ハルジオン

「愛蓮達が、使用人を辞めた!?」
山賊の昼飯が終わり少し遅めの賄いをいただいていた時にその話を聞きつけ、思わずすっとんきょうな声が出てしまった。
「ええ…凛が、昨日叱りつけたあの四人全員ね…」
「そんなあ…」
目の前で苦笑しながらもその事実を伝えてくれているのは、春麗(しゅんれい)。
愛蓮達の陰に隠れながらも必死に職務を全うしていた、こちら側の人間の内の一人だった。
「七人採用された使用人も、三人…山賊の皆さんには、暫くご迷惑をおかけしそうねえ…」
「ごめんなさい、春麗。わたしが、彼女達を傷付けるような事を言わなければ…」
「わたしは、いいのよ。だけど今後の働き方について、攻児様にご相談してこようと思うの。凛も、来るでしょう?」
「もちろんよ」

攻児さんか…
使用人がたくさん来てくれて、とても喜んでいたのに…
昨日の事、何て説明すればいいのかしら?


「あーあーあ!あれは、凛ちゃんのせいやないて!」
しかし事の次第を聞いた攻児は、陽気に笑いながら手を振った。
「い、いえ!わたしのせいなんです!わたしが空気を読まずに変な事を言ったせいで、ここの使用人の半数以上が…」
「空気を読まずに変な事を言ったのは、あいつや」
「あ、あいつ?」

「こおらあーーー!お前ら、また盗賊団に喧嘩吹っ掛けてきよったんかあ!?尻拭いするんは、この俺なんやぞおおお!」
「す、すんません!お頭あーーー!」

攻児が親指で指し示した隣の部屋の主の怒鳴り声に、思わず身を竦めた。
「あの目で睨まれながら脅迫めいた事言われたら、俺かて出ていきたくなるわ」
「で、でも…お頭様が言っていた事は何も間違っていませんでしたし…」
「そうは言うても、女同士の喧嘩に口挟むなんぞ普通の男なら避けるやろ。せやけど曲がった事が嫌いなあいつは、黙ってられんかったんやろうなあ」

そっか…お頭様は、そういうお方なんだ…
だけど、その周りに流されないところ、スゴく素敵だなあ…

「あんたらも幻狼目の前にして、ビビるんやないで?一見すると強面やしあんな感じでいつも走り回ってるから、ジェントルな俺と違って女への気遣いひとつも分からん奴やさかいなあ」
「は…はい」
攻児はこう言うし愛蓮達に向けられていた幻狼の目は確かに凄まじかったけれど、凛にはとても真摯な男性に思えてならなかった。
本当は昨日のお礼を言いたかったのだけれど、彼と話をするのはそう簡単にはいかなそうだ。
少し残念な気持ちになり、小さくため息をついた。


ザクザク…ザク!
今日の午後は、買い物当番と畑作当番の仕事が待っていた。
畑作当番は一番体力が要る仕事で皆が敬遠するが、昨日の詫びにと自分が率先して引き受ける事になった。
「だけど…やっぱり、足腰に来るなあ…」
やっと畑を一列耕し終える頃には、西日が傾きかけている。
早く終わらせて、晩飯の準備をしないといけないのに…
「急がないと…えいっ!」
渾身の力で体を立て直して、鍬を持ち直そうとすると。

「…そんな姿勢でやってたら、明日は一歩も動けへんで」

「えっ…ひゃあっ!」
横から聞こえた声の主を確認しようとそちらを向いた途端、反動で無様に尻餅をついてしまう。
腰を摩りながら見上げると、逆光に照らされるオレンジ色の髪の毛が見えた。
「………あ。あなたは…」
自分の隣には、お近付きになる事はないと思っていたこの山の首領が鍬を背負いながら立っていたのだ。
しかし彼は、首を傾げながらこちらを見下ろしている。
「ん?お前、新しい使用人かあ?」
「え…?」
(わたしの顔、覚えてないのかな…?)
それ以上は問うてこず、幻狼は鍬を足元に振り下ろした。
そして遅ればせながらこの状況に気付き、慌てて彼の動きを制する。
「ダ、ダメです!お頭様にわたくしどものお仕事をさせる訳にはいきません!」
「あのなあ!お前の仕事が遅いから、見かねて手伝いに来てやったんや!今日中に、全部終わらせなきゃいけないんやで!?」
「………っ!」
初めてマトモに目の当たりにする、彼の三白眼と荒っぽい言葉。
確かに怖いし、それ以上詰め寄る事が出来ない。
「す、すみません…お忙しいのに、ごめんなさい…」
それきり口をつぐんでしまった幻狼の動きに合わせ、自分もぎこちなく鍬を振り下ろす。
緊張と恐怖で心臓は拍動しており、気を抜けば涙が零れてしまいそうだ。
すると、足元で何かが動いた。
鍬の数センチ手前、手足が何本も生えている生き物が自分の足元に迫ってきている。

「き…きゃあああっ!!」

「なに…どわあ!」
喉の奥から声を張り上げて、手にしていた鍬を放り投げて…
気付けば、自分は隣にいた青年の胸に思いきり飛び込んでいた。
抱きついた反動で尻餅をつかせてしまうも、頭の中は錯乱状態で何も考えられない。
「ごめんなさい、ごめんなさい!!わ、わたし…無理なんです!手足が多い生き物だけは…手足が多い生き物だけはあ…」
いつしか堪えていた涙が溢れ出し、感情のままに泣き出してしまう。

サクッ

すると自分が逃げてきた方向から、鍬を立てる音が聞こえた。
恐る恐るそちらを見やると、世にもおぞましいその生き物は鍬によって土の奥深くに埋め込まれたようだ。
「………なあ。ムカデが嫌いなあんたを採用した奴らの神経が分からんのやけど」
そして頭上から聞こえてきた言葉に、はたと我に返る。
「っ………あ………!ご、ごめんなさい!わたし…お頭様に何て事を………」

「………ふっ」

しかし次に聞こえてきたのは、吹き出したような声。
瞑っていた目を開けると、目の前で幻狼が小さく笑いを堪えている。
「あ…あの…お頭様…?」
「あんた、おもろい奴やなあ!」
向けられた太陽のような笑顔に、胸が高鳴った。
先程の威嚇するような態度とは打って変わって、あどけなくて可愛い笑顔だ。
「す、すみません…」
「あんた、名前は?」
「凛…と、いいます」
「そっか。思い出した」
「え?」
次には、心を許したかのような優しい瞳で自分を見つめてくる幻狼がいた。
「凛やろ?昨日、使用人にガツンて言うてた逞しい女は…」
「お頭…様…」

数刻後には全ての田畑は綺麗に耕され、東屋の下で休憩をする二人がいた。
「お頭様!お水です!」
「ああ…おおきに。女の顔と名前を覚えるのだけは苦手で…すまんかったなあ」
「いいえ!昨日は、ありがとうございました…ずっと、お礼が言いたかったんです!それと、すみませんでした」
「は?何で?」
首をくいと傾げながらこちらを見る幻狼に対して、申し訳なさそうに俯く。
「…だってせっかく採用した使用人が四人も辞めたのは、わたしが彼女達に突っ掛かったからで…あのまま見て見ぬフリをしていれば、今日だってわたしよりも体力がある子がこの畑を…」
「………アホか。お前は」
「え?」
水を一口飲み込むと、彼は遠くを見ながら答えた。
「見て見ぬフリなんて、一番したらあかん。この山の掟を汚す奴に出入りされるんは、まっぴらや。せやから、飛犂も、今朝、解雇した。お前が俺にそれを気付かせてくれたんやから…寧ろ、俺がお前に礼を言うべきなんやで」
「お頭…様」
「ありがとな…よう、やった。凛」
そう言って頭に置かれた手には、自分の上昇した体温は伝わっていただろうか。
それでもよしよしと頭を撫でるその優しい仕草が心地よくて、ついつい涙が零れそうになった。
「………まあ、お前もまだまだや!根性があるんは認めるけど、ここの仕事は体力勝負やで?お前も、俺に追い出されんようにせんとなあ!」
「が…頑張ります!わたし、頑張りますから!!」
次にはそんな空気を一蹴するようにケタケタ笑い出す幻狼に、凛は焦りながらこう返す。
すると二人分の鍬を持って、彼は立ち上がった。
「ほんなら、俺は戻るで。長い事、部屋空けてもうたから、また面倒な報告事が増えてるかもなあ~」
「…………あ」
「お前は、もう少しここで休んでおけ。足腰痛くて、敵わんやろ」
片手をあげて去ろうとするその背中にどこか心細さを覚えて、次には思わずこんな名前を叫んでいた。

「………、………翼宿さん!!」

「………え?」
何ヶ月ぶりにそう呼ばれたのだろうか、翼宿と呼ばれた男は振り返る。
辺りに、柔らかな春の風が吹いた。
「………あ。ごめんなさい!その…あなた様が朱雀七星士の翼宿だって、愛蓮に聞いて…それを知った時から、その名前が頭の中をグルグルしていたもので…」
「………………」
「もしよろしければ、そう呼ばせていただけませんか?」
「………何で?」
どこか可笑しさを感じているような笑みを浮かべながら、翼宿は問う。
「だって…………かっこいいお名前だと…思うから」
「何やあ?それ!お前、先代に付けられた俺の通り名をカッコ悪い思うてるんか?」
「あ!いえいえ!そういう意味ではなくて…」
「ふっ…まあ、好きにせえ。どっちも、俺の名前なんやからな」
「あ、ああありがとうございます!それで…翼宿さん」
呼び止めた本当の用件を、口ごもりながら伝える。

「また………お会い出来るんでしょうか?わたくし達は」

せっかく親しくなれたのにまた会えなくなるかもしれないという不安が、なぜか凛の心を締め付けていた。
そんな自分の気持ちを察したのか、太陽の笑顔の持ち主は優しく微笑んで。
「………まあ、その内、気が向いたらお前でも出来る仕事頼むさかい」
そんな言葉が聞こえてきたのに気付いた時には、翼宿の背中は遥か遠くに見えていた。

翼宿さん…わたし、今、とても心が暖かいんです。
どうしてなんでしょうか?

山の掟を破ってはいけないと彼に教えられながらも、この日、確実に凛の恋は芽生え始めていたのだった………
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