TSUBASA

Pllllllll
誰もいない職員室の中、星宿は備え付けの電話から誰かに電話を繋いでいる。
『もしもし』
何回かのコール音の後、彼女の声が聞こえた。
「柳宿か?お前…大丈夫か?」
『先生こそ、大丈夫ですか?尾宿に、何も嫌がらせされてないですか?』
「わたしは、全然…それを言うなら、お前の方が!…すまない。全て…わたしのせいだな」
『謝らないでください…あたしは、いいんです。もしかしたら、これが彼らに関わった制裁なのかもしれないから…』
「そんな事はない!待ってろ!お前の無実は、わたしが必ず証明してやるから…」
『ねえ。先生…こんな時に話す事じゃないんですけど』

『あたし、あの日の夜に翼宿に抱かれたんです。だけど、後悔はしてません。先生にはたくさん迷惑をかけたけど、多分、あたしはあの人の事をずっと忘れられないと思います』

今にも消えそうな彼女の声が語る純愛。
それすらも護ってやれない今の自分の無力さに、星宿は机にのせた拳を握り締めた。


二人の状況を覆す出来事は、数刻前に起きた。
柳宿の誘拐騒動が起きた次の日、その騒動自体は公になってはいなかった。
だが校長室に呼び出された星宿は、そこで別の形の騒動を知らされる事になる。
「これは…どういう事ですか!?」
「星宿先生。それは、こちらがお聞きしたいのですが」
校長不在の今、代理として任命されている尾宿教頭と教員星宿は、高級なソファに向かい合い座っている。
ソファに挟まれているローテーブルの上には、何枚かの写真。
それらには、全て、星宿と柳宿の二人が映っている。
あるものは向かい合って座っている写真や柳宿を自分の家まで運んでいる写真、更には彼女に触れてしまったあの日の写真まである。
「これを提出してきた生徒は、あなたと柳宿さんの間に何らかの関係があるのではないかと言っていました。これらを見る限り、わたしもそう思いますがね?」
「誤解です!彼女とは、何も…これは、彼女が個人的に悩んでいる事があり…協力出来ればと…した事で…」
言葉の途中で真実を話しているのに説得力に欠けていると気付き、語尾が弱くなる。
「ほう?個人的に悩んでいる事とは、何だね?」
そしてこう問われると、そう簡単に答えられない事情だとも悟る。
「…まあ、分かりますよ。彼女は、学年一の美人だ。教員が赴任一年目で魔が差すには、十分すぎる相手です」
「………っ」
「ちょっと今回は失敗しましたが、男としての気持ちは理解できますよ。星宿先生」
彼女に好意があるのは、事実。
それに誤解されるような行動を起こしたのも、大半が自分からである。
だからこの言葉に、観念してぐっと唇を噛んだ。
「分かりました…処分なら、いくらでも受けます…」

「いいや。君は、何も責任を取る必要はない」

しかし、次にかけられた言葉に思わず顔をあげた。
「え…?」
「わたしも、色々と考えましてね?あなたのような若くて有望な教員をみすみす手放すのは、惜しい。実際、これを提出してきた生徒も、あなたの今後を心配していました。あなたは、これから朱雀学園を変える大きな架け橋になると期待されている。そのため、処分は柳宿さんのみにする事にしました」
「な…何を言っているのですか!?彼女は、わたしに疚しい事は何もしていないんですよ!?」
彼女の思い人は、今も昔もあの恋敵。思わず立ち上がり、声を荒らげてしまう。

「だけど、教師…辞めたくないでしょう?大丈夫…彼女なら、他にいくらでも道はあります。いくらでも…ね」

これ以上抵抗しても、尾宿は決断を変える気がない。
これが、彼のやり方。
三年前に、翼宿を追い込んだ件と同じやり方なのであった…



朱雀街の繁華街は、今日も変わらぬ賑わいを見せている。
柳宿の誘拐騒動から、はや一ヶ月が過ぎようとした頃。
あの日に彼女と決別した男は、とあるホテルのベッドルームに体を横たえていた。
「やっと…その気になったのね?翼宿」
彼の上に馬乗りになったのは、あの日の騒動の直前に愛し合ったキャバ嬢の女性。
「ずっと連絡くれないんだから…今日たまたまあなたを見かけなかったら、この先二度とこうして抱き合う事も出来なかったわよね…」
彼女は道端で缶ビールを片手にふらついていた翼宿をたまたま見つけ、抵抗しない彼をそのままホテルへ連れ込んだのだ。
相変わらず黙ったままの翼宿の服のボタンを、女性の手がゆっくりと外していく。
「ねえ…久々に見せてよ。激しいあんたを…」
翼宿の頬に手を添え、そっとキスを求めると。

「――――――――――!!」
バサッ

翼宿は目が覚めたように、その女性を咄嗟に引き離した。
「翼宿…?」
「…………」
「何よ…女でも、出来た訳?」
「今日は…帰る」
そう。この日だけではない。
この一ヶ月、翼宿は女と触れ合う事をこうして拒み続けてきた。
あの日のキスが………消えない。


カタン…
深夜2時。翼宿は、静まり返った隠れ家の階段を登る。
今日も、攻児と団員は仕事に出ている。近頃の彼は、待機をサボって夜の街をふらついていた。
その度に昔の遊女に声をかけられ今日と似たような状況までは持ち越すものの、こうして後味の悪い帰りになるのである。
飲み屋の前に辿り着くと、扉の前に人影が見える。
「…誰や?」
怪訝そうに翼宿が問うと、その影はこちらを向いた。
長い髪の毛をひとつに束ねた学園の先輩…星宿の姿だった。
「星宿…」
「久しぶりだな、翼宿」
「何しとんねん…こんな真夜中に」
「お前に話があってな…」

初めて入る暴走族の隠れ家に最初は足が竦んだようだが、星宿は翼宿に向かい合って座った。
「何しに来たんや?お宅には、もう迷惑かけてへんつもりやけど」
翼宿は、煙草に火をつける。
「いや…今日は…」
「…あいつの事か」
星宿は申し訳なさそうに、手を組んだ。
「あのな…あれから、一ヶ月やで?あんたかて、教師なんや。あいつの事好いとるんは勝手やけど、いつまでも一人の生徒のプライベート関わってたら仕事に身入らんとちゃうんか?」

「柳宿は、今、自宅謹慎中だ。恐らく、もうすぐ…退学を命じられる」

「えっ…?」
予想外の言葉に、翼宿が口から離した煙草の灰が足元に落ちた。
「わたし達が交際関係にあると、学校に誤解された。不順異性交遊として処理され、生徒の柳宿を処分するという事になったのだ」
「………………」
「それどころか、処分が下るのは柳宿だけでわたしには何の罰も下らない。本来、処分されなければいけないのはわたしの方なのに、立場が弱い柳宿だけを追い込もうとしているのだ。この一ヶ月、彼女に関わったのはわたしの方だと何度も釈明したのだが、校長が不在の今、教頭の尾宿先生に決定権があり、結論を覆さないのだ」
「チッ…あのブタ、今も相変わらずロクな判断出来ないんやな」
強い者にはひれ伏し、弱い者には執拗な仕打ちをする。
三年前に自分が知る尾宿のやり方と、全く変わっていない。
翼宿は、小さく毒づき舌打ちをした。
「…皮肉な話だろう?柳宿には、卒業後まで手を出さないと決めていた。だがそんなわたしの中途半端な態度が、彼女を追い込んでしまったようだ」
小さくなって俯きそう語る星宿の姿は、まるで自分から敗北を認めたかのようにさえ見えた。
だが、だからといって、自分の立場では出来る事は何もない。
「愚痴は…それだけか?」
「え?」
「気が済んだなら、とっとと帰ってくれんか?」
だから次には冷たくその空気を一蹴し、煙草を灰皿に押しつけた。
だが、向かいに座る男が動く様子はない。
「………なあ。お前自身は、もう何ともないのか?」
「は?」
そして、次に返された言葉に呆気に取られたのは翼宿の方だった。
「きちんと、自分の生活に戻れたのか?今だって、どこに行っていた?」
荒れたような目つきで帰ってきた翼宿の姿に、星宿も彼にいつもと違う何かを感じていたようだ。
「そりゃ、女食い荒らしとったに決まっとるやろ。俺は、一人の女に固執するタイプじゃないんでな」
そんな心中を悟られた翼宿は、それでも目を反らしてこう答える。
「嘘をつくのが、下手だな…お前は」
「おい…お前、どこの誰に口聞いて…」

声を荒らげる翼宿に向かって、星宿はそこで頭を下げた。
「恐らく、明日、柳宿の退学を報告する全校集会がある。翼宿!頼む…柳宿を学園へ戻してくれ」
「……………っ……………」

「お前も聞いただろう?柳宿は看護師を目指してる、優秀な生徒だった。彼女の夢を閉ざしたくはない…」
「分かってるやろ。俺は、もうあいつとは縁は切った。あいつが、この先、どんな目に遭おうが、俺には関係ない」
星宿の言葉を遮るようにそう吐き捨てると立ち上がり、窓際に視線を移す。
「それに、あんたらが俺らと関わりがあった事がバレたら…それこそ、まずいやろ…」
それ以来口をつぐんでしまう翼宿に観念したのか、星宿も立ち上がり背を向けた。
「悪かった…余計な気苦労をさせてしまったな」
「…………」
「だが、最後にひとつだけ言わせてくれ」

「…翼宿。柳宿の心は、今もお前のものだよ」
「…っ…」

それは、一番、聞きたくなかった言葉だったかもしれない。


星宿が扉を開けると、その先には攻児が立っていた。
「先生。お疲れさん」
彼に微笑みかけられた星宿は、黙ってその場を後にする。
「攻児…早かったやないか」
「急に、お前と深酒したくなってな」
攻児は作り笑顔のまま、缶ビールを二本机の上に置く。
何の話かは、察しがついた。

時計の秒針の音が、部屋に響く。
二人は黙って、互いの缶ビールに手をつけずに向かい合っていた。
「今日だけとちゃうやろ?お前、この一ヶ月、待機につくと必ず隠れ家抜けてたよな?全部見てたで」
攻児はあれ以来の翼宿の様子が以前よりも荒れているのに気付き、しばらくは自分が現場を指揮して翼宿の待機を多くして時々隠れ家に寄っては彼の行動を監視していたのだ。
「……………」
「お前が決めたんちゃうんか?サツにバレても揉み消せるように、隠れ家には必ず待機をつけとくって」
「………すまん」
何も否定せずに素直に謝る翼宿の姿に、攻児は深くため息をついた。
「こんなん言いたくないけど、お前ずっと彼女の事…」
「攻児!!」
しかしこの言葉をかけると、彼はすぐに逆上して声を荒げた。
初めて目の当たりにする、冷静沈着な暴走族の長の感情に任せた子供のような態度。
そうして誰にも素直にならず自分の気持ちに鍵をかけて、結果、自分を苦しめているその態度。
兄心にそんな翼宿の哀れな姿に思わずカッとなり、気付けば相手の胸ぐらを掴んで思いきり床に叩きつけていた。

ガターーーン!!

「嘘つくな!!お前…約束したやろ!?どんな事があっても、この仲間内では嘘はついたらあかんって!!」
「……………」
「お前がどんなに否定してもなあ!!お前の気持ちは、あの日から…もうここには、TSUBASAにはないんや!!」

柳宿にキスされた日。柳宿と肌を重ねた日。
本当は、翼宿は初めて彼女と生きたいと思ったのだ。
何をしていても、彼女の顔が頭から離れない。
これが恋なのだと分かっていながら、それでも無理してTSUBASAにいようとしたのだ。

「攻児…俺は…」
「おめでとう…翼宿」
「えっ…?」
胸ぐらを掴む手はそのままに、攻児は穏やかな微笑みを向けていた。
「お前は団長やけど、ずっと弟みたいに思ってた…お前が幸せになるのが、俺は嬉しい…」
「攻児…」
「だけどな。大事な居場所を見捨ててまで、いつまでもTSUBASAにしがみつくもんやない…」
「…………っ…………」
出会って3年。自分を支え続けてくれた居場所との別れを感じ、翼宿は思わず嗚咽を漏らした。
そんな小さな背中を抱き込んで、攻児は低い声で告げた。

「今まで、ありがとな…翼宿。TSUBASAは、畳む」

それは、彼がずっと心に秘めていた決意だった………
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