百花繚乱・第三部

十年後―――
厲閣山の客間では、34歳になった厲閣山首領が、見目麗しい化粧を施した女性と向かい合っている。
しかし、男性の方は腕組みをしたまま依然警戒の体制を取っていた。
何はともあれ、この男は相変わらずの―――
『女嫌い…のあなた様が、わたくしとお見合いをしてくださるなんて思いませんでしたわ』
『いや…別に、俺の意思やあらんちゅうか…』
『幻狼さまは、わたくしの事お気に召しませんか?』
『~~~そうやなくて~お察しの通り、女自体がなあ…』
すると、女性は突然二人の間にある膳が乗った長机を脇に押し退けた。
『へ???』
翼宿が困惑する手前、女性に押し倒されたのに気付いたのは数刻後だった。
『ち、ちょお!!何しとんねん、己はあっ!!』
『それなら、わたくしのこの体をご覧になれば…あなた様も女性の魅力に気付くでしょう!?』
女は苦手だが女に手荒な真似が出来ないのも、この男のポリシー。
女性の着物の下から見え隠れする谷間にわなわなと唇を震わせている間にも、その手は自分の帯に伸びる。
『だっ、誰か来てくれやあ~~~!!』
首を必死に振りながら、部屋の外に助けを請う。すると…


ガラガラッ


『幻狼!今日のお召し物は、部屋にかけてある服だって昨日言ってたでしょ!?何で、いつもの服着て…』


紫色の髪の毛を結い上げた美しい娘が、客間の引き戸を勢いよく開けた。
しかし室内で行われていた不可解な行動に、娘は垂れ目の瞳をぱちくりさせる。
そして、次には大きく息を吸い込んだ。


『攻児~~~!!幻狼が、童貞奪われちゃう~~~!!』


何とも下品な言葉で、攻児を呼び出したのであった…


『ふう…偉い目に遭ったなあ。幻狼…』
『とんだ偉い目に遭ったわ!秋桜!お前のせいやで!』
『なっ、何よお?助けてあげたのに、その言い種?』
『誰が童貞や!もっとカッコつく呼び方せえや!』
『あれ?童貞じゃなかったっけ?』
飛んだ欲求不満の女性との見合いから、翼宿はやっと解放された。
助けたのは、秋桜。厲閣山の使用人として働いている女―そう。十年前に翼宿が拾ってきたあの少女だった。
そんな二人がギャンギャン口喧嘩をしているのを前に、攻児はひとつため息をついた。

『秋桜!』
すると、庭園の方向から男性の声がした。
『永安!』
その男性の名前を叫ぶと、秋桜は嬉しそうに庭園へ降りていく。
『今日は、あいつが都の様子を伝えに来る日やったなあ』
『けっ…鼻の下、伸びとるで』
その男性の名前は、朱  永安(しゅ  えいあん)。
都のメッセンジャーとして派遣されている、役人だった。
『…にしても、まさか秋桜に先越されるとは思わなかったやろ?』
『…別に。あんな奴、はよう嫁に行ってまえばええんや』
『後一ヶ月で…この山を出ていくんやな』

そう。秋桜は、永安と婚約をしていた。
初めて都からの言伝てを言い渡された時、永安は使用人として働いていた秋桜に一目惚れしたとの事。
それからの彼のアピールといったら、毎回の花束贈呈に都へ降りてのたまの食事、馬車を借りきっての紅南ツアー。
翼宿からすれば、吐き気を催すような方法ばかりだった。
しかし秋桜はそんな彼にすっかり夢中になり、その求婚を受けてたったのだった。

『あれから、兄さんも見つからんかったし…最初は恩返しに山で働くなんて言うてくれた時は、どうなる事かと思うたけど。よう働いてくれたもんな…あいつの飯が食えなくなるのは寂しいけど、女は好きな男と幸せになるんが一番や』
『……………』
『せやろ?兄代わりの幻狼さん?』
『ああ、もう!じゃかあしいなあ!人の気持ち探るような事、言うなや!』
『まあ…俺はこのまま見つけてきたお前が…って思ってたけど、歳が離れすぎとるもんな』
『知らん!部屋、戻るわ!』
そう吐き捨てると、翼宿は自室への廊下をズカズカと歩いていった。

攻児の姿が見えなくなると、翼宿は立ち止まって笑い合う二人の様子を伺った。
秋桜は十六になったばかりだが、その容姿はあの七星士とすっかり瓜二つ。
そう。彼女は、柳宿の生まれ代わりなのだ。
そして、その花のような笑顔を向けられている相手の少年は…
(多分、星宿様の生まれ変わりやろな…)
彼を初めて見た瞬間も右腕が疼いた…恐らく、そういう事なのであろう。


『幻狼?今度で、お見合い何回目だっけ?』
『…………知らん』
『確か、五回目だったよね?』
『冷やかしで、聞くなや!数えとった癖に!』
寝室で翼宿が寝酒を飲んでいる横で、寝台に横になった秋桜はクスクスと笑う。
『ったく…お前、いつまでこの部屋で寝る気や。もう、五歳のお子様やないんやで?』
『あたしを夜這いしようとする変な奴が現れないようにって、攻児がここに置いてくれたんじゃない!あんたは頭だし、女嫌いだしね~』
『お前は、嫌やないんか?永安とゆう美少年がおるのに』
『幻狼だし、嫌じゃないわよお。もちろん、彼にはこの事言ってないけどさ!』
あれから十年、秋桜の寝床は相変わらず翼宿と同室だった。
もちろん今は外付けの寝台を横に並べている状態ではあるが、彼女は完全に翼宿を信用しきってここで眠っている。
こうして中途半端に頼ってくるところも、生前の柳宿そっくりだ。
『俺は、見合いなんぞまっぴらなんや!せやけど、次の世代の頭を産まなきゃいけないからって攻児が無理矢理やなあ…』
『んー…でも、幻狼は一人の方が幻狼らしいけどなあ』
『………それ、嫌味やんな?』
秋桜はふふんと悪戯な笑みをこぼすと、体を半回転させて毛布に潜り込んだ。

『違うわよ。あたしが永安と何かあった時に、帰ってこられる場所に出来るから♡』

その言葉に、不覚にも翼宿の胸が高鳴った。
『…………都合ええ事ばっかりやん』
『ふふ…冗談よ。でもね…今も昔も…幻狼は…あたしにとって大事な…』
秋桜が夢に意識を落とした事で、言葉の続きは遮られた。
翼宿はふうとため息をつくと、毛布をかけ直してやる。
とても、美しい寝顔だった。

女嫌いの翼宿でも、不思議とこの女といる事は嫌ではない。
それは恐らく、彼女が柳宿の生まれ変わりだと知った所以なのであろうが。
だからこそ、秋桜とこのまま一緒になってしまえばいいのかもしれないと考えた事もある。
だけどすっかり自分の妹的ポジションになった彼女への接し方など女嫌いの彼には分かる筈もなく、そのままダラダラと十年の月日が流れてしまった。
その間に横から彼女を奪われて、かつての片恋時代に逆戻りしてしまって…

いつも、こんなポジション…やなあ。

そこまで考えると、翼宿は頭をかきむしりながら自分も寝台に潜り込んで目を閉じた。


傍にいて、彼女の幸せを見届けてやる事。
それが、\"生きている柳宿\"の傍にいてやる意味になるのであろうか…



『劉宝(りゅうほう)様が、お倒れになられただと?』
『ええ…次の頭代理には、是非とも十年間この山に尽くしてこられたあなた様にお頼みしたいと劉宝様が仰っておられます』
一人の男の足元に膝まずいているのは、劉宝と呼ばれる頭の使用人。
男は不敵な笑みをこぼすと、そっと立ち上がった。
『面白いじゃん…俺が、頭か。好きなようにしていいんだな?』
『さよう』
『なら…紅南国の厲閣山。弱きを助け強きをくじくなんてダセえスローガン掲げて山賊稼業バカにしてるあの山を、乗っ取ろうぜ。頭が目覚める頃には、この冷龍山をもっとデカいものにしてやる』
『それは…龍宝様も、さぞお慶びになるでしょう。太一頭』

ピシャアン

名を呼ばれた時、その男の背後に雷が鳴り響いた。
そう。厲閣山と敵対する冷龍山の山賊衣装に身を包んだその男は、秋桜の生き別れの兄・太一の姿だった――――
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