空翔けるうた~04~

『間もなく、開演となります。携帯電話の電源を…』
「今日も、柳宿先輩が代役なんですかね…」
「う~ん。翼宿が最終日には駆け付けるらしい事言うてたけど、そんなすんなり外出許可出るとは思えんからね」
客席でそんな言葉を交わしているのは、観客として来ている宿南美朱と陽山愛瞳。
「ママ!もうすぐ、パパ出てくるの!?」
「ドラム、叩くの!?」
何も知らない宿南兄弟は、瞳を輝かせながら母親に問いかける。
「そうだよ?二人とも、パパがかっこよすぎて腰抜かさないでよ?」
「ふ…ホンマにな。子供達にとっては初めての空翔宿星やから、ワクワクするんも無理ないわ」
そんな光景を目を細めて見つめながら、愛瞳は次には姪っ子の顔を思い浮かべる。
「ひなちゃんも…見たかったやろなあ」

「お父さん…出ますよ」

背後から聞こえた言葉に、美朱と愛瞳は振り向く。
そこには、微笑んでいるひなの姿。
「ひなちゃん!え…翼宿が、出るって!?」
「はい!あたしが、責任を持って病院から連れてきました!」
「大丈夫だったの?翼宿さん…」
美朱のその問いに、ひなは舌を出して答える。
「大丈夫じゃないかもしれないけど…でも、美朱さん。お父さんの性格、分かってるでしょ?」
その答えに、美朱と愛瞳は呆れながらも微笑んだ。
そして、この時、誰もが思った。
どうか、無事に今日の公演が終わりますように―――

すると、会場の照明が消えた。
スモックが炊かれたその向こうに、3人のシルエットが浮かぶ。
中央に立っている男性の影に気付いた観客は、きゃあと声をあげた。
誰もが、待ち望んでいた瞬間。
『みんな!!待たせたな!!』
鬼宿のその掛け声に、会場のボルテージは高まる。
そこに流れるのは、柳宿のキーボード。
そして聞こえてきたのは、彼の歌声。
『まだ届かなくてもどかしくて、こんなに側にいるのに。口付けても口付けても、響かない…』

ひなは、感動に思わず口許を手で覆う。
そして、鬼宿のドラムと共に幕は開けた。
『翼宿のお帰りだーーー!!』
幕の向こう側に見えたのは、伝説のバンド・空翔宿星。
ひなの涙が、零れた。


「社長!」
「攻児…ったく!お前は、何をやってくれたんだ!騒ぎにならなかったのか!?」
「何とか、撒いてきました…」
モニタールームに顔を出した攻児を社長が軽く叱るが、次にはふうとため息をついた。
「まあ…お陰さまで、やっと3人揃って客も喜んでる。無事に、最後まで終えられればいいけど…な」
「俺も、それが心配なんですよね。あいつ病院の玄関にいた時から苦しそうだったので…痛み止めは飲んでる筈なので、少しは持ちそうですが」
モニターに映る翼宿の表情や歌声は、かつてと変わらないもの。
それでも、ときたま腹部に手を当てる彼の仕草を二人は見逃さなかった。
どうか、無事に今日の公演が終わりますように―――


翼宿の完璧なパフォーマンスには、観客は愚かステージに立つ人物誰もが目を見張るものだった。
モニタールームで見ている社長や攻児に比べれば、興奮も手伝ってその場にいる人間のほとんどは翼宿の異変に気付いていない。
しかしパフォーマンスも終盤に差し掛かると、さすがに痛みが目立ってきたのか翼宿は横にある休憩用の椅子に座っていた。
『翼宿…大丈夫かよ?お前…』
『あーすまんすまん…続けろや、たま』
椅子に座りながらもMC係に陽気に手を振る翼宿だが、観客からも心配の声が聞こえる。
そして、誰よりも彼の背中を心配して見つめているのは妻の柳宿。客席から見ている娘のひな。
二人とも、このライブが終わるまで翼宿の怪我が悪化しない事を必死に祈るばかりだった。
『皆さんもお分かりだと思いますが、今日は翼宿は無理をしてこのステージに立っています。至らないところもあったかと思いますが、どうかお許しください』
鬼宿のその言葉に、そんな事ない!といったような拍手が湧いて降ってくる。
すると、翼宿はマイクを手に取った。
『ホンマに…今回は皆さんに心配かけるような事したりお見苦しいところを見せたりして、すみませんでした。けど、今回のライブは柳宿が…一番頑張ってくれたと思っています。皆さん…こいつにも、拍手を送ってやってください』
「翼宿…」
改めて、翼宿の代役にも拍手が送られる。
その拍手に我慢していた涙が再び零れ落ち、柳宿はそれをぐっと拭った。
『せやけど…すみません。次も、ちょお代役が必要ですわ』
『翼宿…』
予定している曲は後一曲だが、翼宿の体力は既に限界に近かった。
しかしながら、定位置についている柳宿にはもう助っ人を頼めない。
どうなるのだろうと観客がざわつき始めたその時、翼宿はまっすぐにその客席を見やった。

『せやから…俺のもう一人の最高の助っ人に手伝ってもらいます』

「え…?」
視線の先にいたのは、愛娘のひな。
それを合図に、観客席にスポットライトが当てられる。
「ええ!?ええ!?ひなちゃんが!?」
すぐ横にいた愛瞳は、関西人らしいオーバーリアクションで仰け反った。
「ひな…ここまで、来い」

お父さん…まさか。

父親が向けてくれる優しい微笑みに、戸惑いながらもひなの足は自然と動いた。


「ひ、ひなちゃん!?何で!?」
同じく、モニタールームで一人仰け反る攻児。
その反応に、社長はくくっと笑った。
「社長!?何なんですか、この演出は!」
「全く…翼宿も、粋な計らいするよな」
「え?」
ポカンとする攻児を尻目に、社長は腕組みをしながら立ち上がった。
「あいつの体力が持ちそうにない時には、ひなちゃんをステージに立たせてくれって頼まれたんだよ。今、本気で苦しいのは事実だろうが、反面はひなちゃんに夢を見させてあげる為にあいつが企てた事なんだ」
「あいつ…」
今、親子が並んで立ったステージを、攻児は唖然としながら見つめていた。


『皆さん。驚かせてしまって、すみません。こいつは、陽山ひな。俺と柳宿の一人娘です』
突然の発表に、客席からは歓声が沸く。
ひなは、おずおずとお辞儀をした。
『この子にも、将来はピアノが弾ける歌手になる夢があります』
「お父さん…」
『だけど、俺が芸能界の人間であるがゆえにひなには随分と苦労をさせてきていたみたいです。
だから…って訳じゃないですけど、今日は娘にもここで歌ってほしいって思ったんです』
「え…!?」
『俺と一緒に…な』

それは、ひなが小さい頃に語っていた夢。
今、この大舞台でその夢が叶う。
その場に溢れたのは、暖かい拍手と声援。
ひなと柳宿の涙が、同時に溢れた。

『最後の曲…Rainyを、一緒に歌う。お前、歌詞ちゃんと覚えてるか?』
『お、覚えてるよ!空翔宿星の曲は、一曲残らず…』
『さすが、俺の娘や』
各々にマイクがセッティングされる中で、親子はこんな会話を交わす。
すると、翼宿は後ろの二人にも声をかけた。
『鬼宿…柳宿。お前らも、手伝ってくれや』
『『へ??』』
その言葉に、また客席が沸く。
『ひなと、お前らと、みんなで…この思い出の歌を歌いたいんや』
空翔宿星のラストを飾ってきたこの曲。今度こそもう歌う機会はなくなるかもしれないからこそ、最後はみんなで。
『…分かった』
『ったく!俺の歌声…知ってる癖に』

「ねえ?ママ。お父さん、歌っちゃうの?」
「…もう。いいから、大人しく聞いてあげなさい?」
客席で宿南一家も悪寒を感じるが、美朱は感動で既に溢れている涙を拭いながらそう言って笑った。

『それでは、聞いてください。Rainy~愛の調べ~』

『君との思い出だけは、ひとつも雨に流れない。短すぎた季節の中で、まだ君が笑ってる―――』
一拍置いて聞こえてきたのは、ひなの透き通るような美声。
いつしかそれは父親のものと美しくハモり、曲は始まった。
Aメロ・Bメロには、鬼宿と柳宿の歌声も加わり貴重な空翔宿星バージョンのその曲はたちまち会場の涙を誘った。
こうして、空翔宿星のラストライブは無事に幕を降ろした―――



「たたた…」
「おい、翼宿。大丈夫かよ?」
「ああ…ギリギリセーフや」
数刻後、鬼宿に支えられながら、翼宿は楽屋のソファに腰を下ろした。
「お父さん…あの。あたし…」
ひなもその後に続いて、翼宿に声をかける。
未だ混乱しているかのような娘の姿に、翼宿はふっと微笑む。
「やるやんけ。ひな」
「え?」
「楽しかったで、お前と歌えて」
「お父さん…」
ひなの瞳に、また涙が溢れる。
「今日は、特別出血大サービスや。次は、ホンマもんのデビューの時にな!」
翼宿は、そんなひなの頭をそっとごついてやった。
その瞬間、ひなの笑顔が咲く。
「…うん!」

そして、後ろに立つ妻が続いて前に進み出た。
しかし、その表情は意気消沈していて。
「柳宿?どうしたんだよ?」
鬼宿が首を傾げて声をかけると、次の瞬間、柳宿は翼宿をキッと睨んで。
バシッ!
思いきり、その頬を叩いた。
その場にいた者が、唖然とする。
「な…に、すんねん!おのれはあ!仮にも、怪我人に向かって!」
「それは、こっちの台詞よ!何してんのよ!!ひなを庇って事故に遭ったのも…ライブに出られなくなったのも…無理して病院抜け出してきたのも…どうして、そう勝手な訳!?その行動で、どれだけの人が心配したか分かってる!?」
「せやから、みんなの前で謝ったやんか!!お前だって、今日、俺が来なかったら、小鹿みたいに震えてステージ立てなかったんやないんか!お前の為に、俺はこうしてやなあ!!」
「あんたが、来るんだか来ないんだか分かりにくい行動するからでしょ!?こっちは、ずっと来ると思って待ってたんだから…」
そこで、二人は周りがニヤニヤしながら自分達を眺めている事に気付く。
「お熱い二人だなあ…」
「ホントだよ…真夜に3回求婚を断られている俺の前で、見せつけてくれやがって」
「社長…その件は、後でゆっくりと」
その冷やかしに、二人はお互い頬を染めて俯いた。
誰よりも、お互いを想い合って愛し合っている夫婦。
そんな両親を邪魔しちゃいけないと、ひなは微笑むとそっとその場を離れた。

「ひなちゃん」
「攻児さん!」
控室から出て程なくしてかけられた声に振り向くと、廊下の隅に攻児が腕組みをして立っていた。
「お疲れ。むっちゃ感動したで。親子のバラード…」
「ありがとうございます!みんなのところに、行かなくていいんですか?」
「いや…俺は、あくまで翼宿のマネージャーやからな。今日は、社長に任せるわ」
「そんな…お父さんが今日のライブに出られたのは、攻児さんのお陰です!本当に、ありがとうございました!」
「いやいや…あー。ひなちゃんさ、その…」
「?」
「ピアノのオーディション、またチャンスがあれば受けるんやろ?俺、昔、オーディション担当してた事もあるから…何かあれば、相談乗るから」
「あ、ありがとうございます!何か、すみません…」
「………っていうのは、こじつけでな」
「え?」

「今日のひなちゃん見て…もっと、ひなちゃんの事知りたくなったっていうか」

見上げた攻児の顔は、耳まで真っ赤になっている。
それは決してふざけた気持ちではなく、真剣な気持ち。
「ひなちゃんがよければ…今度、二人でご飯でもどうかと…」
「攻児さん…」
「っあー!すまん!こんな30近いおっさんに誘われても、気色悪いだけやんな!今の、忘れて…」

「いいですよ」
「えっ!?」
「あたしも…さっきの攻児さん、ちょっとかっこいいなって思ったので」
ひなも同じく、頬を染めながら微笑んだ。
そんな小さな愛の双葉が芽生え始めた事に、その頃、電話で医者の叱咤を受けている翼宿が気付く筈もなかった。
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