空翔けるうた~04~

「陽山さん!空翔宿星、復活するんだってね~」
「チケットとか、融通きかないのかな?お父さんかお母さんに、頼んでみてくれない?」
空翔宿星の復活が公に発表されると、ひなの周りにはあっという間に人だかりが出来ていた。
しかし、彼女にとっては今はそれどころではない。
小澤の奇行と翼宿の拒絶と…
辛い事が同時に起こった事で、ひなの心は壊れそうだった。
だから、ひなは真顔で立ち上がってその空気を一蹴する。
「…あのさ。みんな、あたしが芸能人の子供だから近寄ってくるみたいだけど…そういうの迷惑なんだ。それって、あたし自身と仲良くなりたいと思ってくれてる訳じゃないよね?」
「…え。陽山さん、それは…」
「ごめんね…もう、この話題ではあたしに話しかけないで」
そのまま、教室を後にした。
「………何よ。調子に乗ってんじゃないわよ。あんな地味な子…あたしらがマジで相手にする訳ないじゃない」
そんな言葉が背中から聞こえてきたが、涙をぐっと堪えた。

所詮、あたしの事をちゃんと見てくれてるのは、あいだけだ。
そうだ…あいに、相談してみよう。
きっと、何とかしてくれる筈だ…

廊下の角を曲がると、ちょうど階段の踊り場であいが誰かと話しているのが見えた。
「あ、あい…」
助けを求めようと声をかけようとして、次に聞こえてきた言葉に足が止まる。
「ねえ。あい…そろそろ、あのひよっこから翼宿のサインは貰えそうなの?」

え…?

その言葉に、あいは不敵な笑みを浮かべている。
「空翔宿星も復活したし…もう少しおだてれば、見返りとして貰えそうよ」
「あんたも、小悪魔だよね…親友のフリして、あの子に近付くなんてさ」
「だって、すっかり信用して来てくれるんだもん。それだけ、友達に恵まれない運命なのよ。ひなは…」

信じない。信じたくない。
目の前の親友さえも、偽りだった―――

ひなはそのまま教室には戻らず、反対側の階段から下駄箱を目指して走り出した。



「いや~さすが、空翔宿星だ!この一週間で、セットリストほとんど覚えたじゃないか!」
「そりゃあ、これだけスパルタならね…」
「覚えざるをえないですよ…」
その頃の空翔宿星のスタジオ練習は、まさに順調そのものだった。
優秀な子供達の練習風景を眺めながら、社長は手を叩く。
しかし、中央に立つベースボーカルの表情は疲れていて。
「翼宿?大丈夫?昨日も、徹夜したんでしょ?」
「ああ…大した事、あらんて」
「社長…やっぱり、翼宿だけに偉い働かさせすぎですよ」
「ご、ごめんなあ~翼宿…」
周りの心配の声に、しかし、翼宿は無理に笑いながら首を振る。
普段の疲れが溜まっているのもあるが、それ以外にも彼の頭には引っ掛かっている事がある。
それは、昨夜の娘の悲しい顔。今更だが、何があったのだろうか?



ザーーーーー
ひなは、一人、商店街を歩いていた。
こんな時間に、傘もささずに女子高生が一人で歩いている―――行き交う人々は、怪訝そうな顔でそんな彼女を眺めていく。

自分の居場所は、今や、どこにもない。
家にも、学校にも…
信頼していた人間に次々と突き放され、行く先が真っ暗で何も見えない。
もう、どうなってもいい。こんな自分を、どうにかしてほしい。

すると、とある店の前の自販機が目に入る。
それは飲料が並べられているものではなく、成人が購入するものが並べられている自販機だった。
その中には、父親が愛用している『もの』も置いてある。
何を思ったのか、ひなは懐から財布を取り出した。

父親が愛用しているもの…
それに触れてみれば、自分も彼のように強くなれるのだろうか?
彼が持つ、どんな逆境にも負けない冷静な心を持つ事が出来るのだろうか?

ガコン
小銭を入れて、ボタンを押して…
取出口に出てきた『それ』を、そっと拾い上げた。
…その時だった。
「君!そこで、何をしている?」
振り返ると、若い警官が二人。
そして、彼らは目撃してしまった。
未成年の女子高生が、煙草…翼宿が愛用している「セブンスター」を手にしている光景を―――



「あの!陽山ひなの母です!ひなが、こちらにいると連絡を受けて…」
「ああ。お母さんですか…ひなさんは、あちらで取り調べを受けていますよ」
その数刻後に連絡を受けた柳宿が、警察署に飛び込んできた。
奥では、一人の警官と俯いているひなが向かい合って座っていた。
「ひな!あんた、何で…」
「学校を抜け出して、商店街をふらついていました。それで、彼女の手にこれが…」
机の上に置かれていたのは、未開封の煙草の箱だった。
「身体検査をしたところ吸った形跡はなかったようですから、まだ未遂にはなりますが…」
「も、申し訳ありません!娘が、ご迷惑を…」
「学校にも連絡は入れましたが、当たり障りがないように話はしておきましたよ。今回は警告だけにしておきますが…お母さんも、気をつけてあげてくださいよ?」
「はい…」
柳宿は、依然黙ったままの娘の肩にそっと手を置く。
「ひな…とりあえず、帰るわよ?」
その肩が震えていた事に、気付きながら…



ザーーーーー
雨は、絶えず降り続いている。
続いてひなが向かい合って座っている相手は、家で待っていた最愛の父親だ。
もう、長い間、柳宿を挟んで二人は沈黙を守り続けていた。
しかし、いつしか父親は口を開く。

「………どういう事や?ひな」

それでも、ひなは口をつぐんでいる。
「答えなきゃ…分からんやろ」
「………………」
バン!
翼宿は、痺れを切らしたように机を叩き付ける。
「…んで、こんなふざけた事したんかって、聞いてるんや!!」
「翼宿…やめてよ」
珍しく激昂した彼を、柳宿は横から必死に止める。
「…見れば、分かるでしょ?お父さんが吸っていた味を…吸ってみたかっただけ」
そこに聞こえてきたのは、ひなの乾いた声。
「ひな…何が、あったの?あたし達に、話せない事なの?」
「別に、何もないよ。お母さん達…忙しいんでしょ?あたしなんかに構わずに、仕事に戻ってよ」
「………………」
「あたし、もう寝るから」
そのまま、逃げるようにひなは立ち上がる。
すると、リビングから出ていこうとした彼女の腕を翼宿は強めに引いた。
「痛っ…!何よ、お父さん!離してよ!」
「お前、自分が何したか、ホンマに分かってるんか!?」
「分かってるよ!でも、実際に吸ってないんだから…もう、いいでしょ!?」
「お前…」

「どうせお父さんだって、あたしくらいの時からムシャクシャした時はしょっちゅう吸ってたんでしょ!?スゴいヘビースモーカーだもん!そんなお父さんに、あたしを叱る権利なんてないよ!」

「ひな!!」
バシッ!!

母親の絶叫が聞こえたと思った瞬間、ひなは頬を殴られていた。
殴ったのは…目の前の父親だった。

「………勝手にしろ。お前には…ガッカリや」

大好きだった…
大好きだった父親が…
今、自分を凍てつくような瞳で睨み上げている。
涙で、視界が歪む。
そしてそれを隠すように、ひなは2階への階段を駆け上がっていった。


バタン!
勢いよく、自室の扉を閉める。
そこで、我慢していた涙が溢れる。

分かっている。
分かっているよ。
自分が、間違った事をしている事は―――

だけど。
小澤に触られた体が、痛かった。
あいに裏切られた心が、痛かった。

翼宿に殴られた頬が、痛かった。

全てに押し潰されそうになる感覚に耐えきれず、声が枯れるまで――――泣いた。
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