ハルジオン

「~~~~~」
厲閣山には似つかぬ神妙な空気の中に、僧が唱える経が流れている。
いつもはお祭騒ぎの山賊たちも、皆、静かに鎮座してその経に耳を傾ける。
「………厲閣山首領、法要はこれにて以上なのだ」
「おおきに。坊さん」
水色の特徴的な頭を振り向かせた僧は、その狐目で翼宿を見つめて穏やかに微笑んだ。

「っだあああ!何度やっても、この姿勢慣れませんわ~~~」
「アホ!男はなあ。いついかなる時どんな体制でも、男らしくある事が…っだああああ!!」
「…お前が、一番、カッコ悪いわ」
今日は、先代の頭の月命日。半年に一度はこうして僧を招いて、法要を行ってもらう事になっている。
翼宿とその部下は、正座していた足を崩す事に四苦八苦していた。
そんな光景に、攻児がツッコむ。いつもと、変わらない風景。
そう。自分達の関係を除いては。
「皆さん…お疲れさまでした。粗茶です」
「ありがと~♡凛ちゃん!いつも、気が利くなあ!」
「いいえ!………翼宿さんも、どうぞ」
「………ああ」
二人きりの晩酌から、一週間。翼宿とは、マトモな会話を交わしていない。
凛にとっては翼宿を疎ましく思う事は何もないのだが、拒まれた翼宿からしてみればもう目も合わせられない状況なのであろう。
そんな気まずい空気が気にかかり、凛自身も最近は不眠の毎日が続いていた。
彼の傍を離れたくはないけれど、どうすればよいか分からないーーー


「なあ?」
「何や」
法要の後の食事会で、上手に座った翼宿に攻児が話しかける。
「お前ら、喧嘩でもしたんか?」
「誰と誰の事やねん」
「この兄貴の目を誤魔化せるとでも、思ってるんか。お前は」
凛に手を出しそうになった事など、もちろん翼宿は誰にも話していない。
胸の奥に疼いているこの感情の正体を他人にさらけたところで、この山の掟を汚すという事も分かっている。
押し黙る翼宿の心を読むかのように、攻児は更に続けた。
「俺は、この山の掟、ちと厳しすぎるんやないかとは思ってるで。男のストレスの捌け口がないのが、一番の不満や」
「真面目に、話しとるんか。おのれは」
「まあ、聞けて。もちろんお前自身の進退にも、影響してくると思っての事や」
その言葉の意図を知ってか知らずか、翼宿は手元の食前酒をぐいと飲み干す。
「例えば、今回の使用人。汚い手で手に入れようとする奴もおるかもしれんけど、それを除けば立派な出逢いや」
「……………っ」
「溜め込みすぎは、身体に毒やで。恋愛は厄介やけど、解決せんと普段の生活にも支障を来たす」
それは最近の翼宿の仕事ぶりの覇気のなさを指摘しての、攻児の見解だ。
「はよ、解決せえ。頭として、立派に立つためにもな」
そして部下の乾杯の音頭が始まり、そこで二人の会話は途切れた。


トントントン…
「凛?顔色が、とても悪いわよ?少し、休んできたらどう?」
青い顔をして刺身を切っていた凛に、春麗が声をかける。
「これくらい、平気よ。今日は、先代のお頭様の大事な法要なんだから…」
この山だけは、護りたい。あの人が愛してやまないこの場所は、自分にとっても愛してやまない場所なのだ。
だが。
グラッ…
「あっ!」
ふとした目眩に包丁の刃が傾き、気付いた時にはーーー
「きゃあっ!誰か、来てください!凛が、凛が手を!!」
春麗の叫びが聞こえてきたと同時に、凛の意識は途絶えていた。



「………………んっ」
額に冷えた布の感触を感じて目を覚ましたのは、それからどれくらい経った頃だろうか?
「凛」
枕元から、自分を呼ぶ声がする。ゆっくりと瞳を開けて、そちらを見やると。
淡い橙色の髪の毛が、見えた。
「たっ、翼宿さん…!?」
そこは、使用人の部屋の寝台。そして横にいるのは、この山の首領だった。
「化け物見るような目で、見るな」
「ご、ごめんなさい…」
「39度の熱を我慢した結果、左指に深めの怪我や」
早くも熱を帯びてしまった布を洗面器に浸しながら、翼宿は告げる。
「あの…申し訳ございません。わたし…」
「俺のせいか?」
「え?」
「他の使用人に聞いた。夜も、ろくに眠ってないみたいやったって…」
「………………っ」
自分をまっすぐに見つめてくるその視線から、目を反らせない。
自分の正直な気持ちを言わない限り、逃げ場はない。
「翼宿さんには、申し訳ない事をしたと思っています。わたしは、翼宿さんの事は今でもとても信頼しているし応援しています。だけど、わたしなんかより素敵な女性はたくさんいますし…その…」
上手く、言葉がまとまらない。「好き」と言ってしまえば済む話なのに、言葉が出てこない。
暫く黙って耳を傾けていた翼宿は、ふうと小さく息を吐いた。
「………お前は、この山に忠誠を誓ってくれてるんやな」
「えっ…?」
「不真面目な女集団追っ払ってくれた時も、一人で叫んでた。俺等が護ってきたこの山に掟を侵す奴がおると、迷惑なんやって。せやから、きっと今回もそんな気持ちやったんやろ?」
的を射たような彼の発言に暫し目を丸くするが、次には素直に頷いた。
「そら、そうや。俺は、この山の長や。背く真似したら、あかんかった。すっかり、お前に甘えてもうたんや。すまんかったな」
「翼宿さん…」
「俺も、変やな。素直に謝ればよかったのに、変な意地張りよって…」
このぎこちない関係は、終息する。それでよかった筈なのに、それなのに…

「でも、わたし…わたしは、嫌だった訳では…ないです」

「えっ?」
思いもかけない返答に、今度、目を見開いたのは翼宿の方だった。
「わたし…翼宿さんと…なら、本当は…あのまま…」
「……………っ」
本当は山の掟なんて放り出して、あなたの胸に飛び込めたならどんなに楽だろうか?
この思いが向くままにあなたへ気持ちを伝えられたら、どんなに楽だろうか?
「………なあ」
中途半端に口をつぐんだ事で出来た沈黙を破ったのは、翼宿だった。

「もっと、お前の事知りたいんや。これからも、俺の側近でおってくれへんか?」

「えっ…!?」
今度、突き放されるのは自分だと思っていた凛は、驚きに声をあげた。
「掟を守る事とお前を傍に置く事、別に考えたい。すぐに、答えは出せへんけど…」
それって。それって…?

「お前に、傍にいてほしいんや」

それは、翼宿の形勢逆転の告白だった。
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