空翔けるうた~04~
「柳宿!!」
夜更けの病棟。そこの廊下に、ひなと柳宿はいた。
連絡を受けた鬼宿と夕城社長が、声をかける。
翼宿が、ひなを庇ってバイクにはねられた。
「たま…夕城社長…」
「大変だったな…ひなちゃん、怪我はないか?」
「ひなは、何とも…」
愛娘の両肩を柳宿は懸命に擦るが、ひなは涙を枯らした人形のように動かない。
「だけど、この大雨で出血が早まって…翼宿は危険な状態だって…」
「くそ!何てこった!」
社長は、悔しそうに唇を噛みながらソファに座る。
「でも、翼宿が犯人を捕まえてくれてたお陰で…例の常習犯が捕まったんだろ?」
「うん…」
そう。例の常習犯によって康琳に続き、翼宿までも。柳宿の心も、もう錯乱状態だった。
だけど、ひなの前で取り乱してはいけない。
誰よりも叫びたいのは、この子の筈。
「お父さん…」
「どうしたの?ひな」
「お父さんが…あの犯人に立ち向かっていかなきゃ…あんなに出血する事…なかったの。あたしが…あたしが、悪いの…」
「ひな!悪いのは、犯人よ!ひなじゃない!」
「あたしが、お父さんとの約束…守らなかったから…だから…お父さんが…
お父さんがあああ………………!!!!」
廊下に、ひなの叫びに似た泣き声がこだました。
ウィーーーン
それから、どのくらい時間が経っただろうか。
手術室から、主治医が顔を出した。
「陽山さんのご家族の方ですね?」
「あ…」
「お父さんは!お父さんは、助かるんですか!?」
答える前に、ひながすぐさま主治医に飛び付いた。
柳宿は、すぐさまそれを制する。
一拍空けて、主治医は答える。
「やはり、出血が多いですね…今、輸血を必死に施している最中です。輸血が成功すれば助かる確率は上がるので、もう少しだけお待ちください」
その言葉に、ひなは脱力する。
まだ、翼宿は目を覚ましていない。
「社長…どうしますか?もう、夜明けですが…」
「一旦、本社に戻ろう。今後についても、諸々報告してこなきゃいけない」
「そうですね」
もはや復活ライブどころではないのだが、本番は一週間後に迫っており、大口の契約によるもののため中止には相当の余力が要る。
本来なら動けるメンバーも交えて話し合いが理想なのだが、柳宿を無情にもこの場から連れていく訳にはいかない。
社長と鬼宿はそれを無言で確認し合うと、鬼宿が柳宿に向き合った。
「翼宿の様子…分かったら、連絡くれ」
「分かった…」
「お母さん…」
そこに、ひなの声が聞こえる。
「どうしたの?」
「お母さんも、行って」
「え?」
瞳を濡らしながらも、ひなは母親を仰ぎ見た。
「本当は、お母さんも行かなきゃいけないんでしょ?仕事なんだもん」
「ひな…でもね。これは…」
「お父さんは、あたしに任せて。目を覚ましたら…必ず、連絡するから」
それは、ひなが翼宿を巻き込んでしまった責任から来るものだった。
そして、彼女にはもうひとつ母親を解放してあげたい理由がある。
柳宿は黙っていたが、それを察すると静かに立ち上がった。
「ごめんね…ひな。また、すぐに戻るから」
「とりあえず、どうするか…主催と交渉だな」
「非情ですが…何とか、形だけでも出させてもらわないと会社の信用に響きますからね」
夜間入口に向かいながら、今後の事について話し合う社長と鬼宿。
すると、その後ろで突然柳宿がバランスを崩して壁にもたれた。
「柳宿!?どうした…」
そこで、鬼宿は気付いた。
今まで母親の顔を保っていた柳宿の顔が、女の顔に戻っている。
「…………どうして、あたしの周りばかりが…」
大きな瞳からは、とめどなく涙が溢れている。
「康琳だけじゃ…足りないの!?ひなまで…翼宿まで………あの人達が、何をしたって言うのよ………っっっ…!!」
「柳宿!柳宿!!落ち着け!!」
限界を超えたように取り乱す彼女の両肩を掴んだのは、鬼宿だった。
「ひなちゃんは、生きてる!翼宿だって、絶対に助かるから!俺らが…信じてやらなくて、どうするんだ!?」
「た…ま…」
「大丈夫…絶対に、何とかなるよ。翼宿も…空翔宿星も」
その言葉に、柳宿は鬼宿の胸に顔を埋めて声が枯れるまで泣いた。
そう。ひなは、柳宿に思いきり泣いてほしかったのだ。
母親の鎖に縛られず、ありのままに悲しみや悔しさを表現しながら…
朝が、やってくる。
しかし、陽山家には朝はやってこない。
ひなの目の前では、医者や看護婦がせわしなく手術室を出入りしている。
『父親と…………して…お前を…………護れて…よかった。堪忍………………な…』
彼が意識を落とす前に残した言葉が頭に響き、ひなは頭を抱える。
嫌だ…嫌だよ!お父さん…!
空翔宿星…復活するんでしょ…!?
お父さんが、お母さんや鬼宿さんと歌ってる姿…見たいよ。
それで、いつか、あたしもお父さんと歌を…!!
「陽山さん」
そこに聞こえてきたのは、主治医の声だった。
近付いてきた事すら、気付かなかった。
「あ…あの!」
「手術が…終わりました」
その言葉に、息が止まりそうになった。
そして、次に主治医は優しい笑顔を見せる。
「輸血が、間に合いました。助かりましたよ…じきに、意識も戻るでしょう」
その瞬間、ひなは泣き崩れた。
ごめんなさいとありがとうを、繰り返しながら―――
ピッ、ピッ、ピッ。
あれから、ひなは部屋を移された翼宿の枕元でずっと彼が目を覚ますのを待っていた。
その左手を、ギュッと握りながら。
すると、彼の切れ長の瞳がゆっくりと開かれた。
「お父さん!?」
「………………」
「お父さん、分かる!?ひなだよ!!」
「ひ……………な」
酸素マスクの向こう側、翼宿は優しく笑んだ。
その笑顔に、またしても引っ込んでいた涙が溢れ出る。
「お父さん…よかった!よかったあああ…」
「お前…一人か?」
「お母さんと鬼宿さんと社長さんも来てたんだけど、一旦仕事にもどったの…」
「そか…ヤバい事になったなあ」
「ごめんね。あたしのせいで…」
「ひな」
「……………?」
「今日は………ずっと、一緒やな」
仕事から離れて、ひなと二人きりになれている事。
翼宿は、それを何ともない幸福かのように喜んだ。
ひなの涙は止まる事なく、流れ続けた………
「え…!?ホント!?ひな…よかった。よかったね…ひな!」
数刻後、本社の会議室で打ち合わせをしていた柳宿の元にもやっとその嬉しい知らせが届いた。
「そっか…よかった。とりあえず、よかったな!」
「でも…ライブ、どうしますか?」
翼宿の無事に安堵はしたものの、ライブをするか否かの結論は出ない。
当たり前だが、メインがいない空翔宿星ではパフォーマンス出来ない。
「とりあえず…代役を雇うしかないのかもな」
そして、そこで下されたのは残酷な決断。
翼宿の代わりをつけるという事だ。
社長は、会議室に隣接するスタジオに立て掛けてある翼宿のベースをそっと手に取った。
「あいつの努力は無駄になるが…それしか方法はない…」
ガシッ
社長の手に持たれたベースを握ったのは、柳宿だった。
「え…?」
「柳宿…?」
「あたしが、歌う…」
「あたしを…翼宿の代わりに立たせてください」
代役を雇うのは、キーボードでよいという事。
柳宿は、この時、最愛の夫の役目を請け負う決意をしたのだ。
「あの時…」
「え?」
「あの時…俺に、何、話したかったんや…?」
親子水入らずの時間―――
まだ起き上がれない状態で、翼宿は虚ろな瞳をひなに向けながら尋ねた。
「あの時」とは、ひなが翼宿の部屋を訪れた時。
彼の無事を確認したひなにとって、そんな事はもうどうでもいい事。
だけど翼宿は父親としての責任感から、その話を今でも聞きたがっていた。
ゆっくりと、あの日の状況を語る。
「同じ図書委員の男の子に…体を触られたの。途中で先生が来たから未遂に終わったけど…その子、本気でわたしを襲おうとしてた」
「………………」
「お父さんにこんな話するのも聞かせるのもホントは嫌だったんだけど…それでも、助けてほしかったの。ごめんね…こんな話で…」
「……………そっか」
男の父親からしても、耳を塞ぎたくなる話の筈だ。
何を話しているのだろうと我に返ったひなは、その話題を振り切ろうとしたが。
「ひな…」
「…………なあに?」
「そいつ、次に会ったら、俺がボコボコにしたるからな…」
この時、変な男に引っ掛からないように柳宿に見ていてもらうなんてそんな子育て方針を決めていた事を、翼宿は酷く後悔していた。
だからこそ、こんな自分を頼ってくれる愛娘を全力で護らなければと思ったのだ。
翼宿の言葉が、ひなの心に染みる。
ひなは、泣きながら笑った。
「ダメだよ…そんな事したら」
そして、もう一度翼宿の手を握った。
「ありがとう…お父さん」
空翔宿星のライブまで、後、一週間。
夜更けの病棟。そこの廊下に、ひなと柳宿はいた。
連絡を受けた鬼宿と夕城社長が、声をかける。
翼宿が、ひなを庇ってバイクにはねられた。
「たま…夕城社長…」
「大変だったな…ひなちゃん、怪我はないか?」
「ひなは、何とも…」
愛娘の両肩を柳宿は懸命に擦るが、ひなは涙を枯らした人形のように動かない。
「だけど、この大雨で出血が早まって…翼宿は危険な状態だって…」
「くそ!何てこった!」
社長は、悔しそうに唇を噛みながらソファに座る。
「でも、翼宿が犯人を捕まえてくれてたお陰で…例の常習犯が捕まったんだろ?」
「うん…」
そう。例の常習犯によって康琳に続き、翼宿までも。柳宿の心も、もう錯乱状態だった。
だけど、ひなの前で取り乱してはいけない。
誰よりも叫びたいのは、この子の筈。
「お父さん…」
「どうしたの?ひな」
「お父さんが…あの犯人に立ち向かっていかなきゃ…あんなに出血する事…なかったの。あたしが…あたしが、悪いの…」
「ひな!悪いのは、犯人よ!ひなじゃない!」
「あたしが、お父さんとの約束…守らなかったから…だから…お父さんが…
お父さんがあああ………………!!!!」
廊下に、ひなの叫びに似た泣き声がこだました。
ウィーーーン
それから、どのくらい時間が経っただろうか。
手術室から、主治医が顔を出した。
「陽山さんのご家族の方ですね?」
「あ…」
「お父さんは!お父さんは、助かるんですか!?」
答える前に、ひながすぐさま主治医に飛び付いた。
柳宿は、すぐさまそれを制する。
一拍空けて、主治医は答える。
「やはり、出血が多いですね…今、輸血を必死に施している最中です。輸血が成功すれば助かる確率は上がるので、もう少しだけお待ちください」
その言葉に、ひなは脱力する。
まだ、翼宿は目を覚ましていない。
「社長…どうしますか?もう、夜明けですが…」
「一旦、本社に戻ろう。今後についても、諸々報告してこなきゃいけない」
「そうですね」
もはや復活ライブどころではないのだが、本番は一週間後に迫っており、大口の契約によるもののため中止には相当の余力が要る。
本来なら動けるメンバーも交えて話し合いが理想なのだが、柳宿を無情にもこの場から連れていく訳にはいかない。
社長と鬼宿はそれを無言で確認し合うと、鬼宿が柳宿に向き合った。
「翼宿の様子…分かったら、連絡くれ」
「分かった…」
「お母さん…」
そこに、ひなの声が聞こえる。
「どうしたの?」
「お母さんも、行って」
「え?」
瞳を濡らしながらも、ひなは母親を仰ぎ見た。
「本当は、お母さんも行かなきゃいけないんでしょ?仕事なんだもん」
「ひな…でもね。これは…」
「お父さんは、あたしに任せて。目を覚ましたら…必ず、連絡するから」
それは、ひなが翼宿を巻き込んでしまった責任から来るものだった。
そして、彼女にはもうひとつ母親を解放してあげたい理由がある。
柳宿は黙っていたが、それを察すると静かに立ち上がった。
「ごめんね…ひな。また、すぐに戻るから」
「とりあえず、どうするか…主催と交渉だな」
「非情ですが…何とか、形だけでも出させてもらわないと会社の信用に響きますからね」
夜間入口に向かいながら、今後の事について話し合う社長と鬼宿。
すると、その後ろで突然柳宿がバランスを崩して壁にもたれた。
「柳宿!?どうした…」
そこで、鬼宿は気付いた。
今まで母親の顔を保っていた柳宿の顔が、女の顔に戻っている。
「…………どうして、あたしの周りばかりが…」
大きな瞳からは、とめどなく涙が溢れている。
「康琳だけじゃ…足りないの!?ひなまで…翼宿まで………あの人達が、何をしたって言うのよ………っっっ…!!」
「柳宿!柳宿!!落ち着け!!」
限界を超えたように取り乱す彼女の両肩を掴んだのは、鬼宿だった。
「ひなちゃんは、生きてる!翼宿だって、絶対に助かるから!俺らが…信じてやらなくて、どうするんだ!?」
「た…ま…」
「大丈夫…絶対に、何とかなるよ。翼宿も…空翔宿星も」
その言葉に、柳宿は鬼宿の胸に顔を埋めて声が枯れるまで泣いた。
そう。ひなは、柳宿に思いきり泣いてほしかったのだ。
母親の鎖に縛られず、ありのままに悲しみや悔しさを表現しながら…
朝が、やってくる。
しかし、陽山家には朝はやってこない。
ひなの目の前では、医者や看護婦がせわしなく手術室を出入りしている。
『父親と…………して…お前を…………護れて…よかった。堪忍………………な…』
彼が意識を落とす前に残した言葉が頭に響き、ひなは頭を抱える。
嫌だ…嫌だよ!お父さん…!
空翔宿星…復活するんでしょ…!?
お父さんが、お母さんや鬼宿さんと歌ってる姿…見たいよ。
それで、いつか、あたしもお父さんと歌を…!!
「陽山さん」
そこに聞こえてきたのは、主治医の声だった。
近付いてきた事すら、気付かなかった。
「あ…あの!」
「手術が…終わりました」
その言葉に、息が止まりそうになった。
そして、次に主治医は優しい笑顔を見せる。
「輸血が、間に合いました。助かりましたよ…じきに、意識も戻るでしょう」
その瞬間、ひなは泣き崩れた。
ごめんなさいとありがとうを、繰り返しながら―――
ピッ、ピッ、ピッ。
あれから、ひなは部屋を移された翼宿の枕元でずっと彼が目を覚ますのを待っていた。
その左手を、ギュッと握りながら。
すると、彼の切れ長の瞳がゆっくりと開かれた。
「お父さん!?」
「………………」
「お父さん、分かる!?ひなだよ!!」
「ひ……………な」
酸素マスクの向こう側、翼宿は優しく笑んだ。
その笑顔に、またしても引っ込んでいた涙が溢れ出る。
「お父さん…よかった!よかったあああ…」
「お前…一人か?」
「お母さんと鬼宿さんと社長さんも来てたんだけど、一旦仕事にもどったの…」
「そか…ヤバい事になったなあ」
「ごめんね。あたしのせいで…」
「ひな」
「……………?」
「今日は………ずっと、一緒やな」
仕事から離れて、ひなと二人きりになれている事。
翼宿は、それを何ともない幸福かのように喜んだ。
ひなの涙は止まる事なく、流れ続けた………
「え…!?ホント!?ひな…よかった。よかったね…ひな!」
数刻後、本社の会議室で打ち合わせをしていた柳宿の元にもやっとその嬉しい知らせが届いた。
「そっか…よかった。とりあえず、よかったな!」
「でも…ライブ、どうしますか?」
翼宿の無事に安堵はしたものの、ライブをするか否かの結論は出ない。
当たり前だが、メインがいない空翔宿星ではパフォーマンス出来ない。
「とりあえず…代役を雇うしかないのかもな」
そして、そこで下されたのは残酷な決断。
翼宿の代わりをつけるという事だ。
社長は、会議室に隣接するスタジオに立て掛けてある翼宿のベースをそっと手に取った。
「あいつの努力は無駄になるが…それしか方法はない…」
ガシッ
社長の手に持たれたベースを握ったのは、柳宿だった。
「え…?」
「柳宿…?」
「あたしが、歌う…」
「あたしを…翼宿の代わりに立たせてください」
代役を雇うのは、キーボードでよいという事。
柳宿は、この時、最愛の夫の役目を請け負う決意をしたのだ。
「あの時…」
「え?」
「あの時…俺に、何、話したかったんや…?」
親子水入らずの時間―――
まだ起き上がれない状態で、翼宿は虚ろな瞳をひなに向けながら尋ねた。
「あの時」とは、ひなが翼宿の部屋を訪れた時。
彼の無事を確認したひなにとって、そんな事はもうどうでもいい事。
だけど翼宿は父親としての責任感から、その話を今でも聞きたがっていた。
ゆっくりと、あの日の状況を語る。
「同じ図書委員の男の子に…体を触られたの。途中で先生が来たから未遂に終わったけど…その子、本気でわたしを襲おうとしてた」
「………………」
「お父さんにこんな話するのも聞かせるのもホントは嫌だったんだけど…それでも、助けてほしかったの。ごめんね…こんな話で…」
「……………そっか」
男の父親からしても、耳を塞ぎたくなる話の筈だ。
何を話しているのだろうと我に返ったひなは、その話題を振り切ろうとしたが。
「ひな…」
「…………なあに?」
「そいつ、次に会ったら、俺がボコボコにしたるからな…」
この時、変な男に引っ掛からないように柳宿に見ていてもらうなんてそんな子育て方針を決めていた事を、翼宿は酷く後悔していた。
だからこそ、こんな自分を頼ってくれる愛娘を全力で護らなければと思ったのだ。
翼宿の言葉が、ひなの心に染みる。
ひなは、泣きながら笑った。
「ダメだよ…そんな事したら」
そして、もう一度翼宿の手を握った。
「ありがとう…お父さん」
空翔宿星のライブまで、後、一週間。