百花繚乱・第三部
『これで、よし…と』
翼宿の肘に包帯を丁寧に巻き終えた秋桜は、救急箱の錠をかけた。
『全く…無茶しないでよ?もう、三十路の体なんだから』
『んなっ!親父扱いすんなや!』
とはいえ、久々の襲撃に遭遇して自分の体が鈍っている点に気付いた事は否めない。
翼宿は、気まずそうにぷいと顔を背けた。
『だけど…あんた、やっぱり頭なんだね!敵の\"頭\"の動き仕留めた時のあんた…ちょっと、かっこよかった!』
『………おい』
『永安は剣技は出来るけど、体育会系じゃないからさあ!あんな動きが出来る人も、ちょっと憧れちゃ…』
『秋桜』
真剣に名前を呼ばれ、秋桜の瞳が揺れる。
『さっきの…ホンマなんか?』
唇が震えている女に、翼宿は静かに問いかけた。
『………確かに、兄さんだった。あの栗色の髪と垂れ目の瞳は……間違いなかった』
『秋桜…』
『何で、何で…兄さんが、山賊に…?』
『俺の予測やけど…多分、山賊とトラブルに遭って拐われたんやないかと思う…』
翼宿が低く発した言葉に、秋桜は目を見開いて相手を見た。
そう。あの兄が自分を置いてどこかへ行くなど到底考えられないのだ。であれば、やはり誘拐されたとしか思えない。
『冷龍山ってな。頭は、ええおっさんなんやけど…謀反がしょっちゅう起こりそうになる程、山賊間で分裂がある山らしいねん。せやからお前の兄貴が襲われたんも、その山賊の一部やったんやないかって思う…』
『そんな…』
『そこで偉い扱い受けて…あんな征服欲高い男になってしもたんやないか?』
厲閣山の山賊はみんな頭である翼宿に忠誠を誓い、仲間割れひとつなくここまでやってきた。
\"山賊\"という存在は秋桜にとってとても心強い存在だったのに、自分の兄は\"山賊\"によって酷い目に遭いながらここまで来たという事なのだろうか。
我慢していた涙が、秋桜の頬を伝って落ちた。
『………泣くなや』
『だって…やっと、会えたのに…っく。幻狼にも…危ない事しようとして…それで』
翼宿は、そんな秋桜の頭にそっと手を置いた。
『ええから…今は、何も考えるな。俺らで、お前の兄貴も厲閣山も護る方法考えるから…とりあえず、忘れろ。な?』
『幻狼…』
この十年、実兄よりも傍にいてくれたこの大きな手に安心し、秋桜は素直にこくりと小さく頷いた。
『さよか…俺が出稼ぎに行ってる間に…んな事がなあ』
その日の夜遅くに長引いた出稼ぎから戻ってきた攻児の部屋で、翼宿は粗方昼間の出来事を話し終えた。
『それも驚いたけど…頭の正体もや。厄介な事になってしもたなあ』
『せやな。秋桜…大丈夫か?』
『やっと落ち着いて、寝かし付けてきたとこや』
翼宿の表情は、どことなく疲れているように見えた。
それは、そうだ。今まで安泰を保ってきたゆえ油断すらしていたこの時期に、厲閣山が潰されようとしている。
その上、彼が大事に護ってきた少女すらも危険に晒されていて。
そのプレッシャーは、並大抵の事ではない。
そんな時、副頭の自分に出来る事は?
『幻狼…お前は、秋桜の傍に着いててやれや』
『は?急に、何言うとるん…?』
『いや。こんな事、彼女は永安に言えへんやろうし、お前はずっとあの子と一緒におったんやからな。嫁入り前の妹、しっかり護ってやらんと…』
『出来るなら…そうするけど。せやけど、ボサッともしてられんやろ!とりあえず、明日は宮殿に行って応援の兵を要請できんか頼んでくるわ。せやから、明日はお前が留守番しとけよ。攻児』
『………おう』
しかし、攻児のその返事に威勢はなかった。
この親友の負担を軽くしたい…その思いだけが、彼を突き動かそうとしていたのだ。
『太一頭あ!』
『何事だ?』
翌日、冷龍山の謁見の間に小太りの山賊が冷や汗をかきながら飛び込んできた。
『それが…変な野郎が、門番を倒しながらこちらに向かってきてます!あ、あいつです!!』
慌てふためく山賊の後ろからやってきたのは、左頬に傷を付けた長身の男。
彼はずかずかと謁見の間に踏み込むと、玉座に座る太一を仰ぎ見て一礼をした。
『初めまして…に、なりますかね?太一頭』
『お前は…厲閣山の山賊か?』
『ええ。副頭の攻児いいます』
その言葉に、太一は高らかに笑った。
『単身乗り込んでくるとは、勇気のある副頭だなあ。今日は、幻狼は一緒じゃないのか?』
『ええ。すぐに無理しよる奴ですから、今回はわたしだけです』
『ほう…』
すると、攻児は懐から短剣を取り出して太一に向けた。
『今すぐ、引いて貰おうか?こっちには、あんたの恨み買うような事は何ひとつないんや。あんたの征服欲に付き合わされるのは、まっぴらごめんなんじゃ』
太一はその威嚇を受けたように立ち上がり、玉座から一歩一歩降りてくる。
『なるほど。頭の代わりに、お前がこの山を潰すという訳か?友情ごっことは…いささか苛つく話だ。だがな?俺の狙いは、幻狼と秋桜のみ。お前には、用はないんだよ』
『秋桜は、ずっと厲閣山の人間と生きてきたんや!そんな居場所を奪おうとするお前のトコになんぞ、寝返るかい!』
『そうか…それも、そうだな。ならば』
手元に供えてあった小瓶を頭が手に取ると、それを合図にしたかのように陰に控えていた山賊が攻児にわっと襲い掛かる。
隙を突かれてしまった攻児は、呆気なく後ろ手に締め上げられてしまった。
『くそ…!俺を殺して祭り上げようったって…そうはいかんぞ!』
『祭り上げる?んな、儀式みたいな事はしねえよ』
攻児の髪の毛をぐいと持ち上げると、太一は手に持っている小瓶を掲げた。
『この薬…知ってるか?青龍七星がその昔、朱雀七星に使った蠱毒(こどく)だ』
『………っ!』
攻児にも、聞き覚えがあった。
その昔、朱雀七星・鬼宿が青龍七星の手に落ちて蠱毒を飲まされ、翼宿を襲ったという話。
『お前が、連れてこい…幻狼と秋桜を…ここにな』
『やめろ…!』
\"せやから、明日はお前が留守番しとけよ。攻児\"
翼宿の言い付けを守らなかった後悔が、脳裏を過る。
しかし次には、苦い毒薬が固く閉じた歯茎から入り込んできていて。
げん――――ろう…
全身にドロリとした熱が伝わってくるのを感じた時、攻児の意識はそこで途絶えていた。
翼宿の肘に包帯を丁寧に巻き終えた秋桜は、救急箱の錠をかけた。
『全く…無茶しないでよ?もう、三十路の体なんだから』
『んなっ!親父扱いすんなや!』
とはいえ、久々の襲撃に遭遇して自分の体が鈍っている点に気付いた事は否めない。
翼宿は、気まずそうにぷいと顔を背けた。
『だけど…あんた、やっぱり頭なんだね!敵の\"頭\"の動き仕留めた時のあんた…ちょっと、かっこよかった!』
『………おい』
『永安は剣技は出来るけど、体育会系じゃないからさあ!あんな動きが出来る人も、ちょっと憧れちゃ…』
『秋桜』
真剣に名前を呼ばれ、秋桜の瞳が揺れる。
『さっきの…ホンマなんか?』
唇が震えている女に、翼宿は静かに問いかけた。
『………確かに、兄さんだった。あの栗色の髪と垂れ目の瞳は……間違いなかった』
『秋桜…』
『何で、何で…兄さんが、山賊に…?』
『俺の予測やけど…多分、山賊とトラブルに遭って拐われたんやないかと思う…』
翼宿が低く発した言葉に、秋桜は目を見開いて相手を見た。
そう。あの兄が自分を置いてどこかへ行くなど到底考えられないのだ。であれば、やはり誘拐されたとしか思えない。
『冷龍山ってな。頭は、ええおっさんなんやけど…謀反がしょっちゅう起こりそうになる程、山賊間で分裂がある山らしいねん。せやからお前の兄貴が襲われたんも、その山賊の一部やったんやないかって思う…』
『そんな…』
『そこで偉い扱い受けて…あんな征服欲高い男になってしもたんやないか?』
厲閣山の山賊はみんな頭である翼宿に忠誠を誓い、仲間割れひとつなくここまでやってきた。
\"山賊\"という存在は秋桜にとってとても心強い存在だったのに、自分の兄は\"山賊\"によって酷い目に遭いながらここまで来たという事なのだろうか。
我慢していた涙が、秋桜の頬を伝って落ちた。
『………泣くなや』
『だって…やっと、会えたのに…っく。幻狼にも…危ない事しようとして…それで』
翼宿は、そんな秋桜の頭にそっと手を置いた。
『ええから…今は、何も考えるな。俺らで、お前の兄貴も厲閣山も護る方法考えるから…とりあえず、忘れろ。な?』
『幻狼…』
この十年、実兄よりも傍にいてくれたこの大きな手に安心し、秋桜は素直にこくりと小さく頷いた。
『さよか…俺が出稼ぎに行ってる間に…んな事がなあ』
その日の夜遅くに長引いた出稼ぎから戻ってきた攻児の部屋で、翼宿は粗方昼間の出来事を話し終えた。
『それも驚いたけど…頭の正体もや。厄介な事になってしもたなあ』
『せやな。秋桜…大丈夫か?』
『やっと落ち着いて、寝かし付けてきたとこや』
翼宿の表情は、どことなく疲れているように見えた。
それは、そうだ。今まで安泰を保ってきたゆえ油断すらしていたこの時期に、厲閣山が潰されようとしている。
その上、彼が大事に護ってきた少女すらも危険に晒されていて。
そのプレッシャーは、並大抵の事ではない。
そんな時、副頭の自分に出来る事は?
『幻狼…お前は、秋桜の傍に着いててやれや』
『は?急に、何言うとるん…?』
『いや。こんな事、彼女は永安に言えへんやろうし、お前はずっとあの子と一緒におったんやからな。嫁入り前の妹、しっかり護ってやらんと…』
『出来るなら…そうするけど。せやけど、ボサッともしてられんやろ!とりあえず、明日は宮殿に行って応援の兵を要請できんか頼んでくるわ。せやから、明日はお前が留守番しとけよ。攻児』
『………おう』
しかし、攻児のその返事に威勢はなかった。
この親友の負担を軽くしたい…その思いだけが、彼を突き動かそうとしていたのだ。
『太一頭あ!』
『何事だ?』
翌日、冷龍山の謁見の間に小太りの山賊が冷や汗をかきながら飛び込んできた。
『それが…変な野郎が、門番を倒しながらこちらに向かってきてます!あ、あいつです!!』
慌てふためく山賊の後ろからやってきたのは、左頬に傷を付けた長身の男。
彼はずかずかと謁見の間に踏み込むと、玉座に座る太一を仰ぎ見て一礼をした。
『初めまして…に、なりますかね?太一頭』
『お前は…厲閣山の山賊か?』
『ええ。副頭の攻児いいます』
その言葉に、太一は高らかに笑った。
『単身乗り込んでくるとは、勇気のある副頭だなあ。今日は、幻狼は一緒じゃないのか?』
『ええ。すぐに無理しよる奴ですから、今回はわたしだけです』
『ほう…』
すると、攻児は懐から短剣を取り出して太一に向けた。
『今すぐ、引いて貰おうか?こっちには、あんたの恨み買うような事は何ひとつないんや。あんたの征服欲に付き合わされるのは、まっぴらごめんなんじゃ』
太一はその威嚇を受けたように立ち上がり、玉座から一歩一歩降りてくる。
『なるほど。頭の代わりに、お前がこの山を潰すという訳か?友情ごっことは…いささか苛つく話だ。だがな?俺の狙いは、幻狼と秋桜のみ。お前には、用はないんだよ』
『秋桜は、ずっと厲閣山の人間と生きてきたんや!そんな居場所を奪おうとするお前のトコになんぞ、寝返るかい!』
『そうか…それも、そうだな。ならば』
手元に供えてあった小瓶を頭が手に取ると、それを合図にしたかのように陰に控えていた山賊が攻児にわっと襲い掛かる。
隙を突かれてしまった攻児は、呆気なく後ろ手に締め上げられてしまった。
『くそ…!俺を殺して祭り上げようったって…そうはいかんぞ!』
『祭り上げる?んな、儀式みたいな事はしねえよ』
攻児の髪の毛をぐいと持ち上げると、太一は手に持っている小瓶を掲げた。
『この薬…知ってるか?青龍七星がその昔、朱雀七星に使った蠱毒(こどく)だ』
『………っ!』
攻児にも、聞き覚えがあった。
その昔、朱雀七星・鬼宿が青龍七星の手に落ちて蠱毒を飲まされ、翼宿を襲ったという話。
『お前が、連れてこい…幻狼と秋桜を…ここにな』
『やめろ…!』
\"せやから、明日はお前が留守番しとけよ。攻児\"
翼宿の言い付けを守らなかった後悔が、脳裏を過る。
しかし次には、苦い毒薬が固く閉じた歯茎から入り込んできていて。
げん――――ろう…
全身にドロリとした熱が伝わってくるのを感じた時、攻児の意識はそこで途絶えていた。