空翔けるうた~04~

午前1時。ひなは、消灯して既に布団に入っていた。
しかし翼宿は愚か柳宿がまだ帰宅していない事が気になり、落ち着いて眠れやしない。
柳宿は残業が発生しても日付が変わる頃には帰ってくるし、何より一度自分に連絡が入る事になっている筈だ。
それなのに、この時間まで音沙汰なし。何か、あったのだろうか?
それでもこんな時間までリビングで待っていてもし翼宿と鉢合わせしたら先程の夢のような約束もなくなってしまうかもしれないと、ひなは形だけでも布団に入る事にした。
しかし、やはり意識まではそう簡単に沈めない。

パタン…
すると、階下で玄関の扉を閉める音が聞こえた。
やはりその人物が気になり、ひなはカーディガンを羽織ると静かに階段を降りた。


階段からリビングをそっと覗き込むと、そこにいたのは父親の姿だった。
彼も母親と連絡が取れていないようで、携帯を絶えず耳に当てている。
ここはやはり彼と共に母親を待つのがいいのだろうかと、ひなが歩を進めようとした時だった。
カチャリ…
玄関の鍵を開ける音が聞こえて、ひなは再び階段の壁に身を隠す。
入ってきたのは、やつれた顔をした柳宿だった。
「柳宿…?」
翼宿は、すぐさま柳宿を出迎える。
「どうした?こんな時間まで…職場で、何か…」
そこで、柳宿は翼宿に抱きついた。
ひなも思わず声をあげそうになるが、ぐっと堪える。

「……っく。翼宿……………翼宿ぃ…」
「どうした?落ち着け」
異常に肩を震わせている柳宿の体を、優しく摩る。
「あたしの生徒が…康琳が…あたしの目の前で…バイクにはねられて…さっき…病院で息を…」
「……………っ」
その言葉は、翼宿だけでなくひなの耳にもしっかりと届いていた。
そして、翼宿は康琳をはねた犯人は恐らく今朝のニュースで流れていた事件の犯人であろうと悟った。
「来週…ピアノ…発表会で…あの子…遅くまで残っ…………あたしが…もっと、早く………帰れって、言ってれ………ばっ」
「柳宿。もう、ええ。もう、ええから…」
「――――――っああ………」
翼宿は柳宿を抱きしめ、出来るだけ彼女の泣き声をひなに聞こえないようにした。
かつて、彼女が怪我をして病院で泣き叫んでいた時と同じように…
しかし、事の事態を全て知ったひなはそっとその場を離れた。


チュンチュン…
それから数刻程しか経っていないように感じたが、朝はやってきた。
ひなは、太陽の光にそっと目を開ける。
制服に着替えて、すぐさまリビングへ降りた。
食卓には、朝食を並べる柳宿とそれを見守る翼宿の姿があった。
「ひな!おはよう!昨日は、ごめんね?」
「あ…ううん」
柳宿はいつもの笑顔で笑うが、その目はまだほんのり腫れぼったい。
それに気付かないように、ひなは自分の席に座って朝食を食べ始めた。
「な、何かあったの?残業長引いたとか…?」
それでも何も聞かないのは不自然かと思い立ち、さりげなく柳宿に昨夜の事を尋ねてみる。
「うん…実はね」
『では、次のニュースです。昨夜、四件目の通り魔事件がありました。渋谷区のピアノ塾前で、帰宅途中だった柴咲康琳さんが同じく銀色のバイクにはねられ、死亡しました。犯人は、依然逃走中と見られ…』
そこに、タイミング悪く流れてきた昨日の事件のニュース。
その場は、一瞬沈黙に包まれた…が、柳宿は気丈に答えた。
「………これ、あたしの生徒。この事故に巻き込まれてね…職員全員で病院に行ってたから、連絡も出来なくて。ごめんね?」
「う、ううん!大変だったね…」
「お通夜とかお葬式とかでまた暫く家に帰るの遅くなりそうだけど、ひな、大丈夫?」
「大丈夫だよ、あたしは!タマも、いるし!気にしないで?」
「せやけど、ひな。お前も、暫くは夜のレッスンは無しや。学校終わったら、まっすぐ帰ってこい。ピアノなら、家でも弾けるやろ?」
「うん…そうだね。じゃあ、あたし、行くね!お父さんとお母さんも、気を付けてね!」
恐らくこの事を自分に警告するため、また、柳宿の様子が気になるため、翼宿は出勤をわざわざ遅らせたのだろう。
それでも、どこか落ち着かない。
彼の警告に感謝しつつも、立ち上がるとひなはそそくさとその場を立ち去った。

靴を履きながら、ひなは考える。

やっぱり、お父さんとお母さんは本当に愛し合ってるんだな。
あんなに真剣な顔でお母さんを抱きしめるお父さんも初めて見たし、今朝もお母さんを一番に心配して遅刻してる訳だし…
当たり前だが、そんな二人の間に娘の自分が入り込む事は出来ない。

ひとつため息をついて、立ち上がると。
「ひな」
後ろから、最愛の父親の声が聞こえた。
「ど、どうしたの?お父さん!玄関まで見送りに来てくれるなんて…珍しい」
「いや…もしかして、お前…昨日、聞いてたんか?」
その言葉に、ひなは暫し沈黙する。しかし、次には静かに頷いた。
「そっか…」
「ごめんなさい。あたしも…昨日、眠れなくて。それで」
しかし、次には翼宿の手がそっとひなの頭の上に置かれた。
「お父さん…?」
「ありがとな。知らないフリしてくれてて…母ちゃんにはあんまり色々思い出させたくないから、そのままでいてくれると助かる」
その言葉には、やはり父の母への愛が感じられた。
だけど、自分も負けないくらいに母を愛している。
柳宿の為になるならと、ひなはもう一度コクリと静かに頷いた。
逸る気持ちを、必死に押さえながら―――



「ひな!おはよう!」
「あい…おはよう」
登校中、ひなはあいという少女に声をかけられた。
彼女は数少ない友人であり、芸能人の子供だからという冷やかしの目で見てこないいわば親友のような存在だった。
「何か、暗くない?どうしたの?」
「うん。最近、多発してる通り魔事件あるでしょ?あれに、お母さんの塾の生徒が巻き込まれて亡くなったんだって」
「今朝のニュースで、やってた子!?そうだったんだ…」
「あんなに無理して笑うお母さん…初めて見たから」
「…ひな。元気出して?あなたが元気でいるのが、お母さんにとっても一番いい事の筈だよ?」
「ありがとう…あい」
家で一人が多いひなにとって、学校であいと過ごす時間は楽しいものだった。
彼女がいてくれて本当によかったと、その度に思うのであった。
そんな二人の姿を、陰からじっと見つめる一人の男子がいる事に気付かずに―――


「今日の返却は…これで、全部か」
その日の放課後、ひなは図書委員の当番になっておりその日の仕事を片付けていた。
本棚を一通り回り返却物を元あった場所に戻したところで、空になった篭を持ち上げた。
(明日のお葬式の日くらいは、あたしが夕飯作っててあげようかな。お母さん、大変だろうし…)
そんな考えが頭を巡り、母親に連絡を入れようと携帯を取り出したその時。
誰かに、肩を掴まれた。
「ひゃ!?」
驚いて飛び退くと、ひなは次には一転安心したような笑みになる。
「小澤くん…ビックリした。声、かけてよ~」
ひなの後ろにいたのは、同じ図書委員の小澤。
眼鏡をかけた物静かな少年だが、その端正な顔立ちは女子生徒の間では密かに人気だった。
「陽山さん。あの…」
「どうかしたの?まだ、仕事残ってた………」
次の瞬間、ひなは小澤に抱き寄せられていた。
昨夜、父が母にしていたように強く強く…
「っ!!小澤く…」
しかし、閑静な図書室。大声をあげてはいけない。
掠れた声で、彼は呟く。

「陽山さん…好きなんだ。付き合ってくれないか?」
「え…?」

それは、生まれて初めてされる告白だった。
5/17ページ
スキ