TSUBASA
『翼宿!!あたしは…また、あんたに会いたい!どんな目に遭っても構わない…だから、だから…!』
あの日の彼女の言葉が聞こえて目を開けると、目の前には柳宿の姿がある。
しかしその背後に、傘を振り上げる女が見えた。
バキッ!
鈍い音が響いた瞬間、柳宿の姿が跡形もなく消え去ったーーー
「…………っっ…………!!」
翼宿は、そこで目を覚ました。
そう。夢だった。
今日はTSUBASAの休業日であり、久々に自宅のベッドの上に横たわって休んでいたのだ。
起こした上半身は、着ていたシャツが貼りつく程に汗でびっしょりになっている。
「何や。今の…」
あれから、一週間。柳宿の姿を見る事はなくなったが、このような悪夢に魘される事は珍しくなかった。
彼女の健気な姿に惹かれそうになる自分を理性で押さえつけながら、遠ざけた。それでよかった筈なのに…
このような夢を見るのは、彼女がまた危険な目に遭うかもしれないという恐怖から来るものなのだろうか?
その考えを振り払うと、翼宿は朝焼けが差し込む洗面所へ向かい蛇口を捻った。
カラーンコローンカラーン…
夕刻、三年ぶりにマトモに耳にする終業の鐘を翼宿は木陰から聞いていた。
ここ最近、TSUBASAが朱雀学園を訪れる事はなくなった。
柳宿に関わるような事をすれば、また風俗の女性に嗅ぎつかれる可能性があったからだ。
急に襲撃をやめた翼宿に違和感を感じている攻児の目だけは痛いが、それでもその理由は誰にも話していない。
だから仲間は引き連れておらず、自分一人である。
なぜ、今日、ここを訪れたのか?そんな理由は、一目瞭然である。
彼女の安否をこの目で確かめるため。しかし、その理由は分からない。
連日の夢が原因しているとはいえ、心配性の太刀ではないこの自分が他人の身を案じて自分から足を運ぶなど絶対になかった筈なのに…
それでも、一目だけでいい。彼女の姿を確認出来れば、ただそれだけで…
「おやおや?翼宿さんじゃないですか?」
自分の名を呼ぶ声が聞こえ、咄嗟に身構えた。
そこに立っていた二人の男には、見覚えがある。
「お前ら…風坊会の…」
「ええ。その節は、お世話になりまして」
彼らは、先日、合併を断った風坊会の団員二人組。
当時はひよっこで目にも暮れていなかったのだが、明らかに何かを企んでいそうな彼らの表情に警戒をする。
「こんなところウロついて…何の用や?」
「それは、こっちの台詞ですよ。団長がわざわざ単身でこんなところにいるなんて…お仲間は、一緒じゃないんですか?」
「………別に。暇潰ししてるだけや」
吸っていた煙草を踏みつけ、二人から視線を逸らす。
その行動に何を思ったのか、彼らは表情を変えずに翼宿に近寄った。
「そういえば、最近、TSUBASAが学園を襲わなくなったって聞きましたけど?」
「………………っ」
「確か、翼宿さん。ここに、相当な恨みがあったんですよね?TSUBASAの襲撃は春の恒例行事だったのに、何かあったんですか?」
自分とは無関係の人間にここまで問われる義理はない筈なのに、なぜか彼らはその質問で自分との距離を詰めようとしている。
当然、教える義務はない。ここは一旦引こうと、それらを無視して踵を返そうとしたその時。
「まさか………女でも出来たんすかねえ?」
「……………!?」
突然の言葉に、思わず振り返った。
彼女の名前を呼ばれた訳でもないのに、胸がざわつく。
唇をぐっと噛み、鋭い三白眼で彼らに近寄った。
「どういう意味やねん?ああ?」
「………………」
「俺をからかうのも…大概にせえ!」
その内の一人の胸ぐらを思いきり掴んで、大木に叩きつけた。
ほんの少し呻いたものの、相手の表情はなぜか勝ち誇っている。
「こんなところで騒ぎにして人に見つかりでもしたら、あなた一人じゃ太刀打ち出来ませんよ?」
「……………くっ」
「まあまあ…仲よくやりましょうよ。うちの団長は今でもあなたを尊敬していますから、こっちも大事にするつもりはありませんので」
その言葉に理性を取り戻し、翼宿は男を乱暴に解放した。
「じゃあ、またどこかで…翼宿さん」
彼らが立ち去った後も、なぜか嫌な汗は止まらなかった。
今のは、あくまで彼らの予想だ。最近、大人しくしている自分に茶々を入れてきただけだ。
だけど…だけど、風俗の女性達のようにもしもどこかで奴等に柳宿の姿を見られていたとしたら?
「柳宿!じゃあ、気をつけてね?まだ、無理出来ないんだから…」
そこに聞こえてきたこんな言葉が、翼宿の意識を呼び戻す。
少し離れた先にある校門。そこで友人と別れる柳宿を、見つけた。
頬にはガーゼ、右足には包帯を巻いているが、松葉杖のようなものは持っていない。
ちょうど一人になり、彼女は自分の通学路を歩き出している。
「柳宿…!」
知らせなければ。自分が危惧している事を…あってほしくない事を。
風坊会に、柳宿が狙われるかもしれないという事を………
「柳宿!」
すると、次に聞こえてきたのは若い男が彼女の名を呼ぶ声。
立ち止まると、柳宿を追いかけてきたのであろう星宿の姿が見えた。
「………っ!」
「先生…どうしたんですか?」
「どうしたもこうしたも、お前、今日はご両親のお迎えはないのか?」
「今日はどっちも仕事が忙しくて…大丈夫です!この先で友人と待ち合わせしてるので、近くまで送って貰います」
柳宿のその怪我は、当然、心配していた星宿を驚かせた。
階段で転んだだけ。日頃の疲れが溜まったのだろうと笑う彼女に、最初は疑いの目を向けていた。
だが、それから一週間、彼女は両親の送り迎え付で行動していたため、特に危ない目に遭う事はないだろうと安堵していた。
しかし今日は一人で帰宅しようとする彼女が気になって、星宿はその後を追いかけてきたのだ。
「………そうか。それなら、よいが。心配だから、その場所まで送っていってやろう」
「そんな…すぐそこの臨海公園ですよ?先生は、心配性なんだから…」
そう言いながらも、柳宿は嬉しそうに笑いながら星宿と肩を並べた。
「………、………」
翼宿はその場に突っ立ちながら、ぼんやりと二人の背中を見送る。
………そうだ。ここで自分が出ていって、彼女に危険を知らせてどうするのか?
星宿のように隣に並んで、護ってやる事も出来ないのに。
大丈夫。星宿がいてくれる…あいつが、彼女の笑顔を護ってくれる。
カラカラに乾いている喉元をくっと鳴らすと、翼宿はバイクに乗り込んだ。
言い様のない不安とチクチクする胸の痛みを振りきるように、思いきりアクセルを吹かした。
ブロロロロ…
翼宿がその場を離れた事を確認すると、茂みに隠れていた男達が顔を出す。
「なあ?さっきの女だよな?」
「ああ…間違いない。しかも、見たか?今の翼宿さんの顔」
「悲恋…だよなあ。あの翼宿さんでも手に入れられないものが、あるのか」
「何なら、俺らが引き合わせてあげようぜえ?」
先程の光景の一部始終を見ていた彼らは、その口許をニヤリと歪ませた。
翼宿が危惧していた作戦を、脳裏に思い描きながら…
臨海公園の展望台を吹き抜ける春の潮風は、さすがにまだ肌寒い。
公園の入口で星宿と別れた柳宿は、待ち合わせをしている人物に会うためにその場所まで来ていた。
「柳宿ちゃん」
「玲麗さん…」
自分の足音に気付いた玲麗が、微笑みながら手を振っていた。
「だいぶ、怪我治ってきたね」
隣に座る柳宿の頬のガーゼを、玲麗は優しく撫でる。
「はい。階段で転んだにしては大袈裟だって、友達に笑われました」
「………そっか。やっぱり、誰にも言ってないんだ?…先生にも?」
寂しそうな微笑みを見せながら、柳宿はひとつ頷いた。
「………あたしの勝手が招いた行動だし、一番心配かけたくない人だから」
あの日、病院に運ばれた後、柳宿が呼んだのは両親でも星宿でもなく玲麗だった。
病院に駆けつけた彼女に泣きすがりながら、柳宿は全てを話したのだ。
翼宿と関わった事や彼に恋をした事、更には星宿に告白された事の全てを…
それでも玲麗は何ひとつ責める事なく、自分の気持ちを受け止めてくれた。
今や、彼女は自分にとって本当の姉のような存在になっていたのだ…
「…翼宿とは?あれから、会えた?」
その言葉に、柳宿は黙って首を振る。
「それどころか、TSUBASAも来ないんです。この一週間…やっぱり、避けられてるんですよね…」
「………違うと思う」
「えっ…?」
そこはきっぱりと否定する玲麗を見ると、彼女は真剣な眼差しを向けていた。
「翼宿、柳宿ちゃんを護る為に学園に来ないのよ。何か勘付かれたら、またあなたがその女達の標的になるから…」
玲麗には、分かっていた。誰も巻き込むまいとする、彼の優しさを。
昔の翼宿は、そういう男だったから…
その言葉に、堪えきれなくなった柳宿の涙がボロボロと零れる。
「そんな事…あたしは、あの人と関わった事…全然後悔してないのに…」
今でも、翼宿の事は忘れる事が出来ない。
どんなに星宿に優しくされても、あの日の夜にやっと見られた彼の笑顔が頭に焼き付いて離れない。
もう会えないと分かっていても、会いたい気持ちは日に日に強まっていくばかり。
叶えられない恋にしゃくりあげるように泣く妹を、姉の腕が優しく包み込んだ。
「柳宿ちゃん…あなたは頑張ったわ。あなたから聞いた事、未だに全部信じられないくらい…翼宿は変わったよ。だから…後は、あいつを信じようよ。あいつがいつか大事な事に気付いた時に、一番に会いに来るのはきっと柳宿ちゃんだよ」
玲麗の優しい言葉が染み渡り、柳宿は更に大声をあげて泣き続けた。
「先生。今日の日誌です」
「おお、ありがとう。玉麗…お疲れさま」
ちょうどその頃、玉麗は星宿に日誌を届けに職員室を訪れていた。
しかし日誌を受け取った星宿の表情は、暗い。
全てを分かっている玉麗は、そんな彼を見つめてこう問いかけた。
「心配ですか?柳宿の事が」
「え?」
「さっきも、付き添われてましたよね?そんなに、あの子の事が気になります?」
「………っ」
玉麗の射るような瞳に星宿はくっと息を呑むが、すぐにいつもの穏やかな表情を向けた。
「そんな事は、ないよ。確かに担任として彼女の事は心配だが、わたしは君が怪我をしても同じように接すると思う」
「思う」が付けられたところに違和感はあるが、玉麗はとりあえずは満足そうに微笑む。そして。
「………ありがとうございます。でも先生とっても素敵だし柳宿も可愛いから変な誤解する子もいるかもしれないので、お気をつけてくださいね?」
「………あ、ああ」
警戒の言葉をさらりと残し、その場を後にした。
そんな彼女の後ろ姿を見送りながら、星宿は思った。
確かに、最近の自分は少し目立つ行動をしすぎたかもしれない…と。
そして、それは職員室を出た玉麗も考えていた事で。
扉を閉めると、彼女は制服の内ポケットから封筒を取り出して。
「ゲームオーバーですよ。星宿先生…」
先日より少し厚みを増した写真が入ったその袋を見つめながら、不敵に微笑んだ。
「じゃあ、ここでいいの?柳宿ちゃん」
「はい!家の前、一方通行なので、ここで引き返した方が出やすいですよ!」
原付を引きずりながら見送ってくれた玲麗を振り返って、柳宿は笑顔を見せた。
ずっと傍にいてくれた玲麗のお陰で、柳宿も多少は元気を取り戻していた。
「そっか…じゃあ何かあったら、またいつでも連絡してね?それとまだ油断出来ないから、くれぐれも気をつけて」
「はい…ありがとうございます」
会釈をした柳宿の頭を撫でると、玲麗は原付のアクセルを吹かしてバイパスへと入っていった。
通りの角を曲がれば、すぐに自宅だ。柳宿は、いつも通り歩き始めた。
しかし。
コツコツコツコツ…
「……………?」
歩を進めて間もなく、自分の足音に重なるようにもうひとつの足音が聞こえた気がした。
柳宿は振り返るが、特に背後に人の気配はない。
首を傾げて、向き直ろうとした時…目の前を黒い人影が覆う。
「……………っ!?」
声をあげようとした口が塞がれ、次には腰を羽交い締めにされた。
「~~~~~っ!」
「おい!黙らせろ!」
そんな声が聞こえてきた時、首筋に鈍い痛みが走りそこで意識は途絶えた。
意識を手放した女神をその腕に抱き抱えた男二人組は、その口許をニヤリと歪ませていたーーー
あの日の彼女の言葉が聞こえて目を開けると、目の前には柳宿の姿がある。
しかしその背後に、傘を振り上げる女が見えた。
バキッ!
鈍い音が響いた瞬間、柳宿の姿が跡形もなく消え去ったーーー
「…………っっ…………!!」
翼宿は、そこで目を覚ました。
そう。夢だった。
今日はTSUBASAの休業日であり、久々に自宅のベッドの上に横たわって休んでいたのだ。
起こした上半身は、着ていたシャツが貼りつく程に汗でびっしょりになっている。
「何や。今の…」
あれから、一週間。柳宿の姿を見る事はなくなったが、このような悪夢に魘される事は珍しくなかった。
彼女の健気な姿に惹かれそうになる自分を理性で押さえつけながら、遠ざけた。それでよかった筈なのに…
このような夢を見るのは、彼女がまた危険な目に遭うかもしれないという恐怖から来るものなのだろうか?
その考えを振り払うと、翼宿は朝焼けが差し込む洗面所へ向かい蛇口を捻った。
カラーンコローンカラーン…
夕刻、三年ぶりにマトモに耳にする終業の鐘を翼宿は木陰から聞いていた。
ここ最近、TSUBASAが朱雀学園を訪れる事はなくなった。
柳宿に関わるような事をすれば、また風俗の女性に嗅ぎつかれる可能性があったからだ。
急に襲撃をやめた翼宿に違和感を感じている攻児の目だけは痛いが、それでもその理由は誰にも話していない。
だから仲間は引き連れておらず、自分一人である。
なぜ、今日、ここを訪れたのか?そんな理由は、一目瞭然である。
彼女の安否をこの目で確かめるため。しかし、その理由は分からない。
連日の夢が原因しているとはいえ、心配性の太刀ではないこの自分が他人の身を案じて自分から足を運ぶなど絶対になかった筈なのに…
それでも、一目だけでいい。彼女の姿を確認出来れば、ただそれだけで…
「おやおや?翼宿さんじゃないですか?」
自分の名を呼ぶ声が聞こえ、咄嗟に身構えた。
そこに立っていた二人の男には、見覚えがある。
「お前ら…風坊会の…」
「ええ。その節は、お世話になりまして」
彼らは、先日、合併を断った風坊会の団員二人組。
当時はひよっこで目にも暮れていなかったのだが、明らかに何かを企んでいそうな彼らの表情に警戒をする。
「こんなところウロついて…何の用や?」
「それは、こっちの台詞ですよ。団長がわざわざ単身でこんなところにいるなんて…お仲間は、一緒じゃないんですか?」
「………別に。暇潰ししてるだけや」
吸っていた煙草を踏みつけ、二人から視線を逸らす。
その行動に何を思ったのか、彼らは表情を変えずに翼宿に近寄った。
「そういえば、最近、TSUBASAが学園を襲わなくなったって聞きましたけど?」
「………………っ」
「確か、翼宿さん。ここに、相当な恨みがあったんですよね?TSUBASAの襲撃は春の恒例行事だったのに、何かあったんですか?」
自分とは無関係の人間にここまで問われる義理はない筈なのに、なぜか彼らはその質問で自分との距離を詰めようとしている。
当然、教える義務はない。ここは一旦引こうと、それらを無視して踵を返そうとしたその時。
「まさか………女でも出来たんすかねえ?」
「……………!?」
突然の言葉に、思わず振り返った。
彼女の名前を呼ばれた訳でもないのに、胸がざわつく。
唇をぐっと噛み、鋭い三白眼で彼らに近寄った。
「どういう意味やねん?ああ?」
「………………」
「俺をからかうのも…大概にせえ!」
その内の一人の胸ぐらを思いきり掴んで、大木に叩きつけた。
ほんの少し呻いたものの、相手の表情はなぜか勝ち誇っている。
「こんなところで騒ぎにして人に見つかりでもしたら、あなた一人じゃ太刀打ち出来ませんよ?」
「……………くっ」
「まあまあ…仲よくやりましょうよ。うちの団長は今でもあなたを尊敬していますから、こっちも大事にするつもりはありませんので」
その言葉に理性を取り戻し、翼宿は男を乱暴に解放した。
「じゃあ、またどこかで…翼宿さん」
彼らが立ち去った後も、なぜか嫌な汗は止まらなかった。
今のは、あくまで彼らの予想だ。最近、大人しくしている自分に茶々を入れてきただけだ。
だけど…だけど、風俗の女性達のようにもしもどこかで奴等に柳宿の姿を見られていたとしたら?
「柳宿!じゃあ、気をつけてね?まだ、無理出来ないんだから…」
そこに聞こえてきたこんな言葉が、翼宿の意識を呼び戻す。
少し離れた先にある校門。そこで友人と別れる柳宿を、見つけた。
頬にはガーゼ、右足には包帯を巻いているが、松葉杖のようなものは持っていない。
ちょうど一人になり、彼女は自分の通学路を歩き出している。
「柳宿…!」
知らせなければ。自分が危惧している事を…あってほしくない事を。
風坊会に、柳宿が狙われるかもしれないという事を………
「柳宿!」
すると、次に聞こえてきたのは若い男が彼女の名を呼ぶ声。
立ち止まると、柳宿を追いかけてきたのであろう星宿の姿が見えた。
「………っ!」
「先生…どうしたんですか?」
「どうしたもこうしたも、お前、今日はご両親のお迎えはないのか?」
「今日はどっちも仕事が忙しくて…大丈夫です!この先で友人と待ち合わせしてるので、近くまで送って貰います」
柳宿のその怪我は、当然、心配していた星宿を驚かせた。
階段で転んだだけ。日頃の疲れが溜まったのだろうと笑う彼女に、最初は疑いの目を向けていた。
だが、それから一週間、彼女は両親の送り迎え付で行動していたため、特に危ない目に遭う事はないだろうと安堵していた。
しかし今日は一人で帰宅しようとする彼女が気になって、星宿はその後を追いかけてきたのだ。
「………そうか。それなら、よいが。心配だから、その場所まで送っていってやろう」
「そんな…すぐそこの臨海公園ですよ?先生は、心配性なんだから…」
そう言いながらも、柳宿は嬉しそうに笑いながら星宿と肩を並べた。
「………、………」
翼宿はその場に突っ立ちながら、ぼんやりと二人の背中を見送る。
………そうだ。ここで自分が出ていって、彼女に危険を知らせてどうするのか?
星宿のように隣に並んで、護ってやる事も出来ないのに。
大丈夫。星宿がいてくれる…あいつが、彼女の笑顔を護ってくれる。
カラカラに乾いている喉元をくっと鳴らすと、翼宿はバイクに乗り込んだ。
言い様のない不安とチクチクする胸の痛みを振りきるように、思いきりアクセルを吹かした。
ブロロロロ…
翼宿がその場を離れた事を確認すると、茂みに隠れていた男達が顔を出す。
「なあ?さっきの女だよな?」
「ああ…間違いない。しかも、見たか?今の翼宿さんの顔」
「悲恋…だよなあ。あの翼宿さんでも手に入れられないものが、あるのか」
「何なら、俺らが引き合わせてあげようぜえ?」
先程の光景の一部始終を見ていた彼らは、その口許をニヤリと歪ませた。
翼宿が危惧していた作戦を、脳裏に思い描きながら…
臨海公園の展望台を吹き抜ける春の潮風は、さすがにまだ肌寒い。
公園の入口で星宿と別れた柳宿は、待ち合わせをしている人物に会うためにその場所まで来ていた。
「柳宿ちゃん」
「玲麗さん…」
自分の足音に気付いた玲麗が、微笑みながら手を振っていた。
「だいぶ、怪我治ってきたね」
隣に座る柳宿の頬のガーゼを、玲麗は優しく撫でる。
「はい。階段で転んだにしては大袈裟だって、友達に笑われました」
「………そっか。やっぱり、誰にも言ってないんだ?…先生にも?」
寂しそうな微笑みを見せながら、柳宿はひとつ頷いた。
「………あたしの勝手が招いた行動だし、一番心配かけたくない人だから」
あの日、病院に運ばれた後、柳宿が呼んだのは両親でも星宿でもなく玲麗だった。
病院に駆けつけた彼女に泣きすがりながら、柳宿は全てを話したのだ。
翼宿と関わった事や彼に恋をした事、更には星宿に告白された事の全てを…
それでも玲麗は何ひとつ責める事なく、自分の気持ちを受け止めてくれた。
今や、彼女は自分にとって本当の姉のような存在になっていたのだ…
「…翼宿とは?あれから、会えた?」
その言葉に、柳宿は黙って首を振る。
「それどころか、TSUBASAも来ないんです。この一週間…やっぱり、避けられてるんですよね…」
「………違うと思う」
「えっ…?」
そこはきっぱりと否定する玲麗を見ると、彼女は真剣な眼差しを向けていた。
「翼宿、柳宿ちゃんを護る為に学園に来ないのよ。何か勘付かれたら、またあなたがその女達の標的になるから…」
玲麗には、分かっていた。誰も巻き込むまいとする、彼の優しさを。
昔の翼宿は、そういう男だったから…
その言葉に、堪えきれなくなった柳宿の涙がボロボロと零れる。
「そんな事…あたしは、あの人と関わった事…全然後悔してないのに…」
今でも、翼宿の事は忘れる事が出来ない。
どんなに星宿に優しくされても、あの日の夜にやっと見られた彼の笑顔が頭に焼き付いて離れない。
もう会えないと分かっていても、会いたい気持ちは日に日に強まっていくばかり。
叶えられない恋にしゃくりあげるように泣く妹を、姉の腕が優しく包み込んだ。
「柳宿ちゃん…あなたは頑張ったわ。あなたから聞いた事、未だに全部信じられないくらい…翼宿は変わったよ。だから…後は、あいつを信じようよ。あいつがいつか大事な事に気付いた時に、一番に会いに来るのはきっと柳宿ちゃんだよ」
玲麗の優しい言葉が染み渡り、柳宿は更に大声をあげて泣き続けた。
「先生。今日の日誌です」
「おお、ありがとう。玉麗…お疲れさま」
ちょうどその頃、玉麗は星宿に日誌を届けに職員室を訪れていた。
しかし日誌を受け取った星宿の表情は、暗い。
全てを分かっている玉麗は、そんな彼を見つめてこう問いかけた。
「心配ですか?柳宿の事が」
「え?」
「さっきも、付き添われてましたよね?そんなに、あの子の事が気になります?」
「………っ」
玉麗の射るような瞳に星宿はくっと息を呑むが、すぐにいつもの穏やかな表情を向けた。
「そんな事は、ないよ。確かに担任として彼女の事は心配だが、わたしは君が怪我をしても同じように接すると思う」
「思う」が付けられたところに違和感はあるが、玉麗はとりあえずは満足そうに微笑む。そして。
「………ありがとうございます。でも先生とっても素敵だし柳宿も可愛いから変な誤解する子もいるかもしれないので、お気をつけてくださいね?」
「………あ、ああ」
警戒の言葉をさらりと残し、その場を後にした。
そんな彼女の後ろ姿を見送りながら、星宿は思った。
確かに、最近の自分は少し目立つ行動をしすぎたかもしれない…と。
そして、それは職員室を出た玉麗も考えていた事で。
扉を閉めると、彼女は制服の内ポケットから封筒を取り出して。
「ゲームオーバーですよ。星宿先生…」
先日より少し厚みを増した写真が入ったその袋を見つめながら、不敵に微笑んだ。
「じゃあ、ここでいいの?柳宿ちゃん」
「はい!家の前、一方通行なので、ここで引き返した方が出やすいですよ!」
原付を引きずりながら見送ってくれた玲麗を振り返って、柳宿は笑顔を見せた。
ずっと傍にいてくれた玲麗のお陰で、柳宿も多少は元気を取り戻していた。
「そっか…じゃあ何かあったら、またいつでも連絡してね?それとまだ油断出来ないから、くれぐれも気をつけて」
「はい…ありがとうございます」
会釈をした柳宿の頭を撫でると、玲麗は原付のアクセルを吹かしてバイパスへと入っていった。
通りの角を曲がれば、すぐに自宅だ。柳宿は、いつも通り歩き始めた。
しかし。
コツコツコツコツ…
「……………?」
歩を進めて間もなく、自分の足音に重なるようにもうひとつの足音が聞こえた気がした。
柳宿は振り返るが、特に背後に人の気配はない。
首を傾げて、向き直ろうとした時…目の前を黒い人影が覆う。
「……………っ!?」
声をあげようとした口が塞がれ、次には腰を羽交い締めにされた。
「~~~~~っ!」
「おい!黙らせろ!」
そんな声が聞こえてきた時、首筋に鈍い痛みが走りそこで意識は途絶えた。
意識を手放した女神をその腕に抱き抱えた男二人組は、その口許をニヤリと歪ませていたーーー