百花繚乱・第一部

『翼宿…!翼宿!』

誰や?寝かせろや。鬱陶しいなあ…

『ねえ!戻ってきてよ!翼宿ってば!』

何やねん!人が気持ちよく寝てる時に…何の用や!!

『あんたが死んじゃったら、あたしどうしたらいいのよ!?』

は?何を突然訳の分からん事、言うとんねん…俺が死んだって、別にお前には関係ないやんか…

『だって…あたしにとって、あんたといる時が一番…』

よう聞こえん。なあ?もう少し大きな声で…




『翼宿ってば!!』
バシッ!
『ぐえ!?』
突然、頬に閃光のような痛みが走り、翼宿は目を覚ました。
傍らには、瞳に涙をうっすら浮かべながら自分を見下ろしている柳宿がいた。
『起きた…よかった…』
『柳宿。てめえ…思いきり殴りよってからに』
依然グーで殴られた後のような猛烈な痛みを伴っている右頬を押さえながら起き上がると、そこは小さな洞窟のような場所だった。
倶東軍との戦いで、船から転落した翼宿と柳宿。あれから海をさ迷いながら、どこかの岩場に流れ着いたのだろう。

パチパチパチ…
復活した翼宿が鉄扇で薪に火をつけた事で、暖を取れるようになる。
そんな焚き火を囲いながら、二人は向かい合っていた。
『っあーーー!何で、俺らだけこんな目に遭わなきゃいけないんや!』
『それは…あんたが船酔いする情けない男だからで…』
『しゃあないやろ!俺は、山の男なんや!船に乗るスキルなんぞ、持ち合わせてるかい!』
膝を抱えながら、柳宿はひとつため息をつく。
『井宿に気付いて貰えるまで、ここにいるしかないわよね。でも、この大雨じゃ一晩かかるかしら』
『………一晩…?』
その言葉をポツリと繰り返したところで、翼宿の顔が赤くなった。
(アホ…何、考えとんねん。俺は…!こんな非常時に…)
しかし目の前で変わらず膝を抱えて小さく座る柳宿の髪の毛はまだ完全に乾ききっておらず、まるで大雨の中捨てられていた子犬のようにも見えて。
そんないつもと違う彼を前に、翼宿だって何も思わない訳はなかった。
その考えを振り払うように、柳宿に自分の上着を渡す。
『………へ?』
『寝てろ。疲れてるんやろ?井宿に見つけて貰えたら、起こすさかい』
『そんな…あたしも、一緒に…』
『俺にも、カッコつけさせろ。今回、いいトコなしやんか』
そう吐き捨ててそっぽを向いた翼宿にきょとんとしていたが、柳宿はそっと微笑んだ。
『ホント…バカなんだから…ありがとう。じゃあ、ちょっとだけ休むわ』
そう言うと、受け取った上着を体に被せて素直にその場に横になった。
その姿を見て、翼宿は細くため息をついた。
そう。このままずっと、朝まで寝てくれていればいい。
これ以上、自分の理性が失われないように…


数刻後―――
カクッ
自分の体が傾いた感覚を覚え、翼宿は目を開けた。
眠ってしまっていたのだろうか?
外はまだまだ大粒の雨が降り続いており、助けが来ている気配もない。
少しだけ小さくなった焚き火の火が、ぼんやりと洞窟の中を照らしている。
その向こうに横たわっているのは、紫色の髪の毛と小さな体。
その体は、規則正しく呼吸を繰り返している筈だった。のだが。

『はあっ…はあっ…はあっ…』

その体が、なぜか激しく上下している。
翼宿のぼんやりとしていた思考は、そこでハッキリした。
『柳宿!?』
彼の異変に気付いて駆け寄りその肩を引くと、柳宿が苦しさに顔を歪めていた。
額に手を当てると、凄い熱だった。
『まさか、お前、ずっと調子悪かったんか!?』
『へ、平気よ…ちょっと、体が冷えちゃっただけ。休めば、治る…………っ!』
『………柳宿!』
強がりとは裏腹に、顔色はどんどん悪くなっていく。
翼宿はそんな彼の肩を抱き上げて、背中を摩る。

確かに船の上では美朱や自分を助ける為に行ったり来たりし、更に不注意で海に落ちた自分を助けようとして一緒に落ちて、しまいには気絶した自分を泳いでこの岩場に引き上げてくれたのは、紛れもなくこの男。
熱にかかっても、おかしくはない状況だった。

『くそっ…薬はあらへんし…こんな上着一枚じゃ、すぐに冷えてまうやんか…どうしたら…』
そこで、翼宿の頭をひとつの考えが過った。
発熱した体を暖めて熱を逃がす方法。ひとつだけ、ある。
それは、人肌で熱を下げる方法。即ち、\"彼の男の姿を晒す方法\"。
今は、これ以外に手段はなかった。
しかし。
『あかん…やろ…それ…は…!』
『ううっ…』
自分の手で許可もなく柳宿の\"女\"を脱がせるなど、決してあってはならない事だ。
しかし目の前の相手は、唇を噛み締めながら依然苦痛に耐えている。
『………柳宿』
こいつを助けられるのは、自分しかいない。
くっと唇を噛み、上着を柳宿の背中側に敷くとその体をそっと横たえた。

『ちょっと…我慢しろ。柳宿…』

翼宿は残りの自分の肌着を全て脱いで、柳宿の着物も丁寧に脱がせていく。
その下から現れた華奢な白い肩を抱き上げて、そっと自分の腕で包み込んだ。
そうして、時が過ぎるのを待った。


――――――――――――――――


暫くすると、上下していた小さな肩は落ち着きを取り戻し呼吸も徐々に安定してきた。
『翼宿…』
ハッキリと自分の名を呼んだその声に体を離すと、柳宿の顔色がよくなってきているのが分かる。
『よかった…楽になったんやな?』
『う、うん…ありがとう。もう、大丈夫だから…。……………!?』
柳宿はやっと今の状況を理解し、そっと翼宿の胸を押す…が。
次には相手が真剣な表情で自分を見つめているのに気付き、その行動を止める。
『………………』
『た、翼宿…?』

本当なら星見祭りの日のように理性が勝利してすぐにその体を引き離してしまうところだが、翼宿の瞳は柳宿を捉えて動かない。
彼の白い素肌。鎖骨。丸みを帯びた肩。
それが、今、自分の目の前にある。
女性のものではないのにまるで女性のもの以上に綺麗に見えるそれらに、もっと触れてみたい。
正直にそう感じた瞬間、翼宿は汗で湿った柳宿の髪の毛を掬い上げていて。
その行為に、柳宿は身を固くする。

『な、何を…』
『………反則やで。こんなん』
『え……っ』
ギリと唇を噛んだ次の瞬間、翼宿は柳宿の頭を乱暴に持ち上げて唇を重ねていた。
溢れ出した欲望が、押さえられない…


『井宿!柳宿達の気は、まだ掴めないのか!?』
『早く見つけないと…この大雨の中、今も溺れてたら大変だよ!』
一方、船上で首謀者の房宿をようやく倒した朱雀七星は、急ぎ二人の行方を探していた。
鬼宿と美朱が混乱している中、井宿は必死に二人の念を探る。
『ん?………あの岩場からか?』
その時、大雨で遮られていた二人の気が微かに感じ取れた。
それは、少し離れた場所にあるいくつかの岩場から届いているようだ。
しかしその気は弱く、どの岩場にいるかまでは見当がつかない。
これ以上探っても状況は変わらないと判断した井宿は、残りの仲間に向かって叫ぶ。
『…ここら一帯から、二人の気を感じる。岩場を、ひとつひとつ確認していくのだ!』


『……………ふっ…』
柳宿の甘い吐息を受け止め、翼宿は何度も唇を重ねた。
次にはその唇をこじ開け、舌に舌を絡めて。
しかし彼は抵抗するどころか、爪のひとつも立ててこない。
不思議に感じた翼宿は、柳宿を一旦解放する。
『………柳宿?』
『………………』
『嫌や…ないんか?』
彼の瞳はまだ熱に浮かされているのか、虚ろにさえ見える。
が、確かにふわりと優しい笑顔を浮かべて頷いた。


『…嫌じゃない…よ』


そう。あんたは、\"かけがえのない親友\"だから…
あたしにとって、あんたといる時が一番心が安らぐ時だから。だから。


そんな柳宿の思いなど、知ってか知らずか。
それを判断する前に、翼宿の中ではもう既に何かが事切れていて。

ドサ…

柳宿の両腕を掴んで、もう一度、地にその体を押し倒していた。
いつしか自分には出来ないと言われていた、『好きな女を押し倒す』行動。それを、今、彼の目の前で起こして…
しかし相手は特に驚いた様子も見せず、相変わらず虚ろな瞳を向けているだけ。
翼宿は、それを勝手に肯定の意と捉えた。


『途中で…やめたりせえへんからな…』


狼のように首筋に食らい付くと、柳宿の体がビクッと震えた。
それに構わずに、その白い肌に次々と接吻を落としていく。
その度に、か細い声が洞窟内に響き渡る。
『…………っ……翼宿…………っ』
吐息まじりで自分の名を呼ぶ声は、今までにないくらい艶を帯びていて。それが、また興奮を掻き立てる。

こんな行動をすれば、極論彼を傷付けてしまうものだと今までは思っていた。
だけど、少なくとも今の彼は自分を求めてくれている。
それならば、何も迷う必要はない。
手に入れてしまえばいい。
彼の全て…何もかもを。

ある程度、胸板の上で彼を鳴かせ尽くした翼宿は、次にその細い脚を抱え上げた。
しかし、それまで従順だった柳宿の手が突然それを制する。
『柳宿…?』
もはや、ここまでかと体を起こす。すると…?

『翼宿………いい加減にしなさいよ~…』

『へ?』
それは今まで聞こえていた色気のある声ではなく、腑抜けた声で。
まさかと思いながら彼を見上げるとそこにはすうすうと眠る顔が見え、予感は的中した。
柳宿は熱に浮かされた状態に加えて感度が高まりすぎたのか、そのまま深い眠りに落ちてしまったのだ。
『ちょ…ちょお、待てや。柳宿…』
軽く揺さぶるも、目を開けようとしない。
その反応に、翼宿はガクリと肩を落とす。
『むっちゃ…カッコ悪いやんか。俺…』
しかし、これは病み上がりの体を抱こうとした天罰なのだろう。
『まあ…しゃあない…な』
少し落ち着いたところで、ため息をつきながら次には脱がせた着物をまた柳宿に着せていく。
着物の襟をかき合わせた時、ふいに彼の手が自分の手を掴んだ。

『たすき…』

カッコ悪かった。カッコ悪かったけれど。
その寝言に自分が彼の中に落とした感情は恐怖ではないと悟り、翼宿はほんの少し安心した。
そして、そんな可愛い寝顔の柳宿の頭をそっと撫でてやる。

すまんかったな…柳宿。
ちゃんと、全部が終わってからな。


『…………りこー!たすきー!』
その静寂を破るように、遠くから仲間が自分達を呼ぶ声が聞こえてきた。
『…ったく。遅いんじゃ、お前らは』


何となく君に近付いたけれど、後、もう少し。
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