百花繚乱・第三部

『幻狼ーーー!こんなええ飲み場所あるんやったら、もっと早く教えといてくださいよー!』
『ここは、こいつの元恋人との逢瀬の場所や!んな簡単に、お前らに教えるかーい!まあ、親友の俺だけは四年間祭りの度にここに連れ込んであんな事やこんな事してくれてたんやけどな~♡』
『攻児!てめえ、そこの絶壁から突き落とすぞ!』


季節は、星見祭りの季節。
翼宿が恋人の七星士と別れてから、既に五年の月日が流れていた。
厲閣山首領・翼宿は24歳になり、今も通り名である幻狼として変わらず山を護ってきた。


今日は、初めて山の仲間も連れた星見祭りの夜。
本当は毎年余韻に浸る時期なので、四年目までは片腕の攻児と二人でこの丘で酒を飲み交わしながら星を見る事が習慣になっていた。
だが、五年目というところでそろそろいいだろう攻児が提案してくれた事で、今年は山の仲間で盛大に…という流れになったのだ。


『…しかし、じゃかあしくて余韻にも浸れんわ!ったく』
『そろそろ、卒業時期なんやないんかあ?どっかで生まれ変わっとるとしても、もうお前の事なんて覚えてないんやろ?』
『貴様は…人が一番気にしてる事を…ずけずけと…』
本当は、柳宿の生まれ変わりがどんな姿になっているのか気にならない訳はなかった。
しかし朱雀の気が消えてしまっている以上、翼宿には柳宿がどこのどんな令嬢になっているのかも分からない。
『酒がなーーーい!』
そんな中、空の瓶を逆さに振って喚く山賊が一人。
『あーーー!わーった、わーった!今、降りて追加してくるさかい!お前らが都に出ると、余計なトラブル起こしてくるし…待っとけや!』
翼宿は頭をかきむしりながら、自ら酒の調達へと向かっていった。


ザクッ
叢を踏み締めて丘を降りていくと、あの大木が見えた。
柳宿と再会して柳宿と別れた、あの大木。
依然、その姿はどっしりとしていて、何百年もそこにあったような面影を残している。


\"よかった…ここにいたんだ…\"


血まみれの右腕を抱えて微笑んでいた彼の姿が、頭を過る。
(もうあんな無茶せんで、普通に暮らしてくれてればええな)
ふっと微笑みながら、大木の横を通りすぎようとしたその時だった。


『兄………さん』


『へ?』
幼い少女の声が足元で聞こえ、翼宿は立ち止まった。
大木の根元には、五、六歳程の小さな少女が膝を抱えて縮こまっている。
着物は薄汚れており、紫がかった髪の毛はパサパサで。
どこかで、兄とはぐれたのだろうか?
しかしその少女は翼宿を見上げると、瞳を輝かせてその膝に飛び付いた。
『兄さん!兄さんだね!?』
『いいっ!ちょお、待て!俺には妹なんて…』
『どこ行ってたの…?秋桜、ずっとここで…待ってたのに…』
次には、少女はその身を傾かせて翼宿の足元に崩れ落ちた。
『んなっ!?お、おい!しっかりせえ…』
その小さな体を揺さぶるが、彼女の瞳は固く閉じられてしまった。


『………ん』
額に冷たい布の感触を感じて、少女は目を覚ました。
瞳に映ったのは、大きな天井。そして、全身には暖かい寝台の温もりを感じる。
『起きたか?』
横から声をかけられハッとそちらを見やると、橙色の頭をした男性がこちらを覗き込んでいた。
『………お兄さん、誰?』
先程は兄と間違えて飛び込んだ相手を見上げて、今は冷静な少女がくいと小首を傾げる。
『いや。それ、こっちの台詞なんやけど。星見祭りの丘で、一人で誰か待ってたんや。覚えてへんのか?』
その言葉に少女はガバと飛び起き、寝台を飛び降りて出口に向かう。
『お、おい!どこ行くねん!?そんな体で…』
『兄さん…あの大木に来てるかもしれないの!だから、行かせて!』
『あかんて!もう、夜更けやで?元々、俺らが一番遅くまで残ってたんや…都には、出店の人間以外おらんかったで?』
(つーか、何や!?この力…)
飛び出していこうとする小さな腕を懸命に掴んで止めようとするが、体格差は十分にあるのに歳の頃にしてはかなりの腕力で振りきろうとするその少女に翼宿は度肝を抜いた。
『やだっ!だって、秋桜は兄さんしか…兄さんしかいないのっ!!』
『…………くっ』
それでも山で鍛えた筋力はそれに勝り、翼宿は渾身の力で少女をその胸に引き寄せた。
『っあ…?』
翼宿が少女を後ろから抱え上げる体制になり、そこで彼女の動きは止まった。

『………落ち着け。何かあったんなら…ちゃんと、話せ。俺も…兄さん、探したるから』
『………つっ』

自分を宥めてくれるその大きな腕に、少女はどこか懐かしさを覚えた。
確か以前にも、暴れた自分を宥めてくれていたかのようなそんな感覚。

数刻後、粥を食べて落ち着いた少女は翼宿にぽつりぽつりと語り始めた。
名前は、咲  秋桜(さき こすも)。歳は、五歳。身寄りは、二十歳になる兄の咲  太一(さき たいち)のみ。
両親は幼い頃に死別し、男手ひとつで秋桜をここまで育ててくれた優しい兄だったという。
しかし星見祭り初日に兄にあの大木で待つように伝えられた後、彼は姿を見せなくなった。
宿屋を点々としていたので住む家もなく、彼女は三日三晩不眠不休で兄の帰りを待ち続けていたのだった。

『三日三晩て…そんなん行方不明になったとしか考えられんやないか』
『どうしよう…兄さんに、何かあったら…』
カタカタ震える少女を前に、翼宿はほとほと困り果てた。
だがここまで聞いて、見捨てる訳にもいかない。
そんな少女の頭に、ポンと手を乗せる。
『分かった。見つかるまで、お前ここにおれ』
『え?』
『女子供は好かんけど、この幻狼様はそんな無慈悲な人間やないで』
『げん…ろー?』
その言葉に、翼宿はニッと犬歯を見せた。
『ああ!げんろー様や!それまでは、俺がお前の兄ちゃんになったる』


『幻狼。ええか?』
『どや。攻児…何か、進展あったんか?』
頭の部屋に入ってきた攻児は、神妙な面持ちだった。
『咲  太一っちゅう名前は、警吏も特に知らんかった。死んでる訳ではないようやから、行方不明の扱いになったで』
『ほな…どっかで、拐われたんやろか?二十歳そこそこの餓鬼がか?』
庭では、秋桜が鞠をつきながら遊んでいる。
『どないすんねん?あの子。あれから三日経つけど、寝る時も同じ部屋なんやろ?』
『………せやかて、一人で寝れないて喚くんや。何で花の独身のこの俺が、子守に目覚めなあかんねん』
『そういや、玲麗の時も偉い懐かれとったもんな?ったく…無愛想な癖して、女子供に好かれるんはいつもお前だけや』
『じゃかあしい。好きで、なっとる訳やないわい』
それでも少しは元気に遊ぶ彼女の姿が見られた事で、翼宿はホッとしている。
『まあこのまんま捨てるんも、男が廃るわ。暫くは、俺が面倒見る』
しかし、その気持ちはただの同情心だけではない。
翼宿には、なぜか彼女を放っておけない理由があるのだ。
それは。


『まーた、蹴飛ばしとる。どこまで、蹴飛ばしてんねん』
仕事を終えて寝室に入ると、秋桜が大きな寝台を占領していた。
足元というよりは、翼宿が入ってきた扉の方まで毛布が蹴り飛ばされている。

この人外の力…まさに、あの七星士と同じなのだ。
しかし何の根拠もない憶測なだけに毎回翼宿はその考えを振り払うのであるが、彼を重ねてしまうその少女を放っておける訳がない。

毛布を掴んでその小さな体の側に身を横たえると、自分と秋桜の上にそれを被せた。
すると、秋桜が翼宿の裾を掴んだ。
『兄さん…』
そのあどけない寝顔に、翼宿はふっと笑みをこぼした。
(はよう…見つかるといいな)
その小さな手をそっと掴んで毛布の中にしまおうとした、その時だった。

『…………ん?』

秋桜の左鎖骨辺りが、朱色に輝いている。
その場所に、翼宿は見覚えがあった。

『これは…!』

呼応するように、右腕が疼く。
そっと寝巻きの合わせをずらしてそこを覗き込んだ翼宿は、絶句した。

光輝いていたのは、『柳』の文字。


『この………女』


\"あたし達、また会えるよね?\"


そう。この厲閣山に流れ着いたこの少女こそが、柳宿の生まれ変わり・咲  秋桜。
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