空翔けるうた~04~

「あ~…どないすれば、ええねん」
ライブ2日目。翼宿は、病院の携帯電話可能エリアで携帯片手に悩んでいた。
明日になっても、外出許可が出ない。
早くこの事を社長に伝えて、先手を打ってもらわなければいけないのに。
時刻は、午後7時。ライブも、中盤戦に差し掛かっているだろう。
とりあえず、電話だけでもしなければ。意を決して、携帯を耳に当てる。
Plllllllllll
『もしもし!?』
「社長…お疲れ様です」
『おお!翼宿!怪我の具合は、どうだ?ちょうど、俺からも連絡入れようと思ってたところで…』
「…………はい。その件なんですが」
『ん?』
「すみません…外出許可が降りないんです」
その言葉に、電話の向こうの社長が絶句しているようだった。
「社長…すみません、ホントに」
『そっか…いや!仕方ないよ。お前の体の方が、大事だから…』
「何とか、出来そうですか?」
『ああ…このまま、柳宿にお前の代役を務めてもらうしかないけどな』
電話の向こう側からは、女の歌声のようなものが流れている。
恐らく、社長は、今、モニタールームにいるのだろう。
『聞いてみるか?…あいつの歌声』
そんな自分の気持ちを察したかのように、社長がこんな提案をしてきた。
「え…でも…」
『ずっと、気になってただろ?今、繋ぐからな』
そこから少しの雑音がした後、電話がスピーカーに繋がれた。

『―――真夏の風をまとう君の髪。しやなかに踊り』
受話器から聞こえてきたのは、綺麗な女の歌声と完璧なベースライン。
翼宿は、目を見開いた。
これを、今、自分の妻が演奏しながら歌っている。
正直、予想以上の出来だった。

『――――どうだ?翼宿』
音が少し小さくなったと思った時、社長の声が聞こえた。
「…驚きました。あいつ、一週間でここまで…?」
『ホントだよ。お前でも、25曲を一から一週間で覚えるなんて出来ないだろ?』
「…はい」
『でもな。これでも足りないって、あいつは昨日も遅くまで練習してたんだ』
「ホンマですか?」
『こんな演奏を翼宿に聞かせたら、怒られるってさ。だけど、俺はあいつはその考えだけでここまで来てないと思うんだ。お前がここにいる事をあいつ自身が全身で感じられるように、より完璧になりたいんだと思うんだ』
そう。社長は、分かっていた。
柳宿の苦悩と、それを叶える事が出来ない難しさを。
そして、その意味は電話の向こうの翼宿にも十分伝わった。
『悪いな。後ろ髪引かれるような事、言って…こっちはこっちで、何とかするから!お前は、治療に専念しろ。いいな?』
「……………はい」
静かに電話を切るが、翼宿の瞳には決意が芽生えていた。
自身を壊そうとしている最愛の妻を、自分は、今、命懸けで助けなければいけない―――
そして、もうひとつ。
『オーディション、無しになっちゃった』
最愛の娘の夢を、叶えてあげなければいけない。
だから。
翼宿は、メッセージ画面を開いた。


『―――羽ばたく君が、また遠くなるよ。想い出の中で』
陽山家のテレビからは、その家の主の歌声が流れている。
ひなは、タマと共に空翔宿星のライブDVDを見ていた。
明日、この3人が自分の目の前に現れるかもしれない。そう考えるだけで、胸がドキドキする。
だけど、片や本当に見られるのだろうかといった不安もある。
父親の体調は、大丈夫なのだろうか?
♪♪♪
そこに流れてきた、メッセージの着信音。
ひなは、すぐさま携帯を手に取った。
それは、父親からの連絡だった。
『明日、迎えを頼めるか?』
そのメッセージに、ひなの瞳は輝いた。
外出許可が、出たのだろうか?
『外出許可は、出なかったけどな』
「お父さん…?」
しかし次に届いたのは、予想に反したメッセージだった。
慌てて返事を返そうとするが、その前にまたメッセージが届いた。
そこで、指が止まる。

『けど、俺は行かなきゃいけない。お前なら、分かってくれるよな?』

ひなは、一瞬で理解した。
今の父親には何を言っても揺るがない、ある決意があるのだという事を。
暫し考えていたが、そのメッセージに対する返事を返した。
『分かった。明日の16時に、迎えに行くね』
そして、自分も父親のために覚悟を決めなければいけないのだという事も。



翌日―――
ひなはいつも通り、お見舞いを装って翼宿の部屋を訪れた。
扉を開けると、既に私服に着替えて外出準備万端になった翼宿が立っていた。
二人は顔を見合わせて、静かに頷く。
今こそ、脱出の時だ。

「あの…すみません」
「あら?ひなちゃん、どうしたの?」
ナースステーションに声をかけたのは、先日に指を怪我して来院した陽山ひなだった。
「実は、急に指が痛み出して。診ていただけませんか?」
「わ、分かったわ!すぐに、先生を…」
その隙に、ひなの背後をオレンジ色の髪の毛の男が通りすぎた。

「………てて。やっぱり、医者の言う事はホンマだったようやな」
階下のロビーに着く頃には、腹の傷が痛み出していた。
事故に遭って以来リハビリもせずにいきなり動いたのだから、当然といえば当然だが。
「お父さん!」
「ひな…上手くいったか?」
そこに遅れて到着したのは、ひなの姿。
「何とかナースステーションは誤魔化せたけど、早くタクシー捕まえないと追いかけてくるかも!…お父さん、痛むの!?」
「大丈夫…最初だけやから」
「でも、あたしに捕まって!」
ひなは、すぐさま翼宿の腕を自分の肩に回した。
「ひな…」
「ホントはね…あたしも、お父さんに無理してほしくない。だけど、お父さん、お母さんの事、助けたいんだよね?お母さん、ライブ中、一度も家に帰ってきてないの」
「そうか…」
「お父さんしか、お母さんを助けられる人はいないよ!だから、一緒に行こう!」
「ひな…ありがとな」
「陽山さん!」
しかしそんな二人の行く手を阻んだのは、連絡を聞きつけた警備員二人だった。
「チッ…思ったより、早かったな」
「陽山さん、何してるんですか!?先生から、外出許可出てませんよね?」
「早く、病室に戻りましょう!」
「お、お願いします!今日だけ、父を行かせてくれませんか!?」
間に入って懇願するひなに警備員は一瞬怯むが、二人を通そうとはしない。
「娘さん。そうは言ってもねえ…」
「規則を破られて、何かあってからでは遅いんですよ?」
確かに、正論だ。病院も、命を預かる大事な義務がある。
「………こんな事したくないけど、強行突破しかないな」
「お父さん…」
翼宿が、ひなの肩をぐっと掴んだ…その時だった。

「はいはーい!皆さん、そこまでー!」

間に割って入ったのは、若い男。
いや。よく見ると、その背中には見覚えがあって。
そう。それは、翼宿のソロの仕事を隣でずっと支えてくれていた…
「攻児さん!?」
「お前、何で…」
「お前が無茶しそうな予感がするからって、社長に派遣されたんや♪」
攻児は片目で二人を見やって、ニッと笑う。
「警備員さん方!お疲れ様です!わたし、yukimusic社員の攻児というものです!この度は、うちの翼宿がご迷惑おかけしてどうもすんません!」
「は、はあ…」
突然、目の前に差し出された攻児の名刺に、警備員は面食らう。
「せやけど、ここは俺からもお願いします。全責任は会社が持つので、今日だけ翼宿を行かせてくれませんか?今日、彼のラストライブなんですよ! 」
「だからね?お兄さん。彼らにも言ったけど、どんな事情があろうとドクターの判断無しで簡単に外出許可は出せないんだよ…」
その言葉に、攻児の笑顔が突然消える。
凄みを利かせた瞳で、警備員を睨み付けた。
そして、低い声でこう告げる。

「…あんたらは、命を守るのが仕事や。それは、重々承知しとる。
せやけどなあ!俺らも、夢を売るのが仕事なんや!そう簡単に譲れないもんも、あるんじゃ!」

「攻児…」
そして、彼の手が後ろ手に『行け』の合図を出す。
側には、タクシーが止まっている。
「………お父さん!行くよ!」
ひなの合図で、二人は駆け出した。
攻児に制された、警備員の制止を振り切って―――


「翼宿が…来られない?」
ライブ前の控え室で、鬼宿と柳宿は社長から事の次第を聞かされる。
翼宿に、外出許可が降りなかった事を―――
「俺も悔しいけど、あいつの傷の完治間に合わなかったそうなんだ」
「そう…ですか」
「本当に申し訳ないが、またいつか機会は来るから今日も二人とバックバンドで…」
「分かりました。…柳宿。袖、行こうか?」
鬼宿が反応を示す事が出来ない翼宿の代役に声をかけると、彼女は黙って頷いた。

「攻児の奴…ちゃんと、仕事しただろうな?」
二人が出ていった後、社長は携帯を取り出した。
彼には、翼宿が病院を飛び出していこうとした場合に止めるようお願いをしていたのだ。
携帯を耳に当てながらふと控え室の入口を見やって…社長は唖然とした。

「社長。すんません…あいつには、\"協力\"してもらいました」

そこに立っていたオレンジ色の髪の毛の男が、笑った。


『本日は空翔宿星ラストライブにご来場いただき、誠にありがとうございます…』
開演前のアナウンスが流れ、会場のムードは一転する。
舞台袖で、柳宿は未だ人形のように一点を見つめている。
「柳宿…大丈夫か?」
「ごめん、たま。化粧室、行ってくる」
そのまま彼女はフラフラと化粧室へ向かおうとするが、足元は既に覚束ない。
日頃の疲れと先程の脱力とで、体調は最悪だった。

翼宿…本当に、来られないの?
あたし…あたし、もうステージに立つ自信がないよ。
やっぱり、空翔宿星のセンターはあんたしか。

目の前が、眩む。背後で、鬼宿が自分を呼ぶ声が聞こえる。
体が、傾いて。そして。

大きな手に、肩を掴まれた。
そして、その手は躊躇なく背中に回され。

「………悪い。遅くなった」

20年以上、愛し続けてきた大好きな香り。
20年以上、愛し続けてきた大好きな声。
視界がハッキリしてきた時、目の前で彼が微笑んだ。


「た…す…」

空翔宿星。復活の時。
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