TSUBASA
ザーーーーー
雨は本降りになり、雨粒が倉庫の屋根に激しく打ちつけているのが分かるようになった。
幽閉者は、その中でただじっと助けが来るのを待っている。
何度か隣の柳宿の細いため息が聞こえるため何か話したいのであろうが、自分が怒り出すかもしれないと思っているのか中々口を開けずにいるようだ。
このまま黙っていればいいのだがその沈黙を破ったのは、燻っていた胸の内を吐き出した自分のこんな毒づきであった。
「………ったく。元はといえば、星宿のせいやで。お前がこんな目に遭うたのは」
「………、………え?」
「お前ら、夕方、一緒やったやないか。せやから、俺も安心したいうに…」
「………やっぱり、見てたんだね」
そこまで吐き出して、うっと言葉を詰まらせた。
チラと見やれば、こちらをじっと見つめてくる顔が見える。
「ねえ。どうして、学園に来るのやめたの?」
そして問われたくなかったこの一言に、鼓動が揺れた。
それでも唇を噛み、ふいと目を反らす。
「…気まぐれや。お前のカーディガン届けた時に星宿ともマトモに会話してもうたし、行きづらくなったんや」
「………そうなんだ」
そして、また訪れる沈黙。
攻児…早く来てくれ。お願いだ。
翼宿の頭の中では、こんな言葉が連呼されている。
「ねえ」
「…………っ」
そして、袖をくいと引かれた。こんな行動にも、戸惑う。
しかし次の言葉で、自分は柳宿と目を合わせる事になる。
「他の危ない事も、やめない?」
「………ああ?」
やっと自分を見てくれた事に安心したのか、柳宿は袖を掴んだ手を離して一拍置いた。
「危ないよ…翼宿も他の人達も…」
「………………」
彼女がずっと胸の内に秘めていた事は、翼宿にも痛いほど分かっている。
だけど、その気持ちにだけは答える訳にはいかない。
足元を見つめながら、静かに口を開く。
「それは、できん」
「………翼宿」
「TSUBASAは、俺の大事な居場所や。ずっと護り続けていくって、決めた」
「それは分かる…分かってるけど!」
「……………?」
「じゃあ、時々、見せる優しくて寂しそうな表情は何なの?」
「…………は?」
「あたし、あんたを初めて間近で見た時が子猫に餌をあげてた時だったの。あの時の翼宿、とても優しい目をしててだけど寂しそうにも見えた」
「っっっ!」
その言葉に、耳まで真っ赤になっていくのが分かった。
人前では冷酷を保ってきた翼宿は、そんな表情を見せる事はない。そうか。だから、この女は。
「それに、こないだの夜だって…」
「それ以上喋ったら、犯すで」
本当に実行するつもりはなかったが、これ以上自分の中の『善』について語られるのは堪らない。
それを察した柳宿は、また黙り込んで俯いてしまう。
だけど、安堵したのも束の間。
「翼宿…あんた、ホントは寂しいんじゃないの?全うな人生を奪われて犯罪を続ける事しか出来ない自分が、虚しく感じているんじゃないの?」
「………………っ」
「あんたはそうやって誤魔化してるけど、あたしには分かるの!あんたの中には、三年前に持っていた優しい心があるって…」
「…………黙れ」
この世界で、胸の内を読まれた事は一度だってない。胸の内を読まれたそんな言葉なんて、聞きたくない。
それでも、女神はなおも語りかけてくる。
「あたし、その翼宿がまだいるならその翼宿に会いたい…会いたいよ…」
そして、我慢は臨界点を超える。
ガンッ!
言葉の続きを遮ろうと、空いている片側の壁を叩きつける。柳宿の体が竦んだ。
「お喋りも、ええ加減にせえ!お前には、関係あらんやろうが!何で、そんなに突っ掛かんねん!赤の他人の俺なんかに………」
いつも通りの凄みを利かせた声で、相手を一喝しようとした。その時。
柳宿の手が、翼宿の腕を掴んだ。
無理矢理振り向かされたその肩に手が添えられたと思った時には、彼女の唇が自分の唇に重ねられていた。
ピチャーー………ン
長い間行われていた口論がほんの数秒止まっただけなのに、その時間が二人にはとても長く感じられた。
「………これで………分からない?」
少しだけ唇を離した後、吐息がかかる距離で脱力したように囁かれる。
見下ろせば、直視しないようにしていた瞳が、肌が、唇が、こんなにも近くにある。
それどころか長い睫毛の端からは、再び堪えきれなくなった涙が見えた。
「………、………好きなの。翼宿」
今までだって、何度も情熱的な女に告白されてきた。
それは見返りを求めてくるような告白ばかりだったけれど、この告白は違う。
見返りなんて求められない立場から訴えかけてくる、純粋な愛。
「あんたもあたしも…危険な目に遭うのは分かってる………だから、あたしだって………どうしたらいいのか分かんない………」
「………………」
「何度も何度も、諦めようと思った…だけど、優しいあんたを見る度に…諦められなかったの。だから…あたしは、今でも……………っっ!!」
言葉は、続けられなかった。翼宿は柳宿の唇を捕らえて、そのまま床に押し倒す。
貪るような接吻に戸惑いながらも応えていく柳宿に、翼宿の理性は止まらなかった。
その間にも手元を器用に動かして、彼女のブラウスを左右に押し広げる。
そこで、翼宿は顔をあげた。
「………なら」
「え………?」
「なら、ここで本気で抱かれても…お前は、本望なんやな?」
その言葉に、柳宿の肩が竦んだ。潤いを持った瞳が、ほんの少し恐怖に揺れる。
だが、次には彼女の右手が自分の左手を掴んだ。
ハッキリと頷く前に、その薔薇色の唇がまた容赦なく喰らわれた。
バシャバシャ…
「降ってきたなあ…兄貴。この後、どうする?」
「明日も、仕事だからな。お前の大学の愚痴はもう聞き飽きたから、この辺でお開きだ」
「ちぇ…兄貴はエリートだから、俺の気持ちが分からないんだよ」
朱雀街のとあるバーから出てきたのは、飲みに来ていた星宿とその弟だった。
久々に兄弟で語らい、星宿は心地よい時間を過ごす事が出来た。
もちろん、最近、頭を悩ませているあの生徒についての話は抜きにしてではあるが。
「んじゃ、兄貴は徒歩で帰れるんだろ?俺、電車だから」
「ああ。また、連絡するよ」
バーの前で別れた星宿は、時間を確認する。時刻は、午後九時。
「柳宿………ちゃんと、帰れただろうか」
そんな事を呟きながら、自分も帰路に就こうとした時。
カンカン…カン!
古びた階段を駆け下りるような音が聞こえて、ふとそちらを見やった。
何軒も連なるビルの中に埋め込まれているように建った、寂れたビル。
その階段口から、一際背が高い男が慌てて飛び出してきたのだ。
「あの男…」
彼の姿に、星宿は見覚えがあった。
そして彼らしからぬ慌てぶりに悪寒を感じ、すぐさまその後を追いかけた。
ドルンドルンドルン…
ビルの裏手にある今は使われていない駐輪場に停めていたバイクのエンジンをかけると、攻児はアクセルを吹かした。
しかし発進しようとしたところで目の前に黒い影が現れ、慌ててブレーキをかけた。
「っっ!ドアホ!んなトコ突っ立って、何して…!」
「そんなに急いで、どこへ行く?」
しかし次にかけられた声に、思わず体を強張らせた。
目の前にいたのは、あの学園のあの教師。
「………お前」
「確か、翼宿の側近にいた男だな。今日は、団長や他の仲間はどうしたんだ?」
「お前なんかに、教える義理はあらん…」
しかし自分の中にある止まらない焦りが表情に出たようで、それを見ていた星宿も眉を潜めた。
「まさか…翼宿に、何かあったのか?」
「ええから、はようどけ!一刻も早く、翼宿を…」
「なら、わたしも連れていけ」
「はあ!?何、言うてんねん!雑魚教師が!轢き殺すぞ!」
どんなに暴言を吐いても、星宿の凛とした瞳は変わらない。そして。
「連れていかなければ、お前らの居場所を警察にばらす」
「……………っく」
自分より遥かに賢い男に言われた最後通告に、攻児は観念したように項垂れた。
「………あっ………く………あ………」
空(くう)を蹴り上げる裸の脚を押さえつけて盲点を何度も攻めれば、彼女の体が跳ねた。
正直に声をあげる柳宿は、自分の舌先に蜜をたっぷりと与えていく。
「たす……きっ……やあ………あっ………!」
それに応えようと更に奥へ奥へと追い立てれば、彼女はまた何度目かの絶頂を迎えた。
「はあ………はあ………はあ………」
痺れた全身を捩りながらしがみついてくるその姿は、今まで抱いてきたどの女よりも可愛らしい。
だがその理由は、決して処女を喰っているからではない。
『柳宿だから』可愛いのだ。
すると艶のある髪の毛の隙間から、ナイフを突きつけられた時に出来たのであろう傷が見えた。
首筋にそっと触れると、敏感になった柳宿の体が竦んだ。
「………痛いやろ」
「………翼宿」
「止血せなな」
「やめて………あっ!」
舌先で優しく撫で上げて更に深く口付けると、すぐにまた柳宿は達した。
羞恥でどうしようもなくなり自分の動きを止めようとする腕を押さえつけながら、更に激しく彼女の肌を求め続ける。
程なくして十分に潤んだ場所と合体するのは、難しい事ではなかった。
しかし奥まで突くと、腕に柳宿の爪が食い込む。
「…………怖い………んやな」
「………………っ」
「俺が………怖いんか?」
しかし結合を緩めずに見下ろした顔は、必死に首を横に振っている。
その瞳は、初めての感覚に恐怖しながらも自分とひとつになる事を望んでいた。
「ホンマに…………お前みたいな女は………初めてや」
そして、こんな自分もきっと初めて。
嘲笑すると、何度も何度も柳宿の中を突き始めた。
倉庫内に響き渡る彼女の甘い叫びに、聴覚を刺激されながらーーー
「柳宿を、囮にされただと!?」
朱雀埠頭へ向かうバイクは、攻児と星宿を乗せていた。
その最中、星宿は攻児から何があったのかを聞かされていた。
「ああ…俺らに因縁つけてる暴走族がおってな…多分、あいつと柳宿さんが一緒にいるところを見られたんやろ。一足、遅かったようや」
攻児とて、柳宿が嫌いな訳ではない。彼女を巻き込んでしまった悔しさに、ギリリと唇を噛む。
「翼宿かて、大人数相手に喧嘩した事ないんや。それに、柳宿さんかて…間に合えばええけど…」
角を何本か曲がれば、海が見えてくる。朱雀埠頭は、そう遠くはない。
先を急ぎながらも、攻児は後ろに乗る教師にこんな言葉をかけた。
「なあ…先生。あんたは、どう思う?あの二人の事」
「え…?」
「俺は、めちゃくちゃ反対やで?今の状態で付き合おうもんなら今回みたいな事が日常茶飯事やし、あいつもそれを恐れとったんや。だけどな、それはあいつの本音やないと思うねん」
「………わたしも、そう思うよ」
「せやから、俺は…あいつが望むなら、この族を畳んでもええって…思うとる」
「………攻児」
しかし、そこで会話は中断された。
朱雀埠頭のA倉庫。そこに、辿り着いたのだから。
制服を元通り着込んで身なりを整えた柳宿は、ほんの少し震える手首を握った。
背後では、既に身繕いをした翼宿が煙草を吹かしている。
二人とも互いの顔を直視せず何も言わず、もうすぐ来るであろう助けを待っていた。
そして、もうすぐ来るであろう別離の時をーーー
「………翼宿!!」
そんな事を考えていると、シャッターの外からその沈黙を破る声が聞こえてきた。
「そこに、おるんか!?」
「………ああ」
「よし!今、こじ開ける!鍵、かかってるんやな…」
程なくして、庫内に鍵を壊すような音が響いてくる。
「…………分かってるやろな?」
その音と重なるように、翼宿は小声で柳宿に告げる。
柳宿は、依然、黙ったまま。
「もうすぐ、俺らの関係は完全に終わる」
そして次にかけられた言葉に、我慢していた涙が零れ落ちた。
翼宿は、自分の愛に答えてくれたのかもしれない。短い時間だけ、本当に愛し合えたのかもしれない。
だけど………それは、長くは続かない事。柳宿も、分かっていた。
ガシャ………ン!
鍵が、壊された。時は、来る。
ガラガラガラ…
シャッターが開いた向こう側、攻児と星宿の姿が見えた。
「翼宿!!」
「柳宿!!」
それぞれが、案じていた人物の元へと駆け寄る。
「無事やったんやな…よう頑張ったで、翼宿!」
「ったく…遅いんじゃ、お前は。正直、キツかったんやからな………てて」
「怪我しとるんか?ほな、捕まれ!」
そこで攻児は翼宿の足の傷口に綺麗に巻かれたハンカチの存在に気付いたが、特に触れずに相棒の肩を担いだ。
「柳宿…平気か?」
星宿もまた、項垂れている柳宿の肩にそっと手を置く。
が、その異変にはすぐに気付けた。
頬を伝う涙はそのままに、彼女は強く唇を噛み締めている。
そして消えそうな声で、背後の人物に最後の望みを吐き出す。
「攻………児さん」
その声に、攻児は立ち止まった。柳宿は、振り向かない。
だが、次の言葉はハッキリと耳に届いた。
「翼宿を………連れていかないで」
ピチャー………ーン………
誰もが感じた、翼宿への柳宿の愛。彼と一緒にいたいという、彼女の望み。
だが。
「………行け」
「翼宿………せやけど」
それを振り切ったのは、やはり翼宿だった。
そして、彼は一度だけ二人を振り返る。
「………星宿先生」
声をかけたのは柳宿ではなく、呼称を付けた星宿。
予想外の声掛けに、星宿は返事をするのを忘れた。
「ちゃんと、見てやってくださいよ?これ以上…こいつが、俺らの世界に入り込まないように」
そして次にかけられる言葉に、首を横に振る理由はなくて。
「………………分かった」
一言そう返せば、二人は歩き出した。
だけど、この時、翼宿も柳宿も同じ事を考えていた。
理性を脱ぎ捨てて愛し合えた時間に、一瞬でも幸せを感じる事が出来た。
例え、この先に別離が待っていたとしてもーーー
柳宿のすすり泣く声は、激しくなる雨音にかき消されていく………
雨は本降りになり、雨粒が倉庫の屋根に激しく打ちつけているのが分かるようになった。
幽閉者は、その中でただじっと助けが来るのを待っている。
何度か隣の柳宿の細いため息が聞こえるため何か話したいのであろうが、自分が怒り出すかもしれないと思っているのか中々口を開けずにいるようだ。
このまま黙っていればいいのだがその沈黙を破ったのは、燻っていた胸の内を吐き出した自分のこんな毒づきであった。
「………ったく。元はといえば、星宿のせいやで。お前がこんな目に遭うたのは」
「………、………え?」
「お前ら、夕方、一緒やったやないか。せやから、俺も安心したいうに…」
「………やっぱり、見てたんだね」
そこまで吐き出して、うっと言葉を詰まらせた。
チラと見やれば、こちらをじっと見つめてくる顔が見える。
「ねえ。どうして、学園に来るのやめたの?」
そして問われたくなかったこの一言に、鼓動が揺れた。
それでも唇を噛み、ふいと目を反らす。
「…気まぐれや。お前のカーディガン届けた時に星宿ともマトモに会話してもうたし、行きづらくなったんや」
「………そうなんだ」
そして、また訪れる沈黙。
攻児…早く来てくれ。お願いだ。
翼宿の頭の中では、こんな言葉が連呼されている。
「ねえ」
「…………っ」
そして、袖をくいと引かれた。こんな行動にも、戸惑う。
しかし次の言葉で、自分は柳宿と目を合わせる事になる。
「他の危ない事も、やめない?」
「………ああ?」
やっと自分を見てくれた事に安心したのか、柳宿は袖を掴んだ手を離して一拍置いた。
「危ないよ…翼宿も他の人達も…」
「………………」
彼女がずっと胸の内に秘めていた事は、翼宿にも痛いほど分かっている。
だけど、その気持ちにだけは答える訳にはいかない。
足元を見つめながら、静かに口を開く。
「それは、できん」
「………翼宿」
「TSUBASAは、俺の大事な居場所や。ずっと護り続けていくって、決めた」
「それは分かる…分かってるけど!」
「……………?」
「じゃあ、時々、見せる優しくて寂しそうな表情は何なの?」
「…………は?」
「あたし、あんたを初めて間近で見た時が子猫に餌をあげてた時だったの。あの時の翼宿、とても優しい目をしててだけど寂しそうにも見えた」
「っっっ!」
その言葉に、耳まで真っ赤になっていくのが分かった。
人前では冷酷を保ってきた翼宿は、そんな表情を見せる事はない。そうか。だから、この女は。
「それに、こないだの夜だって…」
「それ以上喋ったら、犯すで」
本当に実行するつもりはなかったが、これ以上自分の中の『善』について語られるのは堪らない。
それを察した柳宿は、また黙り込んで俯いてしまう。
だけど、安堵したのも束の間。
「翼宿…あんた、ホントは寂しいんじゃないの?全うな人生を奪われて犯罪を続ける事しか出来ない自分が、虚しく感じているんじゃないの?」
「………………っ」
「あんたはそうやって誤魔化してるけど、あたしには分かるの!あんたの中には、三年前に持っていた優しい心があるって…」
「…………黙れ」
この世界で、胸の内を読まれた事は一度だってない。胸の内を読まれたそんな言葉なんて、聞きたくない。
それでも、女神はなおも語りかけてくる。
「あたし、その翼宿がまだいるならその翼宿に会いたい…会いたいよ…」
そして、我慢は臨界点を超える。
ガンッ!
言葉の続きを遮ろうと、空いている片側の壁を叩きつける。柳宿の体が竦んだ。
「お喋りも、ええ加減にせえ!お前には、関係あらんやろうが!何で、そんなに突っ掛かんねん!赤の他人の俺なんかに………」
いつも通りの凄みを利かせた声で、相手を一喝しようとした。その時。
柳宿の手が、翼宿の腕を掴んだ。
無理矢理振り向かされたその肩に手が添えられたと思った時には、彼女の唇が自分の唇に重ねられていた。
ピチャーー………ン
長い間行われていた口論がほんの数秒止まっただけなのに、その時間が二人にはとても長く感じられた。
「………これで………分からない?」
少しだけ唇を離した後、吐息がかかる距離で脱力したように囁かれる。
見下ろせば、直視しないようにしていた瞳が、肌が、唇が、こんなにも近くにある。
それどころか長い睫毛の端からは、再び堪えきれなくなった涙が見えた。
「………、………好きなの。翼宿」
今までだって、何度も情熱的な女に告白されてきた。
それは見返りを求めてくるような告白ばかりだったけれど、この告白は違う。
見返りなんて求められない立場から訴えかけてくる、純粋な愛。
「あんたもあたしも…危険な目に遭うのは分かってる………だから、あたしだって………どうしたらいいのか分かんない………」
「………………」
「何度も何度も、諦めようと思った…だけど、優しいあんたを見る度に…諦められなかったの。だから…あたしは、今でも……………っっ!!」
言葉は、続けられなかった。翼宿は柳宿の唇を捕らえて、そのまま床に押し倒す。
貪るような接吻に戸惑いながらも応えていく柳宿に、翼宿の理性は止まらなかった。
その間にも手元を器用に動かして、彼女のブラウスを左右に押し広げる。
そこで、翼宿は顔をあげた。
「………なら」
「え………?」
「なら、ここで本気で抱かれても…お前は、本望なんやな?」
その言葉に、柳宿の肩が竦んだ。潤いを持った瞳が、ほんの少し恐怖に揺れる。
だが、次には彼女の右手が自分の左手を掴んだ。
ハッキリと頷く前に、その薔薇色の唇がまた容赦なく喰らわれた。
バシャバシャ…
「降ってきたなあ…兄貴。この後、どうする?」
「明日も、仕事だからな。お前の大学の愚痴はもう聞き飽きたから、この辺でお開きだ」
「ちぇ…兄貴はエリートだから、俺の気持ちが分からないんだよ」
朱雀街のとあるバーから出てきたのは、飲みに来ていた星宿とその弟だった。
久々に兄弟で語らい、星宿は心地よい時間を過ごす事が出来た。
もちろん、最近、頭を悩ませているあの生徒についての話は抜きにしてではあるが。
「んじゃ、兄貴は徒歩で帰れるんだろ?俺、電車だから」
「ああ。また、連絡するよ」
バーの前で別れた星宿は、時間を確認する。時刻は、午後九時。
「柳宿………ちゃんと、帰れただろうか」
そんな事を呟きながら、自分も帰路に就こうとした時。
カンカン…カン!
古びた階段を駆け下りるような音が聞こえて、ふとそちらを見やった。
何軒も連なるビルの中に埋め込まれているように建った、寂れたビル。
その階段口から、一際背が高い男が慌てて飛び出してきたのだ。
「あの男…」
彼の姿に、星宿は見覚えがあった。
そして彼らしからぬ慌てぶりに悪寒を感じ、すぐさまその後を追いかけた。
ドルンドルンドルン…
ビルの裏手にある今は使われていない駐輪場に停めていたバイクのエンジンをかけると、攻児はアクセルを吹かした。
しかし発進しようとしたところで目の前に黒い影が現れ、慌ててブレーキをかけた。
「っっ!ドアホ!んなトコ突っ立って、何して…!」
「そんなに急いで、どこへ行く?」
しかし次にかけられた声に、思わず体を強張らせた。
目の前にいたのは、あの学園のあの教師。
「………お前」
「確か、翼宿の側近にいた男だな。今日は、団長や他の仲間はどうしたんだ?」
「お前なんかに、教える義理はあらん…」
しかし自分の中にある止まらない焦りが表情に出たようで、それを見ていた星宿も眉を潜めた。
「まさか…翼宿に、何かあったのか?」
「ええから、はようどけ!一刻も早く、翼宿を…」
「なら、わたしも連れていけ」
「はあ!?何、言うてんねん!雑魚教師が!轢き殺すぞ!」
どんなに暴言を吐いても、星宿の凛とした瞳は変わらない。そして。
「連れていかなければ、お前らの居場所を警察にばらす」
「……………っく」
自分より遥かに賢い男に言われた最後通告に、攻児は観念したように項垂れた。
「………あっ………く………あ………」
空(くう)を蹴り上げる裸の脚を押さえつけて盲点を何度も攻めれば、彼女の体が跳ねた。
正直に声をあげる柳宿は、自分の舌先に蜜をたっぷりと与えていく。
「たす……きっ……やあ………あっ………!」
それに応えようと更に奥へ奥へと追い立てれば、彼女はまた何度目かの絶頂を迎えた。
「はあ………はあ………はあ………」
痺れた全身を捩りながらしがみついてくるその姿は、今まで抱いてきたどの女よりも可愛らしい。
だがその理由は、決して処女を喰っているからではない。
『柳宿だから』可愛いのだ。
すると艶のある髪の毛の隙間から、ナイフを突きつけられた時に出来たのであろう傷が見えた。
首筋にそっと触れると、敏感になった柳宿の体が竦んだ。
「………痛いやろ」
「………翼宿」
「止血せなな」
「やめて………あっ!」
舌先で優しく撫で上げて更に深く口付けると、すぐにまた柳宿は達した。
羞恥でどうしようもなくなり自分の動きを止めようとする腕を押さえつけながら、更に激しく彼女の肌を求め続ける。
程なくして十分に潤んだ場所と合体するのは、難しい事ではなかった。
しかし奥まで突くと、腕に柳宿の爪が食い込む。
「…………怖い………んやな」
「………………っ」
「俺が………怖いんか?」
しかし結合を緩めずに見下ろした顔は、必死に首を横に振っている。
その瞳は、初めての感覚に恐怖しながらも自分とひとつになる事を望んでいた。
「ホンマに…………お前みたいな女は………初めてや」
そして、こんな自分もきっと初めて。
嘲笑すると、何度も何度も柳宿の中を突き始めた。
倉庫内に響き渡る彼女の甘い叫びに、聴覚を刺激されながらーーー
「柳宿を、囮にされただと!?」
朱雀埠頭へ向かうバイクは、攻児と星宿を乗せていた。
その最中、星宿は攻児から何があったのかを聞かされていた。
「ああ…俺らに因縁つけてる暴走族がおってな…多分、あいつと柳宿さんが一緒にいるところを見られたんやろ。一足、遅かったようや」
攻児とて、柳宿が嫌いな訳ではない。彼女を巻き込んでしまった悔しさに、ギリリと唇を噛む。
「翼宿かて、大人数相手に喧嘩した事ないんや。それに、柳宿さんかて…間に合えばええけど…」
角を何本か曲がれば、海が見えてくる。朱雀埠頭は、そう遠くはない。
先を急ぎながらも、攻児は後ろに乗る教師にこんな言葉をかけた。
「なあ…先生。あんたは、どう思う?あの二人の事」
「え…?」
「俺は、めちゃくちゃ反対やで?今の状態で付き合おうもんなら今回みたいな事が日常茶飯事やし、あいつもそれを恐れとったんや。だけどな、それはあいつの本音やないと思うねん」
「………わたしも、そう思うよ」
「せやから、俺は…あいつが望むなら、この族を畳んでもええって…思うとる」
「………攻児」
しかし、そこで会話は中断された。
朱雀埠頭のA倉庫。そこに、辿り着いたのだから。
制服を元通り着込んで身なりを整えた柳宿は、ほんの少し震える手首を握った。
背後では、既に身繕いをした翼宿が煙草を吹かしている。
二人とも互いの顔を直視せず何も言わず、もうすぐ来るであろう助けを待っていた。
そして、もうすぐ来るであろう別離の時をーーー
「………翼宿!!」
そんな事を考えていると、シャッターの外からその沈黙を破る声が聞こえてきた。
「そこに、おるんか!?」
「………ああ」
「よし!今、こじ開ける!鍵、かかってるんやな…」
程なくして、庫内に鍵を壊すような音が響いてくる。
「…………分かってるやろな?」
その音と重なるように、翼宿は小声で柳宿に告げる。
柳宿は、依然、黙ったまま。
「もうすぐ、俺らの関係は完全に終わる」
そして次にかけられた言葉に、我慢していた涙が零れ落ちた。
翼宿は、自分の愛に答えてくれたのかもしれない。短い時間だけ、本当に愛し合えたのかもしれない。
だけど………それは、長くは続かない事。柳宿も、分かっていた。
ガシャ………ン!
鍵が、壊された。時は、来る。
ガラガラガラ…
シャッターが開いた向こう側、攻児と星宿の姿が見えた。
「翼宿!!」
「柳宿!!」
それぞれが、案じていた人物の元へと駆け寄る。
「無事やったんやな…よう頑張ったで、翼宿!」
「ったく…遅いんじゃ、お前は。正直、キツかったんやからな………てて」
「怪我しとるんか?ほな、捕まれ!」
そこで攻児は翼宿の足の傷口に綺麗に巻かれたハンカチの存在に気付いたが、特に触れずに相棒の肩を担いだ。
「柳宿…平気か?」
星宿もまた、項垂れている柳宿の肩にそっと手を置く。
が、その異変にはすぐに気付けた。
頬を伝う涙はそのままに、彼女は強く唇を噛み締めている。
そして消えそうな声で、背後の人物に最後の望みを吐き出す。
「攻………児さん」
その声に、攻児は立ち止まった。柳宿は、振り向かない。
だが、次の言葉はハッキリと耳に届いた。
「翼宿を………連れていかないで」
ピチャー………ーン………
誰もが感じた、翼宿への柳宿の愛。彼と一緒にいたいという、彼女の望み。
だが。
「………行け」
「翼宿………せやけど」
それを振り切ったのは、やはり翼宿だった。
そして、彼は一度だけ二人を振り返る。
「………星宿先生」
声をかけたのは柳宿ではなく、呼称を付けた星宿。
予想外の声掛けに、星宿は返事をするのを忘れた。
「ちゃんと、見てやってくださいよ?これ以上…こいつが、俺らの世界に入り込まないように」
そして次にかけられる言葉に、首を横に振る理由はなくて。
「………………分かった」
一言そう返せば、二人は歩き出した。
だけど、この時、翼宿も柳宿も同じ事を考えていた。
理性を脱ぎ捨てて愛し合えた時間に、一瞬でも幸せを感じる事が出来た。
例え、この先に別離が待っていたとしてもーーー
柳宿のすすり泣く声は、激しくなる雨音にかき消されていく………