百花繚乱・第三部
"彼女は、恐らくお前を慕っている。だけど、もしもお前が柳宿の生まれ変わりとして彼女を見ているなら…その気持ちには答えない方がいいのだ"
井宿は自分にそれだけを言い残し、厲閣山を去っていった。
見送りを終えた翼宿は、頭の部屋へと続く廊下を歩いていく。
秋桜の鎖骨に、光輝く文字を見た時から。
自分は、自然とこの女を護りたいという衝動に駆られた。
しかし、それは秋桜が柳宿の生まれ変わりだと知ったから。
それも、ある。確かに、それもある。
けれど星見祭りの日に兄に捨てられて泣きついてきた彼女に、してやりたかった事は?
永安に捨てられて泣きじゃくっていた彼女に、してやりたかった事は?
それは、男として女の彼女にしてやりたかった事だった筈だ。
その気持ちすらも、彼女の中の柳宿に対してしての気持ちからだったのだろうか?
頭の中では、こんな自問自答が繰り返されていた。
『幻狼!』
そんな自分に声をかけてきたのは、まさしくこの家の使用人。
『井宿さん…帰ったの?』
『おう。流浪の旅人やからな…一ヶ所に長居は出来んらしいんや』
『なーんだ。少しは旅のお話…聞けると思ったのになあ』
振り返らずとも、その頬をぶうと膨らませている秋桜の姿が浮かぶ。
そして次には、甘えたように翼宿の腕に飛び付いてきた。
『まあ、いいや!ここには、幻狼がいるもんね!ねえねえ!旅のお話、今夜ゆっくり聞かせてよ!あんまり話してくれなかったじゃん、\"翼宿\"は!!』
『…………っ』
初めて、この女に七星名を呼ばれた。途端に過るのは、やはりあの七星の笑顔…
翼宿は、咄嗟に彼女から身を離した。
『げんろー?』
秋桜は、きょとんと首を傾げている。
『…………なあ。秋桜。落ち着いたら…ここの山賊と見合いしてみる気ないんか?』
『え…?』
自分でも、何を言っているのか分からない。
それでも、翼宿の口は止まらなかった。
『それと前々から思ってたんやけど…やっぱり年頃の娘といつまでも同じ部屋で寝るのも…な。頭の立場として示しつかへんねん』
そして、呆然自失する秋桜に翼宿は背を向けた。
彼女の唇が震えている事にも、気がついていたけれど。
『俺は暫く仕事部屋で寝るから、少し一人で考えてみろ。な?お前には、はよう幸せになって貰いたいんや』
早口で言い終えると、意を決してスタスタとその場を離れた。
純粋に思いをぶつけてくる、その姿を無視したまま…
そのまま廊下の角を曲がると、誰かにぶつかった。
顔を上げると、それはよりによって、一番会いたくなかった人物。
『…攻児』
『頭。ご無事で、何よりやったな』
その仰々しい言葉に、今のやりとりを全て聞かれていたのだと…翼宿は、瞬時に悟った。
カチャカチャ
秋桜は、米花婆さんと共に夕飯の準備に取りかかっていた。
しかし、その表情は依然沈んだままで…
『秋桜。やはり、今日は疲れたんじゃないのかね?もう準備は整うし、配膳くらいはワシがやるよ』
『な、何言ってるの?米花婆さん!最近腰が痛いって、言ってたじゃない!配膳こそ、あたしの出番でしょ?』
年配に気を遣われてはたまったものではないと、その気遣いに笑顔で返す。
布巾を絞って、料理を並べる机を拭きに向かう。
すると、自分の席に手当て用具が乗せられている事に気付いた。
『あ…』
そういえば先程翼宿に声をかけた本来の目的は、彼の包帯の交換の為だった。
あのような言葉をかけられてそのまま持ち帰ってきてしまったが、どのみち交換時期だっただろう。
本来、山賊の手当ては使用人の役目。それに傷の場所は利き手だったので、彼一人では交換は困難だ。
使用人として、いつも通り接する分には構わないだろう。
『ごめん、米花婆さん!あたし、ちょっと頭の部屋に行ってくる!』
時を同じくして、その頃の頭の部屋には神妙な空気が流れていた。
首領と副頭共に向かい合い、腕組みをしている。
暫く流れた沈黙を破ったのは、副頭の方だった。
『………お前、何であんな言い方したんや?』
その頃、秋桜は頭の部屋の前に辿り着いた。
息を呑み、その扉を開こうとしたその時。
『秋桜の気持ち、お前だって分かってたやろ?』
中から聞こえてきた攻児の声に、その手を止めた。
『………何、言うてんねん。あいつが好きなのは、永安やろ。俺はただの…』
『ただの兄代わりて、シラ切る気か?』
『……………』
『なあ?ホンマは、惚れてたんやろ?じゃなかったら、女嫌いのお前があいつと行動を共にしたり同じ部屋で寝たりするかい!』
『…攻児!』
その言い合いに、心臓が早鐘を打つ。
次に聞こえるのは、きっと彼の本音だ。
秋桜は、額に流れる汗を感じた。
『攻児。あいつは…柳宿の生まれ変わりなんや』
しかし次に聞こえてきたのは、想像を遥かに絶する言葉。
『んな…!?』
『俺…よう分からんくなってきたんや。あいつは大事やけど…頭の片隅にはいつも柳宿の姿があって…それはきちんと秋桜を見てない事に繋がるんやないかって…だから、あいつに見合いを薦めて遠ざけたんや。俺の気持ちに…踏ん切りつかせるために』
『お前が…柳宿さんを愛していたから?』
自分は、柳宿の、朱雀七星の生まれ変わり。
そして、翼宿は柳宿を愛していた?
気付くと、秋桜は元来た道へ踵を返していた。
バタン!
自分の部屋の扉を閉めると、ゆっくりと地に膝をついた。
『…………っ。幻狼』
彼だけは、信じられると思った…本当の自分を見てくれていると思った。
だけど、違う。彼は自分を通して、もう一人の人物を見ていたのだ。
それは会った事もない、秋桜のライバル。
その時、右腕に付けていた御守りに気がついた。
睨み付け、それを乱暴に掴む。
『………これも、その人の!』
カシャーーーン
渾身の力を込めて外した御守りは、部屋の片隅に投げ付けられた。
『…………っく………ああっ!!』
自分の中にその七星の影がある限り、翼宿の心を振り向かせる事は出来ない。
秋桜は、泣き続けた。
カタン…
米花婆さんが夕飯が出来た事を知らせに来ても、翼宿はなぜかすぐに赴く気にはなれなかった。
そのまま夜風に当たりに、誰もいない庭園へと出る。
あんな決断を下したところで、やっぱり動揺しているのは自分自身でもあり。気持ちを落ち着かせて、秋桜のいる食堂へ向かわなければ。
大きく深呼吸をしていると…物陰にひとつの人影が見える。
翼宿は、目を凝らした。
それは、どこかで見たような女の影。
『あ…』
『幻狼さん!!』
そしてその影も翼宿の姿を認めると、嬉しそうにこちらに駆け寄ってくる。
『嬉しい!こんなすぐに、あなたに会えるだなんて!』
『髣花(ほうか)さん!?あんた…また、どうして…』
そう。その女性は、先日のお見合い中に翼宿を襲った髣花という女性。
見送りの返事を送ったにも関わらず、彼女はまた翼宿に会いに来たのだ。
否応なく、その腕を翼宿の首に絡めてくる。
『わたしあれから何度か別の方とお見合いしたんですけど、幻狼さんの事が忘れられなくて…宮殿を抜け出して来てしまいましたの!』
『そ、そんなんアカンですよ!こちらとしても見送りの返事を送ったんですから…とにかく、帰ってください!』
少々強めに髣花の肩を押し、翼宿は怒鳴った。
普段は女に強くは出られないが、この女ばかりは生理的に受け付けない。
すると突然その顔が、鬼のように歪んだ。
『え…?』
『どうして…どうして、そんな事を言うのです…?わたしは…あなたを…あなただけを…思っていたのに!!』
そして彼女は突如髪を振り乱し、そのまま後ろの土手へ向かって走り去っていく。
『髣花さん!!そっちは、崖です!危ない…』
ガラガラ…
不運にも、翼宿の手は彼女の手を掴み損ねた。
支えを失ったその体は、谷底へと吸い込まれていく。
『あああっ!!』
後に残ったのは、女の悲鳴。
そして。
『お嬢様あ!!』
髣花を追いかけてきたのであろう従者がその光景をちょうど目撃し、翼宿と並び谷底へ向かって声をあげた。
その後ろからも、何人もの兵士達が駆け付けてくる。
そして従者は、キッと翼宿を睨んだ。
『貴様!!よくも、倶東国・蝋陀(ろうだ)の姫を!!引っ捕らえよ!!』
『…………っ!』
従者の命令で、抵抗出来ないでいる厲閣山首領の身柄が兵士達によってあっという間に固められた。
井宿は自分にそれだけを言い残し、厲閣山を去っていった。
見送りを終えた翼宿は、頭の部屋へと続く廊下を歩いていく。
秋桜の鎖骨に、光輝く文字を見た時から。
自分は、自然とこの女を護りたいという衝動に駆られた。
しかし、それは秋桜が柳宿の生まれ変わりだと知ったから。
それも、ある。確かに、それもある。
けれど星見祭りの日に兄に捨てられて泣きついてきた彼女に、してやりたかった事は?
永安に捨てられて泣きじゃくっていた彼女に、してやりたかった事は?
それは、男として女の彼女にしてやりたかった事だった筈だ。
その気持ちすらも、彼女の中の柳宿に対してしての気持ちからだったのだろうか?
頭の中では、こんな自問自答が繰り返されていた。
『幻狼!』
そんな自分に声をかけてきたのは、まさしくこの家の使用人。
『井宿さん…帰ったの?』
『おう。流浪の旅人やからな…一ヶ所に長居は出来んらしいんや』
『なーんだ。少しは旅のお話…聞けると思ったのになあ』
振り返らずとも、その頬をぶうと膨らませている秋桜の姿が浮かぶ。
そして次には、甘えたように翼宿の腕に飛び付いてきた。
『まあ、いいや!ここには、幻狼がいるもんね!ねえねえ!旅のお話、今夜ゆっくり聞かせてよ!あんまり話してくれなかったじゃん、\"翼宿\"は!!』
『…………っ』
初めて、この女に七星名を呼ばれた。途端に過るのは、やはりあの七星の笑顔…
翼宿は、咄嗟に彼女から身を離した。
『げんろー?』
秋桜は、きょとんと首を傾げている。
『…………なあ。秋桜。落ち着いたら…ここの山賊と見合いしてみる気ないんか?』
『え…?』
自分でも、何を言っているのか分からない。
それでも、翼宿の口は止まらなかった。
『それと前々から思ってたんやけど…やっぱり年頃の娘といつまでも同じ部屋で寝るのも…な。頭の立場として示しつかへんねん』
そして、呆然自失する秋桜に翼宿は背を向けた。
彼女の唇が震えている事にも、気がついていたけれど。
『俺は暫く仕事部屋で寝るから、少し一人で考えてみろ。な?お前には、はよう幸せになって貰いたいんや』
早口で言い終えると、意を決してスタスタとその場を離れた。
純粋に思いをぶつけてくる、その姿を無視したまま…
そのまま廊下の角を曲がると、誰かにぶつかった。
顔を上げると、それはよりによって、一番会いたくなかった人物。
『…攻児』
『頭。ご無事で、何よりやったな』
その仰々しい言葉に、今のやりとりを全て聞かれていたのだと…翼宿は、瞬時に悟った。
カチャカチャ
秋桜は、米花婆さんと共に夕飯の準備に取りかかっていた。
しかし、その表情は依然沈んだままで…
『秋桜。やはり、今日は疲れたんじゃないのかね?もう準備は整うし、配膳くらいはワシがやるよ』
『な、何言ってるの?米花婆さん!最近腰が痛いって、言ってたじゃない!配膳こそ、あたしの出番でしょ?』
年配に気を遣われてはたまったものではないと、その気遣いに笑顔で返す。
布巾を絞って、料理を並べる机を拭きに向かう。
すると、自分の席に手当て用具が乗せられている事に気付いた。
『あ…』
そういえば先程翼宿に声をかけた本来の目的は、彼の包帯の交換の為だった。
あのような言葉をかけられてそのまま持ち帰ってきてしまったが、どのみち交換時期だっただろう。
本来、山賊の手当ては使用人の役目。それに傷の場所は利き手だったので、彼一人では交換は困難だ。
使用人として、いつも通り接する分には構わないだろう。
『ごめん、米花婆さん!あたし、ちょっと頭の部屋に行ってくる!』
時を同じくして、その頃の頭の部屋には神妙な空気が流れていた。
首領と副頭共に向かい合い、腕組みをしている。
暫く流れた沈黙を破ったのは、副頭の方だった。
『………お前、何であんな言い方したんや?』
その頃、秋桜は頭の部屋の前に辿り着いた。
息を呑み、その扉を開こうとしたその時。
『秋桜の気持ち、お前だって分かってたやろ?』
中から聞こえてきた攻児の声に、その手を止めた。
『………何、言うてんねん。あいつが好きなのは、永安やろ。俺はただの…』
『ただの兄代わりて、シラ切る気か?』
『……………』
『なあ?ホンマは、惚れてたんやろ?じゃなかったら、女嫌いのお前があいつと行動を共にしたり同じ部屋で寝たりするかい!』
『…攻児!』
その言い合いに、心臓が早鐘を打つ。
次に聞こえるのは、きっと彼の本音だ。
秋桜は、額に流れる汗を感じた。
『攻児。あいつは…柳宿の生まれ変わりなんや』
しかし次に聞こえてきたのは、想像を遥かに絶する言葉。
『んな…!?』
『俺…よう分からんくなってきたんや。あいつは大事やけど…頭の片隅にはいつも柳宿の姿があって…それはきちんと秋桜を見てない事に繋がるんやないかって…だから、あいつに見合いを薦めて遠ざけたんや。俺の気持ちに…踏ん切りつかせるために』
『お前が…柳宿さんを愛していたから?』
自分は、柳宿の、朱雀七星の生まれ変わり。
そして、翼宿は柳宿を愛していた?
気付くと、秋桜は元来た道へ踵を返していた。
バタン!
自分の部屋の扉を閉めると、ゆっくりと地に膝をついた。
『…………っ。幻狼』
彼だけは、信じられると思った…本当の自分を見てくれていると思った。
だけど、違う。彼は自分を通して、もう一人の人物を見ていたのだ。
それは会った事もない、秋桜のライバル。
その時、右腕に付けていた御守りに気がついた。
睨み付け、それを乱暴に掴む。
『………これも、その人の!』
カシャーーーン
渾身の力を込めて外した御守りは、部屋の片隅に投げ付けられた。
『…………っく………ああっ!!』
自分の中にその七星の影がある限り、翼宿の心を振り向かせる事は出来ない。
秋桜は、泣き続けた。
カタン…
米花婆さんが夕飯が出来た事を知らせに来ても、翼宿はなぜかすぐに赴く気にはなれなかった。
そのまま夜風に当たりに、誰もいない庭園へと出る。
あんな決断を下したところで、やっぱり動揺しているのは自分自身でもあり。気持ちを落ち着かせて、秋桜のいる食堂へ向かわなければ。
大きく深呼吸をしていると…物陰にひとつの人影が見える。
翼宿は、目を凝らした。
それは、どこかで見たような女の影。
『あ…』
『幻狼さん!!』
そしてその影も翼宿の姿を認めると、嬉しそうにこちらに駆け寄ってくる。
『嬉しい!こんなすぐに、あなたに会えるだなんて!』
『髣花(ほうか)さん!?あんた…また、どうして…』
そう。その女性は、先日のお見合い中に翼宿を襲った髣花という女性。
見送りの返事を送ったにも関わらず、彼女はまた翼宿に会いに来たのだ。
否応なく、その腕を翼宿の首に絡めてくる。
『わたしあれから何度か別の方とお見合いしたんですけど、幻狼さんの事が忘れられなくて…宮殿を抜け出して来てしまいましたの!』
『そ、そんなんアカンですよ!こちらとしても見送りの返事を送ったんですから…とにかく、帰ってください!』
少々強めに髣花の肩を押し、翼宿は怒鳴った。
普段は女に強くは出られないが、この女ばかりは生理的に受け付けない。
すると突然その顔が、鬼のように歪んだ。
『え…?』
『どうして…どうして、そんな事を言うのです…?わたしは…あなたを…あなただけを…思っていたのに!!』
そして彼女は突如髪を振り乱し、そのまま後ろの土手へ向かって走り去っていく。
『髣花さん!!そっちは、崖です!危ない…』
ガラガラ…
不運にも、翼宿の手は彼女の手を掴み損ねた。
支えを失ったその体は、谷底へと吸い込まれていく。
『あああっ!!』
後に残ったのは、女の悲鳴。
そして。
『お嬢様あ!!』
髣花を追いかけてきたのであろう従者がその光景をちょうど目撃し、翼宿と並び谷底へ向かって声をあげた。
その後ろからも、何人もの兵士達が駆け付けてくる。
そして従者は、キッと翼宿を睨んだ。
『貴様!!よくも、倶東国・蝋陀(ろうだ)の姫を!!引っ捕らえよ!!』
『…………っ!』
従者の命令で、抵抗出来ないでいる厲閣山首領の身柄が兵士達によってあっという間に固められた。