TSUBASA
自宅のアパートの階段から転落したという名目ではあるが、週明けの月曜日には、星宿の怪我の話はすぐに全校中に広まった。
校舎の窓ガラスを割られた件に関しては詳細不明にしてあるが、これはTSUBASAの仕業だと生徒はすぐに分かっていた。
しかも、不運にも割られたのは星宿クラスの教室の窓ガラスであった。
担任が一週間休暇を取る事になり更にこのような事態に見舞われた星宿クラスの生徒の面持ちは、すっかり暗くなってしまっていた。
『この学園の退学者がいるんだって。うちの兄ちゃんと同級生なんだけどさ、退学の恨みを晴らす為に復讐してるって噂よ』
『翼宿の奴…朱雀学園の事を何か知っているようだったのだ。わたしがこの学園の為に動く事が、気に入らないような事を言っていた』
TSUBASAの団長についての手掛かりになりそうな、二人の人物の言葉。
その言葉を頭の中で反芻しながら、柳宿は職員室に備え付けられている各教室の鍵の格納庫の前に立っていた。
目の前には、各教室名が記された札の下に同じく教室名が記されたタグが付いた鍵がかけられている。
美術室の掃除に使う目的の鍵は、既に左の掌にある。
しかし柳宿の目は、その中にある「資料室」と書かれたタグが付いた鍵に注がれていた。
右の掌には、その鍵と形がよく似た鍵が握られている。
柳宿は、この資料室の鍵と自分のロッカーの鍵をすり替えようとしているのだ。
ここに入れば、過去の卒業生の名簿が見られる。
上手く行けば、彼の過去の経歴を知る事が出来るのだ。
なぜこんな危険な事をしたいのか、自分でも分からない。
だけどあの日に猫に向けられていた彼の目を見た時から、そして先日に自分に向けられていた彼の目を見た時から、感じていた。
あの人の事が、知りたい。
理由よりもその本能だけが、自分をここまで突き動かしていたのだ。
資料室の鍵に手を伸ばして、そして、自分の掌の鍵を空になったフックへ…
鼓動が嫌に速くなり、思わず喉を鳴らす。
早く…早く、やらなければ…
「柳宿さん?」
「………っ!?」
背後から声をかけられ、慌てて格納庫を閉める。
振り返ると、同じクラスの玉麗がこちらをじっと見ている。
「な、何よ?いきなり、びっくりするじゃない…」
「あの…星宿先生が入院してた病院って、朱雀病院だったりしない?」
「どうして、そんな事…あたしに聞くの?」
「土曜の朝に、あなたが病院から出てきたところを見たの。あなた達、一緒にいたんじゃないの?」
見られていた。そう感じた時に、背中を嫌な汗が伝った。
星宿が翼宿に怪我を負わせられた事は、伏せなければいけない事実。
偶然、自分がそこに居合わせてしまった事も同時に隠さなければいけない。
「な、何、言ってるの?あたしも具合が悪かったから…朝イチで、診て貰ってたのよ!星宿先生の事は、何も知らないわよ…」
「…………」
「あたし、掃除があるから…行くね」
嫌な視線を感じながらも、そそくさとその場を離れた。
その掌に、美術室の鍵と…資料室の鍵を忍ばせて。
「………何よ。あの子、何かある訳?」
しかし残された玉麗は、柳宿が抱えている秘密を確かに感じ取っていた。
カラーンコローン
今日も終業の鐘が鳴り響き、生徒達が帰宅していく。
人気がなくなった校舎。西日が一際強く照りつける廊下に位置した教室の前に、柳宿はいた。
息を呑み、掌の鍵を鍵穴に差し込んだ。
するすると扉が開くと、少し埃っぽい臭いがする。
開校して15年程になる新しい学園だが、資料室の中にはそれなりの量の資料が並べられていた。
足音を忍ばせながら、目的の本棚を探し出す。
部活動入賞実績、就職実績、卒業アルバムと辿っていくと、一番奥にその本棚はあった。
学生名簿。そこには、退学卒業関係なくその年に在籍していた生徒の情報が載っている筈だ。
彼の容姿からすると、自分よりも2、3歳は上だろうか。
手近なところで、2000年入学生のものからめくっていく。
めくっている間も、心臓が拍動している。
知っていいものなのか、知らなくてもいいものではないのか。
知ってどうするのか、何かしてあげられるのか。
自問自答しながらも、導かれるようにページをめくる手が止まらない。
2000年入学生の中には、いない。2001年にも。
続いて、2002年に手を伸ばす。
4、5ページ程めくったところで、その手は止まる。
「………翼宿」
思わず、名前を呼んでしまった。
オレンジ色の髪の毛と三白眼はそのままながら、今よりも身なりを整えた彼の顔写真が載っている。
そして、経歴部分にはこう書いてあった。
「2004年6月:喫煙による校則違反で、退学」
ゴロゴロゴロ…
週末。その日の天候は、雷雨。それに構わず、繁華街は徐々に賑やかになる。
ガシャアアアン
その一角にあるTSUBASAの隠れ家に響いたのは、耳をつんざくような衝撃音だった。
今しがた、朱雀学園の制服を着た男子学生が二人、団員に殴り飛ばされたところだ。
彼らの足元には、退治用に持ってきたのであろう金属バットが転がっている。
「はははっ!そんなおもちゃで、俺らを倒そうとしたのかあ?笑わせるぜ!」
「窓ガラス割られて寒かったから、復讐しに来たんだろ?早くかかってこいよお!!」
バキッ!ドカッ!
数刻前、星宿クラスの生徒がこの場所を突き止めて襲撃を図ったのだ。
しかし、TSUBASAにとって無力な高校生は恐れるに足りない。
集団で暴行を受け、彼らは既に瀕死の状態だった。
「すまんな、翼宿。安静にせなあかんのに…」
「いや。ええ眺めや…」
翼宿の怪我を案じて絶対安静を命じていた攻児は、突然のこの騒動にすまなそうに横の翼宿に詫びる。
しかし座椅子に座った翼宿は、煙草を吸いながら満足そうにその光景を眺めていた。
「ったく…団長が振るった貴重なお見舞いがてめえらのクラスに当たったんだから、もっと誇りに思いやがれってんだ!」
程なくして気絶した学生の背中にどっかと座ると、一人の団員が煙草に火をつけた。
「お前…ら…団長がいなければ…どうせ何も出来ないんだ…もうすぐ…団長の正体を…突き止める奴が出てくるぞ…」
「はあ?」
隣で倒れていた学生の言葉に、その団員は眉を歪める。
「どういう意味だあ?このガキ」
「団長~誰かが、団長に探り入れてるみたいですぜ~?」
翼宿は煙草をくわえたまま立ち上がり、その学生の前に進み出た。
しゃがみ込むと、その迫力に学生はヒッと仰け反る。
「何や。聞き捨てならんな?もう少し詳しく聞かせてもらおか?」
「へっ…誰が教えるかよ…そのまま素性がバレて…警察に突き付けられるんだ…っっっ!!」
突然、翼宿の手が学生の髪の毛を引っ張り上げ、吸っていた煙草が彼の腕に押し付けられた。
「ぎゃあああっ!!!」
「…はよ、教えろ。俺も暇やないんや。お前かて、命惜しいやろ?」
「…ぬ…柳宿だよ!昨日…プリント落としたから拾ってやったら、その下に…お前の学生名簿のコピーが…落ちてて…そこで、あんたが…朱雀学園のOBだったんだって…知ったんだ」
柳宿。どこかで、聞いた事のある名だ。
そうだ。確か、この間の夜に見たあの女がそう呼ばれて…
事の次第を知った翼宿は口角をくっと持ち上げながら、学生に顔を近付ける。
「ええ事教えてくれた礼に、命だけは助けたるわ。けど、そこのガキにも言うといてくれるか?この場所喋ったり俺の経歴喋ったりしようもんなら、次は命はないてなあ?」
「は…はい!!分かりました…だから、助けてください…」
そして、涙で顔がグシャグシャになった学生の頭を乱暴に投げ捨てた。
「とりあえず、こいつらゴミな。その辺、捨てとけ」
「へい!」
担がれていく学生を眺めながら、もう一本取り出した煙草に火をつける。
「なあ?翼宿…その女、どないすんねん」
「ん?決まっとるやろが」
翼宿は不敵な笑みを浮かべながら、相棒を見やる。
「見つけて、ぶっ殺す」
狼の如く光る三白眼が、雷に照らされた。
校舎の窓ガラスを割られた件に関しては詳細不明にしてあるが、これはTSUBASAの仕業だと生徒はすぐに分かっていた。
しかも、不運にも割られたのは星宿クラスの教室の窓ガラスであった。
担任が一週間休暇を取る事になり更にこのような事態に見舞われた星宿クラスの生徒の面持ちは、すっかり暗くなってしまっていた。
『この学園の退学者がいるんだって。うちの兄ちゃんと同級生なんだけどさ、退学の恨みを晴らす為に復讐してるって噂よ』
『翼宿の奴…朱雀学園の事を何か知っているようだったのだ。わたしがこの学園の為に動く事が、気に入らないような事を言っていた』
TSUBASAの団長についての手掛かりになりそうな、二人の人物の言葉。
その言葉を頭の中で反芻しながら、柳宿は職員室に備え付けられている各教室の鍵の格納庫の前に立っていた。
目の前には、各教室名が記された札の下に同じく教室名が記されたタグが付いた鍵がかけられている。
美術室の掃除に使う目的の鍵は、既に左の掌にある。
しかし柳宿の目は、その中にある「資料室」と書かれたタグが付いた鍵に注がれていた。
右の掌には、その鍵と形がよく似た鍵が握られている。
柳宿は、この資料室の鍵と自分のロッカーの鍵をすり替えようとしているのだ。
ここに入れば、過去の卒業生の名簿が見られる。
上手く行けば、彼の過去の経歴を知る事が出来るのだ。
なぜこんな危険な事をしたいのか、自分でも分からない。
だけどあの日に猫に向けられていた彼の目を見た時から、そして先日に自分に向けられていた彼の目を見た時から、感じていた。
あの人の事が、知りたい。
理由よりもその本能だけが、自分をここまで突き動かしていたのだ。
資料室の鍵に手を伸ばして、そして、自分の掌の鍵を空になったフックへ…
鼓動が嫌に速くなり、思わず喉を鳴らす。
早く…早く、やらなければ…
「柳宿さん?」
「………っ!?」
背後から声をかけられ、慌てて格納庫を閉める。
振り返ると、同じクラスの玉麗がこちらをじっと見ている。
「な、何よ?いきなり、びっくりするじゃない…」
「あの…星宿先生が入院してた病院って、朱雀病院だったりしない?」
「どうして、そんな事…あたしに聞くの?」
「土曜の朝に、あなたが病院から出てきたところを見たの。あなた達、一緒にいたんじゃないの?」
見られていた。そう感じた時に、背中を嫌な汗が伝った。
星宿が翼宿に怪我を負わせられた事は、伏せなければいけない事実。
偶然、自分がそこに居合わせてしまった事も同時に隠さなければいけない。
「な、何、言ってるの?あたしも具合が悪かったから…朝イチで、診て貰ってたのよ!星宿先生の事は、何も知らないわよ…」
「…………」
「あたし、掃除があるから…行くね」
嫌な視線を感じながらも、そそくさとその場を離れた。
その掌に、美術室の鍵と…資料室の鍵を忍ばせて。
「………何よ。あの子、何かある訳?」
しかし残された玉麗は、柳宿が抱えている秘密を確かに感じ取っていた。
カラーンコローン
今日も終業の鐘が鳴り響き、生徒達が帰宅していく。
人気がなくなった校舎。西日が一際強く照りつける廊下に位置した教室の前に、柳宿はいた。
息を呑み、掌の鍵を鍵穴に差し込んだ。
するすると扉が開くと、少し埃っぽい臭いがする。
開校して15年程になる新しい学園だが、資料室の中にはそれなりの量の資料が並べられていた。
足音を忍ばせながら、目的の本棚を探し出す。
部活動入賞実績、就職実績、卒業アルバムと辿っていくと、一番奥にその本棚はあった。
学生名簿。そこには、退学卒業関係なくその年に在籍していた生徒の情報が載っている筈だ。
彼の容姿からすると、自分よりも2、3歳は上だろうか。
手近なところで、2000年入学生のものからめくっていく。
めくっている間も、心臓が拍動している。
知っていいものなのか、知らなくてもいいものではないのか。
知ってどうするのか、何かしてあげられるのか。
自問自答しながらも、導かれるようにページをめくる手が止まらない。
2000年入学生の中には、いない。2001年にも。
続いて、2002年に手を伸ばす。
4、5ページ程めくったところで、その手は止まる。
「………翼宿」
思わず、名前を呼んでしまった。
オレンジ色の髪の毛と三白眼はそのままながら、今よりも身なりを整えた彼の顔写真が載っている。
そして、経歴部分にはこう書いてあった。
「2004年6月:喫煙による校則違反で、退学」
ゴロゴロゴロ…
週末。その日の天候は、雷雨。それに構わず、繁華街は徐々に賑やかになる。
ガシャアアアン
その一角にあるTSUBASAの隠れ家に響いたのは、耳をつんざくような衝撃音だった。
今しがた、朱雀学園の制服を着た男子学生が二人、団員に殴り飛ばされたところだ。
彼らの足元には、退治用に持ってきたのであろう金属バットが転がっている。
「はははっ!そんなおもちゃで、俺らを倒そうとしたのかあ?笑わせるぜ!」
「窓ガラス割られて寒かったから、復讐しに来たんだろ?早くかかってこいよお!!」
バキッ!ドカッ!
数刻前、星宿クラスの生徒がこの場所を突き止めて襲撃を図ったのだ。
しかし、TSUBASAにとって無力な高校生は恐れるに足りない。
集団で暴行を受け、彼らは既に瀕死の状態だった。
「すまんな、翼宿。安静にせなあかんのに…」
「いや。ええ眺めや…」
翼宿の怪我を案じて絶対安静を命じていた攻児は、突然のこの騒動にすまなそうに横の翼宿に詫びる。
しかし座椅子に座った翼宿は、煙草を吸いながら満足そうにその光景を眺めていた。
「ったく…団長が振るった貴重なお見舞いがてめえらのクラスに当たったんだから、もっと誇りに思いやがれってんだ!」
程なくして気絶した学生の背中にどっかと座ると、一人の団員が煙草に火をつけた。
「お前…ら…団長がいなければ…どうせ何も出来ないんだ…もうすぐ…団長の正体を…突き止める奴が出てくるぞ…」
「はあ?」
隣で倒れていた学生の言葉に、その団員は眉を歪める。
「どういう意味だあ?このガキ」
「団長~誰かが、団長に探り入れてるみたいですぜ~?」
翼宿は煙草をくわえたまま立ち上がり、その学生の前に進み出た。
しゃがみ込むと、その迫力に学生はヒッと仰け反る。
「何や。聞き捨てならんな?もう少し詳しく聞かせてもらおか?」
「へっ…誰が教えるかよ…そのまま素性がバレて…警察に突き付けられるんだ…っっっ!!」
突然、翼宿の手が学生の髪の毛を引っ張り上げ、吸っていた煙草が彼の腕に押し付けられた。
「ぎゃあああっ!!!」
「…はよ、教えろ。俺も暇やないんや。お前かて、命惜しいやろ?」
「…ぬ…柳宿だよ!昨日…プリント落としたから拾ってやったら、その下に…お前の学生名簿のコピーが…落ちてて…そこで、あんたが…朱雀学園のOBだったんだって…知ったんだ」
柳宿。どこかで、聞いた事のある名だ。
そうだ。確か、この間の夜に見たあの女がそう呼ばれて…
事の次第を知った翼宿は口角をくっと持ち上げながら、学生に顔を近付ける。
「ええ事教えてくれた礼に、命だけは助けたるわ。けど、そこのガキにも言うといてくれるか?この場所喋ったり俺の経歴喋ったりしようもんなら、次は命はないてなあ?」
「は…はい!!分かりました…だから、助けてください…」
そして、涙で顔がグシャグシャになった学生の頭を乱暴に投げ捨てた。
「とりあえず、こいつらゴミな。その辺、捨てとけ」
「へい!」
担がれていく学生を眺めながら、もう一本取り出した煙草に火をつける。
「なあ?翼宿…その女、どないすんねん」
「ん?決まっとるやろが」
翼宿は不敵な笑みを浮かべながら、相棒を見やる。
「見つけて、ぶっ殺す」
狼の如く光る三白眼が、雷に照らされた。