TSUBASA

夜も更ける頃、翼宿は賭博を終え、隠れ家へ向かっていた。
先程の出来事も手伝ってヤケになってゲームしたせいか、採算はあまり得られなかった。
危惧している風坊会の図らいと星宿といた時の柳宿の笑顔と…頭を悩ませる出来事が重なり、最早、おかしくなりそうだ。
これは恋患いだと分かりながらも、この病は自力で治せるものではないという事も分かっている。
あの日と同じように彼女に治して貰う事でしか、叶わないものなのだ。
「く…そっ」
ビルの壁に拳を打ちつけ、翼宿はその先にある階段に歩を進めた。
「…………っ?」
しかし、そこで異変に気付いた。待機の団員をつけている飲み屋の中が、やけに静かなのだ。
不思議に思って扉を開けると、そこには全身血塗れになって倒れている団員の姿があった。
「…っっ!!おい!何があったんや!?」
その内の一人を起こすと、男は苦し紛れに顔をあげて微笑んだ。
「団長…お帰りなさい…」
「誰に、やられたんや!?」
「風坊会の…奴らです…団長に、決闘申し込んで…帰っていきました…」
「何やて!?」
迂闊だった。まさか、仲間に危害が及ぶとは…
唇を噛み締めて悔やむ翼宿に、しかし更に衝撃の言葉がかけられる。
「団長…伝言を、頼まれました。団長が大事にしてる女を浚ったから…助けたかったら、一人で朱雀埠頭のA倉庫に来いって…」
「………っ………あ………」
怒りと悔しさと驚きで、団員を抱えていた腕が震え始める。
「でも…行っちゃダメです…いくら団長でも、あんな人数束でかかってきたら…」
確かに、手を合わせる時はこちらもそれ相応の人数を用意して挑んでいた。
自分一人で族の一味に立ち向かうのは、さすがの翼宿も初めてである。
それでも…それでも、自分は行かなければならない。
愛する仲間と………愛する女のために。
「すまんな…お前らをこんな目に遭わせた奴らを、放っとく訳にはいかん」
「団長…」
気絶している団員達を一人一人担ぎ上げて側のソファに寝かせながら、翼宿はそう呟いた。
そして最後に運んだその男の頭をくしゃりと撫でると、ふっと微笑んだ。
「今、攻児呼ぶさかい。それまで、大人しくしとけよ」
「団長………!ダメです!」
次にはその呼び掛けを無視して、翼宿は飲み屋の扉を開け放った。

『もしもし?どないした、翼宿?』
「攻児!はよ、飲み屋に戻れ!大勢怪我しとる!」
『は?何でやねん?何があった?』
別の賭博に出かけていた攻児に電話をかけると、相手は意が解せないといったような声をあげる。
「話は、後や。手当て頼んだで!」
『ちょ…翼宿!?』
乱暴に電話を切り、裏手に停めてあるバイクのエンジンをかけた。


ハアハア…ハア。
「可愛い顔に傷付けられて可哀想に…慰めてあげるよ」
「…………っ………あっ!」
剥がされたガーゼの下から覗いた傷口に舌のざらつきを感じ、羞恥に思わず声が漏れた。
そしてすぐ傍では、全身に痺れるような感覚をもたらす奇怪な電子音が響いている。
ここは、朱雀埠頭のA倉庫。捕らえられた柳宿は目覚めると間もなく男に四つん這いにさせられ、『玩具』で遊ばれていた。
暴れようにも袖口に隠れている右腕と右足の痛みのせいで、体の自由がきかない。
「おら。声出せよ…団長に、もっといい思いさせてさしあげろ…」
「いい眺めだなあ…」
目の前では風坊団の団長がビール瓶の中身をぐいと飲み干しながら、見世物を見るような嫌らしい目をこちらに向けている。
薄汚いその顔を睨みつけると、スカートの裾にそれが入り込み秘部を探られた。
「…きゃっ…」
「クク…ではそのままの状態で、話をしようか?」
涎を垂らしながら近寄りしゃがみこんでくる団長に、ぐっと吐き気を押さえる。
「悪いね…柳宿ちゃん。君は何の関係もない人物なんだが、翼宿が俺達との合併を断ってきたもので囮に使わせて貰ったんだよ」
「…………っく。合併…?」
「ああ。見ての通り、優秀どころを揃えた俺ら風坊会との合併を、TSUBASAのあの団長が断りやがってね?いつか、復讐の機会を伺っていたんだよ」
「…………それは。…………あっ!」
答える前に下衣越しに玩具が通りすぎ、柳宿の体が跳ねた。
ニヤつきながら自分を囲んでいる男達を見れば、一目瞭然。
名ばかりで、実力を兼ね備えていない事が分かる。
だから翼宿は合併を断ったのだろうという事は、初めて彼らを目の当たりにした柳宿にもよく分かった。
「何せ、スキがない男だろう?どうやって弱味を握ろうかと思っていたところに、君が現れたんだ。君を浚えば、あいつは必ずやってくる」
「………、………そんな………事………」
攻め立てられる感覚にときたま顔を歪めながらも、必死に言葉を紡ごうとする。
「団長。こいつ、翼宿さんとは恋仲じゃないらしいですぜ。あいつが、一方的に関わってるだけみたいです」
「そうなのか?」
玩具を動かしていた男が団長に話した事実は、朦朧とする柳宿の意識を引き戻した。
「どういう…事?」
「夕方、お前の様子を見に学園まで来ていたんだぞ?なのに、お前は別の男と帰宅を共にしていただろう。それを見ていた翼宿さんの顔、俺は見てられなかったぜ」
「う……そ……」
翼宿は、来ていた?自分の様子を見に?なぜ…どうして、今頃そんな事を…
「翼宿に…何かしたら…あたしが、許さないから…」
それでも、護りたい気持ちは揺るがない。力を振り絞って、団長にそう告げるが。
「…………くっ………ああっ」
唇を噛んで堪えていた快楽にいよいよ追い詰められ、思わず声が出た。
「団長…だいぶ、いい感じですぜ」
「そうかそうか…そんなに、このおもちゃが気持ちいいか?なら、見せてくれよ。翼宿に見せられなかった肌を、この俺に…」
自分を弄っていた男に、乱暴に体を起こされる。
「ほら…脚、開けよ」
団長と向かい合う形で、固く閉じられた両足を背後の男の両手が掴んだ瞬間。

ガラガラガラガラガラ…

倉庫のシャッターが、音を立てて開き始めた。
「えっ…?」
その先を凝視すると、シャッターの開閉ボタンに手をつきながら肩で息をしている翼宿の姿があった。
雨が降り始めたのだろうか、全身はぐっしょりと濡れている。
「翼………宿………?」
名を呼べば、彼はブルリと頭を震わせて雨粒を払った。そして。
「………睿俔団長。やるなら、サシでやりましょうや」
その橙髪の向こうの三白眼が、ギラリと光った。
「あははははっ!来たなあ、翼宿!待ちくたびれたぞ!!」
「うちの仲間まで傷付けられたら、黙っておれませんので」
持っていたビール瓶を叩き割り、睿俔は翼宿に向き合った。
「それは、悪い事をした。安心しろ…お前の姫は、まだ喰っちゃいないよ」
そこで翼宿の視線が自分に移るが、目が合う前にまたしても卑猥な動きをする玩具が目の前をちらつき思わず目を瞑る。
その姿に、翼宿は小さくチッと舌打ちをした。
「続きは、お前を血祭りにあげてからだ」
それを合図に、控えていた団員達がゾロゾロと翼宿の前に集まっていく。
「ダメ…逃げて!………っっ!!」
背後の男が柳宿の首を抑えた事で、言葉は遮られた。
「あの時、お前は俺に言ったよな?『部下がいないと何も出来ない腰抜けのブタ』と…なら、お前はどうだ?たった一人で、この人数に太刀打ち出来るんか?」
翼宿に試練を与える睿俔は、満足そうにニンマリと笑う。
「今、ここで俺にひれ伏せば、なかった事にしてやってもええんだぞ?」
「ひれ伏す…?」
その言葉を聞くと、それまで黙っていた翼宿は物凄い形相で目の前の団員達を睨みつける。

「その前に、全員御陀仏や。カスが…!」

怯む様子は、一度も見せない。TSUBASAにかけるプライドがあるから。
「くっ…やれ!!」
それを察した睿俔の指示で、団員達が一気に翼宿に襲い掛かった。
「ダメ!!」
しかし、翼宿の動きは速かった。一人を蹴り倒したかと思えば手にしていた鉄パイプを奪い、それを振り回しながら次々と襲い掛かる団員達を薙ぎ倒していく。
その動きは、まるで狼…いや。野生の猛獣のようだ。
「………っ………」
柳宿は目の前で行われているその光景に、最早、絶句する事しか出来ない。
ものの数分で、彼の周りに群がっていた団員達は倉庫の外へ突き飛ばされてそのまま気絶した。これが、TSUBASAが認めた彼の力なのだ。

次の瞬間、翼宿が同じく唖然としていた睿俔の眼前まで迫り。
ガン!!
彼の真横の壁に、ナックルをつけた拳を叩きつけた。
「もう、これで仕込みは終わりですよね?はよ撤収してくれませんか?」
「くそっ…!」
翼宿に指摘された通り、喧嘩が弱い睿俔こそこの状況に太刀打ち出来ない。

それを見ていた柳宿の体が、突然手荒く引かれた。
「いた………っ!」
「おい、翼宿!これを見ろ!」
そして目の前の翼宿に向かって、自分を捕らえている男が叫んだ。
気付けば顎を持ち上げられ、首筋にはチクリと痛みが走っている。
男の隠し持っていたナイフが、突きつけられているのだ。
ほんの少しこちらを向いた翼宿も、そのナイフを凝視している。
「団長に、それ以上、何かしようもんなら…女は殺す」
ナイフに力が込められ、鋭くなる痛みに唇を噛み締めた時。
翼宿が追い詰めていたその人物が、動いた。
「っああああ!!」
「翼宿!!」
ザシュッ
「ぐっ…!」
足元に転がっていたビール瓶の破片で、睿俔は翼宿の右足を切りつけたのだ。
衣服が裂けて、血が飛び散った。
「翼宿………あっ!」
そして自分の体も解放され、翼宿が蹲った方向へ突き飛ばされた。
「へへへっ…助かったわ」
睿俔は首筋の汗を拭うと、懐から倉庫の鍵を取り出した。
「今日は、この辺で引いてやる。こっちも、数が足りなくなったんでなあ」
「せっかく二人きりにしてやるんだから、有効に使ってくださいよ?翼宿さん」
作戦は失敗だが、団長の身動きがとれなくなればお手の物。
睿俔達は勝ち誇ったように笑い声をあげながら、倉庫のシャッターを閉めた。
程なくして、外からは施錠されるような音が響いた。

「けっ…カスが」
「翼宿!大丈夫…!?その傷、結構深いんじゃ…」
しかし慌てて駆け寄ろうとする柳宿を、次にはキッと睨む。
「ったく…スキ見せてるから、襲われるんや。このドアホが!!」
怒鳴り声をあげられた相手は、ビクリと体を竦めてしまう。
「ごめん…なさい…」
その言葉に、翼宿はフンと鼻を鳴らしながらそっぽを向いた。
しかし、柳宿の目は翼宿の膝の怪我に注がれている。
懐からハンカチを取り出し、すぐさま止血にかかった。
「おい…やめろ。これくらい、何ともないて」
「……………」
「柳宿」
応答がない彼女の腕を掴んで止めると、嗚咽に肩を揺らしていた。
「ごめん………また………あたしのせいで」
彼女だって怖い思いをした筈なのに、それよりも自分の身を案じて涙を流してくれている。
そんな柳宿の気持ちが翼宿の理性を激しく揺さぶったが、抱きしめてやりたい衝動をそこでぐっと堪えた。
腕を乱暴に離して、手当てを続ける柳宿に声をかける。
「それは………俺の台詞や。悪かったな…俺らのいさかいに、勝手に巻き込んでしもうて」
「………ううん」
そうしている間に止血は終わり、ほんの少し痛みは和らいだ。
「平気…?」
「………ああ」
ハンカチの上から慈しむように触れてくる手と見上げてくる顔が近くにあると感じたが、それでもまた視線を反らして壁に体を預ける。
それに倣うように、柳宿も隣に並んだ。
「安心しろ。もうすぐ、攻児が来る」
「………うん」

雨は依然降りやまないが、とても静かな時間が二人に訪れたーーー
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