愛し姫君へ

「柳宿!!柳宿!!」
雨の中、翼宿は姫の名を呼び走る
「翼宿!!どうしたというのだ!?」
「皇帝様・・・柳宿が飛び出して行きよったんですわ・・・あいつ・・・こんな雨の中、一体何処に・・・」
「何だと・・・!?」
「皇帝様・・・俺・・・理不尽やったんですわ・・・柳宿、傷つけてしもた・・・」
項垂れる翼宿の肩に皇帝は手を置いた
「今は・・・柳宿を探そう・・・」
「翼宿!!」
遠くから杏が駆けてくる
「もういいじゃない、あんな子!!結局はあなたがいないと何も出来ないの、あの子は!!!そういう子だったのよ!!何で追いかけるの!?今の内に私と一緒に国に・・・」
ガンッ
けたたましい音に皇帝も驚いた
翼宿が杏のすぐ真横の壁に拳を叩きつけたのだ

「黙っといてくれへんか・・・なぁ・・・?てめぇは・・・とっとと国へ帰れ!!!!!」

凄い形相だった
杏は泣きながら、城の向こうへと消えていった
「俺・・・都の方・・・探してきますわ」
「気をつけろ・・・翼宿!!今、馬を・・・」
「走った方が速いですわ!!!」
都一の俊足を誇る翼宿はそう言って、地面を蹴った

一方、姫は、土砂降りの中、都の外れの森を彷徨っていた
右も左も分からなくなってしまったのだ・・・
姫は、途方に暮れる
こんなに城から離れた場所を一人で歩いた事は一度もない
ここで自分は死ぬのだろうか?
その方が良い
何も傷つく事はないのだ
姫は、木陰に腰かけた
懐から、翼宿から貰った櫛を取り出す
(翼宿・・・わらわ、翼宿なら本気で好きになれると思うとった)
初めて目にした男・翼宿はとても野蛮で無礼者だった
だけど、自分の中に一番入り込んできた男だったのだ
「翼宿・・・」
好きになってしまった
どうしようもないくらい、あなたを

ガサガサッ

傍の茂みが揺れた
息を潜める
(誰かいる・・・!?)
そこには
大きな熊
食われる
そう確信した
肩がぶるぶる震える
熊がのっそりとこちらへ向かってくる
姫は、ぎゅっと目を瞑った

(これが一番いいのじゃ。もうあいつの顔、見んでも良い。こんな報われない想いを抱えたまま、わらわは、ずっと一人ぼっちなのじゃ・・・)

その時
ドスッ
鈍い音がした
ゆっくりと目を開けると、熊が自分の目の前に倒れている
翼宿が背後から気絶させていた
「たすきっ・・・」
「ドアホ!!お前はっ・・・食われるとこやったんやぞ!!」
そこで瞬時に飛びつきたい感情に駆られた
しかし、感情はそれを抑えた
「帰れ・・・!!!」
すぐに顔を背ける

「わらわなんぞ・・・もう護るな・・・」

辛い
護ってくれる彼が眩しすぎて

相手は黙っている
その時
フワリと何かが姫を包んだ
翼宿は、自分の上着を姫に被せている
「やっ・・・やめろ!!」
それを振り払う
「そうはいかん」
すぐさま、翼宿は姫を包む
姫は、翼宿にそのまま抱きついた
現実を受け入れられなくて、小さな手で翼宿の袖を必死に掴む
「どうして・・・どうしてなのじゃ・・・翼宿っ・・・!!!」
理性は敵わない
そこまで翼宿を好きになってしまったから
翼宿は雨が当たらないように姫を抱きしめていた

「翼宿と柳宿は・・・まだ見つからんのか!?」
「皇帝は、外に出てはなりませぬ!!」
「この非常事態に何を言っておる!!!」
城は、予想以上に騒ぎ出している
それを見て、紅蘭は不敵に微笑む
「杏を使ったのは失敗だったけれど・・・どうやら、事態は良い方向へ動いているわね・・・」
「そのようですね」
部下も隣で、優雅に紅蘭の茶を入れている
「この調子だと、私の姫の座も近いわ」

雨が小降りになってくる
姫は、翼宿の肩に寄りかかっている
「寒くないか・・・?」
「大丈夫なのだ・・・」
結局、翼宿の元へ戻ってきてしまっている
そんな自分が半分悔しかった
「・・・すまん」
翼宿は謝った
「どうして・・・謝るのじゃ・・・?」
「お前を・・・傷つけた」
彼は自覚している
「・・・・・・俺は、あいつに騙されてたんや」
「え・・・?」
「一回、あいつを護って偉い大怪我した事あるんや。そん時、あいつ、治癒方法で男女が交われば完治するいうデマ流しよった。寧ろ、あいつに無理矢理抱かせられたんや」
「・・・そんな・・・」
「・・・汚いやろ。ホンマはな。女嫌いとか言いながら、やる事やってん。お前は、そういう風に取ったやろ?」
(まさか・・・こいつ、そういう事があったから、女性を嫌悪するようになったのか・・・?)
翼宿の精神的に弱った部分を利用して、自分の気持ちを強制した杏の卑劣なやり方だった
なのに、自分は・・・
「すまぬ・・・」
大粒の涙を零す
「翼宿は・・・汚れてなんていないのだ・・・わらわは・・・寂しかった。そなたは、わらわを護ってくれないのか・・・
わらわは、そなたにとって・・・」
そこまで言って、口を噤んだ
例え、翼宿への疑いが晴れたとしても、こいつは、きっと護衛と姫の境界線は断ち切らないのだ
そう思うと、また距離が遠く感じた
「言いたい事は、最後まで言え」
翼宿は、姫の頭をごついた
「・・・翼宿・・・わらわは・・・」
わらわは

「翼宿!!!!柳宿!!!!」
そこに皇帝の声が聞こえた
二人は、そこで我に帰る
皇帝が馬に乗って、こちらに駆けてきた
「よかった・・・二人とも・・・無事だな」
「はい・・・」
「すぐに城へ戻るのだ。暖を取ってある」
そこで二人の会話は途切れた

「翼宿」
襖越しに姫は、翼宿に問い掛けた
「ん?」
「寒くないか・・・?」
「平気や。俺は、山の男やで」
素直じゃない口調も全て愛しい
「・・・翼宿。わらわはな」
「ん?」
「わらわは・・・立派な国の姫になってみせる・・・護ってくれるお前に申し分が立たぬように・・・しっかり、国を護る・・・そなたも・・・護ってみせる・・・」
姫の中に芽生えた小さな決心
いつまでも甘えてばかりはいられない
そして、笑顔の裏に隠れたボロボロになった彼の心すらも救ってあげられたら
全て愛してあげられたら
翼宿は、しばらく黙っていたが
「頑張れ。期待しとるで」
そう応援してくれた

君に出会って初めて生まれた愛情も
君に出会って初めて生まれた嫉妬も
君がいなければ出会えなかったんだ
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