ハルジオン

バタバタバタ…
「頭と第一軍が東の部族とやり合ってるっていうのは、本当か!?」
「ああ。この悪天候を狙って来やがったんやな…誰も、怪我してこんとええけど…」
梅雨の時期がやってきた厲閣山には、この日も朝からまとわりつくような雨が降っていた。
そんな最中、屋敷を騒がせているその話題は、この厲閣山に襲撃があったという事だ。
屋敷に入って3ヶ月が経とうとしていた使用人達は、初めて触れる殺伐とした空気に揃って肩を震わせる。
「ああ…凛ちゃん達は、今日は仕事はええから。各々の部屋で、待機しとってくれや」
「攻児様…皆さんがお怪我されて帰ってきた時は、すぐに呼んでください!手当ての準備は、整えておきますので…」
「………ああ。そん時は、頼むわ」
二、三の言葉を交わした後で、使用人達は自室へと下がっていった。

「お頭様達、大丈夫かしら?わたし達が入ってきてから、初めての襲撃ですもの。彼らにとっても、久々の筈だわ」
窓の外の雨粒を眺めながら、今は同室の春麗がポツリとこんな事を呟く。
途端にそれまで押さえていた不安が、正直に込み上げてきた。
何人の山賊が怪我してくるのかも心配だが、やはり一番に気になるのは一番強い筈であろう彼の事―――

『………まあ、その内、気が向いたらお前でも出来る仕事頼むさかい』

言葉を交わしたあの日から、早一ヶ月…相変わらず、自分達に頭の世話が回ってくる事はなかった。
当然、指名制ではないのだし、もしかしたらまた自分の存在は彼の頭からすっぽり消えてしまっているのかもしれない。
それでも、この屋敷で、同じ屋根の下で翼宿と過ごせている事に、凛は段々と幸せを感じるようにすらなっていた。
その分、顔を合わせられない寂しさは、日に日に募っていくばかりなのではあるが…

「凛?どうしたの?さっきから、ボーッとして…」
「えっ!?あ…ううん!何でもない…それより、食事の用意とかはいいのかしら?待機してる方々は、やっぱりお腹が空くんじゃ…」

「頭!?大丈夫ですか!?」

そんな会話のやりとりを遮ったのは、山賊の一人が発したこんな言葉だった。
二人はすぐさま扉を開けて、人だかりが出来ている廊下へ向かう。
「…………あっ…………!!」
そこには、攻児に肩を支えられながら蹲っている翼宿の姿があった。
弓矢を射られたのか、左肩は鮮血で真っ赤に染まっている。
「新人を庇って…討たれたんです。もう少しでとどめ刺されそうになったところで、俺が手榴弾を使って目眩ましを…」
「そか…よう、やったな。とりあえず、まずは手当てや!話は、それからで…」
「俺の事は…ええから!それより、はよう策を打たんと…くっ…次の襲撃が…!」

「ダメです!」

翼宿の言葉を遮ったのは、女の声。一斉に振り向いた先には、使用人の凛の姿があった。

「………翼宿さん!そんな体で、無理を押してはダメです!まずは、あなた自身が手当てをして安静にしないと…」
「…………凛」
二人が名前を呼び合うやりとりを、攻児は間でポカンとしながら眺めている。
そして凛はそんな攻児を見下ろして、こう告げた。
「攻児様。翼宿さんの手当ては、わたくしに任せていただけませんか?その間に、攻児様はお話し合いをしていてください。その方が、翼宿さんも安心して静養出来ると思うんです」
「せやけど…」

「………攻児。こいつに、任せろ。こいつとは…知り合いやねん」

そこで観念したように吐いた翼宿の言葉に、その場にいた者はまたざわつく。
しかし、余計な時間を食っている場合ではない。
攻児は唇をくっと噛んで、改めて凛を見上げてこう告げた。
「俺らの大事な頭の事、任せたで?しっかり、手当てしてやってくれや」
「………承知いたしました」

「な、なあ?あの使用人、頭の何なんだ?呼び方も、七星名だったし…」
「まさか、頭に限って抜け駆けなんて事は…」
そんな一連の流れを遠巻きに見ていた山賊の間では、そんな会話が飛び交っていた。


「いっつつつ…!」
「ごめんなさい…!でも、少し、我慢してください。きちんと消毒しないと、菌が抜けないので…」
「………分かっとる」
数刻後、頭の部屋に通された凛は、翼宿の傷の手当てに追われていた。
上半身の服を脱がせて、消毒液できちんと消毒して軟膏を塗り包帯を巻きつける。
初めてマトモに目の当たりにする男性の筋肉に最初は戸惑ったものの、翼宿の傷はやはり予想以上に深かった。
慎重に手当てにかかっていくと、翼宿の口からはこんな言葉が漏れた。
「………結構、手際ええんやな」
「…わたし下に弟がいるんですけどしょっちゅう怪我をしてきていて、その度に手当てを任されていたんですよ」
「へえ。前は、あんなにムカデを怖がってたお前がなあ…」
「お、覚えてたんですか!?」
「誰が忘れるか、アホ」
しかしこの言葉には、思わず笑みがこぼれそうになった。
自分との思い出を彼が覚えていてくれた事は、とても嬉しい事なのだから。
「それにしても…新人の方を庇って怪我されたって、聞きましたけど…」
「ああ。腕がよくて俺が引き抜いた奴を初めて連れてったんやけど、今回は向こうもかなり威嚇してきよってな…すっかりビビって手も足も出えへんかったトコに、矢が飛んできて…」
つまり死人が出なかったのは、翼宿のお陰とでも言うべきなのであろう。
その事実に安堵するも、目の前の相手を思わず真剣に見つめてしまう。
「…だけど、あなたに何かあったら、元も子もないです」
「…………………」
「あまり、無理をしないでください。あなたを待っている人は、たくさんいるんです。攻児様も………わたしも」
「…せやけど、頭いうんはそういうもんや。俺の子供みたいな部下達を、誰一人失う訳にはいかん」
「………でも」

「時には命を投げ出す事も、必要やねん」

それは、男としての覚悟なのかもしれない。
それでも、そんな彼の言葉がとても冷たく感じて…
「…すまん。余計な話、聞かせてもうて。だいぶ楽になったし、俺、そろそろ戻るわ…」
「………っっ!」
それでも、自分の気持ちに嘘はつけない。
あなたを失いたくないという、この気持ちだけには。
「………凛!?」
ドサ………
そう気付いた時には立ち上がろうとする翼宿を引き止め、その体を腰掛けていた寝台に押し倒してしまった。

「どうして………そんな事、言うんですか!?」

「………っ」
「命を投げ出すなんて…簡単に、言わないでください!あなたがこの山を大切に思う気持ちは、よく分かります!でも…でも、その思いに負けないくらいあなたの事を大切に思っている人も…いるんです!!」
自分でも、何を言っているのか分からなかった。
自分でも、なぜ頬を伝う涙が止まらないのか分からなかった。
それでも、彼が「死」について簡単に語る事が嫌だったから。
彼がこの世からいなくなるだなんて、そんな事、一瞬でも考えたくなかったから―――
「…………っく。うっ…………」
「………凛」
両肩を押さえつけていた手に手が添えられ、翼宿はその状態で静かに起き上がった。
「………泣くなや」
困ったような語調の言葉が上から降ってくるが、伏せた顔をあげる事が出来ない。
すると自分の手を掴んでいた両手がそっと頬に添えられ、自然と目を合わせさせられた。
彼の切れ長の瞳がこんなにも近くにある事に、自然と涙が止まる。
「泣くな」
そしてまた低い声で繰り返し呟かれたその言葉に、鼓動が高鳴った。
「もう、分かった…俺が、悪かった。すまんかったな…」
「翼宿………さん」
自分の呼びかけでこの不自然な状況に気付いた翼宿は、漸くその手を離した。
互いの顔から目を反らして暫し沈黙が流れるが、静寂を破ったのは翼宿のこんな言葉だった。

「約束…するか」

「え?」
「俺は、何があっても死なないっていう…約束や」
「…約束」
こんな口約束は無意味なのかもしれないけれど、それでも君が流してくれた涙を無駄にしたくはない。
彼の優しい瞳からは、そんな気持ちが伝わってくるようだった。
だから、自分も素直に頷いて。
「約束…しましょう」
どちらからともなく差し出された小指を、互いに絡めた。
「………それと」
小指は離さない状態で、翼宿の瞳がまた自分をまっすぐに見つめてくる。
「この戦いが終わったら、俺の晩酌に付き合え」
「え………っ!?」
「頭直々のご指名や。文句は、ないやろ?」
それは、次へ繋がる約束。翼宿と繋がる事が出来る約束だった。
だから、凛もまた優しく微笑んで。

「はい…!楽しみにしてます!」

もう一度、強く、小指と小指を絡ませた。

「未来(あした)」も、また、あなたと繋がる約束を―――
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