百花繚乱・第三部
『幻狼!ホンマにすまん!』
『あん?前科がありすぎて、何に対して謝ってるんか分からんのやけど』
頭の部屋にて、攻児は先程から何度も何度も床に頭を擦りつけている。
その部屋の扉の前では、一連の騒動を知らない山賊が何事かと野次馬の如く集まってきていた。
『せやから…勝手に冷龍山に行った事もやし…蠱毒飲まされてお前と秋桜襲った事もやし…』
おどおどしながら言葉を続ける相棒の姿は、何とも情けない…
翼宿はため息をついて立ち上がると窓からの景色に目を移し、静かに告げた。
『もう、ええて。お前が死ななくて…よかったわ』
『幻狼…』
『それで?命懸けで偵察に行ったんやから…頭の俺に報告する事もあるんやろ?』
その質問に、攻児はくっと息を呑む。
『あいつら…本気やで。本気で頭であるお前を潰して、秋桜を奪い取るつもりや』
『……………』
『どうするん?幻狼…山の事も。秋桜の事も』
暫しの沈黙が流れた後、豪勢な頭の椅子に腰を落としながら首領は静かに口を開いた。
『山も秋桜も…あいつらに渡す訳にはいかん。礼清帝も援軍を出してくれるって言うとったし…その気になれば、戦も起こす覚悟や』
『………さよか』
窓から遠くに見える田畑では、今日の当番の部下が笑いながら畑を耕しているのが見える。
『戦慣れしてない厲閣山やけど…しゃあないやろな。今日から、稽古も強化するで』
『あ!永安!』
一方、屋敷の入口近くで、宮殿からの報告事を終えて馬に戻ろうとした永安が誰かに呼び止められた。
彼を呼び止めた女の声は他でもない、この屋敷に住まう唯一の女子・秋桜だった。
『………秋桜』
いつもなら、彼女を見かけると瞳を輝かせていた永安。
しかし、今日の彼の表情は曇っていた。
それに気付かず、秋桜は彼の目の前まで駆け寄る。
『来てたんなら、声かけてくれればいいのに~!急いでたの?』
『………いや』
『最近、文もパッタリ止まってたから、心配してたのよ?宮殿で、何かあったのかと…』
そこで永安の両の拳が震えている事に気付き、秋桜は言葉を止めた。
『な、なあに?永安…何か…』
『秋桜…婚約は…破談にしよう』
その美しい唇から発せられた言葉に、秋桜は暫し呆然とした。
『どういう…こと?』
『……………………』
『永安?』
ふらりと近寄り、相手の腕を掴んだ。
『ねえ…どうして、急にそんな事言うの?あたし…あなたに、何かした?』
『………冷龍山だよ!』
耐えかねたように、語調を荒げる永安。
今まで見た事がないような怯えと怒りが入り交じった表情で、秋桜を見下ろす。
『あの山賊の頭が…お前の兄さんなんだろう!?』
『…………っ!』
宮殿にも、とっくにその情報は漏れていた。
自分の事ばかり考えていた秋桜には、彼に弁解するなどという頭は今の今までなかったのだ。
『………ん?』
ちょうどその頃、翼宿との打ち合わせを終えて自室に戻ろうとしていた攻児が二人の姿を見かける。
ただならぬ雰囲気が二人の間に流れている事は、遠くから見ていてもすぐに分かった。
『…どうしたんや?あいつら』
『…永安。ごめんなさい…色々大変で…あなたに報告するのが遅れちゃっただけなんだ。…確かに冷龍山の頭は、あたしの兄さんなの。でもね!これから、幻狼と一緒に兄さんを助けようって話をしてる。だからあなたと結婚する頃には、兄さんもちゃんと家族に…』
『そういう問題じゃないよ!』
馬の手綱を引いて秋桜と距離を離した永安は、核心をついた言葉を吐き出す。
『元・頭になったとしても…僕らの家系には受け入れられない』
『えい…あん。ちょっと…待って』
そして馬に素早く飛び乗り、その腹を蹴った。
『ごめんね、秋桜…それじゃあ』
『永安!永安ーーー!!』
馬は、手綱を引くメッセンジャーを乗せて宮殿への帰路を疾走していった。
地に膝をついた秋桜だけが、その場に残された。
『偉いこっちゃで!幻狼!!』
『な、何やねん!?また、太一でも来たんか…!?』
先程切り上げさせた攻児が息急ききって頭の間に再び飛び込んできた事に、翼宿は目を丸くする。
『秋桜の奴…永安と上手くいかなくなってん!多分…宮殿で、あいつの兄貴の事が広まって…』
『何やて!?』
続きを聞かずに翼宿は部屋を飛び出し、中庭を目指した。
しかし、そこには永安の姿も秋桜の姿もなかった。
『お、おい…どこで話しとったねん?その二人…』
『そこの入口近くで、話しとったんやけど…おかしいな。秋桜だけでも、おるもんやと…』
その言葉に、翼宿の頭は真っ白になる。
今、秋桜を一人にするのは危険すぎる。
『おい!部下も呼んで、屋敷と森に分かれて探させろ!こんな時に太一にでも見つかりでもしたら、たまったもんやないで!』
『あ…ああ!』
そして自分は一目散に、宮殿へ続く獣道へと足を向けた。
『永安…永安!』
その頃、翼宿が足を向けたまさにその獣道の中に秋桜はいた。
方角も分からないまま、それでも永安を追いかけようと必死に藪を突き進んでいく。
『誤解なの…!永安。あなたまで…あたしを置いていかないで…』
オオーーン
すると、遠くから狼の鳴き声が聞こえてくる。
その声に秋桜はビクリと体を震わせて、立ち止まった。
『あたし…どこから…来たんだっけ』
無我夢中で永安の後を追いかけてきたつもりだったが、我に返ると自分がどこから来てどこへ向かっているのかまるで検討がつかない。
その上、西では夕陽が傾きかけており、元々薄暗い道が更に薄暗くなってきていた。
\"ええか?秋桜。宮殿に続く獣道には、絶対入ったらあかんからな?あそこは狂暴な動物がおるし、敵の山賊の罠も仕掛けられてるかもしれん。宮殿に行きたかったら俺が連れてったるから、一人では絶対行くんやないで\"
小さい頃から゙兄゙にそう言い聞かされてきた言葉が、今になって甦る。
帰らなければ…幻狼のところへ、帰らなければ。
後退りをしてそのまま踵を返そうとした、その時だった。
グイッ
バチ…
『…………あっ』
踵で何かを踏み付けたような感覚…続けて、頭上で何かが弾けるような音がした。
恐る恐る見上げると、真上からはたくさんの棘が付いた板が落ちてきていた。
『きゃあああっ!!』
避けられず、その場にしゃがみこむ。
幻狼……………!!
『……………秋桜!!』
ガシャアン!!!
『久々に狼が罠に嵌まったと思ったら…何だ。人間かよ』
『迷い込んじまったんだなあ…可哀想に…』
その罠が発動して十分後…様子を見に来た山賊が仕掛けた罠に近寄ってきた。
しかしその獲物を覗き込んで、一人が息を呑んだ。
『お…おい!この男と…庇われてる娘っこって!』
『厲閣山の頭と…太一頭の妹…!?』
冷龍山山賊が仕掛けた罠の下には、気絶した秋桜を庇って倒れた翼宿の姿があった…
『あん?前科がありすぎて、何に対して謝ってるんか分からんのやけど』
頭の部屋にて、攻児は先程から何度も何度も床に頭を擦りつけている。
その部屋の扉の前では、一連の騒動を知らない山賊が何事かと野次馬の如く集まってきていた。
『せやから…勝手に冷龍山に行った事もやし…蠱毒飲まされてお前と秋桜襲った事もやし…』
おどおどしながら言葉を続ける相棒の姿は、何とも情けない…
翼宿はため息をついて立ち上がると窓からの景色に目を移し、静かに告げた。
『もう、ええて。お前が死ななくて…よかったわ』
『幻狼…』
『それで?命懸けで偵察に行ったんやから…頭の俺に報告する事もあるんやろ?』
その質問に、攻児はくっと息を呑む。
『あいつら…本気やで。本気で頭であるお前を潰して、秋桜を奪い取るつもりや』
『……………』
『どうするん?幻狼…山の事も。秋桜の事も』
暫しの沈黙が流れた後、豪勢な頭の椅子に腰を落としながら首領は静かに口を開いた。
『山も秋桜も…あいつらに渡す訳にはいかん。礼清帝も援軍を出してくれるって言うとったし…その気になれば、戦も起こす覚悟や』
『………さよか』
窓から遠くに見える田畑では、今日の当番の部下が笑いながら畑を耕しているのが見える。
『戦慣れしてない厲閣山やけど…しゃあないやろな。今日から、稽古も強化するで』
『あ!永安!』
一方、屋敷の入口近くで、宮殿からの報告事を終えて馬に戻ろうとした永安が誰かに呼び止められた。
彼を呼び止めた女の声は他でもない、この屋敷に住まう唯一の女子・秋桜だった。
『………秋桜』
いつもなら、彼女を見かけると瞳を輝かせていた永安。
しかし、今日の彼の表情は曇っていた。
それに気付かず、秋桜は彼の目の前まで駆け寄る。
『来てたんなら、声かけてくれればいいのに~!急いでたの?』
『………いや』
『最近、文もパッタリ止まってたから、心配してたのよ?宮殿で、何かあったのかと…』
そこで永安の両の拳が震えている事に気付き、秋桜は言葉を止めた。
『な、なあに?永安…何か…』
『秋桜…婚約は…破談にしよう』
その美しい唇から発せられた言葉に、秋桜は暫し呆然とした。
『どういう…こと?』
『……………………』
『永安?』
ふらりと近寄り、相手の腕を掴んだ。
『ねえ…どうして、急にそんな事言うの?あたし…あなたに、何かした?』
『………冷龍山だよ!』
耐えかねたように、語調を荒げる永安。
今まで見た事がないような怯えと怒りが入り交じった表情で、秋桜を見下ろす。
『あの山賊の頭が…お前の兄さんなんだろう!?』
『…………っ!』
宮殿にも、とっくにその情報は漏れていた。
自分の事ばかり考えていた秋桜には、彼に弁解するなどという頭は今の今までなかったのだ。
『………ん?』
ちょうどその頃、翼宿との打ち合わせを終えて自室に戻ろうとしていた攻児が二人の姿を見かける。
ただならぬ雰囲気が二人の間に流れている事は、遠くから見ていてもすぐに分かった。
『…どうしたんや?あいつら』
『…永安。ごめんなさい…色々大変で…あなたに報告するのが遅れちゃっただけなんだ。…確かに冷龍山の頭は、あたしの兄さんなの。でもね!これから、幻狼と一緒に兄さんを助けようって話をしてる。だからあなたと結婚する頃には、兄さんもちゃんと家族に…』
『そういう問題じゃないよ!』
馬の手綱を引いて秋桜と距離を離した永安は、核心をついた言葉を吐き出す。
『元・頭になったとしても…僕らの家系には受け入れられない』
『えい…あん。ちょっと…待って』
そして馬に素早く飛び乗り、その腹を蹴った。
『ごめんね、秋桜…それじゃあ』
『永安!永安ーーー!!』
馬は、手綱を引くメッセンジャーを乗せて宮殿への帰路を疾走していった。
地に膝をついた秋桜だけが、その場に残された。
『偉いこっちゃで!幻狼!!』
『な、何やねん!?また、太一でも来たんか…!?』
先程切り上げさせた攻児が息急ききって頭の間に再び飛び込んできた事に、翼宿は目を丸くする。
『秋桜の奴…永安と上手くいかなくなってん!多分…宮殿で、あいつの兄貴の事が広まって…』
『何やて!?』
続きを聞かずに翼宿は部屋を飛び出し、中庭を目指した。
しかし、そこには永安の姿も秋桜の姿もなかった。
『お、おい…どこで話しとったねん?その二人…』
『そこの入口近くで、話しとったんやけど…おかしいな。秋桜だけでも、おるもんやと…』
その言葉に、翼宿の頭は真っ白になる。
今、秋桜を一人にするのは危険すぎる。
『おい!部下も呼んで、屋敷と森に分かれて探させろ!こんな時に太一にでも見つかりでもしたら、たまったもんやないで!』
『あ…ああ!』
そして自分は一目散に、宮殿へ続く獣道へと足を向けた。
『永安…永安!』
その頃、翼宿が足を向けたまさにその獣道の中に秋桜はいた。
方角も分からないまま、それでも永安を追いかけようと必死に藪を突き進んでいく。
『誤解なの…!永安。あなたまで…あたしを置いていかないで…』
オオーーン
すると、遠くから狼の鳴き声が聞こえてくる。
その声に秋桜はビクリと体を震わせて、立ち止まった。
『あたし…どこから…来たんだっけ』
無我夢中で永安の後を追いかけてきたつもりだったが、我に返ると自分がどこから来てどこへ向かっているのかまるで検討がつかない。
その上、西では夕陽が傾きかけており、元々薄暗い道が更に薄暗くなってきていた。
\"ええか?秋桜。宮殿に続く獣道には、絶対入ったらあかんからな?あそこは狂暴な動物がおるし、敵の山賊の罠も仕掛けられてるかもしれん。宮殿に行きたかったら俺が連れてったるから、一人では絶対行くんやないで\"
小さい頃から゙兄゙にそう言い聞かされてきた言葉が、今になって甦る。
帰らなければ…幻狼のところへ、帰らなければ。
後退りをしてそのまま踵を返そうとした、その時だった。
グイッ
バチ…
『…………あっ』
踵で何かを踏み付けたような感覚…続けて、頭上で何かが弾けるような音がした。
恐る恐る見上げると、真上からはたくさんの棘が付いた板が落ちてきていた。
『きゃあああっ!!』
避けられず、その場にしゃがみこむ。
幻狼……………!!
『……………秋桜!!』
ガシャアン!!!
『久々に狼が罠に嵌まったと思ったら…何だ。人間かよ』
『迷い込んじまったんだなあ…可哀想に…』
その罠が発動して十分後…様子を見に来た山賊が仕掛けた罠に近寄ってきた。
しかしその獲物を覗き込んで、一人が息を呑んだ。
『お…おい!この男と…庇われてる娘っこって!』
『厲閣山の頭と…太一頭の妹…!?』
冷龍山山賊が仕掛けた罠の下には、気絶した秋桜を庇って倒れた翼宿の姿があった…