TSUBASA

「君は…翼宿か。今日は、お前一人か?」
「ああ…あんたには、俺一人で十分やからな」
まだまだ冷たい春の夜風が、二人の間を吹き抜ける。
誰もいない駐車場で、あの日のように二人は一歩も退かずに互いを睨み合っている。
「フン…やっぱり、いけすかん目するんやな。俺らにそんな目する教師は、初めて見たで。今時、熱血教師なんぞ、時代遅れなんやないか?」
「そうかもしれないな…それでも、わたしはこの学園で教員になるのが昔からの夢だったのだ。それが叶った今、この学園の為なら何でもやる」
「この学園の為なら…か。そんなに、ええ学園やろか?こんなところ…」
「どういう意味だ?君は、この学園に何の恨みがあって…」
その問いには答えず、翼宿は手元の鉄パイプを静かに突き出す。
「俺を怒らせた代償は、重いで。何なら、俺がやっと叶ったお前の夢を、今からぶち壊したってええんや」
「………………」
「まあ、今、ここで土下座するんなら、その顔に傷付けるくらいで許してやってもええけどな…」
しかし、次には星宿も車の後部座席から護身用の竹刀を取り出した。
意外な反応を見せた相手に翼宿は眉を持ち上げるが、ニヤリと口許を歪めた。
「はは…見上げた根性や。そうやな…新任教師は、そうじゃなくちゃな」
「君がその気なら、わたしは君の暴走を止める義務がある。この学園を護る為に…な」
「後悔…すんなや」
一瞬の沈黙の後、二人は同時に飛び掛かった。
「おら!」
ガン!!
翼宿の鉄パイプが星宿の鳩尾を捉えようとするが、それは彼の竹刀によって遮られた。
「自分…何か、やってたんか?」
竹刀で鉄パイプを押し戻され、一旦離れた翼宿は体制を立て直した。
「一応、剣道部県大会1位だったからな…体が、まだ覚えている」

その言葉に、翼宿の脳裏にある記憶が蘇った。
星宿がストレートで教員になれたのだとしたら、彼は自分の学年のひとつ上。
ひとつ上に剣道が強い先輩がいた事は、校内でも有名な話だった。
しかし、そんな事など言える筈がない。

「そうか…強い男は…嫌いやないで」
だから代わりにそんな言葉を吐き捨てて、もう一度彼に飛び掛かった。
ガン!!
「…………っく!」
次には鉄パイプの勢いに押され、星宿は校舎の壁にしたたかに背中を打った。
「せやけどな…俺かて、この世界で足掛け3年やってきた男や。学園卒業してブランクがあるあんたには、ちょっと不利な相手やで?」
背骨に痛みを感じながら自身の体を竹刀で何とか立て直した星宿も、同じ事を考えていた。
翼宿は言ってしまえばまだ現役であり、自分は当然ブランクがあるのだ。
それでも、もう一度、竹刀を構え直した。
「………気が済むまで、来い。それで、お前の気が済むなら…」
「さよか…なら、死ねや」


「え…?」
ワンワン!
ちょうどその頃、犬の散歩をしていた柳宿が気配を感じて振り向いた。
振り向いた先には、散歩コースの通り道の向こう側にある朱雀学園が見える。
バイクの音も何かを壊す音も聞こえないのだけれど、嫌な悪寒がした。
ワン?
「コロ…ごめん。ちょっと、寄り道していいかな?」


ドカッ!
「ぐあ…」
劣勢だったのは、星宿の方だった。
鉄パイプを受け止めるのに必死になり、その隙をつかれて隠し持っていた相手のナックルで頬を殴られたのだ。
「くっ…ははははは…」
突然、翼宿は悪魔のような声をあげて笑い出す。
「いやいや…驚いたわ。あんたみたいなスタミナの持ち主、同じ業界でもそうそうおらへんで?星宿先生」
「はあ…はあ…」
最早、息を切らすので精一杯の星宿の髪の毛が、翼宿の手によって乱暴に掴まれる。

「楽しかったけど…そろそろ、終わりやな。あの世で、身の程を知れ」

しかし、そこで星宿の口許が歪んだ。
「なに…!?」
「お前こそ…隙だらけだよ」

バキッ!

「ぐっ…!!」
突如、右腕を閃光が走るような痛みが襲った。
ふいをついて、星宿の竹刀が翼宿の右腕を打ったのだ。
咄嗟に腕を抱えて、彼から離れる。
「お前…」
「相手の気を探るのも…剣道の心得だからな」
「…………」

「お前のようなタイプは、気を保つ事が苦手だろう?」

顔を傷だらけにしても、なお、平静を保つ星宿の姿に、頭に血が上った。
そんな事はない。自分の落ち着き払った態度は、TSUBASAの中でも尊敬されていた。
一瞬の油断をこの男に指摘されただけで、無性に悔しい。

「………あああっ!!」

バン!バン!バン!
翼宿は、叫びながら側の教室の窓ガラスを割る。

「死ねやあ…!!この雑魚教師!!」

そして、もう一度、動けなくなっている星宿に近寄ろうとしたその時。

ワンワン!
「何、してるんですか!?」

女の声が、聞こえた。
動きを止めて相手を凝視すると、紫色の髪を纏った少女が犬を連れて立っている。
「柳宿…!?来るな!来るんじゃない!」
そこで、初めて翼宿と柳宿の目が合う。
男の怒りに満ちた三白眼を見て、女の垂れ目がちの大きな瞳が強張った。
「………っ」
しかし鉄パイプを振るえる右腕には、既に激痛が走っている。
これ以上の暴走は、不可能だ。
それを瞬時に察した翼宿は舌打ちをすると、側のフェンスを飛び越えて逃げ出した。

「星宿先生!しっかりしてください!」
力尽きた星宿の体を支えたのは、駆け寄った柳宿の腕。
足元では、柳宿の飼い犬も心配そうに彼を見上げている。
「柳宿…わたしは…助かったのか?」
「はい!もう、大丈夫ですよ!先生…もしかして、あの団長と一人で!?」
「そうか…お前達を…学園を…護れたんだな。それなら…わたしも、本望…」
「先生!?先生!!」
そこで、星宿は意識を落とした。


ガタガタ…ッ
「翼宿!?」
「団長!どうしたんですかあ!?」
その数刻後、翼宿はTSUBASAの隠れ家に戻ってきた。
苦痛に顔を歪ませながら右腕を押さえている団長の姿に、攻児をはじめ中にいた者は、皆、驚く。
「誰に、やられたんや!?お前に怪我させる奴なんぞ、どこに…!?」
「朱雀学園の…星宿とかいう…ふざけた教師や」
「え…?」
彼の口から飛び出した意外な相手の名前に、その場が静まり返る。
「くそ…!!あんな屑に…この俺が手こずるなんて…」
「翼宿…とりあえず、手当てや!お前の敵なら、俺らが取ってやるから…」

「………んな事、せんでええ!!」

次に響いた怒号には、さすがの攻児も体をびくつかせた。
「あの学園には…あの教師には…必ず、俺がとどめを刺す…!!余計な事、すんなや!」

「なあ?一体、何なんだ?団長が、あそこまで朱雀学園に固執する理由って…」
「それは、副団長しか知らねえ事だ。だけど噂では、昔、あの学園の教師に団長が酷い目に遭わされたらしいって話だ。まあ、深入りしない方がいいぞ」
そんな団長の姿を遠くに見ながら、ある団員はこんな話を耳打ちしていた。



「………、………」
「星宿先生!」
どれくらい、時間が経っただろうか。
そっと目を開けると、白い天井に白い寝台。横には、自分の生徒・柳宿が見えた。
「ここは…」
「病院です!先生…もう、大丈夫ですよ」
「柳宿が…運んでくれたのか?」
「…はい」
まだ重たい体を持ち上げると、包帯がきつく巻かれた体が痛む。
それでも、目の前で慌てる柳宿に向かって精一杯頭を下げた。
「すまない…生徒に、こんな事をさせるなんて…」
「…いいんですよ、先生!言ったでしょ?あたしの夢は、看護婦になる事だって。目の前に怪我人がいたら、放っておけませんよ」
「………………」
「でも…あのまま、あたしが来なかったら…先生、死んでましたよね」
「…柳宿」
翼宿の殺意は、遠くから見ていた柳宿にも十分に伝わっていた。
星宿から見ても、本当に鬼のような形相であり目を見張るような強さだった。
朱雀街一の極悪人。そう呼ばれても、頷ける程に。
星宿は唇をくっと噛むが、その後はいつもの穏やかな微笑みを向けた。
「気にするな…お前のお陰で、助かったのだからな。本当に、ありがとう。だが、この事はくれぐれも生徒には口外しないようにしてくれるか?」
「それは、もちろんです!先生も、もう絶対に無茶しないでください!あいつに目をつけられたのは間違いないんですから、人目がつく内に帰るように…」
「そうだな」
「もう少し…寝ていてください!」
体を労るようにと、柳宿の両手が星宿の肩を押した。
その行為に、また、星宿の口許に笑みが零れる。
「お前は、いい看護婦になりそうだな」
「そ、そんな…」
両手を振って照れるような仕草が、また可愛らしい。
そんな彼女の愛くるしさに安心したのか、いつしか自分の口からはこんな言葉が漏れていた。

「翼宿の奴…朱雀学園の事を何か知っているようだったのだ。わたしがこの学園の為に動く事が、気に入らないような事を言っていた」
「………っ?」

「確かにこれ以上…接触するのは危険だが…このままではいけない…気がした…彼に心の闇があって…それがあいつを突き動かしているのなら…わたしは教師として…それを救ってやるべきなのかもしれない…」
しかし、それ以上、言葉は続けられなかった。
連日の残業と先程の乱闘でぐったりと疲れた体は、いつしか再び星宿の意識を落とした。

「…………………」
残された柳宿の思考は、ある終着点に辿り着く。

初めて、彼と目が合って。
そこには、以前のような恋慕に似た情は沸かなかった。
あの日、子猫に餌をあげていた人物は別人ではないかと思う程に、怖かった。本当に、怖かった。
本当は、もう二度と関わりたくない。…だけど。
翼宿。あたしは、あなたの事が………知りたい。


「もう~玉麗!外出前は、薬の予備を確認しなさいとあれほど言ったでしょう!?」
「ごめんごめん、母さん!」
「こんな朝早くから病院に来たら、先生もびっくりするでしょうに…」
翌朝、星宿が運ばれた病院の前に一台の車が停まった。
車の助手席に乗る少女は、玉麗。同じく、星宿クラスの生徒だ。
何も事情を知らない彼女は、常用薬の予備を貰いに早朝からこの病院を訪れていた。
しかし車のドアを開けた時に、一瞬、その動きは止まる。
「あれ…?あの子…」
病院の裏手の夜間入口から、見覚えのある紫髪の少女が出てきた。
彼女は、確か、同じクラスメイトの…
「柳宿さん?」

後に知る事となる星宿の怪我で玉麗の中にとんでもない疑惑が浮上するなど、この時の星宿にも柳宿にも…翼宿にも。
気付く余地など、なかったであろう。
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