百花繚乱・第三部

ハアハアハア…
翼宿は、先程まで攻児が乗っていた馬で遥か北へ向かっていた。

そう。それは、最愛の人を亡くしてしまった場所。黒山。
奪われた鉄扇を取り返す為に、秋桜が単身そこへ向かったのだ。

不気味な程に重なった偶然に翼宿は背中をブルリと震わせるが、次にはその悪寒を追い払った。
絶対に、君をまた死なせるものか。
今度こそ、自分の手で、彼を、彼女を…

その時、自分の遥か前方に見覚えのある少年が馬に乗って厲閣山方向へ向かっているのが見えた。
それは、つい最近まで秋桜の心を掴んで離さなかった…自分の永遠のライバル。
『永安…!!』


ザクザクザク…
秋桜は初めて登る雪山に苦戦しながらも、一歩一歩頂上を目指して歩いていた。
薄着で全身は凍傷になりかけていたが、それでも彼女は懸命に雪道を進んでいく。

幻狼の鉄扇…絶対に、取り返さなきゃ!
鉄扇を持った幻狼は、無敵なんだ。
あの人の大切なものを、なくしちゃいけない…

すると、前方に祠のようなものが見えた。
導かれるように、足が止まる。

ここ…前にも、来た事あるような気がする…

またしても、襲われる懐かしい不思議な感覚。
いつもいつも、秋桜はこの感覚に悩まされていた。
これも、柳宿の記憶というものなのだろうか?
だけど、今度はとても悲しい感情が沸き上がってきた。
柳宿に、この場所で、何があったのだろうか?

『鉄扇…探さなきゃ』

しかし、次には秋桜はここまで来た目的を思い出して雪原に手をついた。
どこに埋めてあるのか、見当がつかない鉄扇を掘りあてる。
それは気の遠くなるような行動だったけれど、それでもここまで来て手ぶらでは帰れない。

『幻狼…待っててね』
グルルルル…

「あの時」現れた獣とよく似たものが、すぐ側まで近寄ってきているとも知らずに…


『永安…!!』
聞こえてきたドスのきいたような声に、馬を走らせていた永安もその動きを止める。
『……っ!幻狼さん…!!』
『…おのれ、どこ行くねん?そっちは、俺らの山の方向の筈やけど?』
『…幻狼さん!無事だったんですね…!あなたが行方不明になったと使いがあったので…協力しようと駆け付けてる途中だったんです!よかった…秋桜は…秋桜は、無事なんですか!?』
先を急ぎたい筈なのに、気付いた時には自分の体は馬から降りていた。
向こうも、それに合わせて首を傾げながら馬を降りる…が。

………ダン!

気付けばその胸ぐらを掴んで、思いきり壁に叩き付けていた。
まだ18になったばかりの、純真無垢な少年の胸ぐらを…
『幻狼さん!?』
相手は何事だろうと、その綺麗な瞳を大きく見開く。
『よくも、のこのこと現れよったなあ?お前が離れてる間…秋桜がどんなに危ない目に遭ったか…今もどんなに危ない目に遭ってるか…何も知らんと、のこのこと…』
『え…!?秋桜に、何かあったんですか!?』
『そんなん…今のお前には、関係あらへんやろが!』
次には、その体を地面に叩き付けた。
皇帝陛下であり朱雀七星の生まれ変わりであるその少年をこんなに無下に扱っては、当の本人に叱られるかもしれない。
それでも、もうこの少年に彼女を任せておけない。

やっと、気付いたんだ。
自分は、最初から秋桜を…秋桜だけを求めていた。
悲しいほどに゙彼゙と同じ運命を辿っているけれど、それでも、今、自分が一緒になりたいのば彼女゙だけ。


『お前には…お前にだけは、渡さへん!秋桜を幸せにするんは…俺や!!』


かつての星宿からの宣戦布告をそのまま返すように、翼宿はそんな言葉を彼に吐き捨てた。
そして、すぐさま馬に飛び乗り再び北を目指して馬を走らせていった。


残された永安の口許には、しかし、かつての憂いを帯びた微笑みが浮かんでいた。
『まさか…こんなに時を経て、お前に決着をつけられるとはな』
零れた声色は、少年に似つかない大人びたもので。
『翼宿。柳宿を、頼んだぞ』
次には、その声が敗北をそっと口にした。


『ない…あいつら…どこに、埋めたのよお…』
もう、どのくらい雪を掘り続けたのだろうか?
秋桜の掌はあかぎれになり、血もところどころ滲み始めていた。
体力も既に限界で、そっと側の祠に身を預ける。
『幻狼…ごめんね』

グルルルル…

そして祠に凭れたまま自分の背後を見て、ようやく秋桜ばそれ゙に気付いた。
『…………っ!』
そう。゙それ゙は、狼。
野生のものなんかではない…化け物に似たような形相の狼が、こちらをずっと睨み付けていた。
『な、何よ…あんた。あっち、行ってよ…』
すぐさまそれを払いのけようとするが、狼の視線は1ミリも離れない。
恐怖を感じて右腕に手を添えるも、あの日に投げ捨てた御守りは付いていない。

どうしよう…どうしたら、いいの…?
あたし…何も出来ない。何も出来ないよ…

グアアアアア!!!

次には、狼が眼前まで飛びかかってくる。



誰か…誰か、助けて。
……………………幻狼。



ザンッ!!



目の前で、何かが切り刻まれた音がする。
秋桜は、ゆっくりと目を開いた。
オレンジ色の髪の毛が、揺れる。



『よかった………やっと…護って…やれたな』



\"辛かった…一人で死んじゃう事が\"



あの日の彼の苦悩を。
今、翼宿が、かき消す。
そのまま、彼はゆっくりと倒れた。
゙彼゙が刺された場所と同じ左側から流れ出た血が、雪原を赤く染める―――
12/14ページ
スキ