空翔けるうた~04~

『やあだーーーーーー!!』
『ひな?ワガママ言わないでちょうだい?』
十三年前。
3歳のひなは、うさぎのぬいぐるみを引きずりながら泣きわめいていた。
『やあだーーーーーー!!今日は、お父さんと一緒に寝るのーーー!!』
『お父さんは、お仕事が忙しいのよ?お母さんが、また絵本読んであげるから…』
『やあだーーーーーー!!』
子供というのは、気分屋なものだ。
つい最近までお母さんと寝たいと言っていたのに、今日に限ってはお父さんと寝たい。
幼子には、トップミュージシャンというものがどんなに多忙なものかいくら説明してもすんなり理解出来るものではない。
しかし、次にはひなは大きな腕にひょいと抱え上げられていた。
抱っこしてくれたのは、父親。
『お父さあん…』
『…しゃあないなあ。今日だけやで?ひな』
照れ臭そうに微笑みながら、翼宿はひなとおでこをぶつける。
ひなの満面の笑みが、咲いた。
『お父さん!かぐや姫読んでーーー!!』
『か…ぐや姫え…?男の俺に、んな辺戸が出るもん、読ませる気か?お前は…』
そんな光景を、柳宿は呆れながらも優しく見守っていた―――



『そう…怪我したの。ドクターストップもかけられてるなら…無理ね』
「本当に、すみませんでした…せっかく、声をかけていただいたのに」
『いいのよ、ひな。また、チャンスはあるわ。今は、ご両親も大変だろうし…落ち着いたら、またわたしからプロダクションに交渉してみるから』
「ありがとう…ございます」
塾講師との会話を終えると、ひなは電話を耳から離して電源ボタンを押した。
ここは、病院の携帯電話可能エリア。
そのまま、父親が入院している病棟へ歩を進めた。
その左手に巻かれた包帯を、長めのニットの袖で隠すように。


『ひなさん…最近、無理していたでしょう?』
先程までいた診察室で、父親も世話になっている医者に顔を覗き込みながらこう問われた。
『そんな事は…』
『十分に休息をとらないで包丁を握ったら、危ないでしょう?』
『すみません…』
既に手当てが終わった左手を庇いながら、ひなは俯く。
そして、一番、気になっていた心配事を口にした。
『先生…あたし、近々ピアノのオーディションがあるんです!この指は…』
『無理ですよ』
『………………っ』
『残念ですが、3週間は安静にしてもらわないと』
『3…週間…!?』
3週間後。約束のオーディションの期日は、とっくに過ぎている。


『ひな。大丈夫?』
昨日、受信したメッセージを開く。
それは、予想していたかつての親友からの連絡だった。
勝手に動揺したのは自分であり、彼女は悪くない。
それでも、今のひなにはそのメッセージに返信をする事は出来なかった。
唇を噛み締めて、携帯の電源を落とす。


カラカラ…
父親の病室の扉を開けたひなは、いつもの笑顔に戻っていた。
「お父さん!ごめんね?遅れちゃって…」
「いや。平気や」
彼は、いつものように笑顔で出迎えてくれる。
その優しさにホッとするが、やはり左手は袖に隠したままで。
「ごめん…お父さん。昨日、いつの間にか寝ちゃってて。差し入れ作りそびれちゃったんだ」
「そか。気にするな。疲れてたんやろ?」
その言葉に、ひなは黙って頷く。
そんな彼女に、翼宿は少しの違和感を感じる。
が、それには触れずに、話題を切り替えた。
「昨日、母ちゃんに電話したで」
「そうなの?」
「ああ。ひなが教えてくれたお陰で、早めに釘刺せた」
「それで…?」
「それでも、やるって」
「そっか…」
「俺もな。検査を早めに終わらせてもらって、最終日には出よう思ってる」
「お父さん…でも…」
「指くわえて、ライブ終わるの待ってられへんやろ」
病室の外の景色に目を移した彼は、ポツリとそう呟く。
翼宿の怪我の経過は順調に回復しているが、それでも二、三日で動ける状態にはなっていない。
それでも彼は不可能を可能にしようとそんな奇跡を起こそうと、まっすぐに未来を見据えている。
父は、やはりどんな逆境にも負けないかっこいい男だ。
「うん…その日に、見に行くね。楽しみにしてるから!」
だから、自分も無理して笑顔を作らなければ。
しかし、そんな心を見抜いたように彼の目が自分に向いた。
「なあ?ひな…」
グイッ

そして、袖で隠していたひなの左手が持ち上げられた。
中指と薬指には、厳重に包帯が巻かれている。
「お前…これ、どうしたんや?」
「………………」
「ひな」
「お父さんの差し入れ作ってる時に、切っちゃって」
その言葉に、翼宿は言葉を失う。
「じゃあ…お前…」
「オーディション、無しになっちゃった」
しかし、顔をあげたひなは笑っていて。
「今回は、ご縁がなかったって事だよ!でも、今はお父さんとお母さんを精一杯支える時だから…あたしの事は、いいの!」
「……………」
「…………いいの」
肩が、震える。本当に、心からそう思っている筈なのに。
だけど、本当は…自分にも父親のように逆境に立ち向かう強さがほしかった。
「ひな」
翼宿は、そんな肩にそっと手を添える。
「お父さん…ごめんなさい。こんな時に…あたし…」

「泣いて…ええんやで」

その言葉に顔をあげようとした瞬間、ひなはベッドの上の翼宿に抱きしめられていた。
それは、まるで彼が母を抱きしめていたあの日の夜のように…
「ホンマに…お前は、母ちゃんと似て、何でも頑張り過ぎなんや」
「お父さん…」
「俺かて、今でもお前の話ちゃんと聞いてやれなかった時の事、悪いって思ってるんやで。それなのに、全部一人で抱えて頑張りよって…そんな状態で、笑うなや。泣いてまえ。他にも辛い事や悔しい事あったんなら…全部言え。全部全部、吐き出してまえ」
ひなの涙が、幾筋も頬を伝う。
何よりも羨ましかった父親の腕の中、彼の袖をギュッと握る。
「あたし…学校に、友達が…いなかった。みんな…お父さんやお母さんに興味を持ってる子ばかりで…あたしには誰も興味を持ってくれなかった。それどころか…唯一、信じていた親友にも…裏切られたんだ。その子も…みんなと、同じ気持ちだったんだ…」
「…そか」
「オーディションにも、本気で出たかった。お父さんみたいにこんな怪我に負けてたまるかって…痛いの我慢して弾きたいくらいなの。だけど…オーディション受けられなくなったのは…あたしが自分に負けて…お父さんとお母さんを困らせて…こんな大変な目に遭わせた…その天罰なのかもしれない…だから」
「ドアホ」
そこで、翼宿はひなを改めて抱きしめる。
あの時、受け止めてあげられなかった娘の辛さも一緒に受け止めるように―――

「お前は、何も悪くない。こんなにええ娘に、育ってくれたんや。お前は、俺の自慢の娘やで」

「…………っ」
「もっと、早く助けてやれなくて…すまんかったな。ひな…」
「お父さん…」
「せやけどな?女のお前が俺なんか見習って、痛いの我慢してまで弾く事はない。お前には、まだまだチャンスがある。これが、最後やない。俺が、保証する」
「うん…うん…」
「少し…寝ろや。ここで、休んでいけ」



数刻後、ひなは翼宿の隣で眠りについた。
確か、自分が柳宿への気持ちに気付いた時も、怪我をして全国ツアーに出られなくなり自分を責めていた彼女を抱きしめていた。
本当に…どこからどこまで、似た者同士の親子なのだろうか。
しかし、今夜はあの時とは少し違う。
疲れ果てた彼女を自分の隣で眠らせてあげたいと思ったのは、愛娘だからこそ。
添い寝など、この子が赤ん坊の頃に一度してあげたきり。
思春期になった今、絶対にする事はないだろうと思っていたが。
翼宿は、腕の中で眠るひなの頭をいとおしそうに撫でる。
そして、その寝顔を見て…彼は決意した。

この子に、夢を見させてあげたい。
自分の力で、夢を叶えさせてあげたいと…
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