TSUBASA

「柳宿が…お前のところに…!?」
星宿クラスの教室に、翼宿と星宿は向かい合って座っていた。
二人の間の机には、丁寧に畳まれた柳宿のピンクのカーディガンが置かれている。
「ああ。ったく…どこから嗅ぎ付けてきたんやか…」
「あんな目に遭った直後なのに…」
「…俺が体調崩してたの気付いてて、様子見に来てくれたらしいねん。俺もカッコ悪くもあいつの前でぶっ倒れてもうてな…目覚めるまで傍にいてくれたんや」
信じられない言葉が並べられるが、目の前にいる整った翼宿の姿や柳宿のカーディガン、更には彼の右腕に丁寧に巻かれている包帯が全てを物語っていた。
「…、…そうか。あいつは、それ程までにお前に会いたかったんだな」
「…せやけど、もう勘弁やで。これ以上俺らの世界にあいつを関わらせたら、いつ、危険な目に遭うか…そんなの、あんただって分かるやろ?」
「…翼宿」
これが、先日まで柳宿を襲った男が言う台詞なのだろうか?
彼は、今、柳宿を憎むどころかその身を案じている。
まるで彼女が信じる本来の優しい翼宿が戻ってきたのではないかと思うほどに、その態度は一変していた。

「……、……なあ?お前は、あいつの事をどう思うんだ?」

だから躊躇する事なく、気付けば星宿はこんな質問を投げかけていた。
「え?」
「どんなにボロボロに傷付けても、それでもお前に会いに来た柳宿の事…今までの女性と違う事くらい、お前だって気付いているんだろう?」
「………っ」
星宿の射るような視線に、翼宿は視線を反らした。
「正直、驚いた。恐れていた事が現実になって、彼女は深く傷付いた筈だ。そう思っていたよ。なのに、こうしてわたしの目を盗んでお前に会いに行って、看病とは…な」
こんな言葉を呟きながらも、自分の中にある感情が沸々と沸き起こるのを感じた。
嫉妬のような侘しさのような、そんな感情…
「星宿…お前…」
相手もそれを察したようで、驚いた目をこちらに向けている。
自嘲に近い笑みを浮かべて、両手を目の前で組んだ。
「お前が柳宿を大事にするなら、あの世界から足を洗ってくれるなら、わたしは潔く身を引くよ。それが、あの子が望んでいる事だから…だけど」
そこで、伏せていた瞳をあげる。

「もしもその気がないのなら、わたしがあの子を護る。お前には、もう絶対に近付かせない」

その言葉に、翼宿の胸の奥がなぜかチクリと痛んだ。
やっと出来た自分の居場所を奪われるかのような、そんな感覚だ。
そもそも、以前に拳を交えたこの男とこんな会話をしている事自体、おかしな話だ。
「ふざけるな」と叫んで、立ち上がる事も出来る。
それなのに、今の自分にはそれが出来ない。
これは、教師とか暴走族とか、そんな立場は関係ない。
男と男の真剣な勝負。卑怯な真似は、出来ないのだ。

「俺は…」
程なくして彼の口をついて出てきたのは、反論の言葉ではなかった。
「………そういうの分からんから」
「え…?」
「女なんぞ…男の道具で、遊び相手や。そう思うとった。誰かの為に看病したり、本気で笑ったり…そんなんする女…神経が分からんのや」
「………そうか」
そこで、翼宿は立ち上がった。自分を見下ろすその瞳は、どこか寂しそうにも見えたけれど。
「それ、あいつに返したってくれや。それから、安心せえ。これ以上、あいつに関わる事はせえへん。せやから、あんたが…護ってやれ」
「………翼宿!」
ポケットに手を突っ込み歩き出した翼宿に、もう一度声をかける。
「その…右腕、すまなかったな。お大事に…」
その言葉に彼はふっと口許を緩めると、その場を後にした。
しかし星宿は彼女を自分に託した男のその背中を、晴れやかな気持ちで見送る事は出来ないでいたーーー


(迷惑かしら…?でも、いいわよね。置いてくるくらい…)
ちょうどその頃、柳宿はTSUBASAの隠れ家の扉の前にいた。
まだ熱も下がりきっていないだろうからと、ハーブティーをたくさん買い込んで来たのだ。
しかし扉を開けると、目の前に立っていたのは見慣れぬ後ろ姿の男性だった。
青く染めた髪の毛を持つその男は、翼宿より細身の体型だ。
「何や、翼宿。早かったな…」
「あっ…」
振り向いたその人物と目が合うと、その顔つきには見覚えがあった。
確か、学園に襲撃に来た時、止めに入った美朱を引き留めていた人物だ。
何者かは分からなかったが、翼宿の次に存在感を放っていた男だったゆえ、柳宿もよく覚えていたのだ。
「………誰や?お前」
だが、当然ながら相手は初対面。怪訝そうな顔つきで、こちらを見ている。
「あ、あの…あたしは…」
翼宿以外には、自分の顔は割られていない筈だ。
気軽に隠れ家を訪れるなど、他の仲間からすれば言語道断である。
「お前…まさか」
「えっ…?」
そのまま徐々に壁際に追い詰められ、顎をグイと引かれた。

「うちの団長たぶらかしてるんは、お前か?柳宿」
「…っっ…」

そのまま、暫し睨み合いが続く。
このままでは…不味い。
柳宿が、くっと息を呑んだ時。

「ふっ…」

男はそんな自分の表情を見て、悪戯っぽく微笑んだ。
「えっ…?」
「何てな…安心せえ。俺は翼宿と違って、女に危害は加えん主義なんや」
両手をヒラヒラさせながら、彼は翼宿の座椅子にどっかと腰を下ろす。
「あの…」
「ああ。俺は、攻児。TSUBASAの副団長で…まあ、創設者でもあるかな」
「創設者…」
TSUBASAを立ち上げたのはてっきり翼宿だと思っていたため、攻児の存在に柳宿は唖然とする。
「翼宿なら、さっき出てったで。気色悪いくらい整えて、どこ行ったんだか…」
「翼宿…元気になったんですか?」
「ああ。ピンピンしとったわ」
「よかった…」
ホッとしたようにハーブティーが入った紙袋を抱きしめると、攻児は細目でそれを見つめてきた。
「あんたが、治してくれたんだってな?」
「え…?」
「昨日の夜中に、あいつから全部聞いた。その…一応、ありがとな。あいつが体壊すの、初めてやったから…」
「いえ…!元々、あたしがあの人を混乱させるような事…したからなので」
「ホンマやで。お前の存在知った時のあいつの表情は、鬼超えてたで。それなのに次にお前の事話した時は、覇気のない女々しい声しとって…ビビったわ」
「え…?それって…」
「まあ…あの翼宿が、あんたの良心に揺れたんやろ」
その言葉に、顔が耳まで真っ赤になった。
殺したい程に憎まれていただろうから、本当は心のどこかで怖いとも思っていた。
だけど、少なくとも今の翼宿にとって自分の存在はそこまでではなくなった。
それが知れただけでも、嬉しくて…
そんな柳宿の姿を見て、攻児はフウとため息をついた。
「…変わってる女やのお。あんた、どこの誰を調査して襲われて看病したか、自覚しとるんか?この朱雀街の悪魔って言われてる男やで?」
「そんな事ないです…翼宿は、本当はいい奴です。あたしは、そう思います」
しかしながらその返答には特に返さず、攻児は胸元の煙草を探り出した。
「攻児さん?」
「………ああ。あいつは、ええ奴なんや。あんな目に遭わなければ、今でも少しは全うな道を歩いてたかもしれん」
そこで、柳宿はハッとする。この人は、当時の翼宿を知っている。
悪魔に変わりかけていた頃の翼宿を…
「あの!!」
「な、何?」
「教えてくれませんか…?翼宿がここに入った時の事…」
突然、身を乗り出して尋ねてきたその姿に攻児は一瞬仰け反るが、次にはまた怪訝な目を向ける。
「………知って、どうするん?」
「え…?」
「また何かしてあげよとでも、思ってるんか?これ以上あいつ動揺させられると、俺らが困るんやけど」
「それは…」
そのまま沈黙が流れるが、暫くすると諦めたようについた攻児のため息が聞こえた。
「まああんたがいくら頑張ったところで、翼宿自身の問題やからな。俺が口結ぶ必要もあらへんけど」
柳宿が息を飲むと、攻児は煙草に火をつけて語り始める。
「もう三年前になるんかな…あいつが、この街にやってきたのは…」


三年前…
『攻児さあ~ん!もう飲み屋点々とするのは、飽きましたよ~俺ら専属の隠れ家作りましょうよ~』
当時、まだまだ弱小で人数も少なかったTSUBASAは、朱雀街で業界の人間が集まる飲み屋を渡り歩く生活をしていた。
『んな事言うたかて、お前らどっか占領する程の根性ないやろ!そういう事は、場所押さえてから言え!………っと!』
すると通りすぎようとした橙頭の少年が、攻児にぶつかった。
歳は自分より2つ程下だろうが、嫌にがっしりとした少年だ。
しかし彼は足を止める事もなく、足早にその場を去ろうとする。
『おい、てめえ!攻児さんにぶつかった癖に、謝罪なしかあ?』
団員の一人が少年の肩を掴むと、振り向いた少年はその前髪に隠れた三白眼で団員を睨み付ける。
『…………っ!?』
その目を見た瞬間、攻児は年上ながら鳥肌が立つのを覚えた。
闘志がみなぎるその瞳の奥には、何か侘しいものも込められているようで…
『何や?その目は。いけすかん目やなあ?攻児さん!やっちまっていいですよね?』
『あ…ああ』
しかしそれを判断する前に、興奮している団員が自分の指示を仰ぐ。
動揺しながらも了承すると、少年はビルの裏手に突き飛ばされた。
ドカッ!バキッ!
そのまま暫く少年が暴行を受ける様子を、腕組みをしながら眺める。
元々怪我をしていたらしきその体から更に血が噴き出るが、悲鳴ひとつあげずただ殴られ続けるその姿に攻児は更に妙な違和感を覚えた。
『おい』
暴行を止める合図を出し、倒れる少年の前に進み出た。
しゃがんで覗き込めば、その顔は見るも無惨な程に傷だらけだ。
『坊主。お前、死にたいんか?』
『………ゲホッ。もう、俺は死んだも同然…やからな。好きにしろや…こんなんは慣れてる』
痛みに体を震わせながらそう答える様子は、強がっている捨て犬のように見えて。
そんな姿を暫し見つめていた攻児は、そっと口角を持ち上げた。
『………キモ座ってる奴やな。気に入った。お前、俺らと手組まんか?』
『こっ、攻児さん!?』
『……………』
『どうせ、行くトコもないんやろ?まあ俺らの下っ端で、何でも俺らの言う事聞くんが条件やけどな』
『……………』
『やるんか?やらんのか?』
自分を見上げていた三白眼の鋭さは徐々になくなり、相手も不敵な笑みを浮かべた。
『それも…ええな』
その日が、翼宿の人生が変わった日となったのだ。

それからの翼宿の仕事ぶりは、目を見張るものだった。
喧嘩の腕や犯罪の手際のよさを次々に身につけ、TSUBASAが長年ほしがっていた隠れ家すらも占領してきた。
最初はTSUBASAの犬のように扱っていた団員も、そんな彼に次第に全幅の信頼を寄せるようになったのだ。

そして、翼宿が入団して一年経ったある日。
根性比べだと攻児が申し出た決闘を受け入れた翼宿は見事にその勝負に勝ち、団長の座を手に入れた。
団長になり業界の仲間と関わるようになるとその腕に惚れ込んだ他の団員までも引き抜き、TSUBASAは今の50人体制の巨大暴走族へと成り上がったのだ。


全てを聞き終えた柳宿は、言葉が出なかった。
ただ攻児が吐く煙草の煙を、ぼんやりと眺める。
「あいつは、TSUBASAを全力で愛してここまでやってきてくれた。俺があいつに団長の座を預けたんは、こんな生き方しか出来ない俺らに希望をくれた存在だったからや」
そこで攻児は、柳宿をまっすぐに見る。
「俺が女に手出すタイプだったら、今頃お前をめちゃくちゃにしてる。それくらい、お前は邪魔な存在や」
「…………っ」
「…せやけど、今、俺がお前に勝手に手を出したらあいつは怒る」
「えっ…」
「お前は許せんけど、それ以上に翼宿の気持ちの方が大事やからな」
柳宿は、気付く。攻児も、きっと…翼宿が好きだ。
それは恋慕の情ではなく、兄貴として親友として相棒としてとても大切に思っているという意味で。
「お前、翼宿が好きなんやろ?」
そんな事を考えていた自分にかけられた彼の問いに、一瞬、肩を竦めるが、その後は素直に頷く。
「これから、あいつとどうなりたい?」
「そ、それは…言いにくいですけど…もう、これ以上過ちを繰り返してほしくないって思ってます。今は、それしか考えられないです…」
予想していた答えが返ってきたところで、攻児は煙草を灰皿に押し付ける。
「善良な一般市民が翼宿に関わるのは、そういう事やな。俺はあいつが出す答えなら、引き止めもせん。だけど…もしも翼宿があんたのところに行こう思うなら、その時は俺がTSUBASAを畳む時や」
「攻児さん…」

「あんたが翼宿にとってTSUBASA以上の存在になるまで…翼宿は渡さんで」

柳宿は、今、やっと翼宿を好きになる意味が分かった。
自分が翼宿を手に入れる時は、彼がこの世界から足を洗う時。
自分の住む世界とは違う、彼が愛したこの世界を捨てる時なのだ…
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