ハルジオン

麗らかな陽気が心地よい、春の暦。
紅南国にある厲閣山の屋敷の謁見の間には、選ばれし七人の女性が肩を並べていた。
見上げる人物は、ここ厲閣山を護る山賊の副頭の…
「面談以来っちゅー事になるけど、改めて!俺は、この厲閣山副頭の攻児や!今日から、お前ら使用人の世話係を担当する事になった。よろしくな~」
攻児と名乗ったその青年が陽気に挨拶をすると、肩を並べた女性達は、皆、頭を垂れた。
「ほな最初やし、自己紹介から行こか!んーと。そこの右端の女性から、頼むわ」
「わたくしは、凛と申します。よろしくお願いいたします」
右端に座っていたところを指名され、おずおずと自分の名前を名乗った。


これは、厲閣山首領の幻狼こと翼宿と身分違いの使用人の凛が、愛を育む物語ーーー


ハルジオン


「よし!みんな、ええ素質を持ってそうな子らばかりやな♪そんなら、今日はこの屋敷の勝手を教えるさかい!」
一通り自己紹介が終わると、攻児は腕組みをしながら満足そうに七人の使用人を見渡す。
今日この日は、厲閣山が新しい使用人を雇い入れる日。
厲閣山は男の園であり女性は禁制に等しいのだが、その分男性の鬱憤が溜まっているのも確かなところ。
それゆえ決して疚しい事はしないという事を条件に、世話係として女性の使用人を雇う事にしたのだ。
だがしかし、もう一人いる筈のこの山の長が見当たらない。
「あの…お頭様のお姿が見当たりませんけど…」
同じ事を考えていたのか、横にいる派手な化粧をした女性が質問をした。
「ああ。ここの頭は、女嫌いでなあ…今日はパスやて、朝から仕事に出てるわ。まああいつの側近の仕事をする事はないから、その内紹介するよって」
その返答にがっくりと肩を落とす女性同様、凛も少々残念な気持ちになった。
この壮大な厲閣山を率いるお頭様とは一体どんな方なのか、気にならない訳ではなかったからだ。


「朱雀七星士の…翼宿?」
「そうよ!この国を救った勇敢な七星士の一人の翼宿!それが、お頭の幻狼様なのよ!あなた、紅南の人間でそんな事も知らなかった訳?」
その日の夜、同室になった愛蓮(あいれん)という女性に枕元でそんな話を聞かされた。
彼女は、今朝の顔合わせでは自分の二人隣にいた。
隣の女性と同じく化粧が派手な印象があったが、そこまででしゃばるようなタイプには見えなかったのに…
二人きりになった途端、彼女は意地悪っぽく自分に絡んできたのだ。
「ごめんなさい。わたしは紅南の国境付近に住んでいたから、国の情報については疎くて…」
「ふうん。まあ、いいけど!ライバルは、一人でも少ない方がいいしね!」
「ライバルって…?」
愛蓮の突然の発言に、きょとんと首を傾げる。
「だから!攻児様はあんな風に言ってらしたけど、この世に本当の女嫌いが存在すると思う?あたしはその気になれば、幻狼様をすぐにでもお慰めする覚悟よ!」
「………え?でも、それって…」
それは、本来、使用人がするべき仕事ではない。
自分達は主に山賊の身の回りの世話をするべき立場であり、それ以上の事は…
「じゃあ、おやすみなさい!早く、明かり消してちょうだい!」
しかしそれを言う前に、愛蓮は自分にくるりと背を向けて布団に潜ってしまった。
「おやすみ…なさい」
だから腑に落ちないまま、凛も部屋の明かりを消した。


それからの一週間は覚える事も多くそれに加えて山賊からの小さなお使いも度々頼まれるようになり、使用人達は忙しなく動いていた。
元々世話好きな凛にとっては苦にならない事ではあったが、仕事から解放された途端に音(ね)をあげる者がいる事もしばしば。
雇われた身といえど、自分達はまだまだ華の十代。遊びたい盛りなのも、当然である。
そして一方で、相変わらず使用人達はこの山の頭には会えないでいた。
目上の人の世話だからと、配膳やお茶なども全て攻児が用意してくれている。
自分達にそのお世話を任せられる日は来るのだろうかと、凛はそんな事を考える日もあったのだった。

そんなある日、凛は攻児に頼まれたお使いをする為に都に降りていた。
頼まれた布一式を両手に抱えてよろよろと屋敷の玄関を潜り抜けると…
「………ええやないか。愛蓮」
そんな声が聞こえて、咄嗟に側の柱に身を隠した。
「………でも、山賊の方と関係を持たないという決まりがありますし」
「ホンマは、納得してへんのやろ?俺らもや。せやから、こうして人目を盗んでやな…」
どうやら廊下の一角で、愛蓮が山賊の一人に絡まれているようだ。
(えっ!?愛蓮…大変!助けないと…)
しかし歩を進めようとした足は、次の光景にまた止まる。
山賊の手が愛蓮の顎を掴み、そのまま唇を重ねたから…
初めて見る男女の駆け引きに、凛は開いた口が塞がらなかった。

「おお!凛ちゃん!買うてきてくれたかあ!?」

「えっ!?」
その瞬間、背後から攻児が声をかけてきた。
振り返ると、彼は動揺する自分の表情に驚いたような顔をする。
「どうしたんや?何か、あったか?」
「あ…あの!攻児様…そこで、愛蓮が…」
しかし慌てて指差したそこには、もう先程の二人の姿はなかった。
攻児が近寄ってきた事に気付き、慌てて逃げたのだろう。
「ん?愛蓮ちゃんが、どうかした?」
「い、いえ…何でもございません」
「この布、今夜から食堂の机の掛け布にしよう思うてな。昨日、うちの部下が酒盛大にぶっかけたやん?重かったトコ悪いんやけど、何人かと協力して裁断しておいて貰えるか?」
「はい…承知しました」
未だ心臓は拍動しているが、凛は笑みを浮かべて頷いた。

「大きな布…凛、これを一人で買いに行ったの?偉いわね」
数刻後、凛は部屋に待機していた使用人らに掛け布作りの協力を頼んだ。
三人で広げた深紅の布は、部屋の隅から隅までを埋め尽くす程に大きい。
「この大きさでは、大きな裁断機が必要になるわね」
「あ!それなら、確か、階段下の備蓄庫にあったから、わたしが取ってくるね?」
「一人で、平気?」
「大丈夫よ!何かあった時に複数で席を外してたら、困らせるだろうし。行ってくる!」
我先にと部屋を出て、備蓄庫へ向かう事にした。

「愛蓮…あの後、大丈夫だったかしら?何か、声をかけた方が…」
先日は頭を狙っているような発言をしていたものの、先程の彼女は明らかに嫌がっているように見えた。
この屋敷で働き始めて忠誠心が芽生えたのかもしれないし、それであれば同じ女として出来る事があるなら助けたい。
明日にでも二人で攻児にこの事を話せば、その山賊もそれ相応の措置が取られるだろう。

「え!?飛犂(ひれい)様に、口付けを迫られたの?」

そこに飛び込んできたのは、今、まさに自分が考えていた事についての言葉。
凛は慌てて声のする方を見ると、そこは台所で愛蓮含めた使用人四人が肩を並べて食器を洗っている。
「そうよ!こんなラッキーな事、滅多にないわよね♪」
(え…?)
次に聞こえてきたのは、愛蓮のどこか弾むような声だった。
「守りは固くしておかないと男性は狩猟本能を駆り立てられないって、言うじゃない?最初は嫌がるフリをしたけれど、本当は乗り気だったに決まってるじゃない!」
愛蓮は、ちっとも変わっていなかった。
それどころか、疚しい手を使ってその山賊を更に貶めようとしている。
この神聖な厲閣山の山賊に色仕掛けをして、何が楽しいのか?
自分の事ではないのに、自分の事のように拳が震えた。
気付いた時には、台所に飛び込んでいた。
後ろから近付いてきた人影に気付かずに…

「今度、お部屋に呼ばれたの。本当はお頭様がよかったけれどちっとも顔を見せてくださらないし、仕方ないわよね…」
「ちょっと、愛蓮!!」
話の続きを遮るように声を荒げて、その名を呼んだ。
「な、何よ、凛?何か、御用?」
「さっきから聞いていれば… 自分で何を言っているか分かってるの!?」
「え?まさか、あなた、立ち聞きしてたの?」
相手は余裕の笑みを浮かべており、それに倣って他の三人も不敵な笑みでこちらを向く。
「誤解しないで?あくまで、迫ってきたのは相手の方なの。わたしは、この男社会で男の方を立てようと思って…」
「嘘!お頭様も手込めにしようとしてた癖に、乗り換えるような言い方をしていたわ!」
「何よ?もしかして、羨ましいの?確かに、あなたは地味で男の方にはご縁がない顔をしているものね」
「そんな事は…!」
本当は自分から喧嘩を売るような真似はしたくはないし、こんな状況に慣れている訳ではない。
しかし一度深呼吸をして、言いたい言葉を全て吐き出した。

「この厲閣山は、お頭様や攻児様が誠心誠意護ってきた山なのよ!あなたの暇潰しの相手がいる場所じゃない!そんな疚しい気持ちで働かれたら、お頭様達もわたし達も迷惑よ!」

「あ、あなた!何の権限があって、そんな偉そうな事を…」


「………俺も、同じ意見やな」


するとそのやりとりを遮る、低い関西弁が聞こえてきた。
後ろを振り返ると、見た事がない男性が柱に寄り掛かってこちらを見ている。
橙色の髪の毛は逆立っており、高級そうな山賊衣装に身を包んだその背中には鉄扇のようなものを背負っている。
相手を見た瞬間、愛蓮の顔はみるみる強張っていく。
「あ…あなたは…幻狼様…」
「えっ!?」
まだその男性が何者なのか分からない凛だけがきょとんと首を傾げていたが、愛蓮のその言葉に飛び上がった。
この人が、この山の長の幻狼…朱雀七星士の翼宿。
彼は鋭い三白眼で愛蓮達を一睨みして、続けてこう告げた。

「俺を知ってるなら、話は早いな。んな下衆な目的で世話されるんやったら、自分の事は自分でした方がマシや。とっとと、ここから出ていけ。これは、命令や」

その言葉を言われた者達は、皆、涙目になりそそくさとその場から逃げていった。


取り残された凛は幻狼と目を合わせて、くっと息を呑んだ。
こんな状況で目の前のこの人が頭だと知った今、自分には何が言えるだろうか。
御礼?謝罪?その結論に辿り着く前に、幻狼が口を開いた。
「おい…そこのお前」
「は、はい!」
依然低い声で呼ばれて、ビクリと肩を竦めた。
しかし自分の後ろを指差して、告げられた言葉はこうだった。
「皿洗いが、まだ途中やろ。残りは、お前がやれ。ええな?」
「あ…はい」
睨まれる事も笑いかけられる事もなかったが、声色は穏やかに聞こえた。
そして命令されたにも関わらず、自分の顔は耳まで真っ赤になっていた。

これが、幻狼…翼宿と凛の出逢い。
これから始まる純愛の序章となるーーー
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