空翔けるうた~01~

東京・丸の内。まだ太陽が沈みきっていない時間帯から、とあるライブハウスは観客でごった返していた。
入口に設置されている今日の出演者の掲示板には「FIRE BLESS」というバンド名が貼り出されており、その文字を見た女子大生はきゃあと声をあげて会場へ続く地下階段を降りていく。


♪君がいない夜を超えて―――

多くの拳が振り上げられる中、ステージ上でベースを弾きながら歌っているのは橙色の珍しい髪の毛を持つ青年。彼の名は、翼宿。
激しい演奏の中でもハッキリと響く彼の澄んだ高音が、バンドミュージックを盛り上げている。
それが定番のバンド「FIRE BLESS」は、朱雀大学3年で結成されたバンドだった。


「今日の客の入りも、最高だったなあ~」
「女子の割合、また増えたんじゃねえか?…どうせ、またボーカル目当てなんだろうけどよ!」
「まあデモCDも中々の売れ行きだったし、客は一人でも多いに越した事ねえよ!」
演奏を終えて控室に戻ってきたバンドメンバーは、今日の客入りについてはしゃぎながら語っている。
その中心で一人呑気に煙草を吹かしているのは、あのベースボーカル。
「翼宿。お前、年がら年中煙草吸ってるのに毎回よく声が通るな!これからも、よろしく頼むぜ?」
「………ああ」
「今度は、客にヘドバンさせる曲でも作るか♪新境地に挑戦してかねえと、客が飽きるからよ~」
カタン
「帰るのか?」
「ああ。お疲れさん」
翼宿は煙草を灰皿に押し込むとベースを持って立ち上がり、片手をあげながらその場を後にした。
「………まあ、あの無口なトコ直してくれればもっといいんだけどな」
「このバンド始動して3ヶ月だし、そろそら馴染んでくれてもなあ~」
けらけら笑うバンドメンバーの声は、階段をあがる翼宿の耳にも届いていた。



東京駅に着いたところで、翼宿はひとつ大きなため息をついた。
「―――馴染める訳ないやろが。あんなビジュアル重視の集団」
そして先程聞こえてきた冷やかしの返事を、そこでやっと呟いた。
溢れる人並みを進んでいき、定期を取り出しながら改札口へ向かう。
すると…

タタタタ…ボテッ!

誰かが自分の足元にぶつかり、しりもちをつく音がした。
「………へっ?」
見下ろすと、小さな小さな少女がお尻をついたまま自分を見上げて顔を歪めている。
翼宿はしゃがみこみ、三白眼で彼女を凝視した。
「何や、お前…」


時を同じくし、その現場から少し離れた土産街を真っ青な顔で走る青年がいた。
「結蓮~結蓮~ったく…どこ行ったんだ」
さっきまで、一緒にいた筈の妹がいない。
こんな人の多い東京駅で迷子になったら、たまったもんじゃない。
あの年頃では、迷子センターに行くという頭すらないだろう。
しかし行く手を溢れ返る人の列が阻み、中々前へ進めない。
青年は、側の柱に凭れかかる。
「誰か…迷子センターに届けてくれてないかなあ…」

ピンポンパンポーン

『迷子のお知らせです。都内から起こしの鬼宿様。鬼宿様~。迷子センターで、妹の結蓮ちゃんがお待ちです』
「ええっ!?」
願いが通じたかのように、迷子センターのアナウンスが自分の名を呼ぶ。
鬼宿と呼ばれた青年は、迷子センターへ急いだ。

「結蓮!!」
「兄ちゃん!!」
迷子センターで待っていた妹は、パッと顔を輝かせて兄に飛びついた。
「お前…勝手に兄ちゃんから離れるなって言っただろ!?」
「だってぇ~…」
鬼宿はそこで安堵のため息を漏らすと、結蓮の頭を撫でた。
「結蓮は、兄ちゃんの宝物なんだぞ?いなくなられたら、兄ちゃん本気で困る。もう絶対離れたりなんかするなよ?」
「ごめんなさ~い…」
「いやあ。よかったね~お兄さん。この人が、迷子センターまで連れてきてくれたんだよ」
駅員の声で見上げた男は、橙色の頭に派手なアクセサリーを付けているちょっと強面の青年。
背中にはベースを背負い、煙草を吹かしている。
「あの…ありがとうございます!俺…どう、お礼したらいいか…」
「…ああ。気にすんなや。こんなナリで誘拐犯にでも見間違えられたら、たまったもんやあらへんしな」
すぐに灰皿に煙草を突っ込むと、青年はそのまま迷子センターを出て行こうとした。
「待って!お兄ちゃん!」
結蓮は、そんな背中を呼び止める。
「ありがとう!兄ちゃんと会わせてくれて!」
彼はそこで結蓮と目を合わせて、ふっと微笑んだ。
その見た目とは裏腹に優しい目を見せる青年に、鬼宿は次の言葉を投げかけた。


「結蓮。美味いか?チョコレートパフェ!」
「うん!兄ちゃん!ありがとう♡」
「翼宿。珈琲だけでいいのか?遠慮しないでいいんだぞ!俺の奢りだ!」
「………いや。夜は少食でな」
あれから鬼宿は遠慮する翼宿を引っ張り、妹との夕食へ同行させたのだ。
「しかし…うちの経済学部に転入してきた奴って、お前だったんだな!まさか俺と大学も学部も一緒だったなんて…知らなかったよ!」
「まあ、テストで単位取れるもんはほとんど授業出てないからな」
翼宿は珈琲を口に含みながら、苦笑いする。
「しかも、バンド組んでたなんて。俺も、軽音楽サークルでドラムやってるんだよ!だけど、お前の姿、一度も見た事ないんだよな~」
「ああ…集団でつるむの苦手なんや。転入してきた頃に屋上でベース弾いてたら、今のバンドのリーダーに声かけられた。お忍びバンドみたいなもんやで」
「FIRE BLESS」。そのバンド名は、鬼宿も聞いた事はある
だが、一部の女子大生の間で騒がれているプレミアバンドという印象だったので、まだ演奏を聞いた事はなかった。
だけど、こいつはきっとボーカルもベースも上手い…余裕を醸し出す翼宿の姿を見て、鬼宿は察した。
「お兄ちゃんのお歌、結蓮聞きた~い♡」
すっかり翼宿ファンになってしまった結蓮が目をハートマークにして、甘える。
「こら、結蓮!ごめんな、初対面で馴れ馴れしく色々聞いちまって。だけど…これを機会にお前と親しくなれたら…なんて思って」
そこに一枚のデモCDが差し出され、鬼宿は目を丸くする。
「持ち歩かされとるんや。ぎょーさんあっても邪魔やし、よかったら…」
「翼宿…」
「まあ付き合い悪い奴やけど、またどっかで会えたらよろしくな。ほな、ごちそーさん」
翼宿は立ち上がり、そのままレストランを出ていった。


帰りの電車で、鬼宿は早速結蓮とイヤホンを分け合いながらデモCDを聴いた。
翼宿のボーカルとベースからは、クールな外見とは裏腹の熱いパワーを感じる。
彼が音楽を愛して楽しんでいる姿が、耳を通して伝わってくる。
こんなにも情熱と実力を兼ね備えている『プロ』はサークルの仲間にもいないと、そこで鬼宿は思ったのだ。



『留守番電話。1件です』
湯浴みを済ませた翼宿は、着信ランプが光る携帯を耳に当て録音を聞いた。

『…翼宿。母さんや。そっちでの生活には、慣れたん?
あんたがベースにハマって大阪の大学中退してきたって聞いた時の父さんの気持ち…まだ分からん?これから就活も始まる時期なのに、将来性がない事ばっか言われたら親としては敵わんで。
母さんの弟が東京にいて住まいも大学もあんたの面倒見てくれたから、よかったものの…だけど、それはいつまでも続かんからな?きちんと将来考えて、そっちでどうするんか…連絡せえ』

そこまて聞いて、ベッドに携帯を放り投げる。

そう。自分は、家出人。
昨年の暮れにベースに突然ハマり上京したい衝動にかられ、反対する父親を振り切って家を飛び出してきたのだ。
良心的な叔父が大学はちゃんと最後まで卒業した方がいいと何から何まで面倒を見てくれて、今に至る。
好きなベース、そして無理矢理やらされたボーカルで今のバンドに運よく入れたものの、心はいつしか空虚だった。
自分には興味がない、与えられた音楽に与えられた歌詞を乗せて歌う…それでもいい経験だと思って、3ヶ月やってきたのだが。

「中々…厳しいもんやな。現実は」

気の合う仲間と好きな音楽で、食べていく。
そんな夢、今の彼には雲を掴むようなものだった。



夏休みも終わり、季節は秋になっていた。
夏休み明けの土日に早速待ち構えている行事は、学園祭。
勿論仲間とつるむのが苦手な翼宿は、参加などする筈がない。
…が、レポートを片付けていなかった事もあり、彼は大学に来ていた。
図書館へ続く渡り廊下を、大量の文献を抱えながら歩く。
こんな事なら、夏休み中ベースばっかり弾いてないで少しは手をつけておけばよかった…そんな事を考えながら。


『こんにちは!WILD MACHINEです!本日ラスト!みんな盛り上がっていくぞ!』


そんな音声が聞こえ、翼宿はふと横の小ホールに目をやった。
そこは軽音楽サークルのスペースで、ドラムには、あの日、駅で知り合った鬼宿の姿が見える。
彼の軽快なリズムから始まり、ポップで爽やかな某アーティストのコピー曲が小ホールに響き渡った。
楽しそうな笑顔で懸命にドラムを叩く鬼宿の姿に、翼宿はちょっと驚いた。
(あいつ…中々やるやん)
ドラムとベースは、恋人同士と呼べる程の重要なペアパート。
ドラムの完成度について、翼宿は特にこだわっていた。
「FIRE BLESS」のドラムは勢いだけで叩くので無駄な動きが多い上にどこか目立とうとしている感が否めないと、常々思っていたのだ。
その点、鬼宿のドラムはとても素直で心に響く音のように感じた。

「お疲れさまでーす!」
演奏が終わり、後輩達が鬼宿の周りにやってくる。
「よかったです、WILD MACHINE♪毎年学園祭のラスト飾るだけありますね!」
「そんな事ないよ~!俺らはもう今年で終わり…就活だからね。後は、後輩の君らに任せた!」
そんな称賛を謙遜しながら、鬼宿は汗を乾かそうとバルコニーに出る。
「それに、俺らなんかより上手いバンドがこの大学には…」
「よ。お疲れ」
隣から声をかけられ、見ると翼宿の姿があった。
「たっ、翼宿!お前、まさか見てたのか!?」
「サボってたレポート片付けよ思て、たまたま来てたんや。ちょうどお前のバンドが始まるトコやった」
「………まさか、お前に見られるとはな。恥ずかしい…」
「何、言うてんねん。お前、結構やるやないか。好きやで、ああいうリズムライン」
「ほ、本当か!?」
まるで好きな女性に褒められたかのように、鬼宿は喜んだ。
「相棒楽器のベースやってる奴に褒められると、やってきた甲斐があるな!うちのベースはのんびり屋さんで、何も言ってこないからさ」
「そっか…」
翼宿は、またも愛用の煙草に火をつける。

「お前とも…演奏出来たらな」

そこで、自分の口からそんな本音がポツリと漏れた。
相手が驚いてこちらを見ているのに気付き、鬼宿は慌てて両手を振る。
「あっ!ごめんごめん!冗談だよ!お前、そっちのバンド忙しいもんな?もうすぐ就活も始まるし…俺もそろそろサークル引退しなきゃな~なんて…」
翼宿はそんな彼の姿を見て、吹き出す。
「何や。お前…ドラムだけやなくて、性格も偉い素直なんやな」
「そ、そうか~?」
「お前、将来どうするとかあるんか?」
「いや…何も決めてない。ドラムに夢中になりすぎて、気がつけばこんなに時間経っちまってた。うち母親がいないからさ、ちゃんと働かなきゃなって思ってるんだけど」
空を見上げてため息をつく自分の横で、翼宿も煙草から立ち上る煙を見つめ何かを考え込んでいる。
「俺は、バンドで飯が食えたらって思ってる」
「え…?」
「その為に、こんな中途半端な時期に大阪から上京してきた。大学を出てからも、定職には就かんつもりや」
「翼宿…」
「今のバンドではないで?まだ、見つかっとらん。俺が安心して音楽を任せられる仲間は…な」
その言葉に、鬼宿は息を呑んだ。
彼が語る真剣な将来。それは不確かなもので、成功するかも分からないけれど。

「俺…お前とやってみたいな」

「えっ…?」
「お前のベースに合わせて、ドラム叩きたい!お前の夢に…着いていきたいんだ!…ダメか?」
「せやけど、お前…」
「無茶な賭けかもしれない。だけど、好きな事を仕事に出来たらって俺だって思ってた。お前となら…やれそうな気がする!」
根拠のない自信を振り撒いている自分は翼宿にとって危なっかしい存在かもしれないが、それでも彼の夢を応援して着いていきたいという気持ちが鬼宿の中に芽生え始めたのだ。
翼宿はしばらく黙っていたが微笑み、手を差し出した。

「よろしくな。たま…」

初めて呼ばれた、その愛称。思わず笑みがこぼれ、鬼宿もその手を取った。



「まあ色々大変だけど、あいつとなら何とかなりそうな気がするな♪他のメンバー探しとか大変だろうけど、頑張らなきゃな~」
鬼宿はルンルン気分でスティックケースを振り回しながら、帰路に就いていた。
「あ、そうだ。その前に、きちんと親父に説明しなきゃな…」
定職に就かずにバンド活動を続けていくなんて普通の親なら許さない事だが、父親はいつも家族に誠心誠意接している自分を気にかけて将来は好きなようにしていいと言ってくれていた。
そんな父親なら、きっと許してくれるだろう…と、玄関の扉を開ける。
「ただいま~親父?いるか?」
台所に呼び掛けるが、返事がない。
どこかに出かけているのか、兄妹の姿も見当たらない。
しかし、台所からは鍋が煮立っている音は聞こえる。
「………?親父~?」
台所を覗くと、そこにはエプロン姿で倒れている父親の姿があった―――
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