TSUBASA
ピチャ…
額に冷たさを感じ、翼宿はそっと目を開けた。
「…翼宿!よかった…気がついた」
枕元では、先程に強く拒んだ筈の女が安心したように笑っている。
見ると、部屋の中で一際大きいソファに横付けで寝かされていた。
床に散らばっていた酒の缶の残骸やゴミは綺麗に片付けられており、自分達が今まで過ごしてきた部屋ではないかのように小綺麗になっている。
「ねえ…あんた、この右腕、一度包帯外してそのままにしてたんでしょ?」
「………っ」
右腕を指摘されて見ると、丁寧に巻かれた包帯が目に入った。
攻児に手当てされた時は邪魔にしか感じなかった包帯が患部にしっかりと密着しており、動かすととても軽く感じる。
「きちんと治らないままで動いたのが、高熱の原因。暫くは、動くの禁止!40度近く出てたんだからね?」
そこで、やっと目の前で自分に説教をするこの女が自分の体を楽にしてくれたのだと悟った。
「体も、少し楽になったでしょ?あたしがいつも持ち歩いてる特製ハーブティー飲ませたのよ。高熱には、これが一番効くのよね。あたし、看護婦目指してるからさ!あんたが、いい実験台になってくれてよかったわ」
そう語っている顔は本当に嬉しそうで、最早反論の言葉が見つからない。
寧ろ、絞り直した布を再び自分の額にあてる彼女の顔が喉が鳴る程に優しく美しく見えた。
「朱雀学園も、結構、名門校じゃない?一流の看護大学に進学するにはあそこしかなくて、結構頑張ったなあ」
「……………」
「あそこなら、あたしの夢が叶う気がするんだ…」
瞳を輝かせながら将来を語るその姿を見ていると、今の自分には彼女を憎む気にはなれなかった。
それどころか、そんな彼女が少し羨ましいとさえ思えている。
しかし依然何も言えないでいる自分の態度から何かを察したのか、柳宿が少し瞳を伏せた。
「ごめんね…一番、顔見たくない奴に看病されても…嬉しくないわよね。あんたの熱、上げちゃったのもあたしかもしれないのに」
「………っ」
「こないだも、色々と偉そうな事言ってごめん。あんたの本当の気持ちは、あんたにしか分からないのに…あたし」
「………もう、ええ………」
その言葉を遮るように、自分の口をついて出たのはこんな言葉だった。
彼女が自分を責める姿を見るのが、なぜか嫌だった。
本当は、今、ここにいてくれるのが有難いくらいの存在だから。
「え…?」
もちろん、目の前の女もきょとんとした顔でこちらを見ている。
「お前には………呆れたって事や」
本当は言うべき礼の代わりにその言葉を吐くと、そっぽを向いた。
「…翼宿」
その不器用な優しさは柳宿にも伝わったようで、そっと涙を拭う仕草を見せた。
「…ねえ。何か、食べたいものある?お酒以外なら、寧ろ、お腹に何か入れた方がいいから…あたし、買ってきて…」
「…いや」
しかし、最早、ここまでだ。自分を気遣う彼女を、一度、諌める。
「もう、仲間が来る頃や。はよ、帰れ。それにこの時間になると、危ない奴らがうろうろしてるで」
「…翼宿」
そっぽを向いたままだが、その言葉には翼宿の心配の意が込められていた。
「……、……分かった。じゃあ…行くね。あ、あんたは、もう飲んじゃ駄目よ!早めに帰って寝る事!いいわね?」
「…………ああ」
入口へ向かっていく彼女の背中を、ぼんやりと見送る。
「後…」
そこで柳宿がもう一度立ち止まり振り返る事で、初めてマトモに目が合う。
「話…黙って、聞いててくれてありがと。楽しかったよ…あたし」
その笑顔は、昨日、自分を襲った人間に向けているとは思えない程に美しく輝いていたーーー
「ちい~す」
「団長~今日は、どないするんですかあ?」
柳宿が出ていき程なくすると、団員がゾロゾロと入ってきた。
綺麗に巻き直した包帯が彼らの目につく前に、翼宿はそっとジャケットを羽織る。
「すまん。俺、今日帰るわ。調子、悪くてな…今日の仕事は攻児に任せるって、伝えててくれ」
「え!?団長!大丈夫っすか?」
その手にさっき自分にかけられていた柳宿のカーディガンを持ち、そのまま飲み屋を後にした。
バサバサ…ッ
写真屋の袋を逆さまにすると、現像仕立ての写真が何枚か落ちる。
それら一枚一枚を確認した女は、フンと鼻を鳴らした。
「まだだわ…もっと決定的な証拠を押さえないと、あの子を痛めつける事は出来ない」
空き教室に二人きりでいる現場と、女が男に背負われてプレハブから出てきている現場と、そしてそのまま男の自宅に連れ込まれる現場と。
そんな光景が映し出された写真を大事そうに机の引き出しに閉まい、玉麗は呟いた。
「星宿先生は、あたしのものよ…柳宿なんかに、このままいいようにされてたまるもんですか」
Plllllll
深夜3時。賭博から帰ったばかりの攻児の携帯が鳴った。
「へい、こちら攻児…」
『俺や』
「おお、翼宿。体壊したんやって?大丈夫か?」
『ああ、すまんな…だいぶ、楽になったわ。あいつらは…?』
「お前がいないと覇気が出ないって、帰ってったわ。俺じゃ、あかんて」
『…んな事ないやろ』
携帯片手に掃除が行き届いたバーカウンターに座り、傍らにある段ボールから缶ビールを一本取り出す。
「どうしたんや?わざわざ電話よこすなんて、珍しいな」
『…俺の事、調べてた女と…会ったんや』
「ホンマか?ボコボコにしたったんやろな?」
『いや…それがな』
いつになく動揺している声の翼宿から、攻児は事の経緯を聞いた。
全てを聞き終えると、一度、ビールで喉を潤した後でニヤリと笑う。
「…………はーん?」
『何やねん、気持ち悪い』
「そんで?すっかりなつかれた訳やな?」
『そんなん…向こうが勝手にや』
「まあ、その女のお陰で命拾いしたんや。お前そういうのは義理深いから、もう何も言えへんかったんやろ?」
『すまん…』
「別に謝る事あらへんけど…おい。まさかまさか、お前…え?女嫌いのお前が?」
『何で、そうなるんや!しばくぞ!』
「冗談や。ま、もう会わない方がええな。俺からはそれしか言えん」
『もちろんや…』
「お前がいなくなったら…TSUBASAは、終わりやからな」
『何を大袈裟な…』
「ふっ…まだ、寝てろ。明日は、きちんと顔出せよ」
『ああ、悪かったな』
「はいはい~」
攻児は陽気に電話を切ると、そっと煙草に火をつける。
先程までの声とは裏腹に、その瞳は真剣なものだった。
「そろそろ…本気で、畳まな…あかんのかもな」
その電話の声を聞き、もしかしたら翼宿は次の居場所を見つけるかもしれない。
TSUBASAの創設者は、このように考えたのである。
翌日の水曜日。朱雀学園の駐車場に、星宿のワンボックスカーが入っていく。
今日は開校記念日で休日だが、教材準備のために星宿は学校に来ていた。
外に出ると、校庭からは生徒達が部活動をしている声が聞こえる。
車のドアを閉めて、玄関へ向かおうとした時。
ドルルルルルル
自分の横を、一台のバイクが通りすぎた。
ヘルメットの中から微かに見えたのは、あの橙色の髪の毛。
「………っ!?」
咄嗟に星宿は身構えたが、そのバイクは来校者用の置き場にきちんと停まり、ヘルメットの中からは髪の毛を整え化粧を落とした翼宿の顔が出て来た。
その姿に唖然としていると、彼の顔はこちらを向く。
目が合っても睨まれる事はなく、寧ろ、彼の瞳はどこか気まずそうにさえ見えたが、用件は向こうから切り出された。
「星宿。ちょっと…ええか?」
「………ああ」
二人の男が再会する時。間に一人の女を挟んだ複雑な関係へと発展していく…
額に冷たさを感じ、翼宿はそっと目を開けた。
「…翼宿!よかった…気がついた」
枕元では、先程に強く拒んだ筈の女が安心したように笑っている。
見ると、部屋の中で一際大きいソファに横付けで寝かされていた。
床に散らばっていた酒の缶の残骸やゴミは綺麗に片付けられており、自分達が今まで過ごしてきた部屋ではないかのように小綺麗になっている。
「ねえ…あんた、この右腕、一度包帯外してそのままにしてたんでしょ?」
「………っ」
右腕を指摘されて見ると、丁寧に巻かれた包帯が目に入った。
攻児に手当てされた時は邪魔にしか感じなかった包帯が患部にしっかりと密着しており、動かすととても軽く感じる。
「きちんと治らないままで動いたのが、高熱の原因。暫くは、動くの禁止!40度近く出てたんだからね?」
そこで、やっと目の前で自分に説教をするこの女が自分の体を楽にしてくれたのだと悟った。
「体も、少し楽になったでしょ?あたしがいつも持ち歩いてる特製ハーブティー飲ませたのよ。高熱には、これが一番効くのよね。あたし、看護婦目指してるからさ!あんたが、いい実験台になってくれてよかったわ」
そう語っている顔は本当に嬉しそうで、最早反論の言葉が見つからない。
寧ろ、絞り直した布を再び自分の額にあてる彼女の顔が喉が鳴る程に優しく美しく見えた。
「朱雀学園も、結構、名門校じゃない?一流の看護大学に進学するにはあそこしかなくて、結構頑張ったなあ」
「……………」
「あそこなら、あたしの夢が叶う気がするんだ…」
瞳を輝かせながら将来を語るその姿を見ていると、今の自分には彼女を憎む気にはなれなかった。
それどころか、そんな彼女が少し羨ましいとさえ思えている。
しかし依然何も言えないでいる自分の態度から何かを察したのか、柳宿が少し瞳を伏せた。
「ごめんね…一番、顔見たくない奴に看病されても…嬉しくないわよね。あんたの熱、上げちゃったのもあたしかもしれないのに」
「………っ」
「こないだも、色々と偉そうな事言ってごめん。あんたの本当の気持ちは、あんたにしか分からないのに…あたし」
「………もう、ええ………」
その言葉を遮るように、自分の口をついて出たのはこんな言葉だった。
彼女が自分を責める姿を見るのが、なぜか嫌だった。
本当は、今、ここにいてくれるのが有難いくらいの存在だから。
「え…?」
もちろん、目の前の女もきょとんとした顔でこちらを見ている。
「お前には………呆れたって事や」
本当は言うべき礼の代わりにその言葉を吐くと、そっぽを向いた。
「…翼宿」
その不器用な優しさは柳宿にも伝わったようで、そっと涙を拭う仕草を見せた。
「…ねえ。何か、食べたいものある?お酒以外なら、寧ろ、お腹に何か入れた方がいいから…あたし、買ってきて…」
「…いや」
しかし、最早、ここまでだ。自分を気遣う彼女を、一度、諌める。
「もう、仲間が来る頃や。はよ、帰れ。それにこの時間になると、危ない奴らがうろうろしてるで」
「…翼宿」
そっぽを向いたままだが、その言葉には翼宿の心配の意が込められていた。
「……、……分かった。じゃあ…行くね。あ、あんたは、もう飲んじゃ駄目よ!早めに帰って寝る事!いいわね?」
「…………ああ」
入口へ向かっていく彼女の背中を、ぼんやりと見送る。
「後…」
そこで柳宿がもう一度立ち止まり振り返る事で、初めてマトモに目が合う。
「話…黙って、聞いててくれてありがと。楽しかったよ…あたし」
その笑顔は、昨日、自分を襲った人間に向けているとは思えない程に美しく輝いていたーーー
「ちい~す」
「団長~今日は、どないするんですかあ?」
柳宿が出ていき程なくすると、団員がゾロゾロと入ってきた。
綺麗に巻き直した包帯が彼らの目につく前に、翼宿はそっとジャケットを羽織る。
「すまん。俺、今日帰るわ。調子、悪くてな…今日の仕事は攻児に任せるって、伝えててくれ」
「え!?団長!大丈夫っすか?」
その手にさっき自分にかけられていた柳宿のカーディガンを持ち、そのまま飲み屋を後にした。
バサバサ…ッ
写真屋の袋を逆さまにすると、現像仕立ての写真が何枚か落ちる。
それら一枚一枚を確認した女は、フンと鼻を鳴らした。
「まだだわ…もっと決定的な証拠を押さえないと、あの子を痛めつける事は出来ない」
空き教室に二人きりでいる現場と、女が男に背負われてプレハブから出てきている現場と、そしてそのまま男の自宅に連れ込まれる現場と。
そんな光景が映し出された写真を大事そうに机の引き出しに閉まい、玉麗は呟いた。
「星宿先生は、あたしのものよ…柳宿なんかに、このままいいようにされてたまるもんですか」
Plllllll
深夜3時。賭博から帰ったばかりの攻児の携帯が鳴った。
「へい、こちら攻児…」
『俺や』
「おお、翼宿。体壊したんやって?大丈夫か?」
『ああ、すまんな…だいぶ、楽になったわ。あいつらは…?』
「お前がいないと覇気が出ないって、帰ってったわ。俺じゃ、あかんて」
『…んな事ないやろ』
携帯片手に掃除が行き届いたバーカウンターに座り、傍らにある段ボールから缶ビールを一本取り出す。
「どうしたんや?わざわざ電話よこすなんて、珍しいな」
『…俺の事、調べてた女と…会ったんや』
「ホンマか?ボコボコにしたったんやろな?」
『いや…それがな』
いつになく動揺している声の翼宿から、攻児は事の経緯を聞いた。
全てを聞き終えると、一度、ビールで喉を潤した後でニヤリと笑う。
「…………はーん?」
『何やねん、気持ち悪い』
「そんで?すっかりなつかれた訳やな?」
『そんなん…向こうが勝手にや』
「まあ、その女のお陰で命拾いしたんや。お前そういうのは義理深いから、もう何も言えへんかったんやろ?」
『すまん…』
「別に謝る事あらへんけど…おい。まさかまさか、お前…え?女嫌いのお前が?」
『何で、そうなるんや!しばくぞ!』
「冗談や。ま、もう会わない方がええな。俺からはそれしか言えん」
『もちろんや…』
「お前がいなくなったら…TSUBASAは、終わりやからな」
『何を大袈裟な…』
「ふっ…まだ、寝てろ。明日は、きちんと顔出せよ」
『ああ、悪かったな』
「はいはい~」
攻児は陽気に電話を切ると、そっと煙草に火をつける。
先程までの声とは裏腹に、その瞳は真剣なものだった。
「そろそろ…本気で、畳まな…あかんのかもな」
その電話の声を聞き、もしかしたら翼宿は次の居場所を見つけるかもしれない。
TSUBASAの創設者は、このように考えたのである。
翌日の水曜日。朱雀学園の駐車場に、星宿のワンボックスカーが入っていく。
今日は開校記念日で休日だが、教材準備のために星宿は学校に来ていた。
外に出ると、校庭からは生徒達が部活動をしている声が聞こえる。
車のドアを閉めて、玄関へ向かおうとした時。
ドルルルルルル
自分の横を、一台のバイクが通りすぎた。
ヘルメットの中から微かに見えたのは、あの橙色の髪の毛。
「………っ!?」
咄嗟に星宿は身構えたが、そのバイクは来校者用の置き場にきちんと停まり、ヘルメットの中からは髪の毛を整え化粧を落とした翼宿の顔が出て来た。
その姿に唖然としていると、彼の顔はこちらを向く。
目が合っても睨まれる事はなく、寧ろ、彼の瞳はどこか気まずそうにさえ見えたが、用件は向こうから切り出された。
「星宿。ちょっと…ええか?」
「………ああ」
二人の男が再会する時。間に一人の女を挟んだ複雑な関係へと発展していく…