだ。今日は、ただでさえ人の入りが多いって言うからな」
「どうしよ…もしもの事があったら…」
柳宿の顔が段々青くなるのを見て、鬼宿はある提案をする。
「柳宿。俺、連れてこようか?」
「え…?たまが…?って、何言ってるの?もし、ファンの子にばれたら…」
「大丈夫だよ。俺、翼宿と違って派手なナリしてないし、グラサンかけてきゃバッチリだろ!大事なお客さんの具合悪くさせたら大変だし、リーダーの威厳だよ!」
「たま…」
「てな訳で、ちょっくら行ってくるわ」
そこに、ステージで弦の音合わせをしていた翼宿が戻ってくる。
「おう、翼宿!ちょっと、出てくるわ!」
「は?どこに?」
胸ポケットから取り出したサングラスをかけた鬼宿は、外へ出た。


ちょうどその頃、美朱はまさにその人混みの列に飲み込まれていた。
引き返そうにも、もう後ろも長蛇の列で引き返せない。
(どうしよう…気持ち悪くなってきた。やっぱり、一人で来るんじゃなかったかな…それに…)
ライヴハウスというだけあって派手な格好の人間ばかりが溢れる光景に、更に鳥肌が立つ。

怖い…怖いよ。誰か…助けて…

ガシッ
「…っ…!?」
その時、背後から誰かに腕を掴まれた。
まさか、痴漢…?
「やだ…離してくださいっ…」
喉の奥から声を振り絞って、抵抗しようとすると。
「夕城…美朱ちゃん…?」
え…?どうして、痴漢が私の名前を…?
驚いて見上げた青年は、口に人差し指をあてていて。
「ちょっと…」
そう言って、人の列からそっと自分を連れ出した。

「はあ…はあ…はあ…はあ…」
人の波から抜け出したせいか、美朱の肩は激しく上下に揺れている。
「大丈夫か…?わざわざ、こんな体で…来てくれたんだね?」
優しい語調の言葉が降ってきた事で、再び相手を見上げた。
爽やかな蒼色の髪の毛を纏ったその青年の姿に、見覚えはなかった。
「あの…あなたは…?」
その問いに、彼はそっとサングラスを外す。
「初めまして、美朱ちゃん。空翔宿星のドラマーの鬼宿です。柳宿が君の事を凄く心配してたから、迎えに来たんだ」
思いもかけない人物のお迎えに、美朱は呆気に取られた。
来てくれたの…?ファンに見つかるかもしれないのに、見ず知らずの私を迎えに…
「とりあえず、俺らの控え室に来な?柳宿が待ってるよ」
気がつけば、そう言って踵を返そうとする鬼宿に抱きついていた。
「っく…ひっく…うぅ…」
まだ会って間もない彼の胸を涙で濡らしているのは分かっていたが、それでもその時の感情を押さえる事は出来なかった。
こんな危ない場所に来てしまった後悔と恐怖と、そして助けてもらえた安心感と。
「うん…怖かったね」
鬼宿はそんな自分の気持ちを全て分かっているかのように、優しく頭を撫でてくれていた…


「美朱!」
美朱の姿を見た途端、控え室で待っていた柳宿は飛びついた。
「柳宿…せんぱあい…」
「やっぱり、来てくれてたのね。よかった…見つかって。ごめんね?無理に誘ったりして…」
ずっと自分を心配して待ってくれていた柳宿の瞳には、うっすら涙が溜まっていた。
先程まで彼女が座っていたらしきソファには、そんな柳宿に付き添っていたのだろう橙頭の青年の姿も見える。
「いいんです。先輩…頑張ってください。あたし、ちゃんと見てるので!」
そんな柳宿の気持ちに嬉しくなった美朱は、すっかりいつもの笑顔に戻っていた。
そんな美朱の頭に、鬼宿は手を置いた。
「てな訳で、スタッフと一緒に人混みから離れて見てた方がいいよ!空翔宿星きっての特等席♪」
そう声をかけてくれた笑顔を見上げて、美朱は胸がはちきれんばかりの想いに包まれた。


キャーーーーッ
空翔宿星きっての特等席に美朱が辿り着いてから暫くすると会場の明かりは消え、観客のボルテージは最高潮になった。
『こんばんは!空翔宿星でーす!みんな、今日も楽しんでってくれよー!!』
開会を宣言するのは、MC担当の鬼宿の声。
ドラムスティックのカウントが聞こえ、一気に演奏が始まる。
真ん中に一番人気のベースボーカル・翼宿、右端にキーボード・柳宿、そして後方には救世主のドラム・鬼宿の姿が見えた。

「鬼宿…さん…?」

名前を呟くと胸がギュッとなったが、それは発作などではない、美朱に訪れた恋の音だった。


無事にライブが終わると、連絡を受けた両親が美朱を迎えに来た。
本当はこっ酷く叱られる筈だったがその前に柳宿が両親に何度も頭を下げて謝罪した事で、美朱は軽いお咎めを受ける程度で済んだ。
そんな家族がやっと自宅に戻った頃には、もう23時を回っていた。
「美朱?楽しかったのは分かったけど、今度からは一人で人混みが多いところに行ったらダメよ?」
「は~い…」
「あれ?電気がついてる…」
消灯していった筈なのに、玄関の明かりがついている。父親は首を傾げながら、その玄関の扉を開けると。

「っあーーー!!ピンと来ない!!」

途端に、リビングから叫び声が聞こえてきた。
「この声は…」
家族三人は顔を見合わせ、リビングを覗き込む。
そこにはたくさんのインディーズ雑誌を積み重ねた机の上で、頭を抱えている夕城家長男・奎介の姿があった。
「奎介。あんた、帰ってたの?しばらく、事務所に籠るって言ってたんじゃ…」
「籠ってたよ~一週間。だけど、やっぱり心に来るアーティストがいねえんだよ~」
奎介の仕事は、yukimusicという大手音楽会社のプロデューサー。
新人発掘から養成までをサポートする仕事なのだが、ここ数年は目をつけてデビューさせても中々売上が伸びないアーティストばかりで会社から白い目で見られる毎日を送っていた。
「大体、今はデジタル化の時代。ただでさえCDが売れなくなってきてるのに、デビューから売上に貢献してくれる大物なんか今時転がってる訳が…」
「………お兄ちゃんっ!!!」
美朱は、弱音をだらだらと吐こうとした奎介の両肩をがっしと掴む。
「な、何だよ…?美朱…」

「超イチオシのバンドがいるの!!」

鬼宿の大ファン・美朱の、この一言が全ての始まりだった。


「では!本日も満員御礼を祝して、かんぱーい!」
「かんぱーい!」
深夜遅く、ライブハウスのホールにてささやかな打ち上げが始まった。
「たまー!何で、あたしだけノンアルなのよ~?」
「お前の総指揮官の指示だよ~」
「んもーっ!翼宿~!あたしにも、飲ませてよー!」
ギャンギャン騒ぐ鬼宿と柳宿を遠くに眺めながら、翼宿はカウンターで缶ビールを飲んでいる。
「翼宿。お疲れ」
「店長。お疲れ様です」
ライブハウスの店長が翼宿に声をかけ、二人はビールをかちあわせる。
「今日も、反響スゴかったぞ?ライブ終わったら、他のライブハウスのスタッフ達が事務所に詰めかけてきてさ。次はうちでやらせてください~だとよ」
「はは…んな大袈裟な…」
翼宿は笑いながら、喉にビールを流し込む。
「そろそろ…巣立つのも近いかもな」
「………んー」
「何だ?嬉しくないのか?お前の長年の夢が叶うんだぞ?」

「…何か、まだこのままでええかなって」

夢が近付いているにも関わらず、翼宿は一人複雑な思いを抱えていた。
しかし、空翔宿星が最初の扉を叩く日がやってくる―――

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